日別アーカイブ: 2023年1月20日

両親を赦す

1月20日 金曜日 晴れ   ショーン・ペンの「Flag Day」を観たのは確か大晦日。もう一度とは言わず何度でも観たかったけれど、オレがコになって、でかけられるような状態ではなくなってしまった。  ロードショーはレ・ミゼラブル。客が入らなきゃ打ち切りになるのが運命。もちろんソフト化されれば買うけれど、どうしても映画館で観たかったのよ。どうしてって、それが映画だから。作者が映画館で観ることを望んでる作品だから。  最終日のレイトショー。もう出かけてもいいだろうと、ちょとだけ自分を甘やかした。感染から16日。もう人にうつす可能性もゼロだってこと確認して。  正直、コからの回復を焦るのはやめた。焦っても奴らはしつこいから。感覚的にひと月くらいはどう考えてもかかるだろう。受け入れよう。  その映画館は正直、好きじゃない。コーヒーを売っていないコーヒー屋と、本なんて一冊も売っていない本屋の二階にある。総じて、ものすごく薄っぺらい。そこにはオレにとっては文化はなにもない。  客はオレを含めて4人。  でもね。とっても美しかった。二回見ると彼が伝えたかったことが如実に加速して伝わってくる。奥深いんだ。たとえば、娘に初めて運転させたシーンで、カーラジオからアメリカの「金色の髪の少女」が流れているのに気がついた日本人はたぶんオレだけだと思う。オレは12歳のとき、AMラジオから流れてくるその曲を片耳のイヤフォンで聴いていた。  遠くアメリカに想いを馳せながら。そういう小さなディテールさえ、自分の人生とリンクする。  惨憺たる客の入りと、自分のこころの動かされ具合とのギャップの中で。この国と世界はいったいどこに向かっていくんだろう、と暗澹たる気持ちにもなった。  でも。今も昔も、こんなものだったのかもしれないね。ショーンがこの表現に15年もかけたことなんて、大して理解もされないままなかったことにされていくんだろう。それでも表現者は表現を続けていくしかない。  薄っぺらいところからいちばん遠いところに行こうと思う。そういう勇気を与えてくれる映画だったよ。ただ、もらっているばかりじゃなくて、自分がなにをできるか、なんだよ。  そして、歩き続けること以外に応えがあるのなら、教えてほしいよ。ほんとに。    気づいたんだ。  生きている意味のひとつは「両親を赦すこと」だと思う。  誰もに通底してる。  そんな映画、他にない。ありがとう。ショーン。

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