月別アーカイブ: 5月 2024

アッシャー家の崩壊

5月31日 金曜日 雨 「アッシャー家の崩壊」。エドガー・アラン・ポーの傑作。どうして知ったかって、アラン・パーソンズが僕が中学生のときにポーのコンセプト・アルバムを出したんです。まず、タイトルで持っていかれた。刹那で醜くて、美しい、と。 明日、土曜日。福岡に行くのです。荷物が多いから、公共交通機関に乗るのは厳しい。でも、空港の駐車場はこういうとき、とっても厳しい。もちろん、オフィシャルな駐車場は予約満杯、プライベートなものも満杯。旅慣れてるから裏技も知ってるんだけど、ことごとく満杯。 もうね、ファンクションしていない。ハブとして失格。そして、人々はいったいどこに遊びに行くんだか。苦笑。 止むを得ない。じゃ、バスにするか。渋滞すると飛行機に乗り遅れる可能性はゼロではないけど、とりあえず乗ってしまえば、移動はしなくて済む。オレが住んでる町から2つの会社が運行してる。 調べる。そこに書かれていた文字に唖然!運転手不足のため、廃止!!! 「アッシャー家の崩壊」。もうこの国は崩壊し始めてるなぁ、と。気になったから調べたなら、例の2024年問題なわけです。つまりは国がこういう職種の人たちを手厚く保護してこなかった。介護職もしかり。働き方改革によって、欠かしてはならないものが崩壊していく。一方。明日、空港に行けば平和な顔をした人々と外国人でごった返してる。 なんだかなぁ。 たいせつなものは何だ?   でもまぁ。 福岡で会えるのを楽しみにしています!   ちょいと時間をかけて、アイリッシュのプレイリストを作りました。コンテンポラリー編です。楽しんでください。たいせつなところなんで、トラッドは時間かけて作ります。あまりディープにならないよう、みんなの入り口になればと思っています。一部、正確にはアイリッシュじゃないものも入ってますが、それはこの文脈で伝えた方がいいからなので、ツッコミなきよう。笑。   ついしん (コメントへの返信) ゴーヤね。 今年もゴーヤを育てたくて苗を買いに行ったんすよ。でも、夏はひとつき家を空けることになりそうなんで、枯らしてしまうのがかわいそうでやめたんです。せっかく実ったとしても収穫できないじゃないすか?そういうこと、いちいち説明しなきゃですか? それから、AIなんて素晴らしいと思ってるわけないじゃん。ちゃんと読んでね!ただ、どーにもならないからには平和的に利用すべきだっていってるんすよ。 モラルを持って書き込んでくれると嬉しいです。度を越してると判断した場合はこちらで対処します。どうしてって、ここは可能な限り自由な場であってほしいからです。自由って、何でも書いていいってこととは違います。 みんな大人だよな?ヨロシク。                

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細胞に刻まれた味

5月30日 木曜日 晴れ もはや46年(ほぼ半世紀!)前の話になるんだけど。 中学2年14歳。僕はともだちのTくんに誘われて、深夜に家を抜け出してラーメンを食べにいくことを覚えました。身体も小さかったし、見つかったら補導されます。笑。そのせめぎ合いがとっても楽しかった。思い返せば、映画「タクシードライバー」のトラヴィスの超若年ヴァージョンみたいな。彼と僕は無線をやっていて、それで連絡を取り合って、家を抜け出すのです。 美味かったなぁ、あのラーメン。今でもラーメンはあれがデフォルトなんです。店の名前は「まるふじラーメン」。もうとっくにありません。おじさんもおばさんももう鬼籍に入っちゃったんだろうなぁ。当時220円だったかなぁ。 かように博多のラーメンは「おやつ」なんであって、決して主食ではありません。どっちかというとその役目は「歯茎」で切ることができるコシのない「うどん」の役目。全国展開している某店と某店が「博多」を看板に掲げ、高級化を計ってますが、今でもあれは「おやつ」なんです。僕の感覚で言えば、ワンコイン以内、厳しければ600円以内で、ささっと食べて帰ることができる。それが博多のラーメンですたい! 箱崎って町に「一楽」って店があります。ここが福岡市東区出身者の最後の砦かなぁ。まだ、あの感じ、残ってます。ぜひ、行ってみてください。 ところで、Tくん。にゃんとネットを通じて連絡がありました。にゃんと久しぶり。そのうち彼とラーメン食べに行くつもりです。 閑話休題。 AIが末恐ろしいことになってきました。もはや、電話で同時通訳が可能。もっといえば、電話と何語でも会話ができるゆえ、たとえば英会話学校などは戦々恐々なのだ、と。 会議の議事録を取るのもお手のもの。要点をまとめることはいうまでもなく、最後に提案は?と尋ねると、きちんとプレゼンまでできるのだと。苦笑。恋愛の悩みまで機械に訊くようになったら、人類は終わるね。 では正しいAIの使い方とは? たとえば、ここにジョン・ボーナムのドラムをAIが抜き出したトラックがあります。これはマルチトラックから抜く以外のことはAIにしかできない。つまりジョン・ボーナムと共演できるわけです。これがね、超絶素晴らしい。こんなリズム、ぜったいに彼にしか叩けない。同じように、キース・ムーン、共演は一生の俺の夢だったチャーリー・ワッツ。いろいろあります。逆に、ジェームス・ジェマーソンのベースを聴きながら「what’s going on」のドラムやギターを演奏することもできます。     こういう使い方はいいんじゃないかなぁ。どうしてって、素晴らしい音楽には「訛り」があるからです。それが個性なんです。それを細分化して「こーいう演奏してたんだ」と理解し、なおかつ一緒に演奏できるのは素晴らしい経験です。 みんなも憧れの音楽、探してやってみたら? 閑話休題アゲイン。 週末は故郷福岡のイベントに出演します。   このイベント、なかなかなメンツなのですが、にゃんと無料です。わたすは19時ごろの出演です。二日目も来てと言われているのですが、詳細は未だ不明です。で、せっかくなので、本も持って行くのでぜひゲットしてください。ちなみに大量には持てませんゆえ、なるはやでゲットしてくださいまし!

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オリヅルランその後

5月29日 水曜日 曇り 日本のあちこちに嫁いだオリヅルランの写真が送られてきております。 もはや、それぞれがそれぞれの家の子になってるのが嬉しいっす。間違っても、ウチの子はよその子に比べて、的な発想はなしでね。育ち方の違いって、個性そのものだから。 なので、地域名も載せず、ランダムにお届けします。 何度も書きましたが、もともとは長野県飯山市の僕のスキーの先生の家から嫁いできたものなんです。生命の輪が拡がっていくのは嬉しいです。もしよかったら、ランナーが出てきたら、たいせつな誰かにお裾分けしてあげてください。 よかったら、また写真送ってね!    

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インスピレーション

5月28日 火曜日 雨 たった2日の旅だったけれど、四国は多大なインスピレーションを与えてくれました。 直前に能登半島を訪れたことが深層心理に影響していることは間違いないけど、第一印象として、感じたこと。 あまりにも平和。 人々が穏やかで、誰も急いでいないこと。ゆっくりと時間が流れていること。そこに人の暮らしがあること。町がファンクションしていること。観光で町が成りたっていないこと。 暮らしってこうあるべきだって。そして裏通りに音楽が響いていること。 ゆっくりとバイクで移動しながら、知らない四国を知ってみたいと、こころが申したのです。だから、近いうちにやると思います。たとえば、高松の魔界ラフハウス。音楽を聴くことができるバーも併せ持っています。ならば、2daysにしてseize the dayのDJイベントもできるなぁ、とか。 みかん農家と茗荷農家と話せたのもとってもよかった。近代農業と前近代的農業のコントラスト。なんにせよ、彼らが汗水たらして作ってくれたものを口にしていること。 一口に四国と行っても書いて字のごとく「四つの国」ってくらいに違います。それがとっても素晴らしいのです。もっと小さな町にも行ってみたい、とわたしの毛穴が申すのです。 仕事が山積みなんで、高知から飛行機であっという間に帰ってきたけれど。ひとっとびなんだけど、こんなに急ぐ理由はどこにあるんだろうなぁ、と自問自答。 あー、それとね。高知で地元のともだちが食べさせてくれたカツオ。とんでもなかったす。もちろん、今までも食べたことあるんだけど、天文学的に美味でした。長太郎って貝も。 ゆっくりと生きるって、丁寧に生きると同義だと思うのね。そういうことを教えられた旅でした。僕も丁寧に音を紡ぎます。四国にも住んでみたい。 といいながら、多くの人が能登のことを思ってる姿にも感銘を受けました。平和が一番だよ。  

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高知県高知市にて

5月27日 月曜日 曇り  指先からひかりを放つ日。  そんなことが稀にある。能登を訪ねたこと、四国をともだちのおかげで旅できたこと。音響がとてもよかったこと。自分の目で見たこと。いろんなことが重なると。  思考を超える。  Lifeのピークはこれからだって。それはオーディエンスにとってもオレにとっても同じこと。保険なんてなにもないけど、どこまで行けるのか。それがLifeの醍醐味だと思う。  来てくれて、ありがとう。体験してくれて、オレは本当に嬉しかった。  四国、もっと知りたいから。次はバイクで来れたらいいな。高速道路じゃなくて、海沿いの道をゆっくり走って感じてみたい。  ちなみに。ホンモノのカツオがこんなに美味だとは知らなかった。  みんな元気でね。インスピレーションをもらっているのはこちらの方だから。  ありがとう。

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うどん県高松市にて

5月26日 日曜日 晴れ   等しく人には生きる権利が与えられてる。  ならば、寝る前に今日あそこをこうしておけばよかった、みたいな想いが一ミリも残らないように全力で生きること。  できることはたぶん、それだけ。それを日々積み重ねていくだけ。  うどん県で歌いながら、こみ上げてくる想いはほぼ、それだけだった。前からそう思っていたし、そうやってきたけれど、今週月曜日の経験がさらにそれを加速させたんだと思う。  なんであれ、チャレンジしている人が好き。高松の魔界、ラフハウスの今城くん。彼は生涯の友人。なぜなら、彼はチャレンジャーだから。彼のお腹には夢と希望が詰まってる。笑。  また来年帰ってくるからね。たくさんの愛。  毎年会うはなちゃん(小学校4年生)がどんどん大人になっていくのが、おじさん、たまらん。笑。オレも大人になる。

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うどん県へ

5月25日 土曜日 晴れ はてさて。 更新滞って申し訳ないっす。でもまぁ、文章書くのは好きだけど、書くのが憚られる内容だったがゆえ、ご理解ください。誰かに書けと言われたわけじゃないし、書かなくて誰かに責められるわけでもない。でも、書かずにはいられなかったのです。 近年の戦争では自律型AI兵器というものが使われるらしい。簡単に書けば、安価なドローンが標的を自主的に判断し、攻撃し、殺傷する。要するに遂に機械に滅ぼされるわけです。人類とはかようにアホなのです。生きようとする人がいれば、殺そうとする人がいる。 ランニング中にときどきyoutubeの音声だけ聴いていたりするんだけど、若い世代は喋りに「間」がない。時短のために1.5倍速で聴いていたりするのだと。これも長年のテレビの弊害なんだろうなぁ。 僕は言い淀みの中にある言葉にぐっとくるんだけどなぁ。言葉と言葉の間に真実はあるし。いつだったか、テレビのニュース(NHKだったと思う)を旅先で見てたら、「それではここからはAIがお届けします」って確かに言った気がする。じゃ、なんのためのアナウンサーなんだって。 怖すぎるよ。 そういうことは完全にシカトして、自分の信じる道を行け、と。うちなる原始人が言うのです。このシリーズまではやむなく新幹線に乗るけど。 んなわけで、明日はうどん県、明後日は高知へ。四国もバイクがいいと思うんだよなぁ。笑。 みんなに会えるのを楽しみにしています!あ、明日の高知新聞に載るそうです。声援ありがとう!とっても嬉しいよ。   そうそう。プレイリスト#018更新したよ。ポール・サイモンと小坂忠さんだよ!

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能登に行く(後編)

5月23日 木曜日 晴れ 熊ちゃんの後援会長の案内で珠洲市を目指します。 珠洲市はかつて僕がテレビ出演などのたびにお世話になっていたカリスマ美容師の出身地。髪をセットされる間に故郷のいろんな話を聞いていましたが、やっぱり自分の目で見ると、想像していた「珠洲」とはぜんぜん違います。僕は先端が好きで、世界の端っこの町をたくさん旅してきました。珠洲もLands Endにふさわしい楚々とした端っこの町でした。聞くと主要産業は農漁業。大きな工場もなく、高齢化が進む海沿いの2万人弱の小さな町でした。 聞きしにまさる家の崩れ方でした。後援会長の話では輪島とは違う揺れ方をしたので、このようなことになったのだろう、と。津波も相まって、筆舌に尽くしがたい状況でした。そして、こちらもまた、国からの復興の予算の全力さはまるで感じられませんでした。     税金をいったいどのように使うのか。国民にはそれを監視する義務があると思います。いったいどれだけの無駄な金が無駄なことに使われているのか。そのアホな政治家を選んでいるのはいったい誰なのか?苦しんでいる人たちのために、なぜその金は早急に使われないのか? 珠洲市の家の70%が被害を受けたのだそうです。そして見るところ、町を構成しているのは多くが老人たち。つまり復興するのはとても難しい。自治体単体でそれを成し遂げることはあまりにも難しい。国策でしかありえないと思うのです。   それから僕らは輪島市の黒島漁港へ。海底が隆起して、剥き出しになっています。防波堤はせり上がり、海底の岩肌が見えます。隆起は広範囲にわたっていて、漁港として使うことはおおそよ不可能だと思われます。 砂地の場所では液状化もひどく、道路がうねり、マンホールが浮き上がっているのをたくさん見ました。これもまたおおよそ、信じ難い光景でした。       最後に熊ちゃんが活動のベースにしている門前町のボランティア・センターを訪ねました。メロメロポッチに一旦集められた物資はそこからこの場所で運ばれて、必要な家庭に配られます。この日も見覚えのある名前(僕のblogのコメント欄によく書き込んでもらっている名前だったので)の方から送られた調味料を一緒にこの場所に運びました。実感として、このようにみなさんの気持ちが還流し、機能していることを知れたのは嬉しいことでした。 センターは地域の中で確実に機能していました。倉庫の中には貸し出すための工具類から食器、衣類、米をはじめとする食料、調味料、マンガ本までが整然と揃っています。常駐しているボランティアの面々も日本中から。なにより、若い!!目が輝いてる。人って必要とされると、生き生きとするんだってことがよくわかります。 町の人にとっても、このような存在が支えになっているのがわかります。僕と同年代のお母さんがシャワーを借りにきていました。車で20分走ればお風呂はあるんだけれど、毎日払うその600円がしんどいのだそうです。ここでも、未だ満足に水が使えない状況です。元旦に震災が起きたとき、とっさにお母さんのお母さん(つまりおばあさん)を守るため自分の身を呈しておばあさんにかぶさったなら、さらに息子さんがその上にかぶさってきた、と。つまり亀のような親子三段重ね。笑いながら教えてくれましたが、おばあさんはその後、亡くなり49日を終えたところだと。お母さんは泣いていました。震災関連死かどうか、立ち入って聞くのは憚られましたが、彼女は国に見捨てられたように感じている、と。この状況をぜひ、伝えてください、と託されました。 このようなことがあちこちで起こっているのだと思います。大きな事業は民意で国を動かし、国策でやるしかないと思いますが、僕らにはこころのケアも含めて、やれることはたくさんあると思うのです。あのお母さんが穏やかな気持ちでいれるように、また僕は訪ねていきたいし、自分がやれることをやろうと思います。   衣類なども豊富に揃っていて、女性の気分転換には最高だと思いました。 そのボランティア・センターには姫路のせんべい屋さんの善意によって、人々の移動用、物資の運搬用にワゴン車が無料で貸し出されていました。大活躍です。けれど、車検と修理が至急必要でその費用を捻出できず困っている、と。その現場にたまたま立ち会ったので、MY LIFE IS MY MESSAGEがその費用を負担するのはどうだろう?と提案し、受け入れてもらいました。もろもろ調整は必要だけれど、僕らに想いを託したくれた人たちにとっても、目に見える形でその志が役に立っていることを感じてもらえるのはいいのではないか、と。   費用は車検も合わせて18万4563円です。さっそく送金させていただきました。みなさんの想いを載せて、これからも能登で活躍してくれると思います。今後も熊ちゃんたちと力を合わせて、この門前町のセンター、インスパイヤベース(長とは残念ながら会えなかったのですが)をサポートしていけたら、と思います。     長くなりました。以上が僕の主観に満ちたレポートです。たった半日で駆け抜けただけの印象です。誤解や間違いもあると思います。 ただ、ひとりでも多くの人に、能登の人たちの気持ちを自分のこととして感じて欲しくて書きました。これからも仲間たちとできることを探していきたいと思います。 なによりも、僕は能登が好きになりました。新しく出会った人たちに、また会いに行こうと思っています。

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能登に行く(前編)

5月22日 水曜日 晴れ ようやく能登に行くことができました。その報告です。長くなりますが、一読していただけると嬉しいです。一個人として、主観に満ちた文章として。 長いので二回に分けて掲載します。文責はすべて山口洋にあります。   2月18日に個人的に金沢までやってきましたが、能登に行くことは憚られる状況でした。深く考えましたが、今は後方でできることを探した方がいいと判断して、僕らのサポートの拠点となっている金沢の魔界、メロメロポッチに物資を送り、集め、全国からの気持ちも送ってもらい、そこから必要に応じて、彼らのネットワークを通じて、能登に届けてもらうことにしました。 元旦から5ヶ月と20日。ほぼ半年です。今回、金沢で演奏するにあたって、自分の目で見る機会がようやく来たと判断しました。金沢で僕が長年ライヴをやらせてもらっている魔界、メロメロポッチのオーナー、熊野盛夫くん(以下熊ちゃん)は金沢市議でもあり、地元に根ざした志のあるネットワークを長年かけて築いています。   にしても。物見遊山ではないわけだから、大義名分は必要で、この震災をきっかけにネット上で知り合った輪島塗の職人さん、(ときどき現地の声として、輪島の状況を伝えてくれた方です)に通販でオーダーしてくれた僕の本を秘密裏に届けにいくというミッションを自分に課すことにしました。彼は能登の郵便事情を鑑みて、オーダーしてくれたものの、それが改善されるまでこちらで保管していてほしいと要望を受けていました。 今回の能登行きの野郎どもは4人。輪島にルーツを持つ熊ちゃん、能登半島のコンビニに配送の仕事をしていて現地の状況に詳しい熊ちゃんの後援会長、大阪から来てくれた旧知のAさん、それに僕。野郎どもの目、8つで見て回ります。ちなみに熊ちゃんと後援会長は何度も現地に足を運んでいます。Aさんと僕は初めて。 僕は日本中、というか世界を旅してきました。なので、地理感覚は優れている方だと思います。ただし、能登半島には足を踏み入れたことがなかったのです。それゆえ、地図上の感覚だけで能登半島を知覚していました。     その感覚がほぼズレることはないのですが、稀に外れます。たとえば、アメリカ大陸を横断して、その規模を体験して、仰け反るとか。北海道もそうですね。ほんとうに大きい。 初めて訪れた能登半島は道路事情の悪さを差し引いても、自分の地図上の感覚の5倍はありました。つまり、広大で多様性に富んでいるってってことです。「能登半島」と一括りにはできない。 実際、朝8時半に集合して、20時20分の新幹線に乗るまでの約12時間、90%は移動に費やしました。そのくらいの距離感だってことです。中能登、奥能登、きっとみなさんが想像しているより、はるかに広大です。市町村(集落)は離れて存在していて、それらを繋ぐ道路は復旧が進んでいるとはいえ、十分に留意して運転する必要があります。僕も運転しましたが、道路の陥没、隆起、崩落が激しくて、とても気を使うし、疲れます。     金沢から「のと里山海道」で輪島を目指します。進むにつれて、道路状況は確実に悪化していきます。これまで災害でいろんな道路を見てきました。阪神淡路で横倒しになった高速道路、東日本大震災で津波に襲われた道路、熊本地震で崩落した阿蘇大橋。それらとはまた違ったえげつない、道路の崩落状況でした。写真も動画も撮影しましたが、それらでは到底伝えることができない状況なのです。   現在は「のと里山海道」を通って輪島まで行くことができますが、それは行きのみで、帰りは一般道に迂回するしかありません。その理由は走ってみて理解しました。あちこちが崩落して、2車線確保することができないのです。5ヶ月経過して、この状況なのだから、震災直後の状態は想像を絶します。つまり、動脈と静脈と毛細血管、それらすべてを断ち切られた状態だったことが容易に想像できます。しかも、元旦。帰省されていた人々もたくんいたことでしょう。住んでいる方も含め、金沢など近隣の大都市に避難することが困難な状況だったと思います。点在する海沿いの集落は確実に孤立していたでしょう。 素人なので、確たることは言えませんが、この信じがたい崩落は震源地が近すぎたことによる揺れの激しさと、もともとの土壌に起因する気がします。見るところ、砂地や赤土が多く、岩盤を目にすることがありませんでした。地名にも「穴水」など、水脈を連想させるものがあって、それら複合的な要因があったのではないか、と。本震は102秒の揺れだったそうですが、それは数分にも感じるほどの恐怖だったと。実際、102秒後の世界はこれほどまでに変わってしまうのだから。 道を完全に復旧するには途方もない時間と金と労力がかかると思われます。だいいち同じように作れば、また崩落する危険性もあるわけだし。後援会長によると、毎日同じルートを走っているので、未だ水分を含むと道がズレるんだそうです。そして、復旧作業に従事されている人々に敬意と感謝をはらった上で、国が全力をあげて復旧に取り組んでいるか、と問われるなら、実感として、それは否です。 僕は阪神淡路と福島と熊本を自分の目で見てきました。熊本地震では自分の家が半壊しました。それゆえ、どの程度復興に力が入っているかどうかは実感として理解できます。ちぎれた動脈の先には人々の暮らしがあるんです。 加熱していた報道も今はない。国民の多くはもう忘れてしまった。報道されるのは大谷選手の元通訳のことばかり。そんな意味では、国、マスコミの責任は言うまでもなく。でも、国民の無関心がこの状況を作りだしているとも言えると思います。 ここがあなたの故郷だったら、どう思うのか?どうするのか?その視点が決定的に欠けている。住民のみなさんが「国に見捨てられた」と感じても仕方がないと思います。未だに水が出ないところがあるって信じられますか? なによりも、志賀原発で大事故が起きなかったこと。この原発はこれまでも臨界事故を隠蔽してきました。今回も油漏れの事故が起きています。 それは運が良かっただけじゃないのか、と。 僕らは福島からいったいなにを学んだのか?こんな世界を子供たちに遺していいのか?と。それは僕自身への問いかけです。   金沢から3時間弱で輪島に着きました。ここは熊ちゃんのルーツなので町の成り立ちなども含め、詳細に教えてくれます。なぜ、この町で漆器が作られるのか?それは気候に起因するんだそうです。たくさん話を聞いたけれど、今回は割愛します。 輪島の家並み。総じて、都会のペカペカな家とは違って、でっかいんです。立派です。僕は元の輪島を見たことがないけれど、震災前なら、それは立派な街並みだったと想像できます。飛騨高山のように、おそらく景観も考えられ調和していて、大型郊外店のヒドい看板もあまりない印象です。 ただ、大きな家がゆえ、揺れと瓦の重みで崩壊するとその被害はさらに甚大に感じてしまいます。熊ちゃんのおばさんが震災直後に電話で繋がったとき「輪島は終わった」と伝えたそうですが、その言葉の意味が5ヶ月経過した今でも理解できます。     まずは輪島塗の職人さんの家を訪ねます。おそらく、お仕事中だったのか、と。彼の家の周辺も、聞かされていたレポートより遥かにひどい状況でした。あの冷静な言葉の数々をこの状況で書かれたのか、と。頭が下がる想いです。 1月28日 http://no-regrets.jp/wordpress/?p=34626 1月30日 http://no-regrets.jp/wordpress/?p=34638 でも、僕らは震災がなければ、こうやって会うこともなかったわけで、それはこれからの希望であり、光です。彼の暮らしの中で、僕らの音楽が鳴っていたのであれば、ミュージシャン冥利に尽きます。彼はこう言いました。「来てくださって、ありがとうございます。珠洲はもっとひどいので、できれば行ってみてください」と。 … 続きを読む

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石川県金沢市にて #008

5月20日 月曜日 雨   長野のホテルで目覚めて、後ろ髪を引かれながら一路金沢へ。  近江町にかつて存在した魔界、メロメロポッチが移転して、何度目のライヴだっけ。  町には町のハコがあって、町のシンガーがいるべきで。杉野くんは病気で5年のブランクがあるけれど、その才能は言うに及ばないだけの素晴らしいものがある。その復帰ステージも兼ねてるからね、今日は。  体験してくれた人はわかると思うんだ。オレが伝えたかったこと。言語化不能だよ。それ、意味ない。オレも全力でやったし。だから、良かったら体験した人はコメントで感想を補足しといて。正直、目の焦点が合わないし、文章を書く気力も残ってない。笑。  町に必要なハコ、そしてシンガーたち。金沢が誇る杉野くんとTAKUちゃん、一緒に空間をクリエイトできて、とっても俺は幸せだった。  来てくれて、ありがとね!!!

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