日別アーカイブ: 2011年2月23日

原罪

2月23日 水曜日 晴れ 「私は自分の両親、祖父母、さらにはもっとさかのぼった私の先祖がなしえなかった、あるいは回答できなかったような事物、あるいは問題の影響下におかれていることを痛感した。まるで非個人的なカルマは、両親から子どもへと代々伝えられる家族の中にひめられているように思われる。そういうわけで、あたかも私の先祖がすでに運命に従って、投げかけたものの回答が得られなかったような疑問に今度は私が答えなければならない。あるいは太古に未完成のまま残された仕事を私が完成させるか、それともその仕事を継続してゆかねばならないと私は常に感じていた」。カール・グスタフ・ユング。 この文章を電車の中で読んでいて、驚いた。と云うのも、僕にはこんな経験があるからだ。母の死後、事務的な用事を片付けるため、僕個人は一度も訪れたことがないはずの、母が幼少期を過ごした小さな街を訪ねた。その街には未だ古い町並みが残されていた。おそらく僕の遠い親戚にあたるはずの、母の旧姓を冠した病院や薬局がまだ存在していた。ところで、僕はその町並みに見覚えがあったのだ。あそこの角を曲がると、田園風景の中に水車が見えるはずだ。果たして、それはあった。驚いたとともに、ちょっとだけぞっとした。母の記憶は血を伝って、僕に受け継がれていたのだ。 これはほんわかとした美しい話。一方では「原罪」としか呼びようのないものを背負っている感覚は常にある。僕が家族も何もかも失って、一人で立たねばならなくなったのは、「豊かな復讐(これは僕の言葉)」を果たすために必要な通過儀礼、あるいはレッスンだったんじゃないだろうか、とこの頃思う。そして最後の壁を突破するために、走ることが与えられ、それを克服し、光を見るようになり、僕は今光になりかけている。父が果たせなかった夢は、現実的に僕に受け継がれた。そして彼が光の中から僕をエンカレッジしている力を強く感じる。 「豊かな復讐」はもはや音楽だけでは無理だと思う。だから、一生に一冊だけ本を書こうと昔から思ってきた。盧溝橋に始まり、満州国建設があり、敗戦があり、引き揚げがあり、安保があり、高度成長があり、バブルに浮かれて、地下鉄にサリンがまかれ、今は生き方の本質が問われる。書き残すまでは死ねない。僕は俳優が歌ったり、ミュージシャンが演技をしたりするのが好きじゃない。どの道もそんなに生易しいものではない。けれど、音楽だけではどうにもならないこともあるのだと、この頃痛感しながら、新しい音楽に向かっている。

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