日別アーカイブ: 2012年1月25日

「あんぽん」と被災地の女性の声

1月25日 水曜日 晴れ いやはや。エンドレスな作業も、極度の肩こりと共に、ようやくメドがつきつつあります。僕にとって、複数の人物に突っ込んだ質問をするのは初めての経験でした。痺れました。いろんな意味で。ただ、市井に生きる彼らが語る言葉は、失われるにはあまりに尊いものでした。 この作業を貫徹する力を与えてくれたのが、佐野真一さんによる渾身の本「あんぽん/孫正義伝」でした。失礼を承知で書きますが、震災以降、作家と呼ばれる方々の文章に失望することの方が多かったのです。(偉そうにすいません)もちろん彼らに救いを求めてなんていません。ただ、迷えるおっさんである、僕のケツを蹴飛ばすような力をそこに欲していたのは事実です。そんな意味に於いて、「あんぽん」は佐野さんと孫さんの情熱の闘いが描かれています。あまりに、あまりに素晴らしい。そして醜く、ひどく美しい。僕はこの両者と同じくらい、真剣に生きているか、と何度も自分に問いかけました。目の前にやらねばならない事があるのなら、そこから逃げてる場合じゃない、と。何度もペラペラで肉がない僕のケツを蹴っ飛ばしてくれました。痛かったけど、嬉しかった。この場を借りて、お礼を云います。本当にありがとうございました。この混迷の時代に悩んでいる人は、是非読んでください。きっと、それぞれに響いてくるものがあると思います。 はてさて。今日は僕がインタビューをした中で、唯一の女性、母の声をお届けします。彼女は勇気を持って、僕の質問に応えてくれました。 ———————————————————– 市民が語る3.11とこれから MY LIFE IS MY MESSAGE / from SOMA CITY #4 酒井ほずみ(マクロビオティック講師) インタビュアー 山口洋 ————————————————————————————– 酒井ほずみさん 34歳。相馬市内で自然食カフェ「なぴあはうす」を経営。震災後閉店を余儀なくされ、現在はマクロビオティック講師をされる傍ら、「そうま・かえる新聞」の編集長として奮闘されています。またの名を「かえる1号」。16歳の女子高生、くぽたんの母。 ————————————————————————————– —– かえるさん。簡単な経歴からお聞きします。 かえる いきなり「かえる」ですか?ムキーっ。相馬市尾浜で生まれ、12歳まで相馬で過ごしたあと、静岡市、八丈島を経由して、27歳で相馬に戻り、現在に至ります。高校生のムスメと猫3匹と暮らしています。 —– かえるさん。今回のインタビュイーの中で、あなたが一番「ヤング」で、なおかつ唯一の女性なのです。そんな意味で、あなたから見た、相馬の素晴らしさを教えてください。 かえる 相馬が好きだったわけじゃないんです。7年前にここに帰ってくることも不本意な理由だったし。街のことを、きちんと知ろうともしていませんでした。こんなに何もない閉鎖的な街でも、能動的に楽しく生きていこうよって、イベントを企画したり、自分の店を基地にして仲間を集めたりし始めたのが一昨年のことです。なんとか好きになりたかったんです。 でも、自分のルーツが満載で、大事な家族や仲間と、やっとやっと暮らしていた街がグチャグチャになった上に、決して消せないものをまき散らかされて、ばあちゃんが作った野菜は食べれないモノになって、陸に上がると飲んべえでどうしようもないけど、海の上では超かっこよかったおんちゃんが魚獲りに行けなくなって、そういうのがほっとけなかったんです。 子供の頃は当たり前過ぎて、気づきも考えもしませんでした。本当はここに在ったものを、震災後初めて知っていく過程にいます。震災がなければ、知らなかったことばかり。どんだけきれいだったか。どんだけ豊かだったか。それを知らずにいたことがちょっと許せなかったんです。今は好きか、って言われたら、まだよくわからないけど、最近は、ここにいられて良かったなと思えてきています。 —– 震災の日、娘さんの卒業式だったって、本当ですか? かえる はい。3.11はムスメの中学の卒業式でした。感動の式が終わり、子供たちの卒業祝いカラオケパーティーの引率をしに、一人でその待ち合わせ場所へと向かう車の中で揺れました。子供たちの集合場所まであと数百メートル。きっと怖がってるだろうと、揺れが収まるまで待てなくて、ハンドルを取られて蛇行しながら運転しました。顔を見てホッとしました。 10人近い子供たちを全員親御さんに引き渡すまで、その場から動けず、その間に周囲からの情報で、津波警報が出ていることを知りました。街じゅう大渋滞で、最後の子どもを親御さんに引き渡せたのは、すでに第1波の到達後でした。ムスメと、身の周りのものと、怯えて隠れる猫3匹を車に積み込み、走りました。ケータイが不通で、誰とも連絡が取れない中、とにかく山側へ走りました。津波は2波3波が大きくなることを聞いていましたから。ラジオで繰り返される津波情報と、地震の警報の音。停電で真っ暗な山道。あちこちの陥没。橋の上での大きな余震に息を飲みました。停電で真っ暗な山あいの街で、運良く母と妹と合流できました。母の家も浸水したことを知りました。その夜のうちに相馬へ戻り、店に拠点をおいて様子をみることにしました。考えていたのは、ただ「これからどう動くか」だけです。不思議と心は静かで、緊張でこわばるムスメの心の内を穏やかにしてやりたかったんだと思います。 でも、本当に、世界の終わりが来るのかと思いました。 いろんな人の顔が浮かんで、ただ祈るしかなかったんです。翌日、原発がどうにかなるなんて知らないから、その後の葛藤はまだこの日はなかったんですけど。 —– うーん。言葉がありません。でもお聞きします。この震災はあなたをどう変えましたか? かえる 変わったかどうかは、分からないけれど、変えようと思うには十分な出来事でした。それまでこだわっていたことに、こだわっていられなくなりましたから。それから、やりたくないことを、無理してやらなくなりました。悩んで動けない時間が少しは減ったかもしれません。当たって砕けて再生する一連の動きが、少しだけスムーズになった気がしています。 —– ほんとうに大切にしなきゃいけないものが、言葉に出来ない体験を通して、見えてきたんですね。人は乗り越えられない試練は与えられない、と云うけれど、「不思議と心が静かだった」と語るかえるさんの言葉に、母の偉大な力を感じます。かえるさん。更に突っ込んで聞きます。相馬が失ってしまったもの。あるいは、相馬が今抱えている問題。それを教えてください。 かえる もとの相馬をよく知らないので、なんとも言えないんですけど、未来への続きみたいなものがそっくり無くなったんでしょうね。今までやってたことを、これからは同じじゃダメです。って言われた人がたくさんいます。ヒロシさん。イマジンしてください。今日から歌を歌ったらダメです、ギターもダメです、明日からどうにかしなさいって、全く関係ない人にいわれたら発狂するでしょ?それと同じことが、今この街では起きています。それから、圧倒的に足りないと思うのが正確な情報。危機感、そして情熱。 … 続きを読む

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