月別アーカイブ: 8月 2011

大切なお知らせ(通販予約開始)

8月30日 火曜日 晴れ 「Live for Soma City」の特設サイト、web担当のヨシ君が魂入れて、突貫にて作ってくれました。僕が撮影した相馬の写真がバックにランダムに表示されます。素晴らしー。以前、僕のblogにアップした、アルバムの1曲目に収録されている「雨の後、路は輝く」もサイト内で聞くことが出来ます(今夜中にアップされる予定)。みなさん、よろしゅうに。 http://no-regrets.jp/heatwave/disc/2011/liveforsomacity/index.html 何度もお伝えしているように、このアルバム、通販とライヴ会場限定発売です。通販の予約、開始しました。以下のアドレスからアクセスしてください。予約してくれた方々には9/22(木)に発送されます。また、プロジェクトに賛同し、予約してくれた方々には、現在製作中の”MY LIFE IS MY MESSAGE”プロジェクト写真集第二弾をプレゼントします。6/14のライヴの模様、相馬市でのプロジェクトの模様、関係者のインタビュー等が収録されていて、素晴らしい仕上がりです。これはクロエ社のサポートのもと、作られています。充分に数を確保していますが、注文が殺到した場合は品切れになる可能性があるので、お早めにどうぞ。何度も書きますが、アルバム一枚につき、500円がプロジェクトを通じて相馬市復興のために使われます。大声で云うぞー。みんな、買ってくれーーーーーーーーっ。 アルバムの予約は以下のアドレスからどうぞ。 [CD/予約] 『”MY LIFE IS MY MESSAGE” LIVE FOR SOMA CITY』 http://www.ads405.jp/products/detail.php?product_id=1047 9/20のvlo.3。来月頭から僕らはリハーサルに入ります。アイデアてんこ盛り。どれを実現するか、悩んでいます。内容が濃いので、いつものライヴより長めになります。この日にしか聞けないものも、もちろんあります。どうかお見逃しなく。あ、当日、来場してくれた方には、もちろん新しい写真集がプレゼントされます。   新しいオフィシャルグッズも続々と出来てます。どうぞ、よろしく。

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言葉にすること

8月29日 月曜日 晴れ 嬉しかったことをまず書こう。それは人々のタフさに触れられたこと。震災直後に彼らに会ったとき、僕が一番ショックだったのは、彼らの表情が「痛んでる(ごめんね)」としか表現しようがなかったことだった。あれから五ヶ月を経て、少なくとも僕の友人たちは「覚悟」を決め、日々を生き、出来ることをやり、そして笑いを忘れなかった。良く食べて、良く飲んで、消えない悲しみと怒りを胸に、他人にそれをブツけるのではなく、今日という一日に「生きてて良かった」と云う実感を創出しようと負のエネルギーを転化していた。そして、その行動は無理矢理なものではなく、全力で、なおかつ自然だった。結果的に、ヒドい状況は彼らに別次元のタフネスを与えていた。 津波で漁師の父を亡くしたバーマンは、下ネタで僕を笑わせながら、「海に生きた親父が海で亡くなったってことは本望っすよ」と真顔で云った。彼は街の多少不良どもが集まるそのバーをどんな人間も拒まず、行政が作ることのできないパブリックな場所として機能させるため、全身を使って働いていた。僕が心を動かされたのは、その行為に悲壮感がまるでなかったことだった。若い不良どもに常に目を配り、兄貴分として彼は頼りにされていた。その店はアイルランドのド田舎のパブのように被災地で機能していた。素晴らしかった。店のオーナーには16年に渡って、お世話になっているのだが、「僕はねー、こういう場所に居るのが好きなんですよ。若い奴からエネルギーももらえるしねー」と云って、僕が大好きな酒を次々に目の前に持ってきてくれては、封を切り、クソ忙しいにも関わらず(店は満席だったが、通りには誰も居なかった。念のため。つまり、街にはこのような場所が必要なのだ)暇を見つけては僕の前にやってきてくれ、嘘みたいにガバガバ飲んだ。だから、僕も男としてガバガバ飲んだ。もう言葉は要らん。シングルがダブルに、ダブルがトリプルに「あ、これも飲んでみてよー」、嗚呼。これ、銀座で飲んだら幾らだよっつーくらいになって、明日アラバキで演奏することを思い出し、「帰ります」と云ったら、彼は一銭も受け取ってくれなかった。「来てくれたのが嬉しいんですよ」と、その言葉を甘んじて受けておくことにした。いや、この心の借りは必ずお返しするんで、心配なく。そう云えば、一軒目でも僕がトイレに立った隙に相馬人Mが支払いを済ませていた。まったく、男どもは。って、僕はこういう振る舞いが出来る人が好きだ。 僕の考えでは、第一次産業が一番エラいのだ。何故なら、彼らが居てくれなければ、僕らは生きていけないからだ。音楽やITの前に「飯」だ。そんな意味で、津波と原発事故が与えた取り返しのつかない打撃たるや、計り知れないものだった。自分のことに置き換えてみる。精魂込めてアルバムを作りました。フツー、それを完成させるには一年かかる。それが放射能に汚染されて出荷できません。そのダメージから立ち直るのは容易ではない。しかも、いつそれが収束するのか分からない。ひょっとして、生きている間は無理かもしれない。僕が音楽しかできないように、彼らはずっとその仕事で生きてきた。他の土地に住んだこともない。想像できるよね、彼らの気持ち。Mの自宅の前に、美しい田んぼが広がっている。ザッツ日本の風景。農家のおじさんは朝5時から汗を流す。でもね、これが出荷できるかどうか分からない。保証金(果たして支払われるのか?)を手にするためには作らなければならない。何だ、それ?この辛さ、理解できるよね?僕らの身体の主要な部分は、彼らが作った「コメ」で出来てる。つーか、外国に居て、一番恋しくなるのは「コメ」じゃん。つまり我々日本人の根幹に、原発によって、我々が使った電気によって、決定的なダメージを与えたってことだ。自分自身の手で。 先月、相馬市でひばりさんのコンサートを開催した後。来たかったけれど、来ることが出来なかったってじじばばがたくさん居たって話を聞いた。Mが彼らが住む仮設住宅に連れていってくれた。これがね、遠い。仕方ないけど、遠いんだよ。免許と車がなければ、どうにもならない。そうだったのか、こりゃ来れないはずだ。自治体も全力を尽くしてる。でも、僕らを育ててくれて、挙げ句にここで孤独死なんて、僕は耐えられない。仮設には集会所がある。そこで、美味しいものを食べてもらえるよう、考えてみる。多分、実行に移す。 小学校のプールは汚染されてしまった。泳げないけど、水も抜けない。さすがに公園で遊んでいる子供は居なかったけれど、家の中でじっとしていることなんて、自分の子供時代を振り返ってみると、絶対に無理。彼らに降り積もるストレス。人格形成上、よろしい訳がない。せめて、子供たちが絵を描いたり、音楽をやってみたり、インドアでストレスを解消する方法を考えてみる。多分、実行できる。 津波の被害が一番ヒドかった集落に連れていってもらう。そこには家々の土台さえ残されていなかった。僕は世界中、いろんな場所を旅してきたけれど、この風景は観たことがない。同じように何もなくても砂漠とは違うのだ。何かが決定的に。誰かの暮らしがあった「気配」だけはある。でも、何もないのだ。そこには。人々の血が滲むような努力。汚染された表土を丁寧に削ってある。根性者の僕をもってしても「ヒロシ、ここの表土を削れ」。あまりの広大さに貫徹する自信なし。そして、政府の指針もなし。おまけにその土の行く場所もなし。嗚呼。 原発の近く、ギリギリのところまで行ってみる。そして、震災以降、ずっと線量を測り続けてきたユハラ君を訪ねる。闘う男、ユハラ。津波からも、押し寄せた患者からも、原発の爆発からも、患者を搬送することも、どんな困難からも、そして放射線からも逃げなかった男、ユハラ。彼はタフになりすぎて、線量の高い場所を測るとき、強い顔になる。笑顔で「車の中も測ってあげます」。いいっちゅーに。観たくないっちゅーに、ちなみにその線量はここには書かない。あり得ないし、慣れたくねーよ。 鳥取から派遣された噂のホールボディーカウンターは、ここの線量が高すぎて、正確な計測が出来なかったのだと。ゆえ、車の下には鉄板、ボディーの横には鉛の板。病院の正面玄関は放射能対策のため閉鎖。窓はすべて目張り。繰り返すけど、ここには人が住んでる。子供たちもね。何故、こうなったのか、みんなで考えて欲しい。そしてひとりひとりがどうすればいいのか、真剣に考えて欲しい。10年後、20年後、ここで育った子供たちがどうなるのか、考えて欲しい。 苦しんでいる人たちの悪口を書きたい訳ではないことを断った上で。僕が観る限り。その街で一番繁盛していたのはパチンコ屋だった。駐車場はどこも満杯なのだ。嗚呼。 積み上げられた瓦礫には草が生えていた。前の日、首相は「それを福島に一時的に置いていて欲しい」とのたもうた。そりゃ、誰も引き受けたくないだろう。でもね、それって沖縄の基地問題とまったく同じ構図じゃん。何故、彼らがこれ以上、そんな目に遭わなければならないのだ。僕らは飲み屋でそれを話し合った。一案、すべての都道府県(沖縄は除く。何故なら原発がないから)で引き受ける。それはそれでものすごい反対運動が起きるだろう。よって、却下。でも、個人的な意見を書かせてもらえるなら、そうする以外に方法ないじゃん。二案、激しく汚染されてしまった場所に永久的に保管する。それが一番現実的だろうけど、そこが故郷である人たちのことを思うと、出来るかい、そんなこと。三案、ロケットに乗せて、宇宙に引き取ってもらう。甚だ身勝手かつ、ロケットが爆発したら、大変なことになるから却下。 つまり、僕らは自分たちの欲のために、自分たちで永遠に処理できないものを考えられないほど大量に作ってしまった。その事実が目の前に突きつけられているし、誰もが無実ではないってことだ。 たとえ、それが「想定外」だったとしても、「想定外」って言葉を死語にして、これからはすべて「想定」して生きるってことだ。身が引き締まるぜ。僕はこれから「そりゃ、想定外」だったって云わないようにする。なかなか、やりがいあると思わないか? さぁ、それでも僕らは生きてかなきゃならない。創造力を飛ばして、未来のことを考え、それを創ろう。アラバキはね、素晴らしい祭りだったよ。欲とか得ではなく、ド真ん中に音楽がある。出会った人々のおかげで、僕は受けた負のエナジーのほとんどを、音楽の力に変えることが出来たと思う。一時的にそれを忘れたり、逃げたのではなく。観てくれた人は分かってくれるよね。僕はずっと笑ってたと思う。おかぴーも素晴らしい演奏をありがとね。僕らは自由で、そして人は信じるに足りる生き物だ。 分かれしな。Mは先日の相馬でのコンサートで炊き出し隊長を努めた男に「土産を」と云って僕に手渡した。まったく、被災者におごられ、被災者に元気をもらい、ついでに「おみや」までもらうってどういうことよ、と思いながら、人を元気にするのは人で、誰かを思いやる心だってことを、今更ながらに教えられた。ありがとよ。タダでは帰さん。がおー。 じゃ、世界が観た福島。これを最後に観てくれ。

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被災地の現状(相馬市、南相馬市再訪)後編

8月28日 日曜日 晴れ 言語化するには、もう少し時間をください。今日は写真のみです。

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ARABAKIにてラビッツ降臨

8月27日 土曜日 晴れ 相馬市再訪後編に行く前に、ARABAKIの事を書いておこう。 今年、ARABAKIを開催することを決断し、なおかつ、それに全力を尽くしたスタッフに心からの敬意を。愛に溢れた素晴らしいフェスだった。その熱意はオーディエンスやミュージシャンに確実に伝わってたよ。本当にありがとう。楽屋用のプレハブが被災地に廻っていたため、テントに変更したのだそうだけれど、それを集めることも大変な苦労だったと聞いた。僕らは彼らの尽力のおかげで、音楽に全力でintoすることができた。 うちのおかぴーはおっちょこちょいで、サウンドチェックでステージに上がったら、そのまま演奏をおっぱじめてしまうような男なのだが、久しぶりに会って、何のリハーサルもなかったにも関わらず、素晴らしい演奏だったよ。静かにコーフンしたぜ。来てくれたみんな、音楽の力、楽しんでくれたかな?

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被災地の現状(相馬市、南相馬市再訪)前編

8月26日 金曜日 雨 津波で破壊された街の片付けられた瓦礫にさえ、若草が茂り、五ヶ月の月日の意味を教えてくれる。驚異的な人々の働きに、諦めない強さに、深い感銘を受けると共に、根深く進行しているこの国の闇の深さに同時に目眩を覚える。 とにかく。僕は机上の空論が嫌いだ。自分の目で観て、感じたい。ARABAKI ROCK FESに出演した以外の時間は、相馬人Mの案内のもと、できるだけ現状を身体に刻んでおきたかった。正直な話、僕もタフになってきた。たまに苦しくなるけれどね。ここに暮らしている人の想いに比べれば、、、、、、。 とは云え、この強硬日程はさすがに疲れた。今回は根性入れて、シャッターを押した。僕の目で観たものをたくさんの人に伝えたかったからだ。言葉にするのは、もう少し時間をくれ。まずは、スクロールするのが面倒になるくらいの写真をキャプションと共に、観て欲しい。これでも、まだ半分の量だ。

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津軽の恐怖

8月25日 木曜日 晴れ 黒木メイサちゃんにいじめられる夢を観ました。悪くなかった。つーか、気持ち良かった。ヘンタイとでも何とでも。だって、気持ち良かったんだもん。 みちのくへの旅を前にバタバタしております。本当は新良幸人を観に六本木に行くはずだったのに、行けなくてごめん、幸人。ケントーを祈る。 道中、第三の故郷、相馬にも寄るつもりです。自分の目で観ておかないと、今後どう行動すればいいのか、アイデアが湧いてこないからです。みんな元気だといいなぁ。 土曜日は「arabaki rock fes」にラビッツ(僕とおおはた雄一)で見参です。廻りのスタッフたちも、僕らがあまりにその日のノリを大切にしてるがゆえ、「リハーサルどうします?」なんてことも聞かれなくなりました。「あの人たち、どーせ、ステージ上がらないと、どーなるか分からないし」みたいな。僕は僕で、「ま、会場行って、おかぴーに会ってから考えるか」なんて思っていたら、おかぴー(雄一くん)はラビッツの出番直前まで、ハナレグミでステージに立っていることが判明。僕のマネージャーからは、「あの僕行きませんけど、ま、二人だから大丈夫でしょうから、よろしく」みたいな。まったくもう。でも、愉しみにしてます。今年、この状況の中でarabakiを開催するスタッフの情熱に頭が下がります。東北の人々に愛されている素晴らしい祭りですたい。HWのメンバーもいろんなユニットで全員揃っているのですが、今年は都合がつきませんでした。ごめんね。でも、僕はラビッツで全力でやります。是非、来てください。 ところで、僕らが出演する「津軽ステージ」のトップバッターは青森県弘前市が誇る「(Tsugaru underground) FUGURI」です。このバンド、今年3月の僕と魚の弘前公演にも出てくれた、弘前の最終兵器「カトウノボル」がヴォーカル(あれはヴォーカルなのだろうか – 「絶叫」の方が正しい気がする)を努め、弘前の必要巨悪、斉藤浩がベースを弾き、creepsのアキラ(彼の本職はヴォーカルですから念のため)がドラムを叩く、恐ろしいパンクバンドです。僕と魚はFUGURIのファンと云うか、密かに加入しようと虎視眈々とその機会を伺っています。今年、彼らは沖縄で開催される「asylum」と云う祭りにも呼ばれ、そのライヴに魚とおかぴーと僕で勝手に乱入し、バンドの名前を「ガモ・フグリ(津軽でこの言葉を使うときは気をつけてください。身の安全は保障しません)」に変えるという作戦を秘密裏に練っていましたが、混乱を怖れた主催者に僕と魚が呼ばれることはありませんでした。ちくしょー。 ともあれ、「津軽ステージ」にはたくさんの素晴らしいミュージシャンが登場します。「FUGURI」に始まり、「ラビッツ」で終わる。この情熱溢れるarabakiに是非、足を運んでください。 ————————————————————————————————- 追伸 「Live for Soma City」鋭意製作中です。このアルバム、義援金付きCDと云う特殊な性格のため、一般のお店に流通することはありません。ライヴ会場と通販限定です。9/20の「My Life is My Message vol.3」の会場ではもちろん手にしてもらうことができます。通販はもうすぐ予約開始をアナウンスできると思います。今回も我々のプロジェクトの内容を伝えるべく、クロエ社のサポートのもと、新しい写真集を制作中です。アルバムを予約してくれた人々にはその写真集をプレゼントしたいと思っています。よろしく頼むぜーーー。じゃ、東北で元気に会おう。 ———————————————————————————————————– 「福島第一原発5、6号機いつでも再稼働可能と東電協力会社幹部」 http://news.infoseek.co.jp/article/postseven_29274/ あのなー、arabakiに来て、カトウノボルの津軽魂浴びて、人生やり直せ。バカタレ。

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イシグロの世界

8月24日 水曜日 雨 あることを境にして、僕はまったく本が読めなくなってしまった。本屋に近づくだけで、具合が悪くなる。でも、それで死ぬ訳じゃないから、放っておいた。いつか、どうにかなるだろ、と。仕事場の移転を機会に、わずかな本を残して、すべて人にもらってもらった。ものすごい数だったけど、すっきりした。 もう一度、あの世界に僕を戻してくれたのはカズオ・イシグロだ。彼の著作がテーブルの上に積んであって、ムシャクシャして、走って、それでもどうにもならない時に、気の向いた本を手にして読み始める。しばらくすると、脳味噌の中の時空が美しくねじれてくる。心の毛穴が開いてくるのが分かる。ふと、我に帰り、僕は自分の仕事に戻る。どこでもない – nowhereな – 場所を通過して、平静な自分に戻る。静かな興奮。感謝している。

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目の中にある光

8月23日 火曜日 晴れ   47年も生きていると、騙されたり、裏切られたり、そんなことはたくさん経験する。そのうち、自己防衛本能として、相手の目から瞬時に何かをつかみ取る能力が備わってくる。簡単に云えば、まっすぐに生きている人の目は当たり前に澄んでいる。そして心を掴まれる人の目の奥には深い闇があり、それゆえの光をあわせ持っている。明確な基準はない。ただ、いつもそれを感じて、たいていの場合に於いて、予測は外れない。  僕が信頼している人物が「あいつ、顔が出来てねぇなぁ」とか「いい顔になったなぁ」とか云うのだが、彼が云っていることはほぼ分かる。ある年齢を過ぎたなら、顔にはその人がすべて刻まれている。だから、稀にタルんでいると鏡を観て戦慄を覚えることもある。  また首相が変わる。彼らの顔をしげしげと画面越しに見つめてみる。んー。僕はこう思うのだ。彼らに期待して、何か変わったのかい?法律的に彼らは僕らの代表(代議士)ってことになっている。ってことは、あれは自分の顔なのである。批判するのは簡単だ。でも、その前に自分の顔を鏡で観てみろってことが、僕らに突きつけられている。  原発の近くから強制的に立ち退きを迫られた人々に、「長い間、帰ることは難しいと思います」と政府が云った。多分、間違いなくそんなことは最初から分かっていたことで、恋愛と同じで「淡い期待」を持たされるくらいなら、バッサリ斬ってくれた方がどれほど楽なことか。そこで流れた血は経験として、豊かな肥料に変わっていく。今のやり方では「恨み」や「憎しみ」、そして「絶望」しか生まないだろう。そんな事より、真実を伝えて欲しい。もはや国民はひどいパニックを起こさないだろう。僕の信念は「真実はいつか君を自由にするだろう」。それは今でも変わらない。こんなポリシーを抱えているせいで、随分と余計な回り道もしたし、行動が直線的すぎて、他人の目には「強制」にしか映らず、誤解されたり、迷惑をかけたこともある。でも、人は学ぶ。残念ながら、そういう過ちを繰り返さなければ、本当の意味での「思いやり」や「愛」やホリスティックな視野を持つことは出来ないのではないか、と思う。  目先で流される血を怖れていては何も変わらない。 もう帰れない。期待を持たされること、真綿で首を締められることがどんなに酷なことなのか。 http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65759478.html 二号機、三号機の水蒸気爆発の可能性について。僕らは首の皮一枚で破滅からどうにか逃れている状態だ。 http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65759532.html 泊原発の実情。嗚呼。 http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2011/08/510-2f22.html 再爆発の懸念を抱えているのは政府最高首脳。この考えをどう捉えるかは、読んだ人の自由だけれど。 http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/f5749771fef216813661d00421e3e7a3 ——————————————————————————————————– 9/20の「My Life is My Message vol.3」に向けて、具体的に動き出しました。相変わらず、僕は来年があるとは思っていません。あって欲しいけれど。それをたぐり寄せるためにも、音楽の底力っつーもんを出演してくれるミュージシャン全員、全力でお見せします。是非、来てください。チケットは早めにどうぞ。「Live for Soma City」、その日を発売日にします。みなさんにあの「熱」を持って帰ってもらえるように。 Chloé RED presents “MY LIFE IS MY MESSAGE” vol.3 今回の公演におけるグッズ販売の収益は、福島県相馬市の支援に役立てられます。 9月20日(火) 東京 duo MUSIC EXCHANGE 出演=HEATWAVE … 続きを読む

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息抜き

8月22日 月曜日 曇り たまには他愛のない話でも。 山に逃げようとした日の朝、関東は土砂降りでした。その降りっぷりに1200キロ運転する気力が折れました。つーか、あの状態では無理。それから国内某所に引きこもり、走り、本を読み、鋭気を養うことに集中しました。どーも具合が悪いと思っていたら、貧血でした。忙しさにかまけて鉄分の補給が足りなかったようで。大量にひじきを喰って、復活しました。 さて、再び闘いの日々の前に、気分を変えたかったのです。「ヒロシー、ムシャクシャした時はねー、ぱーっと洋服を買いに行くのよー」と教えてくれたのは某会社のCEO(ちょっと・えらい・おばさん)K子です。以来、ときどき真似をします。走り始めてすっかり体形が変わってしまい、昔の洋服は全部ガバガバになってしまいました。おまけに既成服はまるでサイズが合いません。身体の変化もようやく落ち着いてきたので、根性入れて洋服を作っているともだちの店をおしゃれタウン(何だそれ)に訪ねました。「えーっとね、白ひとつと黒ひとつ、あともうひとつは全部君に任せる」。こんな無茶ブリにもプロフェッショナルは平然と「分かりました」と応えてくれました。か、かっけー。彼は僕の身体の寸法をくまなく計り、てきぱきと仕事を進めていきます。どんな道であれ、職人って格好いい。僕はツイードが好きなのです。冬のジャケットを作るためにツイードの見本を見せてもらっていたら、彼の店にはドニゴール・ツイード(アイルランドの逸品)がありました。こんなおしゃれタウン(しつこい)にあんなド田舎の素材があるとはね。ここで作ってもらって、ドニゴールの連中に見せたらびっくりするだろうなぁ、とか。あー、愉しかった。出来あがり、愉しみにしてるね。 それからプロジェクトの打ち合わせをして、某ジュエリーショップで、ターコイズを全部出してもらって、「切れるまで外さないから、ブレスレット作って、今すぐ」みたいな無茶ブリがプロ魂に火をつけたのか、僕が選んだターコイズはネックレスだったので、分解して、組み立てて、ふたつのブレスレットを作ってもらいました。ありがとね。何だか、気分が変わったぜ。また闘う気力が湧いてきたよ。

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John Lennon, New York

8月21日 日曜日 雨

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