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“Unknown Pleasures” HEATWAVE
2022.3.18 Release
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2020.6 Release
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2019.11 ReleaseOfficial Bootleg #007 “THE FIRST TRINITY” 181222 HEATWAVE
2019.5. Release日本のあちこちにYOUR SONGSを届けにいく 2018 山口洋
2019.3.25 Release『OFFICIAL BOOTLEG SERIES #006 19940524』 HEATWAVE
2018.12.19 Release『OFFICIAL BOOTLEG SERIES #005 171222』 HEATWAVE
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2016.12 Release
HWNR-012 ¥2,500(税込)『OFFICIAL BOOTLEG #003』 HEATWAVE
2015.5 Release
HWNR-010 ¥2,500(税込)DON'T LOOK BACK.
山口 洋 全詩集 1987-2013 B6サイズ 272P 特製栞付き ¥2,800THE ROCK'N ROLL DIARY, 2011 3.11〜 陽はまた昇る B6サイズ 176P ¥3,000SPEECHLESS Yamaguchi Hiroshi / Hosomi Sakana
2011.2.9 Release
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日別アーカイブ: 2011年8月29日
言葉にすること
8月29日 月曜日 晴れ 嬉しかったことをまず書こう。それは人々のタフさに触れられたこと。震災直後に彼らに会ったとき、僕が一番ショックだったのは、彼らの表情が「痛んでる(ごめんね)」としか表現しようがなかったことだった。あれから五ヶ月を経て、少なくとも僕の友人たちは「覚悟」を決め、日々を生き、出来ることをやり、そして笑いを忘れなかった。良く食べて、良く飲んで、消えない悲しみと怒りを胸に、他人にそれをブツけるのではなく、今日という一日に「生きてて良かった」と云う実感を創出しようと負のエネルギーを転化していた。そして、その行動は無理矢理なものではなく、全力で、なおかつ自然だった。結果的に、ヒドい状況は彼らに別次元のタフネスを与えていた。 津波で漁師の父を亡くしたバーマンは、下ネタで僕を笑わせながら、「海に生きた親父が海で亡くなったってことは本望っすよ」と真顔で云った。彼は街の多少不良どもが集まるそのバーをどんな人間も拒まず、行政が作ることのできないパブリックな場所として機能させるため、全身を使って働いていた。僕が心を動かされたのは、その行為に悲壮感がまるでなかったことだった。若い不良どもに常に目を配り、兄貴分として彼は頼りにされていた。その店はアイルランドのド田舎のパブのように被災地で機能していた。素晴らしかった。店のオーナーには16年に渡って、お世話になっているのだが、「僕はねー、こういう場所に居るのが好きなんですよ。若い奴からエネルギーももらえるしねー」と云って、僕が大好きな酒を次々に目の前に持ってきてくれては、封を切り、クソ忙しいにも関わらず(店は満席だったが、通りには誰も居なかった。念のため。つまり、街にはこのような場所が必要なのだ)暇を見つけては僕の前にやってきてくれ、嘘みたいにガバガバ飲んだ。だから、僕も男としてガバガバ飲んだ。もう言葉は要らん。シングルがダブルに、ダブルがトリプルに「あ、これも飲んでみてよー」、嗚呼。これ、銀座で飲んだら幾らだよっつーくらいになって、明日アラバキで演奏することを思い出し、「帰ります」と云ったら、彼は一銭も受け取ってくれなかった。「来てくれたのが嬉しいんですよ」と、その言葉を甘んじて受けておくことにした。いや、この心の借りは必ずお返しするんで、心配なく。そう云えば、一軒目でも僕がトイレに立った隙に相馬人Mが支払いを済ませていた。まったく、男どもは。って、僕はこういう振る舞いが出来る人が好きだ。 僕の考えでは、第一次産業が一番エラいのだ。何故なら、彼らが居てくれなければ、僕らは生きていけないからだ。音楽やITの前に「飯」だ。そんな意味で、津波と原発事故が与えた取り返しのつかない打撃たるや、計り知れないものだった。自分のことに置き換えてみる。精魂込めてアルバムを作りました。フツー、それを完成させるには一年かかる。それが放射能に汚染されて出荷できません。そのダメージから立ち直るのは容易ではない。しかも、いつそれが収束するのか分からない。ひょっとして、生きている間は無理かもしれない。僕が音楽しかできないように、彼らはずっとその仕事で生きてきた。他の土地に住んだこともない。想像できるよね、彼らの気持ち。Mの自宅の前に、美しい田んぼが広がっている。ザッツ日本の風景。農家のおじさんは朝5時から汗を流す。でもね、これが出荷できるかどうか分からない。保証金(果たして支払われるのか?)を手にするためには作らなければならない。何だ、それ?この辛さ、理解できるよね?僕らの身体の主要な部分は、彼らが作った「コメ」で出来てる。つーか、外国に居て、一番恋しくなるのは「コメ」じゃん。つまり我々日本人の根幹に、原発によって、我々が使った電気によって、決定的なダメージを与えたってことだ。自分自身の手で。 先月、相馬市でひばりさんのコンサートを開催した後。来たかったけれど、来ることが出来なかったってじじばばがたくさん居たって話を聞いた。Mが彼らが住む仮設住宅に連れていってくれた。これがね、遠い。仕方ないけど、遠いんだよ。免許と車がなければ、どうにもならない。そうだったのか、こりゃ来れないはずだ。自治体も全力を尽くしてる。でも、僕らを育ててくれて、挙げ句にここで孤独死なんて、僕は耐えられない。仮設には集会所がある。そこで、美味しいものを食べてもらえるよう、考えてみる。多分、実行に移す。 小学校のプールは汚染されてしまった。泳げないけど、水も抜けない。さすがに公園で遊んでいる子供は居なかったけれど、家の中でじっとしていることなんて、自分の子供時代を振り返ってみると、絶対に無理。彼らに降り積もるストレス。人格形成上、よろしい訳がない。せめて、子供たちが絵を描いたり、音楽をやってみたり、インドアでストレスを解消する方法を考えてみる。多分、実行できる。 津波の被害が一番ヒドかった集落に連れていってもらう。そこには家々の土台さえ残されていなかった。僕は世界中、いろんな場所を旅してきたけれど、この風景は観たことがない。同じように何もなくても砂漠とは違うのだ。何かが決定的に。誰かの暮らしがあった「気配」だけはある。でも、何もないのだ。そこには。人々の血が滲むような努力。汚染された表土を丁寧に削ってある。根性者の僕をもってしても「ヒロシ、ここの表土を削れ」。あまりの広大さに貫徹する自信なし。そして、政府の指針もなし。おまけにその土の行く場所もなし。嗚呼。 原発の近く、ギリギリのところまで行ってみる。そして、震災以降、ずっと線量を測り続けてきたユハラ君を訪ねる。闘う男、ユハラ。津波からも、押し寄せた患者からも、原発の爆発からも、患者を搬送することも、どんな困難からも、そして放射線からも逃げなかった男、ユハラ。彼はタフになりすぎて、線量の高い場所を測るとき、強い顔になる。笑顔で「車の中も測ってあげます」。いいっちゅーに。観たくないっちゅーに、ちなみにその線量はここには書かない。あり得ないし、慣れたくねーよ。 鳥取から派遣された噂のホールボディーカウンターは、ここの線量が高すぎて、正確な計測が出来なかったのだと。ゆえ、車の下には鉄板、ボディーの横には鉛の板。病院の正面玄関は放射能対策のため閉鎖。窓はすべて目張り。繰り返すけど、ここには人が住んでる。子供たちもね。何故、こうなったのか、みんなで考えて欲しい。そしてひとりひとりがどうすればいいのか、真剣に考えて欲しい。10年後、20年後、ここで育った子供たちがどうなるのか、考えて欲しい。 苦しんでいる人たちの悪口を書きたい訳ではないことを断った上で。僕が観る限り。その街で一番繁盛していたのはパチンコ屋だった。駐車場はどこも満杯なのだ。嗚呼。 積み上げられた瓦礫には草が生えていた。前の日、首相は「それを福島に一時的に置いていて欲しい」とのたもうた。そりゃ、誰も引き受けたくないだろう。でもね、それって沖縄の基地問題とまったく同じ構図じゃん。何故、彼らがこれ以上、そんな目に遭わなければならないのだ。僕らは飲み屋でそれを話し合った。一案、すべての都道府県(沖縄は除く。何故なら原発がないから)で引き受ける。それはそれでものすごい反対運動が起きるだろう。よって、却下。でも、個人的な意見を書かせてもらえるなら、そうする以外に方法ないじゃん。二案、激しく汚染されてしまった場所に永久的に保管する。それが一番現実的だろうけど、そこが故郷である人たちのことを思うと、出来るかい、そんなこと。三案、ロケットに乗せて、宇宙に引き取ってもらう。甚だ身勝手かつ、ロケットが爆発したら、大変なことになるから却下。 つまり、僕らは自分たちの欲のために、自分たちで永遠に処理できないものを考えられないほど大量に作ってしまった。その事実が目の前に突きつけられているし、誰もが無実ではないってことだ。 たとえ、それが「想定外」だったとしても、「想定外」って言葉を死語にして、これからはすべて「想定」して生きるってことだ。身が引き締まるぜ。僕はこれから「そりゃ、想定外」だったって云わないようにする。なかなか、やりがいあると思わないか? さぁ、それでも僕らは生きてかなきゃならない。創造力を飛ばして、未来のことを考え、それを創ろう。アラバキはね、素晴らしい祭りだったよ。欲とか得ではなく、ド真ん中に音楽がある。出会った人々のおかげで、僕は受けた負のエナジーのほとんどを、音楽の力に変えることが出来たと思う。一時的にそれを忘れたり、逃げたのではなく。観てくれた人は分かってくれるよね。僕はずっと笑ってたと思う。おかぴーも素晴らしい演奏をありがとね。僕らは自由で、そして人は信じるに足りる生き物だ。 分かれしな。Mは先日の相馬でのコンサートで炊き出し隊長を努めた男に「土産を」と云って僕に手渡した。まったく、被災者におごられ、被災者に元気をもらい、ついでに「おみや」までもらうってどういうことよ、と思いながら、人を元気にするのは人で、誰かを思いやる心だってことを、今更ながらに教えられた。ありがとよ。タダでは帰さん。がおー。 じゃ、世界が観た福島。これを最後に観てくれ。