月別アーカイブ: 1月 2012

引き続き失語症につき、山の神に会いにいく。

1月31日 火曜日 晴れ

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標高3500メートルに棲んでいる何かからのメッセージ

1月30日 月曜日 晴れ

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photo diary from America

1月29日 日曜日 晴れ  

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機上

1月26日 木曜日 晴れ しばらく日本を離れます。行き先はまた追って。  

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「あんぽん」と被災地の女性の声

1月25日 水曜日 晴れ いやはや。エンドレスな作業も、極度の肩こりと共に、ようやくメドがつきつつあります。僕にとって、複数の人物に突っ込んだ質問をするのは初めての経験でした。痺れました。いろんな意味で。ただ、市井に生きる彼らが語る言葉は、失われるにはあまりに尊いものでした。 この作業を貫徹する力を与えてくれたのが、佐野真一さんによる渾身の本「あんぽん/孫正義伝」でした。失礼を承知で書きますが、震災以降、作家と呼ばれる方々の文章に失望することの方が多かったのです。(偉そうにすいません)もちろん彼らに救いを求めてなんていません。ただ、迷えるおっさんである、僕のケツを蹴飛ばすような力をそこに欲していたのは事実です。そんな意味に於いて、「あんぽん」は佐野さんと孫さんの情熱の闘いが描かれています。あまりに、あまりに素晴らしい。そして醜く、ひどく美しい。僕はこの両者と同じくらい、真剣に生きているか、と何度も自分に問いかけました。目の前にやらねばならない事があるのなら、そこから逃げてる場合じゃない、と。何度もペラペラで肉がない僕のケツを蹴っ飛ばしてくれました。痛かったけど、嬉しかった。この場を借りて、お礼を云います。本当にありがとうございました。この混迷の時代に悩んでいる人は、是非読んでください。きっと、それぞれに響いてくるものがあると思います。 はてさて。今日は僕がインタビューをした中で、唯一の女性、母の声をお届けします。彼女は勇気を持って、僕の質問に応えてくれました。 ———————————————————– 市民が語る3.11とこれから MY LIFE IS MY MESSAGE / from SOMA CITY #4 酒井ほずみ(マクロビオティック講師) インタビュアー 山口洋 ————————————————————————————– 酒井ほずみさん 34歳。相馬市内で自然食カフェ「なぴあはうす」を経営。震災後閉店を余儀なくされ、現在はマクロビオティック講師をされる傍ら、「そうま・かえる新聞」の編集長として奮闘されています。またの名を「かえる1号」。16歳の女子高生、くぽたんの母。 ————————————————————————————– —– かえるさん。簡単な経歴からお聞きします。 かえる いきなり「かえる」ですか?ムキーっ。相馬市尾浜で生まれ、12歳まで相馬で過ごしたあと、静岡市、八丈島を経由して、27歳で相馬に戻り、現在に至ります。高校生のムスメと猫3匹と暮らしています。 —– かえるさん。今回のインタビュイーの中で、あなたが一番「ヤング」で、なおかつ唯一の女性なのです。そんな意味で、あなたから見た、相馬の素晴らしさを教えてください。 かえる 相馬が好きだったわけじゃないんです。7年前にここに帰ってくることも不本意な理由だったし。街のことを、きちんと知ろうともしていませんでした。こんなに何もない閉鎖的な街でも、能動的に楽しく生きていこうよって、イベントを企画したり、自分の店を基地にして仲間を集めたりし始めたのが一昨年のことです。なんとか好きになりたかったんです。 でも、自分のルーツが満載で、大事な家族や仲間と、やっとやっと暮らしていた街がグチャグチャになった上に、決して消せないものをまき散らかされて、ばあちゃんが作った野菜は食べれないモノになって、陸に上がると飲んべえでどうしようもないけど、海の上では超かっこよかったおんちゃんが魚獲りに行けなくなって、そういうのがほっとけなかったんです。 子供の頃は当たり前過ぎて、気づきも考えもしませんでした。本当はここに在ったものを、震災後初めて知っていく過程にいます。震災がなければ、知らなかったことばかり。どんだけきれいだったか。どんだけ豊かだったか。それを知らずにいたことがちょっと許せなかったんです。今は好きか、って言われたら、まだよくわからないけど、最近は、ここにいられて良かったなと思えてきています。 —– 震災の日、娘さんの卒業式だったって、本当ですか? かえる はい。3.11はムスメの中学の卒業式でした。感動の式が終わり、子供たちの卒業祝いカラオケパーティーの引率をしに、一人でその待ち合わせ場所へと向かう車の中で揺れました。子供たちの集合場所まであと数百メートル。きっと怖がってるだろうと、揺れが収まるまで待てなくて、ハンドルを取られて蛇行しながら運転しました。顔を見てホッとしました。 10人近い子供たちを全員親御さんに引き渡すまで、その場から動けず、その間に周囲からの情報で、津波警報が出ていることを知りました。街じゅう大渋滞で、最後の子どもを親御さんに引き渡せたのは、すでに第1波の到達後でした。ムスメと、身の周りのものと、怯えて隠れる猫3匹を車に積み込み、走りました。ケータイが不通で、誰とも連絡が取れない中、とにかく山側へ走りました。津波は2波3波が大きくなることを聞いていましたから。ラジオで繰り返される津波情報と、地震の警報の音。停電で真っ暗な山道。あちこちの陥没。橋の上での大きな余震に息を飲みました。停電で真っ暗な山あいの街で、運良く母と妹と合流できました。母の家も浸水したことを知りました。その夜のうちに相馬へ戻り、店に拠点をおいて様子をみることにしました。考えていたのは、ただ「これからどう動くか」だけです。不思議と心は静かで、緊張でこわばるムスメの心の内を穏やかにしてやりたかったんだと思います。 でも、本当に、世界の終わりが来るのかと思いました。 いろんな人の顔が浮かんで、ただ祈るしかなかったんです。翌日、原発がどうにかなるなんて知らないから、その後の葛藤はまだこの日はなかったんですけど。 —– うーん。言葉がありません。でもお聞きします。この震災はあなたをどう変えましたか? かえる 変わったかどうかは、分からないけれど、変えようと思うには十分な出来事でした。それまでこだわっていたことに、こだわっていられなくなりましたから。それから、やりたくないことを、無理してやらなくなりました。悩んで動けない時間が少しは減ったかもしれません。当たって砕けて再生する一連の動きが、少しだけスムーズになった気がしています。 —– ほんとうに大切にしなきゃいけないものが、言葉に出来ない体験を通して、見えてきたんですね。人は乗り越えられない試練は与えられない、と云うけれど、「不思議と心が静かだった」と語るかえるさんの言葉に、母の偉大な力を感じます。かえるさん。更に突っ込んで聞きます。相馬が失ってしまったもの。あるいは、相馬が今抱えている問題。それを教えてください。 かえる もとの相馬をよく知らないので、なんとも言えないんですけど、未来への続きみたいなものがそっくり無くなったんでしょうね。今までやってたことを、これからは同じじゃダメです。って言われた人がたくさんいます。ヒロシさん。イマジンしてください。今日から歌を歌ったらダメです、ギターもダメです、明日からどうにかしなさいって、全く関係ない人にいわれたら発狂するでしょ?それと同じことが、今この街では起きています。それから、圧倒的に足りないと思うのが正確な情報。危機感、そして情熱。 … 続きを読む

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絶賛、肩こり中

1月23日 月曜日 雨、そして雪   相変わらず走るときを除いて、一日じゅうコンピュータの前に張り付いて、原稿を書き、誰かにインタビューしています。日頃、笑っていても、震災で心の奥に確実に疵を追っている人たちに、未来が見えにくい人たちに、突っ込んだ質問をするには、心を鬼にしなければなりません。辛い作業です。でも、応えてくれる人たちの方が何倍も辛いはずです。彼らの応えを読んでいると、思い出しているうちに心が揺れてくるのが分かります。それらを同時に複数受け止めるのは楽ではありませんが、このまま失われるにはあまりに尊い経験なのです。でなければ、ミュージシャンである僕が門外漢の仕事をする必要はありません。僕は数人にこう伝えました。「ある種の解毒だと思って、僕に投げかけてください」と。ニンゲンに心があるのなら、同じ過ちは二度と繰り返してはいけません。やり遂げます。必ず。  その作業中も、首都直下型の地震が起きる可能性は4年で70%だとか(対岸の火事ではないってことです)、この夏電気は6%余っていたが、政府はそれを公表しなかったとか、、、、。夜には福島の浜通りで震度5弱の地震が起きました。相馬の上空をヘリコプターが飛び回っていたそうです。そりゃビビリますよ。彼らはもはや政府を信用しておらず、自分たちで状況を調べ、ある者は「後悔しないようにこれ喰っておかなきゃ」と云い、ある者は「今夜は飲まずに待機だな。パトカーも走り回ってるし」と。まったく、どんな世界に生きてるんだ、と暗澹とした気分になります。日々、そのようなプレッシャーの下で生きている彼らのことを、どうか忘れないでください。お願いします。  引き続き。「一年後の希望の写真」。よろしくお願いします。 http://no-regrets.jp/heatwave/news/yogile/index.html

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ARABAKI 2012

1月22日 日曜日 晴れ   東北が誇るFES、ARABAKI。今年は僕らのプロジェクトの趣旨を理解してくれ、「相馬市復興支援プロジェクト山口洋 presents “MY LIFE IS MY MESSAGE”」として出演することになりました。詳細は、、、、愉しみにしていて下さい。すばらしー。 http://arabaki.com/lineup/  「一年後の希望の写真」引き続きどうぞ、よろしく。今回は締めきりが1/31と期間が短いので、どうぞお早めに。 http://no-regrets.jp/heatwave/news/yogile/index.html

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現地の声/messages from Soma City

1月21日 土曜日 雨   10日間ほど、コンピュータの前に張り付いていました。自分が書き残した大量の文字、写真、それらをまとめていました。一年分の思考を振り返ることは、決して楽ではありませんでしたが、無意味なことではありませんでした。現代に生きる僕らは忘れてしまうことが速すぎる。そう思うことがあります。忘却の彼方に追いやってしまわなければキャパを超える。それも確かにそうなのだけれど、忘れてはいけないことも厳然としてある。ひどい肩こりと共に。それが僕の実感です。  それから、沢山の人間にインタビューを開始しました。言わずもがな、それは僕の専門職ではありません。けれど、周囲を見渡してみて、適任が僕しか居なかったのです。特に、被災した人たちには聞くのも、それを受け取るのも心が痛む作業です。僕からのインタビューの依頼を断れずに受諾し、書いているうちに、いろんな経験がフラッシュバックしてきて、随分辛い目に遭わせたなぁ、と申し訳なく思いました。けれど、これは貴重な大切な経験なのです。語られないまま、忘却することはあり得ない。未来に繋げなければ。だから、インタビュアーである僕はインタビュイーたちにこう伝えました。例えは甚だ悪いけど、「これはある種の解毒だと思う。だから、思い返すのは辛いと思うけど、文章がまとまってなくても全然構わないから、僕に向かって吐き出して欲しい」と。続々と集まっています。正直、書いた人も、受け取った僕も、しんどい作業です。でも、ここからでなければ未来は語れない。僕はそう思います。これらの本、大至急制作中です。昨日、お願いした「一年後の希望の写真」も合わせて、サポートをよろしくお願いします。こういった現実もふまえた上で、みんなで未来を描きましょう。  今日は一番早く反応してくれたプロジェクト相馬本部長Mのインタビューをお届けします。貴重な言葉がたくさんあります。是非、読んでください。 ————————————————————- 市民が語る3.11とこれから MY LIFE IS MY MESSAGE / from SOMA CITY #1 森田文彦(モリタミュージック代表) インタビュアー 山口洋 ————————————————————————————– 森田文彦さん もうすぐ50歳。相馬市中村で代々続くCDショップ、モリタミュージックを経営。2012年元旦付けで、プロジェクトの相馬本部長に就任。報酬0円。 http://blog.livedoor.jp/happymoritamusic/ ————————————————————————————– —– 生まれも育ちも相馬である、森田さん。まずは相馬の素晴らしさを教えてください。 森田 実は震災前は相馬に対して、ここまで愛情はありませんでした。震災が起きて、周囲の人々に助けられ、励ましあって今日まで来れたことに、感謝以外の言葉が見つかりません。相馬の素晴らしさは、失って初めて気づきました。キレイな海、甘くて肉厚なホッキ貝をはじめとした豊富な魚介類。美味しい果物や野菜など、、、。もう食べられないかと思うと、食べたくなるものです。 —– 震災が起きたときはお店に居たんですか? 森田 そうです。CDが手裏剣のように飛んできました。いつまでも止まない揺れに、お店が倒壊するのではと思い、外へと飛び出しました。近くの建物が爆音とともに崩れてきました。揺れがおさまって、しばらくしたら海の方から「キィーン」という金属音が聞こえてきました。おそらく、それが津波の音です。もう同じ経験は二度としたくありません。 —– お店は何とか地震に耐えたけれど、森田さんの家は流されたんですね? 森田 そうです。全てを失いました。 —– 一連の経験は森田さんをどう変えましたか? 森田 僕自身、政治に対してまったく興味がありませんでした。恥ずかしながら、選挙に率先して行く人間でもなかったのです。でも、今回の原発事故で政治家や役人が取った態度は許されるものではありません。将来この国を背負う子供たちを全く守ろうとしない人間を軽蔑します。僕らは人の命は地球より重いと教えられて育ちました。けれど彼らは自分たちの事しか考えず、まず金ありきの対応に怒りを感じるようになりました。 —– 相馬が決定的に失ってしまったものは何でしょう? 森田 なにより自然でしょうね。自然と共存して生きてきた街ですから。放射能のおかげで、漁師は魚を獲れなくなり、農家は作物を作れなくなった。もう何十年も、同じ仕事しかしていなかった人間が、今さら他の仕事が出来るとは到底思えないのです。残念だけど、生きがいを失くした人は少なくない。それが現状です。 —– 毎日、定点(お店)にいらっしゃって、例えば原発4号機の危機について、人々はどのように感じているんでしょうか?差し支えのない範囲で教えてください。 森田 ここに居ると感じるのは温度差なんですよ。まったく原発事故や放射能に感心を示さない方。そして怯えている方。問題なのは正確な情報があまりにも少ないことなんです。情報が少ないから「大丈夫だ」とタカをくくっている人。一方では情報が少ないから不安だらけの人。でも、残念ながら無関心な人が多いのも事実です。子供を持つ親でもそうなのには驚きます。だから子供をもつお母さんが発行する「かえる新聞」をいわきで見つけて、これを相馬でも発刊できないかと思ったんです。見事に山口君は僕の思惑にひっかかりましたけどね(笑)。だって、昨年末の「収束宣言」はマスコミがあれだけ大きく報道したのに、4号機の話題なんてまったく地元に伝わって来ないんですよ。自分たちの身は自分たちで守るしかないんです。 —– … 続きを読む

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一年後の希望、写真募集中

1月20日 金曜日 久しぶりの雨   今日は大切なお知らせがあります。  プロジェクトでは、みなさんの「一年後の希望」を象徴する写真を1月31日まで期間限定で募集します。応募していただいた写真は特設ページで公開するほか、3/12渋谷duoで行われるHEATWAVEのライヴでも使用します。また現在製作中のプロジェクトの写真集にも収録されます。是非、投稿してください。  今回は写真に込めた、未来への短いコメント、及び、名前(ニックネームでも構いません)、居住場所なども書いて頂けたらと思います。世界じゅうのいろんな場所が相馬と繋がっていることを伝えたいのです。印刷に使うクオリティーの点、それからサーバーの容量の問題を含めて、おおまかに一枚のサイズを3MBくらいにして頂けると嬉しいです。枚数に制限はありません。どしどし応募してください。  このblogの右側からも飛べますが、投稿サイトのURLは以下です。 http://no-regrets.jp/heatwave/news/yogile/index.html

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本当は連鎖するはずの愛について

1月19日 木曜日 曇り 昨日のダニエル・ラノアが僕にもたらしてくれたものは強力でした。これでひと月は頑張れる。あたらめて、音楽の持つ力に励まされています。バンドとしても大きな目標が出来ました。それをメンバーにメールで廻したら、コーフン気味に返信がありました。簡単に書けば、愛と情熱が連鎖しているだけなのです。ダニエル・ラノアの情熱が僕らに伝播しているのです。素晴らしいと思いませんか?僕はただライヴに足を運んだだけなのに。とつぜんですが、僕は月末からアメリカに渡ることにしました。そんな力が音楽や情熱には含まれています。何が起きるのか不明な日々を、僕も愉しみたいと思っています。 人はみな「ほんとうの自分」を生きる権利を持っています。プロジェクトを通して、僕は「人を変えよう」とするのは不遜だと気づきました。それよりも「ほんとうの自分」を生きることで、難問にもポジティヴに向き合い、昨日のライヴのように愛と情熱を連鎖させたい、そう思います。意味のない出来事は起きません。偶然はありません。すべて必然性があって、「ほんとうの自分」への成長を促すために、それらは起きるのだ、と僕は考えています。まずはその人がそのままで居ることを受け入れること。それが愛の連鎖の第一歩だと思います。それを原発事故に置き換えると、かなり難しいことなのだけれど。 ———————————————————————————— 本当はダニエル・ラノアの影響を受けて、今日は愛機、グレッチをアンプに繋いでギョワンギョワン弾いて、試したいことがたくさんあったのです。僕は普段エレクトリック・ギターを家ではまったく弾きません。でも、それだけの情熱を受け取ったのです。分かりやすい男ですいません。でも、時間は待ってくれません。やらなきゃならないことが山ほどあるのです。みなさんに伝えてからでないと、飛行機に乗れないのです。 僕が尊敬する南相馬の自立研修所「えんどう豆」の所長、佐藤さんのblogが素晴らしかったのです。まさに、時を同じくして、同じことを考えていました。あまりに素晴らしかったので、勝手に引用させてください。 ———————————————————————————— 原発事故の話は、わたしたちにとって、マイナスの情報ばかりです。その情報が、小さいのか大きのか、操作されている情報かもしれず、かつ基準が曖昧だから、ほんとうの事はわかりません。この頃の自分、不安を抱えながら、出口を探している。これほど大きな災害を起こしても、原発事故は、自分たちの責任ではないと思っている人が、国を動かしていることが、ストレスです。少なくとも、私は、フクシマのような事は、二度と繰り返さないと心から願っているのですが…..。 えんどう豆に来ているメンバー は、学校を卒業して、会社などで仕事をして、社会と関わりをもつ事が難しい人です。でも、作業所に通ってきている人たちは、純粋に生きていて、感情が豊かで、魅力的な人たちです。放射能汚染を気にしている人は少ないかもしれないけれど、回りの人の感情には、とても敏感なのです。昨日、私が体調を崩し休んだら、職員に、「みんな不安がって、心配していた」と言われてしまいました。それだからか、今日は泣いたり、みんなの感情の起伏が激しい一日でした。 えんどう豆は、小さな作業所で、少ないメンバーだけれど、そこは、幸せに暮らせるように願われ出来た場所です。そこに来る人は障がいを持っていますが、障害を持っていること自体が不幸せではないのです。おそらく、愛されていないことが不幸せなのです。だから、えんどう豆に来ている人には、幸せになって欲しい。そのためには、私たちが、元気で励ますような愛を与える存在でないとダメです。マイナスの状況であってもプラス思考で、楽しくて、笑顔がある場所にしたいと思います。今日は勉強させられたな。反省。 ————————————————————————————— 文中、「障害を持っていること自体が不幸せではないのです。おそらく、愛されていないことが不幸せなのです」。胸を打たれました。佐藤さん、少なくとも、僕と僕の仲間はあなた達を愛しています。ほんとうです。 ————————————————————————————— 僕が何に忙殺されているかと云うと、相馬に関する二冊の本の出版に関わっているからです。ひとつは文章がメインのもの、もうひとつは写真がメインのものです。写真がメインの本に関する打ち合わせをしていて、はた、と気づきました。東京のド真ん中でその打ち合わせをしていたのですが、僕を除いて、美しかった(過去形で書きたくないけど)相馬シティーの姿を知っている人間は一人も居なかったのです。何故なら、彼らはプロジェクトを通して、震災後の相馬から知ったからです。その事実を知ったプロジェクトの相馬本部長(元旦付けで勝手に任命)が美しかった相馬の写真を送ってくれました。是非、観てください。これは「ほんとうの相馬シティー」です。 僕らはそれを取り戻すのか、それとも創るのか。難しい問題です。でも、それぞれの人たちが「ほんとうの自分」をそれぞれに生きてくれて、「愛されていないことが不幸せなのです」と云う言葉が二度と聞かれなくなるような世界を僕は本気で夢見ています。Am I a dremer? もちろんです。諦めません。それは僕のlifeを諦めることだからです。夢見る不良中年より、愛を込めて。    

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