月別アーカイブ: 1月 2023

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1月30日 月曜日 雪   トム・ヴァーレインの訃報。   正直、こうも続くと辛いね、、。辛いけど、こればっかりは仕方ない、ね。   ウイルコ・ジョンソンとミック・グリーンはオレのギターにガッツを与えた。トム・ヴァーレインやロバート・クワインは繊細さと狂気を与えてくれた。トムのギターは知性が幾何学的に狂ったようなギターだった。   速弾きなんて1ミリも興味なかったけれど、トムのように弾くにはどうしたらいいのか、中二で買った名盤「マーキームーン」を穴があくほど聞いて、身につけた。   いつか「マーキームーン」。みんなの前で弾くよ。もうトムのギターじゃ聞けないんだから。自分で言うのもなんだけど、日本じゃ、オレのがいちばんいいと思う。そのくらい影響を受けたってこと。        

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激痛 from Wales

1月29日 日曜日 晴れ ウェールズにお住まいの方が、わたすの身を案じ、足裏を刺激し、健康を取り戻す台湾由来の方法が書かれた本と器具を送ってくださった。試してみると、これが痛いのなんの。激痛という言葉では足りないくらいに痛い。でも、なんというか、足裏にはすべての臓器の反射区ってものがあって、そこを刺激することによって、全身に沈澱している汚れた血が排出されていくという、、、。。なるほど、そうかもしれん、とオレの体が言う。ケミカルなものよりはぜんぜん素晴らしい。しかし、痛いのよ。笑。 自分で己を激痛に誘うにはやっぱり限界があるからして、さまざまな突起物が生えたマットみたいなものに乗っかる方が初心者には簡単なのであるが、これがまた激痛なんてものではなく、達人はカニよろしく突起物の上を歩いていくけど、そんなん絶対無理。笑。どうにかこうにか20分その「剣山」の上に乗っかってみたら、血流が良くなったのは間違いなくわかる。つまり自分の血流によって、すべてを良くしていくってのは理にかなっていると思った次第。 第二の心臓はふくらはぎにあるって、ランニングでそこが鍛えられると、重力に従って下肢に降りてくる血流を心臓にポンプアップできるようになるのは知っていたけれど、これはさらにその下に刺激を加える感じとでも言えばいいのかな。でも、足裏なのに、脳髄までつながってる感触はすでにある。とっても不思議。 なにぶん初心者ゆえ、まだ何かをお伝えできる状態にはないけど、継続してみて、人体実験の結果はいづれ、お伝えしようと思いマックス。

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立ち向かう

1月28日 土曜日 晴れ ムカつくから、極力コのことは書かないようにしてたのであるが、未だ完治には程遠く、ひょっとしてオレの経験が誰かの役にたつのならと書いてみることにした。 つーか、罹患からほぼひとつき。分類としてはオレのは軽症にあたるんだろうけど、味覚障害、聴覚障害に悩まされ、倦怠感はとくにひどく、未だ情熱に溢れた通常モードの山口洋の50%くらい。情熱のない山口洋って見たい?笑。サイテーだよ。なにかに向き合う気力が湧いてこないのです。体はどんどん鈍くなるし、運動もできない。9月からの腰の不調と合わせると、元に戻るというより、前よりポテンシャルが落ちた状態に戻すにも年単位が必要ってレベル。 だから、オレが声を大にして言いたいのは、コにかかるのはしゃーないけれど、軽症と言って、誰もが軽症ではないこと。で、これだけかかった人がいると、「もう一月経過してんのに、いつまで治んないの?」的プレッシャーがかかりはじめるんだけど、それも人によってぜんぜん状況は異なるってこと。だから、その人が苦しいと訴えているのなら、見た目に変化がなくても耳を傾けて、助けてあげてほしいこと。そんな寛容な社会になってほしいこと。 書かなかったけれど、罹患直後から持病のある目の調子がすこぶる悪く、ほんとにうさぎの目みたいになってきたから、昨日受診。過度の炎症ってことで、投薬と経過観察ってことになったけれど、ドクターはいまのところ目とコの関係は報告されてないって。でも、ともだちが調べてくれたら、そのような報告も増えているらしい。 つまり何が言いたいかというと、何もわかっていないってこと。通常、ウイルスにやられた場合、やられる場所は局所的で、やられた理由も本人が理解できるけれど、コの場合はどこか、いつ、どうなるかなんて誰にもわからない。因果関係も不明。オレの勘としては生物化学兵器並みに不気味。陰謀論じゃなくて、兵器として開発した場合、それに対するワクチンも同時に開発するのが常なんだけれど、開発する前にウイルスだけが漏れたって可能性もある、とわたすの体が言っておるのです。真偽のほどはともなくとして。 世界的な問題でありながら、世界の叡智をまったく結集できないこともね、それを裏付けてるとは感じる。とってもとっても人為的なフィール。てかさ。ワクチン、オレも3回打ったけど、それが効いたなんて感覚は1%もないし、副反応の辛さとコの辛さはとってもよく似てるのね。同じラインの延長線上にある。だとするなら、ワクチン打たなきゃ移動禁止ってのはなんだったんだと?あのキャンペーンはね。 ちなみに、次にワクチンと言われても断固打たない。これは俺の個人の自由としてね。 とはいえ、わたくすも立ちあがろうと必死なのですよ。外国に住んでる方が教えてくれた足つぼを強力に刺激するやり方。これはワクチンの真逆な感じで、自分の血流によって、いろんな毒素が排出されてるのを感じます。先日書いたびわ灸と合わせたら、巻き返せる気がしてきたところ。ちなみに昨日、処方された抗生剤はかなり強力なもので、ものすごく効いてる。 いろんなことを総合的に理解して立ち向かわないとね。 それとね。外国の友人たちと話していて、呆れるのは、どの国も各家庭にPCRやきちんとした抗原検査のキットが無料で配られ、配られない場合は市中で無料検査ができるってこと。そんなことすら、未だにできていない日本って国がどれだけ危機管理ができていないかってことは島国に住んでる我々は自覚した方がいいと思う。 思いやりを忘れず、立ち向かおうぜ、ご同輩。

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新春セール

1月27日 金曜日 曇り 2023年が良い年になることを祈念して行われた、売り切れごめん!カモネギシャチョーの秘密のお年玉つきびっくり新春セール(送料無料)! ですがクレームが一件も届かなかったということは、間違いなく全件届いたという認識でいいでしょうか?もしやの過ちに備えて、スタッフと待機してましたが、なにかトラブルがあった場合は遠慮なく、こちらのフォームから連絡してくださいまし。迅速に対応します。 スピリットが受け継がれていく感じ。こういうの見るとぐっときます。Ohio with Jason Isbell & David Crosby live at the 2018 Newport Folk Festival。素晴らしい!!  

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取り組んでみる

1月26日 木曜日 晴れ 去年のツアー。ステージで考えていたことは。 いつだって、自分が影響を受けたものが背後に見えるような活動をしていきたい、と。どうしてって、今自分がここに立っていられるのは偉大な先達のストラッグルのおかげに他ならないから。オレ、あるいはHWに触れることによって、そこを扉にして、いろんな文化、考え方に触れてくれることを望んでいるから。 そんな理由もあって、たぶん世界で一番好きな曲に取り組んでみました。権利の関係でアルバムに入れることは叶わないだろうから、ここにのっけておきます。聞く分には構わないけど、取り扱い注意でね。 この曲は作者がとっても若いときに書かれたんだけど、おそらくピアノで書かれていて、和音が信じられないくらい複雑で、自分の耳で正確に分析することは不可能。オリジナルはいろんな楽器が入っていて、それがさらに複雑さを増して、構成されてるし。 まずは自分でシンプルな形に起こしてみて、そこから先は和音分析能力が半端ない魚先生に分析してもらって、彼と二人でいい響きを分担してみたのです。オレたちがやるからにはタダのコピーじゃつまんないしね。 楽しんでください。ほんとうに素晴らしい音楽だよ。興味を持ったら、自分で深掘りしてみてください。オレはそこに意味があると思う。 youtubeやネットの力で、なんでも簡単に分析できるようになって、つまんなくなったこともたくさんあると思う。なにかを自分の身にしていく「過程」そのものが学ぶってことの意味だとオレは思うから。 学がなくてもいいんです。ただ、感覚的にこれはあってる、とか違うとかは絶対にわかる。その感覚をたいせつにしたいと思うのです。 GOD ONLY KNOWS    

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昭和の男

1月25日 水曜日 晴れ   門田博光、死す。  今はなき平和台球場のライトスタンド。門田の打球だけは、誰とも違っていた。白球に彼の魂が乗り移ってるように揺れながら飛んでくる。大袈裟にいえば、魂そのものが飛んでくるような感じ。大谷くんの華麗なホームランとはまるで違う、その昭和の打球が大好きだった。生涯忘れないし、あの弾道はいつだって思い出せる。  ダイエーホークスのユニフォームとヘルメットが死ぬほど似合ってないのも、大好きだった。てか、あの群れない感じも好きだった。  村田兆治しかり、死に方までしっかり昭和。合掌。

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生涯現役

1月24日 火曜日 晴れ イアン・ハンター83歳、新譜を発表。声があのままなのに驚愕。すごすぎる、、、。 まずは聞いてみて。リンゴ・スターも健在だよ。80代の新譜だよ!       イアン・ハンターといえば、かのモット・ザ・フープルの中心人物、名曲名演多数。僕もたくさん影響を受けたのですが、なんと言ってもHWにはモットの鍵盤奏者だったモーガン・フィッシャーが魚ちゃん不在の3年くらい在籍してくれてたのです。 モーガンはたくさんのことをもたらしてくれたんだけど、なかでも、モットのトリビュート盤を日本のミュージシャンと創って、そのハウスギタリストとして僕を抜擢してくれました。なので、「all the young dudes(デビット・ボウイがモットのために書いた名曲)」なんかも弾きました。素晴らしい経験。 モーガンはKISSやクイーンとワールドツアーをしていた人なので、当時のロックスターの話はとっても面白かったっすよ。ブライアン・メイやジョン・ポール・ジョーンズ、いろんなミュージシャンとを繋いでた人です。 HWも1曲カヴァーしたのです。「ballad of Mott the Hoople」。詩を訳してて、閃いた。「ロックンロールは人生に敗れた者のゲームじゃない!」。当時僕はマンションに住んでいて、閃いたのが夜中の12時。大声で歌っていたら、階下から苦情。当たり前か。以来わたすは一軒家にしか住まないことにしたのです。笑。 イアンさんは僕のバージョンを聞いて、リアクションしてくれました。「ヒロシはロックンロールが分かってる!素晴らしい!」って。これはどえらく嬉しかったなぁ。 ロックミュージシャンの訃報が続く中、イアンとリンゴの新譜は元気をくれます。この曲、ロックバンドの悲哀が描かれてて、ほんとに好きなんだ。       モーガン元気かなぁ?たまには一緒に演奏したいな。    

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厄年

1月23日 月曜日 曇り   ものの本によると「本厄」ってやつなのです。前回の「本厄」のときは筆舌に尽くし難い経験をしたので、少しだけビビってたのですが、1/4からコに感染という、これ以上ない本厄のスタートを切ったわけでございます。笑  な訳で、「厄除け」とか「厄祓い」とかした方がいーんじゃね?と周囲に勧められるのですが、普段、信心がゼロどころかマイナスなのに、こんなときだけ神頼みってのはまったく性に合わないのでございます。それって、あまりにも勝手じゃん。  おととい、江ノ島に散歩したとき、江島神社にも行ってみたのですが、なんだかやっぱり「違う」のですよ。そこは直感に従って生きていようと思うのです。  僕のGODはね。雪山に行ったときとか、音楽の粒子の中にとか、空にとか、海に映るひかりの道とか、そんなときに存在を感じます。

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回復の階段と再会の江ノ島

1月22日 日曜日 晴れ やれることが少しずつ増えてきたので、今日は江ノ島まで歩いてみたのです。いつもは遠回りして走ってるんだけど、今日は近道をして、往復6キロくらいをゆっくり歩いてみる。 最後に階段があるんだけど、息キレるキレる。速筋より遅筋、瞬発力より圧倒的な持久力に自信があったわたくすもこのひと月で、かなりの老人化に直面しております。たかが6キロ、帰りはコーヒー飲んで休憩しないと無理だなんて。この体たらく。 でもおかげでばったり懐かしい顔に会えました。彼とはいろんなことをやってきたんだけど、また新しく出会った感じ。1ミリもブレずに情熱をキープしてたのが、ほんとに素晴らしかった。 コが恐ろしいのは後遺症はもちろんのこと。体力の低下。長い時間、意味不明の倦怠感に包まれてるうちに、情熱の火が消えかかってくるのです。慢性のダルさって、ほんとうに怖い。 なので、もうちょっと回復したら自然の中に身を置いてみようと思うのです。そうだ、それがいいと本能と直感が申しております。

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トンカツ定食と野生

1月21日 土曜日 晴れ   まず最初に断っておきたいのは、その作品と、その作品に感銘を受けた人を揶揄するために書いているのではないということ。どんな作品を、どんな人が好きになろうと、それは自由。オレが伝えたいのは作品を創るという責任と、そこに潜む恐ろしさ。先入観や風潮という、本質とは無関係のものが与える潜在的な影響。自分の審美眼を磨くこと、エトセトラ。  受け身でなにも考えず、ポテチを喰いながら、エンターテイメントとして捉えるなら、頭を使わないという意味で見事なまでのカタログ的傑作。  オレの大好きな音楽家を、これまた大好きな監督が描く。その時点で傑作が確定したと思い込んでいるオレがまずはまだまだなのである。これは戒めとして、大きな学び。猿も木から落ちることを忘れていたと云う意味において。  開始3分で来たことを後悔した。なにもかもが酷かった。てんこ盛りの内容が時系列に従って速射砲のように繰り出される。余韻も隙間もあったもんじゃない。オレが映画に求めるものは大袈裟にいえば「生きるために必要なひかり」。そんなものに答えがあるわけもなく、善き映画を観たあと、外に出たときに空の中にぼんやりと発見したりするものなのだ。  映画のサブスク化の功罪は否めない。人は映画館に足を運ばない。サブスクに勝たなければいけない。いきおい、なんというか、通販会社の分厚い広告本を強制的に見せられてるような感じなのだ。それは苦痛以外のなにものでもない。んなもん、全部見たくない。だから、カタログとして、この音楽家を知りたいというサブスク的欲求は完璧に満たされると思うが、音楽の深淵さを描くなら、最低最悪の方法を監督が選んでいる。なぜなら。休符そのものが音楽だから。世界には「いかに演奏するか」が溢れている。違うんだよ。「いかに演奏しないか」がほんとうの技術なんだよ。  音楽の映画なのに「MA(マルチオーディオ、音の最終調整をする工程)」がひどい。エンジニアの質がハリウッドのこけおどしレベルで、耳に優しくない。彼が描いた音楽はそれだけでダイナミクスがあるのだから、音量そのものをいじる必要がないのだ。これは音楽家として耐え難い。こういう編集が人々の想像力を奪っていくのだ。以前、スコセッシがストーンズのライヴの編集でこれをやっていて、ほんとうに失望したことがある。言っておくけれど、人間の耳は精巧なのだ。聞こえないものを補正する機能まで備わっている。昔の映画館のようにアルテックのhighが再生されないスピーカーで小さな音で上映してこそ、彼の音楽が際立ってくる。なぜなら、その時代に映画音楽として、名曲を生み出しているからだ。創作者として、その時代の創造力の素晴らしさを伝える責任を監督が放棄していることが腹立たしいのだ。  「トンカツ定食」に例えてみる。あの素晴らしいハーモニーは白いご飯、味噌汁、漬物、キャベツ、からし、そしてトンカツのバランスが生み出すもので、出てきたものがすべてトンカツだったなら食傷するのが当たり前。オレは開始3分で、トンカツの連続が始まることを理解して、もはや恐怖を覚えた。  だいたい想像はつく。どこから資本が流れているのか。その圧力も間違いなくあるだろう。あの監督がこんな編集をするわけがない。同時に過度の敬意がもたらす客観性の欠如がトンカツの連続を生み出しているとも思う。  総じて、怖かった。モノを創ることとは主観と客観の連続だから。戒めとして、一生忘れないでおきたい。  もういい加減、自分の目で判断したらどうなんだろう、と。いろんな「便利さ」が人間の能力を奪っていく。すべてAIに置き換えられていくだろう。そして人間が自分ではなにもできない存在になったとき、失ったものの大きさに気づく。これがサブスク映画なら、オレもここまでの危機感は持たないけれど。あの音楽家をあの監督がこのように描いて、絶賛されていることが衝撃なのだった。  野生を失ってはいけない。

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