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HEATWAVE OFFICIAL BOOTLEG SERIES #008 / 2021122640 Years in a BLINK HEATWAVE
“Unknown Pleasures” HEATWAVE
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2019.11 ReleaseOfficial Bootleg #007 “THE FIRST TRINITY” 181222 HEATWAVE
2019.5. Release日本のあちこちにYOUR SONGSを届けにいく 2018 山口洋
2019.3.25 Release『OFFICIAL BOOTLEG SERIES #006 19940524』 HEATWAVE
2018.12.19 Release『OFFICIAL BOOTLEG SERIES #005 171222』 HEATWAVE
2018.5.19 Release『Your Songs』 HEATWAVE
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2016.12 Release
HWNR-012 ¥2,500(税込)『OFFICIAL BOOTLEG #003』 HEATWAVE
2015.5 Release
HWNR-010 ¥2,500(税込)DON'T LOOK BACK.
山口 洋 全詩集 1987-2013 B6サイズ 272P 特製栞付き ¥2,800THE ROCK'N ROLL DIARY, 2011 3.11〜 陽はまた昇る B6サイズ 176P ¥3,000SPEECHLESS Yamaguchi Hiroshi / Hosomi Sakana
2011.2.9 Release
NO REGRETS XBCD-6003
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月別アーカイブ: 7月 2024
ワンダフルな7月
7月31日 水曜日 晴れ にゃんと、7月も終わり。でも、振り返ってみるとワンダフルな7月でした。特に、あてもなく北海道を旅したのは素晴らしかった。いろんな瞬間が細胞に刻まされていて、音楽として花開いているところです。 で、いつものように限界ギリギリまでやりきっていたので、帰ってきてから顔面に膿がたまるという謎の症状。これ以上はやめてくださいね、という身体からのサインだと受け取ってます。 なかなかな状態だったので、昨日切開してもらいました。ちょいと痛かったけど、すっきりしました。 8月は人前にはほとんど出ませんが、考えていることがいろいろあって、ひとつづつ濃厚に向き合って、お盆をすぎたあたりに九州に帰って、ネットも繋がらない場所で作曲に集中しようと思っています。九州のライヴはその流れで「山からの」登場になるので、若干マタギチックな演奏を楽しんでいただければ、と思います。 えっと、これはいくつだっけ、チャプター3になるのかな。故郷でみんなに会えるのを楽しみにしています。
植物が教えてくれること
7月30日 火曜日 晴れ 家の中や庭にたくさん植物がありまして。 多くはスーパーで見かけたからつい買ってしまったとか、そんな感じの植物です。いま一番めんこいのは(んなこと書いたたら植物が嫉妬しそうだけど)、ずいぶん前に南の島の空港で300円くらいで買った月桃。もうすぐ僕の身長を越えそうな勢いです。 なんの一貫性もなく植物が増えていったので、彼らの要求も異なるのです。昔は彼らの声を聞くことができなかったけれど、今はなんとなくわかる。一様に水を与えてりゃいいってもんでもない。 少し調子が悪そうだな、と感じたら、敢えて厳しい環境に置いた方が元気になるものもあるし、できるだけ自然に近い環境に変えて元気になるものもあります。というのも、昨年真夏にひとつき留守にした際、庭に置いて、自動水やりシステムを設置したのですが、家の中に置いているより遥かに元気になったからです。今年はもう少し工夫をしてみようか、と。確か、昨年は専門家の人が教えてくれたんで、今年も不明なことはここで尋ねることにします。 ところで。 今もオリヅルランとビワが誰かの家で可愛がられるように、たくさん培養されています。オレはなんで植物を人に差し上げたくなるんだろう。たぶん、それは音楽と同じなんすね。ぐっとくるものをシェアしたい。ただ、それだけなんだと思います。なんだかんだ。もう50箇所くらいには旅立ったかな。 旅立った植物たちのその後がときどき送られてくるんだけど、それぞれの家庭の顔になっていて、それがまた嬉しいのです。 花咲か爺さん、けっこう楽しい。
さよならCD
7月28日 日曜日 晴れ CDが出てきたのは88年くらいだったけなぁ。 そこから36年。その日の白飯を買うお金すらないようなときでも、聞きたい音楽は無理して買ってきた。いつしか増え続けるCDに恐れをなして、CD1000枚主義に移行。1000枚を超えたら、誰かに差し上げることにして、オレのCD棚は超濃厚なものになっていった。おそらく1万枚は軽く買ってると思う。笑。 もう、いいかなと思った。 持ってなくていい、と。もうラジオをやることもないだろうし。 たぶん、たいせつなものは聞かなくてもぜんぶ頭の中にある。 でも、名残惜しかったので、家からNO REGRETS社に場所を移して、1年様子を見た。リッピングすることも考えたけど、それもやめた。 まったく必要じゃなかった。まして、自分のCDは創るときに散々聴いてるから、聴き返すことはない。 こころおきなく寄贈しようと思った。 これはミュージシャンにとってはかなりの決断。チャプターが変わった感じがある。きっと、楽器もそうするんだと思う。もう、そんなに持ってなくていい。 儀式として、ひとりで箱に詰めた。1200枚あった。自分でいうのもなんだけど、素晴らしいCD棚だった。ちょっと博物館級。アイリッシュのものなんて、思わず涙が出たよ。 さぁ、次に行こう。シンプルに生きよう。 曲を書いている、というより。頭の中にあるそれら無数の音楽を外部からの刺激(トリガー)によって、編集してる感覚なんだと思う。 でも寄贈先の棚にちゃんと並べるところまでは責任もってやりたいと思ってる。寄贈先を伝えるかどうか(公共財として使えるかどうか)は相手の事情もあるので、聞いてみます。 あ、それからね。Xやめました。どうしてって、イーロン・マスクが嫌いだからです。元から積極的には関わってなかったけど、あれを見るたびに、なんだか好きではないものが体内に入ってくる感覚があったんです。バンドやライヴの情報は引き続きスタッフたちが投稿してくれます。 なわけで、僕はFacebookとXには関わりません。 でも、このblogは続けますから安心してください。インスタも稀にインスタライヴとかやれるし、ツアー中のストーリーズも見たい人だけ見れるし、それは続けます。
blood brothers
7月27日 土曜日 晴れ 昨夜は町のバカちんたちといい夜を過ごしました。きっと、父親も「おまえ、いい人生送っとるなぁ」と思っていることでしょう。彼もたいがいな酒飲みでしたが、オレのように「誰かと楽しく飲む」ってことができない人だったので。 小学校に上がる前から、なぜ彼が飲まずに居られないのか、オレは理解できていて、それはプライベートなことゆえ割愛するけれど、ガキなのにも関わらず、ソウルメイトのようなところがありました。アル中になる理由の半分くらいは戦争に起因するもので、それも理解するには十分すぎるものでした。 彼が育ってきたプロセス、自分がここまで歩いてきたプロセス。それを重ね合わせると、オレだって、たまたま生き延びただけで、人生一回だから、なんとかやってこれただけで、同じことをもう一回やれ、とか、やり直せとか、ぜったい嫌だ。無理。笑。なので、自分に子孫がいる、ってことが想像すらできなかったのです。 周囲を見渡してみると、続々とともだちがおじいちゃんになっていて、なんだか脳がバグるのです。笑。すごいなぁ、と感嘆するばかり。 でもね。父親が教えてくれたこと。キャッチボール。この感触は生涯忘れないし、小さい頃、久住って九州の山を一緒に登ったんです。その感触もずっと覚えてる。 なので、この夏、ひとりで登ってみようと思うのです。 えっとね、立花山、三日月山から始まって、宝満山。そこを登れるようになって、英彦山。よし、じゃお前を久住に連れて行ってやる。そんな感じだったかな。で、その時に初めて阿蘇を見て、ここに住もうと思ったのです。たぶん10歳くらいか。 んなことも含め、この夏は阿蘇にひとつき滞在して、作曲に集中しようと思っています。だって、誰にだって「流れるblood」にまつわるストーリーがあるのだから。尊いのです。
シンプルに生きる
7月26日 金曜日 晴れ 亡父、誕生日。 生きてたら91歳らしい。彼は49で死んだ(オレ18)ので、居なくなってからの方がはるかに長いんだけど、いっこうにこころの中から消えない不思議な存在。考えることがあると、こころの中のリトル親父とよく話す。で、彼は的確に応えてくれる。てか、オレの方が遥かに年上なんだけど。笑。今日はいつもの店に行って父親とある人の誕生日を祝おうと思う。 うんと。プレイリスト、滞っててすいません。あと少しでフィニッシュするんだけど、なかなか時間が取れません。来月半ばくらいから山に還って隠遁するつもりなので、それまでには。 それからね。 持っているCDのほぼすべてを寄贈することにしました。増え続けるCDに恐怖を感じたのはもう随分前のこと。なので、1000枚ちょっとしか持たないことにして、超えたら誰かに差し上げる、みたいなことを繰り返して、かなり濃密なCD棚になっていました。どうして保持していたかというと。ラジオの番組をやる機会があったからです。でも、そのオファーもないし(誰かやらせてくんないかなーといつも思ってる)、NO REGRETS社にぜんぶ移したのです。それで一年間様子を見て、必要なかったら誰かに差し上げてしまおう、と。 はい。まるで必要なかったです。受け取ってくれる人たちは公共財として扱ってくれそうなので、図書館みたいで、それもいいなと思っています。ただ、売るのだけはね。抵抗あるんです。 アナログ盤だけは持っていたいけど、楽器も弾かないものは意味ある人に手渡そうと思っています。だって、弾いてこそ、だもんね。 そうやって、清貧に近づいていけたらな、と。 北海道の経験が歌になりつつあります。みんなの日々の中で感じてもらえるような。
days
7月25日 木曜日 晴れ 「原発の建設費を電気料金に上乗せ、経産省が新制度検討」ってニュースに言葉をなくした。 いわきから相馬まで国道6号線を走ってみたら、誰もそんな気にならないと思う。未だ収束なんてなにひとつできず、時の首相が「アンダーコントロール」と言い放ってオリンピックを開催し、いったいどれだけの金が使われたのか、、、。 あれだけの苛烈な事故を起こしておきながら、なぜ更に原発を建設しようとするのか。その建設費を電気料金に上乗せするのか。なぜ、国民は怒らないのか。理解できない。 一方。これは先日、故郷の博多で行われたイベント。無料だったんだけど、ほんとうに素晴らしかった。ベイサイドプレイス。コロナで閑散としているときに、またここに人が集まるようにって。粋な社長が好きなことやっていいけど、代理店やイベンターとやるのではなく、スタッフ自らの手でやれって。まるで昔の博多を見ているようだったよ。 こういうの、なかなかできる人はいないよ。 ぜひ、行ってみて。
時空を超えて
7月24日 水曜日 晴れ 先日、静岡で出会った才能。 これは世に問わねば、と勝手に思った。稀にそう思うときがあって、それ、オレの役目だろって、思い込む癖があるけど、あながち間違ってもいないと思う。直感だけど。 本人と話し合って、まずは俺の仕事場で歌を記録してみることにした。いわゆるG.Yoko方式。笑。どこに辿り着くのかわかんないから旅なんだって。誰も資金を提供してくれないのなら、自分で出すだけ。岩を動かすためには、まずは自分が動かないと。 己にその確信があるのなら。 彼のバンドは名プロデューサーにひょんなきっかけで認められ、2012年にレコーディングをしていた。でも、残念ながらその方が病に倒れられ、作品は制作途中で宙に浮いてしまった。 月日は流れ、録音物の行方もわからない。そのラフミックスを聞かせてもらったけれど、道半ばにして、さすがのクオリティー。ならば、わかった。俺は探偵でもなんでもないけど、音楽業界に知り合いがいるわけだから、探してみよう。 その方の息子さんがミュージシャンであることがわかった。でも、SNSで連絡するのは好きじゃない。インスタの投稿を見ていたら、オレの同じ年のミュージシャンと親交があることがわかった。超絶昔(40年くらい前か)に同じ釜の飯を食ったことがある間柄。以降、一度も会ってないけれど。その時のバンドが活動を再開してることもわかった。嬉しかった。 なので、彼にながーーーいメールを書いてみた。まだ返信はないけれど。 一方、その音源が録音されたスタジオは現存していた。チーフエンジニアとは知人を介してルートができそうだ。ってことは、当時の担当エンジニアさえわかれば、音源の行方はわかるかもしれない。 できれば、宙に浮いたままの志を引き継がせてほしいと思っている。権利関係もなにもわからないけれど、直感を信じるのみ。溢れる情熱があるところに道は拓けるはずだから。時空を超えるはずだ。 あ、ちゃんと自分たちのこともやるから心配なくね!笑。仕事が探偵みたいになってきたのも悪くない。 ところで。旅に出る前からバイクのETCのアンテナが加水分解で壊れていた。ICチップが剥き出し。さすがにこれはないだろうと思ったけれど、養生テープを巻いてなんとか旅に出た。あの雨にやられて、ここがショートしなかったのは奇蹟的かも(他の部分がショートしたけど)。 このETC。バイクをディラーで購入した際に、同時に新品を購入してつけてもらったもの。つまり屋根のあるガレージに保管していて、4年で加水分解したってことはその耐久性に大いに問題がある。しかも、そのあたりのバイク用品店で装着するより、ものすごく高かった。俺はその頃、タダの素人。いわゆるカモってやつね。 製造業者に連絡して、アンテナが欲しいのだ、と。すると、こういう返答。お求めになった店からの注文しか受け付けられません。ははーん。なんだか、雲行きが怪しい。癒着の臭いしかしない。店もETC政策も業者もグルだな。 ディーラーに連絡したら、たかがアンテナ、工賃込みで驚異の金額。 面白くなってきた。こういうの燃える。 オレは断じてケチではない。ただ、こういうシステムが死ぬほど嫌い。いつもお世話になっているハーレ屋さんもETCは手の届かないところにある。つーか、こうなると利権の臭いしかしなくなる。 てかね。その理由は車体番号と紐づいているから。ゆえに、部品は供給できない。まともそうで、まともではない答え。だって、ETC本体じゃないんだもん。すでにセットアップしてあるETCのアンテナを交換するだけ。 ETCが普及しはじめたころ思った。料金所のおじさんたちの仕事はどうなるんだろうって。ニンゲンって一度楽をすると、もう戻れないんだよね。でも、目を凝らしてみるとこれは巨大な利権だよね。たかがアンテナひとつにしてもとっても怪しい。 自由を求めてバイクに乗ってる「はず」なんだけどね。 もう、オレはディーラーに行きたくなかった。だから、アンテナしか必要じゃないのに、同じETC本体を新品で探して買った。そしてその値段はディーラーでアンテナを装着するよりはるかに安かったことをお伝えしておこう。 オレが旅を続けられるのは町のハーレー屋さんのおかげ。昨日も旅から帰って、すぐにベストの状態にしてくれる。彼らが年中、試走しているのも知っている。自分が直したバイクがどういう走りをするのか、すべてチェックしている。オレはこういう人たちと付き合っていきたいし、町にお金を落としたいし、自分もかくありたい。
大学時代のこと
7月23日 火曜日 晴れ さすがに16日も家を空けていると、雑務が山のように溜まっていて、疲労の中でそれらをひとつづつ片付けています。 とはいえ、ルーティーンはいつも同じで、バイクをきれいにしてハーレー屋さんに持っていく(次の旅に備えて)のは当然だけど、ガレージに入っているすべての乗り物(バイク2台、クルマ2台)も全部ピカピカにしないと気が済まない。いつも趣味は洗車って応えてるけど、なにも考えず、ひたすら洗ってる時間が好きなんです。ほんとに「無」。ぜんぶきれいになって、ガレージを片付けたら、とっても達成感あります。 植物たちも元気でした。今年もみんなにお届けしようと思っているビワもオリヅルランもどんどん大きくなっています。あ、もちろん売ったりしませんから。植物初めてって人もこれを機会にぜひ。 大学時代のともだち、えもちんからHWの僕の前ヴォーカル、中原英司のことで連絡がありました。 で、彼からHWの初めての作品「HEATWAVE vol.1(カセット)」の写真が送られてきて(その作品のことはインスタに書いたんでぜひ)、1982年、オレの18歳あたりのことが怒涛のように押し寄せてきて、不思議な気持ちになりました。 だって、普段前しか向いてないから、昔のことはあまり思いださないんす。 吉田(故人)、吉竹、よーこさん。ってこの3人と特別に仲が良くて、この3人は下宿というかアパートに住んでいたので、時間が何時であろうとオレは出入り自由みたいな。振り返ると住んでる奴にとっては迷惑極まりないんだけど、それが若さゆえに許されるというか。笑。えもちんは吉田と故郷が同じで同居してたんす。吉田は愛すべきクレイジーな奴で、オレみたいなのを連れてくるんだけど、真面目なえもちんはとっても迷惑だったと思う。笑。 とにかく時間があれば、この3軒のどこかに行って、そこにいる誰かと飲むとか、バカなことをするとか、クルマで遠征するとか。絵に描いたような青春ってやつね。オレの場合、プライオリティーはバントと彼女が一番。その次にともだち、それからバイト。大学は一番最後。 18になって自動車教習所に通ったら、3日目に警察に行って受けてこいと言われ、仮免を取って、あっという間に免許取得。素質を買われ、そのままここで働けと言われ、初心者なのに教習所のバイト教官に。これ、ほんとの話。ついでに夜警もしないかと言われ、夜はここでバンドの練習もしてた。夜中の自動車教習所でバイクやクルマでチキンレースと酒盛りしながら、バンドの練習。笑。 ただね、バンドは365日練習してた。それは凄まじい情熱だったと思うな。 よく働いてたし(18歳になってから、親に学費をのぞいて金をもらったことはない)、奨学金もらってクルマを乗り回して(ダメ学生の典型)、大学にはほとんど行かず、音楽に明け暮れてたけど。 でも、やっぱり友達だよな。中学から大学まで。あの頃の奴らに会うと、一瞬であの頃に戻る。それだけ濃密だったんだろうし、未来への不安を抱えつつも、社会的地位なんて、1ミリも関係ない間柄っていいよね。 思い返すととっても豊かな青春だったんだな、と。コンプライアンスなんかなかったし、よくあんなことやり続けて、逮捕されなかったなとか(記述は自粛)、死んでもおかしくなかったな、とか。 で、人生も終盤に差し掛かって、でも、今がいちばん楽しいし、これはライヴで毎回伝えてるけど。 考え方ひとつで、人生のピークはこれからやってくるから。 えもちん。福岡のライヴで待ってるからね!
day#016、家に帰る
7月22日 月曜日 晴れ 苫小牧から19時間、フェリーで死んだよう寝て(あっという間だった)、大洗から177キロ走って、16日ぶりに家に帰りました。 16日間、ライヴ5本、約3000キロの旅でした。あらためて、各地で出会ったみなさんに深い感謝を。 しかし、この暑さは尋常じゃないね。年々暑くなってるのは間違いないと思われ。北海道ですら、涼しいと感じることが減ったし、蒸し暑い北海道(道央でだよ)も何度も経験。地球の行く末が心配になる。 そんな中、化石燃料を撒き散らして、内燃機関で走って、申し訳ないと思いつつ。素晴らしい旅でした。受け取ったインスピレーションを胸に、これからしばらくの間は作曲に集中します。なので、しばらくライヴはやりません。 昨日も同年代が北海道でバイク事故で2名亡くなっていて胸が痛いのですが、これはもうなんというか運としか言いようがないんだけど、、、、。なにより安全第一です。安全を担保するのは流れに乗りつつ飛ばしすぎないこと、車間を保つこと、危険なものには近寄らないこと、過信しないこと。 事故に遭った2人ともグループで走ってたそうで。オレが常に1人なのは、誰かに合わせるのはすごく難しいんです。性格も走り方も、ライン取りも違う。上手い人の後ろから学ぶこともあるんだけどね。 久しぶりに鏡で顔を見たら、違う顔になってました。ちょっとだけ風雪に耐えた漁師みたいな。 さ、まずはバイクを綺麗にして、居なかった間のもろもろを片付けます。
day#015、旅の終わりに
7月21日 日曜日 天候不明 苫小牧港で大洗行きのフェリーを待っています。乗船して19時間、ネットにアクセスできないので、今のうちにblogを予約投稿しておきます。 北海道旅。素晴らしい経験でした。 最終日はトミーの家がある旭川から一路、沙流川に沿って、二風谷へ。 ずっと萱野茂さんをリスペクトしてきたのです。たくさん本も読んできたし、どうしても行ってみたかった。聖なる沙流川の二風谷部分にダムが建設されたことも知っていました。なので、複雑な気持ちで向かいました。 思った通り、萱野茂さんの資料館と新しく建設された「二風谷コタン」という建物があって、類推だけれど、原発などの近くにある啓蒙施設のように、聖地にダムが建設されることと引き換えに建てられたのだろう、と。 でも、障害のある方が雇用されていたり、そのおかげでアイヌ文化が継承されている側面もあるのだろう、と。わたすはどうしてもひねくれているので、「ウポポイ」に行く気にならないのです。 萱野茂さんの施設は古びているけれど、展示品の数々はぐっとくるものがありました。「熊送」は特に。キムンカムイ(熊)は神なんです。彼らが大地とともに生きてきた姿を想像するだけで胸が震えます。ほんとうに、豊かな文化です。 トミーが昨夜見せてくれた映像。30年前の僕らの姿。自分でいうのもなんだけれど、まっすぐな青年たちが映っていたのです。1ミリもブレることなく歩いてきたことに、妙な感動を覚えました。これは関係者に連絡を取って、Youtubeにアップして、みんなに見てもらいたいと思います。 さぁ、家に帰るまでが旅。明日は気をつけて帰ります。 道中出会ったたくさんの人たち。ほんとうにありがとう!!