月別アーカイブ: 2月 2011

gradually learning

2月28日 月曜日 雨   何だったんだ、オレの二月、と思わないでもないが、ツアー前に治療院でボキボキ、グリグリやられていたら、ひとつのことがくっきりと見えてきた。不思議なものだね。  老インディアンが云うように、明日もまた生まれてくる太陽が昇るのを手助けすること。それが「meaning of life」だと云えるような日々を送りたい。頭の中には一日じゅう、ずっとこの曲が流れてる。  gradually learning / the rockingbirds I couldn’t think and I couldn’t talk I couldn’t walk and I couldn’t crawl I couldn’t do anything at all I couldn’t focus on a flat white wall But now … 続きを読む

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埋め込まれた鉛

2月26日 土曜日 晴れ 首から背中にかけて8kgの鉛を埋め込まれたような、ずーんと重たい状態が続いていました。右半身は痺れっぱなし。ついに、鈍痛は絶え間ない吐き気を引き起こし、鋭敏な痛みは睡眠の邪魔をする至り、こりゃもう無理だ、と紹介された治療院に足を運びました。 いわく、開口一番。「良くこんな状態で我慢してましたねー。ひっどい身体ですねぇ」。そうなんすか。首の痛みは交通事故のムチウチみたいなもので、ヘルニアのように骨が神経を圧迫しているから痺れるのだ、と。つーかヘルニアの可能性ありだ、と。でも、本当のところは首よりも腰の方が状態は悪い。絶えず緊張状態にあるので、背中はガチガチ、右足は左より短く、頭痛が起きないのが不思議で、多分緊張によって麻痺してるんだろう、おまけに骨はあちこち飛び出てる、と。いいとこねーじゃん、オレの身体。 とにかく、グキッとかボキッとか。まな板の上の鯉よろしく、さんざん身体をいじって頂いたら、鉛の重さが5kgくらい減りました。さすがにこの状態じゃ嘘のようには良くはならないけれど、少なくとも楽にはなったのです。感謝MAX。確かにストレスの多い日々だった。とにかく、無駄なストレスを溜めないようにしなければ。ヴァイブレーションが悪いところや、ネガティヴな人物には近づかないようにしよう。身を守ろうと、固く頸椎。ちがった、決意。 気分を豪快に変えたかったので、大好きな刃物屋に入る。昔から刃物を見ているのが好きなのです。もちろん殺人願望なんてありません。自分を大事にする口実を作ろうと、えいやっと刃物をまとめて購入。さぁ、これで料理が愉しくなるぜ。

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曲を書く

2月25日 金曜日 晴れ 起きている殆どの時間、音楽に没入中。時間が足りない。階下の仕事場でとあるミキシングにいそしみ、階上の居間で爆音でギターを弾いて曲を作り、詩を書く。煮詰まると、ちょっとだけ読書に逃げる。あるいは走る。由緒正しいソングライターの暮らし。嬉しい。 首の痛みは右半身に移って、肩に鉛が入っているように重い。いったいどうしたもんだろう。 ぶーちゃんカメラ。ファインダーを買ってきたり(僕はデジタル・カメラの液晶を見ながら撮影するのが嫌いなのです)、レンズを換えたり。良く出来てるなぁ、と感心しきり。でも、カメラを換えただけで作風が変わるのは、僕に本質がないってことでもある。 はてさて。speechless tour 最終公演。函館山頂にある「クリオネ」間違えた「クレモナ」とはこげなとこですたい。 http://www.334.co.jp/jpn/cremona/ フライヤーも是非。ゴールデンウィークだし、たまには北に旅してみんですか。 http://no-regrets.jp/heatwave/disc/2011/speechless/hakodate/index.html

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ALONE TOGETHER

2月24日 木曜日 雨 「alone together」と云う名のアルバムを聞きながら、書いている。何ちゅータイトルやねん、と思いながらも、真理そのものだ、とも。 「私は自分のわがままな心からつくり出された、多くの愚行を後悔している。しかし、こうした愚行に走らなかったならば、私はけっして自分の目標に到達できなったであろう。 そういうわけで、たしかに私は幻滅したこともあるが、決して失望しなかった。 私は人間には失望した。自分自身にも。私は人間について驚くべきことを経験し、自分自身で私に期待されている以上のことを成しとげた。 私は自分について驚き、幻滅し、かつ喜んだ。私は悲しみ、落胆し、それでいて情熱的になった。私はこれらの個々の状況のすべてにあてはまる体験をしたが、自分自身を総括することはできない。私は自分について決定的な価値があるのか、あるいは無価値なのかを確かめることはできない。 私はただ、自分が生まれ、生活してきたことを知っているだけだ。孤独は私の一生を真に生き甲斐のあるものにしてくれる救いの源泉なのだから」。 ふーっ。ひどく読みにくい本だった。訳者はきっと頭が固い。もう少し平たい言葉で訳してくれればいいのに。けれど、そこに書かれている言葉は、日々自分の頭蓋に渦巻いているものとほぼ同じだった。 部屋のアンプを常にオンにして、言葉と音楽が「平たく」結びつく瞬間を待っています。なかなか、それは訪れてはくれないのだけれど。 「speechless tour」の開演前のBGMに関して問い合わせが多いので、魚さんから以下のメールが送られてきました。楽しんでください。 01 Micerino Alap / Alejandro Franov 02 Micerino Tema / Alejandro Franov 03 Lid Former / Isan 04 Bruma / Nuno Canavarro 05 Uh / Juana Molina 06 … 続きを読む

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原罪

2月23日 水曜日 晴れ 「私は自分の両親、祖父母、さらにはもっとさかのぼった私の先祖がなしえなかった、あるいは回答できなかったような事物、あるいは問題の影響下におかれていることを痛感した。まるで非個人的なカルマは、両親から子どもへと代々伝えられる家族の中にひめられているように思われる。そういうわけで、あたかも私の先祖がすでに運命に従って、投げかけたものの回答が得られなかったような疑問に今度は私が答えなければならない。あるいは太古に未完成のまま残された仕事を私が完成させるか、それともその仕事を継続してゆかねばならないと私は常に感じていた」。カール・グスタフ・ユング。 この文章を電車の中で読んでいて、驚いた。と云うのも、僕にはこんな経験があるからだ。母の死後、事務的な用事を片付けるため、僕個人は一度も訪れたことがないはずの、母が幼少期を過ごした小さな街を訪ねた。その街には未だ古い町並みが残されていた。おそらく僕の遠い親戚にあたるはずの、母の旧姓を冠した病院や薬局がまだ存在していた。ところで、僕はその町並みに見覚えがあったのだ。あそこの角を曲がると、田園風景の中に水車が見えるはずだ。果たして、それはあった。驚いたとともに、ちょっとだけぞっとした。母の記憶は血を伝って、僕に受け継がれていたのだ。 これはほんわかとした美しい話。一方では「原罪」としか呼びようのないものを背負っている感覚は常にある。僕が家族も何もかも失って、一人で立たねばならなくなったのは、「豊かな復讐(これは僕の言葉)」を果たすために必要な通過儀礼、あるいはレッスンだったんじゃないだろうか、とこの頃思う。そして最後の壁を突破するために、走ることが与えられ、それを克服し、光を見るようになり、僕は今光になりかけている。父が果たせなかった夢は、現実的に僕に受け継がれた。そして彼が光の中から僕をエンカレッジしている力を強く感じる。 「豊かな復讐」はもはや音楽だけでは無理だと思う。だから、一生に一冊だけ本を書こうと昔から思ってきた。盧溝橋に始まり、満州国建設があり、敗戦があり、引き揚げがあり、安保があり、高度成長があり、バブルに浮かれて、地下鉄にサリンがまかれ、今は生き方の本質が問われる。書き残すまでは死ねない。僕は俳優が歌ったり、ミュージシャンが演技をしたりするのが好きじゃない。どの道もそんなに生易しいものではない。けれど、音楽だけではどうにもならないこともあるのだと、この頃痛感しながら、新しい音楽に向かっている。

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ささやかな歓び

2月22日 火曜日 快晴   避けては通れない悪夢のような雑務をやり終えた。さぁ、これで音楽にほんとうにintoできる。ささやかな歓び。  首のリハビリをかねて、ゆっくり海沿いを走る。もう春の匂いがするよ。トンビも嬉しそうに空を舞ってるよ。何だか、嬉しい。  追伸 「Speechless」特設ページに感想や意見を書き込めるページがオープンしました。気軽にどうぞ。

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連絡もろもろ

2月20日 日曜日 曇り   取り寄せたbeatlesのレコーディング・ダイアリーと愛読雑誌「月刊ランナーズ」、そしてたくさんの書物に埋もれながら、新しい音楽に向かっております。お伝えしたいこと、聞いて欲しい音、いろいろあるのですが、今日のところはライヴのことを。  speechless tour、3月頭に北陸に上陸です。金沢、富山県高岡市。魚先生、初見参です。愉しみにしていてください。それから富山の翌日。佐野元春さんの30thアニバーサリーコンサート@大阪城ホールにゲスト出演することになりました。んー、これは無茶なスケジュールだと思いつつ。でも、お祝いしたいので、車ぶっ飛ばして、駆けつけます。詳細はこちら。 http://www.moto.co.jp/30th/AnnivTour/final.html  speechless特設サイトに先日の渋谷のライヴ写真by原枝美さん、のβ版がアップされています。愉しんでください。 http://no-regrets.jp/heatwave/disc/2011/speechless/shibuya.html  原さん。この場を借りて、素晴らしい写真をありがとう。  んー。頭を真っ白にしたい、と日々思っていたところ、某国の標高3000メートルに居る心の兄貴から悪魔の誘い。「来れば?」。その短いメールの三文字に思わず反応してしまい、air ticketをゲットしました。そんな訳で、佐野さんのコンサートから成田に直行して、僕は国外逃亡します。兄貴の息子Gによると、「あそこはとんでもないところだから、ヒロシが行ったら死ぬかもね、ヒヒヒ」。大丈夫です。死にません。もちろん手にはspeechlessを抱えて、壊れた英語で独り特攻隊です。欲しがりません。聞いてもらうまでは。なんてね。

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60 is cool

2月19日 土曜日 曇り その男の名前はIan Smith、スコットランドからアイルランドに移り住んだローカルミュージシャン。パブからパブへと渡り歩き、ギター1本で家族を養う。初めて会ったのは、アイルランドはドニゴールにある小さな街のパブ。多分、17,8年前の話。 最初から彼とは気が合った。初めて一緒に演奏したときから。かの国のローカル・ミュージシャンのレベルはとんでもないもので、僕は自分がプロフェッショナルであることが恥ずかしかった。訪れる度、彼は地元のディープなセッションに連れて行ってくれ、僕はそこで腕を磨いた。詳しくは書かないけれど、稀にとんでもない人物がそこに居て、フツーに演奏していたりもする。文字を持たなかった人たちの「口承」の文化はほんとうに奥深いのだ。あれは「研究」するものじゃない。分からない曲は弾かずにじっと耳を澄ましていればいい。身体に染み込んできたなら、弾けばいい。ただ、それだけのこと。でも、僕はtradは演奏しない。あれをやったところで、彼らより素晴らしい演奏なんて出来るはずがないから。 年の暮れ。ドニゴールのフジヤマ。エリガル山の麓で、アルタンのオリジナルメンバーである、故フランキー・ケネディーを偲んで音楽祭が催される。彼の偉業をたたえるその祭りはフレンドリーだけれど、神聖な空気に満ちている。そこのステージに立てるよう、手はずを整えてくれたのもイアン。あの場所でノンマイクで演奏したこと。老若男女から割れんばかりの拍手をもらったこと。それが僕にどれだけ力を与えてくれたことか。 彼は僕にたくさんの歌を教えてくれたのだけれど、中でも一番ぐっと来たのが、ドニゴールの人間なら誰でも知っている「the homes of Donegal」。何だか僕のことを歌ってるような気がして、日本語に訳して歌うことにした。それは後にドーナル・ラニーのプロデュースでレコーディングされ、アルタンによって、本国に持ち帰られ、ラジオでオンエアされ、この歌を歌わせたら右に出るものは居ないポール・ブレイディーの耳に届き、来日した際、彼に「ありがとう」と云われるに至った。こんな風に人生は不思議な縁で繋がっていく。悪くない。 10年くらい前、彼は人生初めてのソロ・アルバムをレコーディングしていた。その時彼は50歳。その話を聞いただけで、僕は涙が出そうだった。何と云う情熱。彼はここまでたどり着くのに、毎晩演奏し続けて、35年くらいかかったのだ。信じられない。彼は僕に参加して欲しい、と。もちろんだよ。何だってやるぜ、君のためなら。意気揚々とプロデューサーであるマナス・ラニー(彼はカパーケリーのメンバーで、ドーナルの弟でもある)のスタジオに行ったなら、僕に用意されていたのはハーモニカだった。がっくし、ギターじゃないんだ。でも、その歌は彼の少年時代を歌ったもので、ぐっと来た。アルバムタイトルは「restless heart」。曲のタイトルは「hometown」。彼の心情そのままだった。 かの街の連中が僕の所在を血眼になって探していたのだと。近年、僕はドメスティックな活動に終始していて、6~7年は訪れていなかったのだ。いわく、イアンが60歳になるから、ヒロシからお祝いのメッセージが欲しい、と。こうして、また僕らはぐっと近づいた気がする。返信に「60 is cool. 気持ちは25歳のまま、毎日音楽と向き合ってるよ。お互い素晴らしい音楽を創ろう」、と。 Ian Wow, superb! So you are 60 years old now. Congratulations!! Thank you for being here. In my country, people put on red clothes to … 続きを読む

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目下最大の悩み

2月18日 金曜日 曇り 動かなくなってしまった首に、コルセット代わりにネックピローを巻いて、歩き回っている不審人物、山口洋です。 目下、最大の悩み。それは新しい音楽に没入する時間が持てないってことです。アイデアがたくさんあるのに具現化できない。これは、しんどい。ツアーに出る前に魚さんと、いつもこう話し合うのです。アイデアの芽は既にたくさん用意されている。だから、ツアーがこなれてきたら、リハーサルの時間にいろんなことを試して演奏してみよう。それをツアーを続けながら形あるものに昇華させよう。確かにこの作戦はイケてるが、結局のところは現場に到着してみると、そんな体力も時間も残されてはいない。こんなことが出来るのは大名ツアーに限られるのか。ひじょーに悔しい。前に進みたい。ほんとうに。 音楽に没入するってことは、自分の心の闇深くに潜入していくことでもあります。多大な集中力と、何よりもまず体力を必要とします。途中で電話が鳴ろうものなら、それでthe end。僕の脳味噌は同時にひとつのことしか出来ないのです。ある種の作家のように、早起きして、それは朝やるのがいいのでは、とこの頃思います。あるいは、ネットも何もないところに自分を隔離してしまう。そうでもなければ、収拾のつかないアイデアの山の埋もれてる人になってしまう。相当な危機感を覚えています。 ライヴの現場ではフィジカルにメンタルなことをやるのです。言葉がヘンに感じるだろうけど、そうなのです。そして制作の現場はその逆です。このバランスを取るのが難しい。漏れてしまったアドレナリンを制御することも。最近、長野でディランの「レーナード&クララ」のDVDを手に入れて、今更ながらに観ています。ファンなら誰でも知っている「ローリングサンダー・レビュー」。彼はこのツアーの中で、フィジカルとメンタルをごちゃ混ぜにし、更に人間たちをもごちゃ混ぜにし、そこから何が生まれていくのか実験していたのが良く分かります。これは途方もなく難しいことですが、僕はこれが失敗だったとは思いません。ただし、僕に「轍」を残してくれて、ありがとう、と。先達の生き方を観て、僕らは今の時代にそれを新しい形で何とか具現化しようと、フントーしています。たとえ、死ぬまでそれが出来なかった(出来ない可能性の方が大きいのだけれど)としても、それは僕らがこの人間界を信じた唯一の理由なのだから。 「プエプロ族の老友は、族の存在理由が、民族の父である太陽が毎日天空に出現することを助けることにあると信じている」。 「自分の情熱の地獄のような有様を通り抜けたことのない人物は、自分の情熱を決して克服することができない」。 「自分の影を知る者は、自分が無害ではないことがよくわかっている」。 「豊かな個性の持ち主は常に使命を持っており、しかもそれを信じている。使命遂行の原動力となるのは、自分の内なる声に語りかけられることだ。そして、個性の育成は、ひとつの冒険である。内なる声のデーモン(霊)は、実は最高の危険と不可欠の援助を同時に意味している。このことはまさに悲劇的であるとともに、必然的であり論理的である」。 ユングが放ったこれらの言葉、その通りだとしか云いようがないのです。 追伸 弘前の悪友、サイトー・ヒロシが僕らのために選んでくれた会場は写真にあるこんな場所です。残念ながら、携帯のカメラしか持っていなかったので、全容を伝えることが出来ず残念ですが、ここなら前述のようにオーディエンスをも含め、メンタルとフィジカルがぐちゃ混ぜになることが出来ると思うのです。是非、足を運んでください。

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もっとも速い馬

2月17日 木曜日 晴れ 「苦悩はお前たちを完成に到達させるもっとも速い馬である」。マイスター・エックハルト。 意識と無意識を行き来し、主観がすなわち客観となる世界。ようやくそこまで到達しつつある。ある種の危険は伴うが、それが自分の役目だったのだ、とこの頃思う。 追伸 先日の渋谷のライヴの写真、フォトグラファーの原枝美さんから送られてきました。いづれ、どこかでまとめて観てもらえたら、と思っています。感謝。今日はキャプションなしで。

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