うどん県高松市にて

5月26日 日曜日 晴れ 

 等しく人には生きる権利が与えられてる。

 ならば、寝る前に今日あそこをこうしておけばよかった、みたいな想いが一ミリも残らないように全力で生きること。

 できることはたぶん、それだけ。それを日々積み重ねていくだけ。

 うどん県で歌いながら、こみ上げてくる想いはほぼ、それだけだった。前からそう思っていたし、そうやってきたけれど、今週月曜日の経験がさらにそれを加速させたんだと思う。

 なんであれ、チャレンジしている人が好き。高松の魔界、ラフハウスの今城くん。彼は生涯の友人。なぜなら、彼はチャレンジャーだから。彼のお腹には夢と希望が詰まってる。笑。

 また来年帰ってくるからね。たくさんの愛。

 毎年会うはなちゃん(小学校4年生)がどんどん大人になっていくのが、おじさん、たまらん。笑。オレも大人になる。

カテゴリー: 未分類 | コメントをどうぞ

うどん県へ

5月25日 土曜日 晴れ

はてさて。

更新滞って申し訳ないっす。でもまぁ、文章書くのは好きだけど、書くのが憚られる内容だったがゆえ、ご理解ください。誰かに書けと言われたわけじゃないし、書かなくて誰かに責められるわけでもない。でも、書かずにはいられなかったのです。

近年の戦争では自律型AI兵器というものが使われるらしい。簡単に書けば、安価なドローンが標的を自主的に判断し、攻撃し、殺傷する。要するに遂に機械に滅ぼされるわけです。人類とはかようにアホなのです。生きようとする人がいれば、殺そうとする人がいる。

ランニング中にときどきyoutubeの音声だけ聴いていたりするんだけど、若い世代は喋りに「間」がない。時短のために1.5倍速で聴いていたりするのだと。これも長年のテレビの弊害なんだろうなぁ。

僕は言い淀みの中にある言葉にぐっとくるんだけどなぁ。言葉と言葉の間に真実はあるし。いつだったか、テレビのニュース(NHKだったと思う)を旅先で見てたら、「それではここからはAIがお届けします」って確かに言った気がする。じゃ、なんのためのアナウンサーなんだって。

怖すぎるよ。

そういうことは完全にシカトして、自分の信じる道を行け、と。うちなる原始人が言うのです。このシリーズまではやむなく新幹線に乗るけど。

んなわけで、明日はうどん県、明後日は高知へ。四国もバイクがいいと思うんだよなぁ。笑。

みんなに会えるのを楽しみにしています!あ、明日の高知新聞に載るそうです。声援ありがとう!とっても嬉しいよ。

 

そうそう。プレイリスト#018更新したよ。ポール・サイモンと小坂忠さんだよ!

カテゴリー: 未分類 | 4件のコメント

能登に行く(後編)

5月23日 木曜日 晴れ

熊ちゃんの後援会長の案内で珠洲市を目指します。

珠洲市はかつて僕がテレビ出演などのたびにお世話になっていたカリスマ美容師の出身地。髪をセットされる間に故郷のいろんな話を聞いていましたが、やっぱり自分の目で見ると、想像していた「珠洲」とはぜんぜん違います。僕は先端が好きで、世界の端っこの町をたくさん旅してきました。珠洲もLands Endにふさわしい楚々とした端っこの町でした。聞くと主要産業は農漁業。大きな工場もなく、高齢化が進む海沿いの2万人弱の小さな町でした。

聞きしにまさる家の崩れ方でした。後援会長の話では輪島とは違う揺れ方をしたので、このようなことになったのだろう、と。津波も相まって、筆舌に尽くしがたい状況でした。そして、こちらもまた、国からの復興の予算の全力さはまるで感じられませんでした。

 

珠洲市の模様は動画で撮影したので、どこかで見ることができるようにしなければ、と。blogには重たくて貼れないのです。

 

税金をいったいどのように使うのか。国民にはそれを監視する義務があると思います。いったいどれだけの無駄な金が無駄なことに使われているのか。そのアホな政治家を選んでいるのはいったい誰なのか?苦しんでいる人たちのために、なぜその金は早急に使われないのか?

珠洲市の家の70%が被害を受けたのだそうです。そして見るところ、町を構成しているのは多くが老人たち。つまり復興するのはとても難しい。自治体単体でそれを成し遂げることはあまりにも難しい。国策でしかありえないと思うのです。

 

それから僕らは輪島市の黒島漁港へ。海底が隆起して、剥き出しになっています。防波堤はせり上がり、海底の岩肌が見えます。隆起は広範囲にわたっていて、漁港として使うことはおおそよ不可能だと思われます。

砂地の場所では液状化もひどく、道路がうねり、マンホールが浮き上がっているのをたくさん見ました。これもまたおおよそ、信じ難い光景でした。

 

写真で伝えるの難しいです。

砂地がすべて海底だったのです。

広範囲に渡っています。

 

 

最後に熊ちゃんが活動のベースにしている門前町のボランティア・センターを訪ねました。メロメロポッチに一旦集められた物資はそこからこの場所で運ばれて、必要な家庭に配られます。この日も見覚えのある名前(僕のblogのコメント欄によく書き込んでもらっている名前だったので)の方から送られた調味料を一緒にこの場所に運びました。実感として、このようにみなさんの気持ちが還流し、機能していることを知れたのは嬉しいことでした。

センターは地域の中で確実に機能していました。倉庫の中には貸し出すための工具類から食器、衣類、米をはじめとする食料、調味料、マンガ本までが整然と揃っています。常駐しているボランティアの面々も日本中から。なにより、若い!!目が輝いてる。人って必要とされると、生き生きとするんだってことがよくわかります。

町の人にとっても、このような存在が支えになっているのがわかります。僕と同年代のお母さんがシャワーを借りにきていました。車で20分走ればお風呂はあるんだけれど、毎日払うその600円がしんどいのだそうです。ここでも、未だ満足に水が使えない状況です。元旦に震災が起きたとき、とっさにお母さんのお母さん(つまりおばあさん)を守るため自分の身を呈しておばあさんにかぶさったなら、さらに息子さんがその上にかぶさってきた、と。つまり亀のような親子三段重ね。笑いながら教えてくれましたが、おばあさんはその後、亡くなり49日を終えたところだと。お母さんは泣いていました。震災関連死かどうか、立ち入って聞くのは憚られましたが、彼女は国に見捨てられたように感じている、と。この状況をぜひ、伝えてください、と託されました。

このようなことがあちこちで起こっているのだと思います。大きな事業は民意で国を動かし、国策でやるしかないと思いますが、僕らにはこころのケアも含めて、やれることはたくさんあると思うのです。あのお母さんが穏やかな気持ちでいれるように、また僕は訪ねていきたいし、自分がやれることをやろうと思います。

整然と物資が揃っていて、町の人たちが気軽にやってこれる明るい雰囲気です。

全国からやってきたボランティアの若者たち。

目が輝いていて、おじさんは感動しました。素晴らしい!

食糧はもちろんのこと。

工具もあります。

マンガ本まで。

 

衣類なども豊富に揃っていて、女性の気分転換には最高だと思いました。

そのボランティア・センターには姫路のせんべい屋さんの善意によって、人々の移動用、物資の運搬用にワゴン車が無料で貸し出されていました。大活躍です。けれど、車検と修理が至急必要でその費用を捻出できず困っている、と。その現場にたまたま立ち会ったので、MY LIFE IS MY MESSAGEがその費用を負担するのはどうだろう?と提案し、受け入れてもらいました。もろもろ調整は必要だけれど、僕らに想いを託したくれた人たちにとっても、目に見える形でその志が役に立っていることを感じてもらえるのはいいのではないか、と。

このワゴン車です。

姫路のせんべい屋さんから無償で貸し出されています。

 

費用は車検も合わせて18万4563円です。さっそく送金させていただきました。みなさんの想いを載せて、これからも能登で活躍してくれると思います。今後も熊ちゃんたちと力を合わせて、この門前町のセンター、インスパイヤベース(長とは残念ながら会えなかったのですが)をサポートしていけたら、と思います。

 

 

長くなりました。以上が僕の主観に満ちたレポートです。たった半日で駆け抜けただけの印象です。誤解や間違いもあると思います。

ただ、ひとりでも多くの人に、能登の人たちの気持ちを自分のこととして感じて欲しくて書きました。これからも仲間たちとできることを探していきたいと思います。

なによりも、僕は能登が好きになりました。新しく出会った人たちに、また会いに行こうと思っています。

カテゴリー: 未分類 | タグ: | 12件のコメント

能登に行く(前編)

5月22日 水曜日 晴れ

ようやく能登に行くことができました。その報告です。長くなりますが、一読していただけると嬉しいです。一個人として、主観に満ちた文章として。

長いので二回に分けて掲載します。文責はすべて山口洋にあります。

 

2月18日に個人的に金沢までやってきましたが、能登に行くことは憚られる状況でした。深く考えましたが、今は後方でできることを探した方がいいと判断して、僕らのサポートの拠点となっている金沢の魔界、メロメロポッチに物資を送り、集め、全国からの気持ちも送ってもらい、そこから必要に応じて、彼らのネットワークを通じて、能登に届けてもらうことにしました。

元旦から5ヶ月と20日。ほぼ半年です。今回、金沢で演奏するにあたって、自分の目で見る機会がようやく来たと判断しました。金沢で僕が長年ライヴをやらせてもらっている魔界、メロメロポッチのオーナー、熊野盛夫くん(以下熊ちゃん)は金沢市議でもあり、地元に根ざした志のあるネットワークを長年かけて築いています。

 

にしても。物見遊山ではないわけだから、大義名分は必要で、この震災をきっかけにネット上で知り合った輪島塗の職人さん、(ときどき現地の声として、輪島の状況を伝えてくれた方です)に通販でオーダーしてくれた僕の本を秘密裏に届けにいくというミッションを自分に課すことにしました。彼は能登の郵便事情を鑑みて、オーダーしてくれたものの、それが改善されるまでこちらで保管していてほしいと要望を受けていました。

今回の能登行きの野郎どもは4人。輪島にルーツを持つ熊ちゃん、能登半島のコンビニに配送の仕事をしていて現地の状況に詳しい熊ちゃんの後援会長、大阪から来てくれた旧知のAさん、それに僕。野郎どもの目、8つで見て回ります。ちなみに熊ちゃんと後援会長は何度も現地に足を運んでいます。Aさんと僕は初めて。

僕は日本中、というか世界を旅してきました。なので、地理感覚は優れている方だと思います。ただし、能登半島には足を踏み入れたことがなかったのです。それゆえ、地図上の感覚だけで能登半島を知覚していました。

 

 

その感覚がほぼズレることはないのですが、稀に外れます。たとえば、アメリカ大陸を横断して、その規模を体験して、仰け反るとか。北海道もそうですね。ほんとうに大きい。

初めて訪れた能登半島は道路事情の悪さを差し引いても、自分の地図上の感覚の5倍はありました。つまり、広大で多様性に富んでいるってってことです。「能登半島」と一括りにはできない。

実際、朝8時半に集合して、20時20分の新幹線に乗るまでの約12時間、90%は移動に費やしました。そのくらいの距離感だってことです。中能登、奥能登、きっとみなさんが想像しているより、はるかに広大です。市町村(集落)は離れて存在していて、それらを繋ぐ道路は復旧が進んでいるとはいえ、十分に留意して運転する必要があります。僕も運転しましたが、道路の陥没、隆起、崩落が激しくて、とても気を使うし、疲れます。

 

 

金沢から「のと里山海道」で輪島を目指します。進むにつれて、道路状況は確実に悪化していきます。これまで災害でいろんな道路を見てきました。阪神淡路で横倒しになった高速道路、東日本大震災で津波に襲われた道路、熊本地震で崩落した阿蘇大橋。それらとはまた違ったえげつない、道路の崩落状況でした。写真も動画も撮影しましたが、それらでは到底伝えることができない状況なのです。

 

この写真じゃとうてい伝えきれないのです、、、。

現在は「のと里山海道」を通って輪島まで行くことができますが、それは行きのみで、帰りは一般道に迂回するしかありません。その理由は走ってみて理解しました。あちこちが崩落して、2車線確保することができないのです。5ヶ月経過して、この状況なのだから、震災直後の状態は想像を絶します。つまり、動脈と静脈と毛細血管、それらすべてを断ち切られた状態だったことが容易に想像できます。しかも、元旦。帰省されていた人々もたくんいたことでしょう。住んでいる方も含め、金沢など近隣の大都市に避難することが困難な状況だったと思います。点在する海沿いの集落は確実に孤立していたでしょう。

素人なので、確たることは言えませんが、この信じがたい崩落は震源地が近すぎたことによる揺れの激しさと、もともとの土壌に起因する気がします。見るところ、砂地や赤土が多く、岩盤を目にすることがありませんでした。地名にも「穴水」など、水脈を連想させるものがあって、それら複合的な要因があったのではないか、と。本震は102秒の揺れだったそうですが、それは数分にも感じるほどの恐怖だったと。実際、102秒後の世界はこれほどまでに変わってしまうのだから。

道を完全に復旧するには途方もない時間と金と労力がかかると思われます。だいいち同じように作れば、また崩落する危険性もあるわけだし。後援会長によると、毎日同じルートを走っているので、未だ水分を含むと道がズレるんだそうです。そして、復旧作業に従事されている人々に敬意と感謝をはらった上で、国が全力をあげて復旧に取り組んでいるか、と問われるなら、実感として、それは否です。

僕は阪神淡路と福島と熊本を自分の目で見てきました。熊本地震では自分の家が半壊しました。それゆえ、どの程度復興に力が入っているかどうかは実感として理解できます。ちぎれた動脈の先には人々の暮らしがあるんです。

加熱していた報道も今はない。国民の多くはもう忘れてしまった。報道されるのは大谷選手の元通訳のことばかり。そんな意味では、国、マスコミの責任は言うまでもなく。でも、国民の無関心がこの状況を作りだしているとも言えると思います。

ここがあなたの故郷だったら、どう思うのか?どうするのか?その視点が決定的に欠けている。住民のみなさんが「国に見捨てられた」と感じても仕方がないと思います。未だに水が出ないところがあるって信じられますか?

なによりも、志賀原発で大事故が起きなかったこと。この原発はこれまでも臨界事故を隠蔽してきました今回も油漏れの事故が起きています。

それは運が良かっただけじゃないのか、と。

僕らは福島からいったいなにを学んだのか?こんな世界を子供たちに遺していいのか?と。それは僕自身への問いかけです。

 

金沢から3時間弱で輪島に着きました。ここは熊ちゃんのルーツなので町の成り立ちなども含め、詳細に教えてくれます。なぜ、この町で漆器が作られるのか?それは気候に起因するんだそうです。たくさん話を聞いたけれど、今回は割愛します。

輪島の家並み。総じて、都会のペカペカな家とは違って、でっかいんです。立派です。僕は元の輪島を見たことがないけれど、震災前なら、それは立派な街並みだったと想像できます。飛騨高山のように、おそらく景観も考えられ調和していて、大型郊外店のヒドい看板もあまりない印象です。

ただ、大きな家がゆえ、揺れと瓦の重みで崩壊するとその被害はさらに甚大に感じてしまいます。熊ちゃんのおばさんが震災直後に電話で繋がったとき「輪島は終わった」と伝えたそうですが、その言葉の意味が5ヶ月経過した今でも理解できます。

 

 

まずは輪島塗の職人さんの家を訪ねます。おそらく、お仕事中だったのか、と。彼の家の周辺も、聞かされていたレポートより遥かにひどい状況でした。あの冷静な言葉の数々をこの状況で書かれたのか、と。頭が下がる想いです。

1月28日 http://no-regrets.jp/wordpress/?p=34626
1月30日 http://no-regrets.jp/wordpress/?p=34638

でも、僕らは震災がなければ、こうやって会うこともなかったわけで、それはこれからの希望であり、光です。彼の暮らしの中で、僕らの音楽が鳴っていたのであれば、ミュージシャン冥利に尽きます。彼はこう言いました。「来てくださって、ありがとうございます。珠洲はもっとひどいので、できれば行ってみてください」と。

やっとお会いできました!

 

その言葉で、僕らは能登半島の最先端、珠洲市まで行くことにしました。

そして職人さんから、こんなメールをいただきました。静かで強い決意に満ちた文章で、とてもこころに響きました。

———

災害の当事者となり、「満月の夕」の曲について、今までとは歌詞の意味合いを感じる部分に変化がありました。

再生の歌、私も一表現者として、工芸の表現で作ってみたいと思い、自分の表現方法で制作を進めています。

現状について悲観も楽観もなく、ただ自分の心の安定のため作り続けていくこと、

そして自分と家族の生活が整えば、また他の人を支える気持ちも出てくると考えて、復旧・復興を静かに見つめていきます。

———

珠洲市へ行く前に、熊ちゃんと後援会長の案内で、朝市がかつてあった場所へ行きました。

さんざん報道されているので、目にした方も多いと思いますが、いざ自分の目で見てみると、まるで戦場のようでした。ここはガザなのか?と錯覚を起こしそうな風景。未だ焼けた臭いが漂っていて、僕らのような人間以外誰もいない。かつて賑わったであろうこの町の名物であった場所には復興の「ふ」の字もありませんでした。

正直、このような写真を撮るのも、掲載するのもこころが痛いのです。でも、伝えてくれ、と現地の人に言われたからには伝えるために掲載します。

(後編に続く)

 

 

カテゴリー: 未分類 | タグ: | 5件のコメント

石川県金沢市にて #008

5月20日 月曜日 雨 

 長野のホテルで目覚めて、後ろ髪を引かれながら一路金沢へ。

 近江町にかつて存在した魔界、メロメロポッチが移転して、何度目のライヴだっけ。

 町には町のハコがあって、町のシンガーがいるべきで。杉野くんは病気で5年のブランクがあるけれど、その才能は言うに及ばないだけの素晴らしいものがある。その復帰ステージも兼ねてるからね、今日は。

 体験してくれた人はわかると思うんだ。オレが伝えたかったこと。言語化不能だよ。それ、意味ない。オレも全力でやったし。だから、良かったら体験した人はコメントで感想を補足しといて。正直、目の焦点が合わないし、文章を書く気力も残ってない。笑。

 町に必要なハコ、そしてシンガーたち。金沢が誇る杉野くんとTAKUちゃん、一緒に空間をクリエイトできて、とっても俺は幸せだった。

 来てくれて、ありがとね!!!

カテゴリー: 未分類 | 5件のコメント

長野県長野市にて #007

5月19日 日曜日 晴れ 

 さぁ、大好きな長野に行こう。

 ところがどっこい、新幹線の架線に農業用のビニールが絡まったとかで、不通。OMG。

 東京駅で既に2時間遅れ。わたすのチケットは「えきねっと」ってやつで(これね、JR東海はスマートEXなんすよ。ほんと、殿様商売もいい加減にしろって)iPhoneのsuicaと紐づいてる。デジタルのチケットは乗変を自分でできるのが売りのくせして、こういう事態になると何の案内もなく、しかも乗変は不可能。

 んなこと知るかい。オレのせいじゃない。このまま、自分の便を2時間遅れで待ってたなら、ライヴに遅刻することになる。

 なので運転再開した新幹線に勝手に乗り込んだ。おまけに全席指定。オレの席があるわけもなく。上野、大宮を通路でやり過ごして、空いてたグリーンにようやく座った。だって、オレのチケット、グリーンだったから。そこに車掌。事情を説明したら、この席を確保してくれた。話わかるじゃん。

 でもね。やっぱり自力で移動する方が好きだな、オレは。ちょっと考えるわ。

 長野。ネオンホール。

 木の響きがする大好きなハコ。若いエンジニアも素晴らしく腕を上げた。あとは用意されたキャンパスに思いきり絵を描くだけ。

 今日は長野で福山くんが2daysなんだって。だから何?それはそれでいいじゃん。オレは裏通りが好きな住人たちを人力で宇宙に連れていくだけ。

 総じて、とっても愉しかった。旅をしながら、新しい曲を仕上げていくことにようやく取りかかれた。61箇所回った頃には新しいアルバムができてるといいな、と真剣に思ってる。

 アリーナを埋め尽くしてくれて、ありがとう。みんなに会えて嬉しかったよ。

 明日は金沢。みんなに会えるのを愉しみにしてる。

ついしん

 昨日(だっけ?)書いた8/15のチケット。ものすごい売れ行きだそうで、早々とSold Outになると思われ。急ぎどうぞ。

カテゴリー: 未分類 | 10件のコメント

力を抜いてみよう、長野へ

5月18日 土曜日 晴れ 

 さてさて。今日は長野へ。大好きなネオンホールです。みんなに会えるのを楽しみにしています。旅の模様はインスタのストーリーズで。ようやく旅をしながら、新しい曲を仕上げる実験に到達しそうです。

 ギターの演奏について、教えてくださいとよく言われます。僕は100%我流なんで、人様に教えられることなんてないのですが。ひとつだけ。

 力を抜いてください。楽器を弾くのに力は不要です。

 楽器を弾いて疲れるのであれば、どこかに必ず無駄な力が入っています。それ、Lifeと同じです。力が入っている場所は、指板を押さえているポイントのみ、必要なときに「キュッ」とワンポントで力を入れているだけで、あとは基本脱力です。まず、肩を脱力、腕を脱力、手首を脱力。ブラブラのぐにゃぐにゃでいいんです。

 弾く方の手も優しく。ギターを女性だと思って弾いてください。女性を乱暴に扱いませんよね?フランス語で言うところの女性名詞です。低音はヒット&アウェイ。優しく触って、すっと離れる。バスドラムなんかも同じです。力じゃないんです。高音は指やピックの角度を変え、ついでに気持ちも高音にします。ほんとです。ジェフ・ベックを見てたら、ほとんどタッチだけで音を変化させてるのがよくわかります。

 ベーシストであれ、ギタリストであれ、ドラマーであれ。なんであれ、みんな力入りすぎ。それが蔓延しているので、影響されてデフォルトになってるんです。

 野球のピッチャーに例えると。どんなに優れたピッチャーでも9回全力では投げられません。オレ、ダブルヘッダー投げたことあるんですけど、一週間は動けなくなります。なので、通常は6〜7割で投げておいて、ここぞってときにマックスの力を出します。それと同じです。試合も、ライヴも、Lifeも。同じところにつながってると思うのです。

 脱力が一番難しいんだけど、人前で2時間を超える演奏をしようと思ったら、必然的にそうなったいきます。なので、部屋で弾くより、大好きな人の前で弾いてみてください。家族でもいいし、ペットでもいい。その人のためにと思ったら、音のベクトルが自分には向きません。たいてい、演奏してるときに「失敗したらどうしよう」とか「上手く思われたい」みたいなエネルギーが働いています。あなたが失敗しても、世界は終わりません。なことより、楽器から愛のエナジーを噴出させてみてくださいまし。

 ぜひ。

 僕はいつも内なる原始人から演奏しています。

カテゴリー: 未分類 | 5件のコメント

信念は羅針盤

5月17日 金曜日 晴れ

高校3年になって、受験勉強のおかげでバンドは誰もいなくなった。仕方がないから、オレは自分の高校の中でバンドを続けることを諦め、近所の高校に顔を出して、骨がありそうなやつを探した。高校を出たら、バイトしながら音楽を続けるつもりだった。

でもまぁ、いろんな曲折があって、三流芸術大学に行くことになって、絵を描くことになる。入ったその日から猛烈な違和感。教授と呼ばれる人たちは大学に腰掛けながら、自身の個展なんかをやっていたりして、確かにアーティストとして生きていくのが大変なのは理解できるけど、んな作品がこころを打つはずもなく、逆説的にどう生きるかを教えられた。簡単に書けば、覚悟しろってこと。

それゆえ、曲がり角にきたなら、敢えて困難な方を選ぶようになる。たぶん、それはおおまかに言って間違ってはいなかった。

信念だけが羅針盤。

たとえば、昨日見かけたこの人たち。誰か知らないけど、ちゃんと自分を信じてる。とっても覚悟を感じる。周囲がどう思うかなんて1ミリも気にしてないのが素晴らしい。そういう考えが表現に余計なバイアスをかけるのだ。

 

YouTube Preview Image

 

 

旧知のSaicoちゃんからオファーをもらった。その時期、山の家に帰っていたかったけど、彼女は「どうしても8/15にやりたいんです」、と。その言葉に「覚悟」を感じたから受けた。人を動かすって、そういうことだ。短い人生、意味のないことはもうやりたくない。

明日からソロツアーに復帰。迷わず、ぜひぜひきてください。長野と金沢。#007と#008なんだけど、第3レグだと思っています。

 

各地からのオリヅルラン成長情報、ありがとう。すくすく育っていて嬉しいっす。それぞれの家の顔になっているのが素晴らしい。他人と比べることないんす。そのうち、一挙に紹介するので、

hw.noregrets@gmail.com

まで、写真送ってくれたらうれしーっす。えっと、お住まいの地域しか載せないので、神奈川県川崎市みたいな感じで教えてください。

 

カテゴリー: 未分類 | 3件のコメント

慰労会

5月16日 木曜日 曇り

詳細は記さないけれど、ひとつの大きなプロジェクトが山を越えました。なにせ、8年がかりだったので、山も谷もありました。僕ひとりではまったくどうにもならなかったのです。

全力で支えてくれた仲間たちに感謝を伝えたく、わたくすがホストとなって慰労会を企画しました。つっても、オレは立案しただけで、煩雑な事務作業は仲間がぜんぶやってくれたんだけど。

そのプロジェクトの打ち合わせは「くにたち」や「立川」で行われることが普通でした。仲間が居住しているのがそのあたりなので。でも、今回はほんとうにゆっくりとこころを込めて慰労したかったんです。

ふと、以前宿泊したことのあるホテルを思い出したのです。東京都とは思えない緑と蛇行する多摩川の源流近くの丘の上にぽつんと立っている某ホテル。

昭和の遺物感満載で、インバウンドもここまではやってこないはず。部屋は畳なので、宴が終わったら、部屋飲みも可能。温泉もあるし、新緑も素晴らしいし。

もーすんばらしかったっす。ちっとも洗練されてない感じが。かと言って、不快ではまったくなくて、居心地最高。食事を選んでくれた仲間が華美なものではなく、簡素なコースにしてくれたのもよかった。メインディッシュなし。笑。それぞれに大人なので、バラバラに集まってくれて、それぞれに温泉に入ったり散歩したりして愉しんでくれて、お客さんもジジババしかいなくて、それもまた良かった。たぶん、オレたちが最年少というありえない状況。

食事だけでも十分に楽しかったけど、部屋に戻って、全員参加で部屋飲み。各自、好きな酒をなにも言わなくても持参。おつまみも。プロジェクトのケーキや、Tシャツまで!かの俳人も参加してくれたので、俳句付き。笑。

ほんとうにタフな世界を生き抜いてきた仲間たちなんで、真面目な話もしたけど、ずーーーっと笑ってた気がするな。

このホテル、何度も泊まったけど、仕事の宿だったので、温泉にすら入ったことがなかったのです。でも、ほんとうに好きになったんで、疲れたら癒されにくることにしました。しかもね。とってもリーズナブルな値段なんです。これはみんなに教えちゃおうかなぁ。経営うまく行ってほしいもんなぁ。

でね。あまりにも楽しかったので、来年も開催することに。笑。地元の仲間たちも呼んで。

トシを取るって悪くないよ。

朝。多摩川の河原で、学校をさぼった高校生のカップルが遊んでてて。みんなでそれを眺めながら、自らのセブンティーンを思い出したりしてね。笑。俳人、一句詠んでくれました。

A寸前高校生の水遊び

オレ、ストーンズの「Memory Motel」を聴くと、あの娘とデートしたあの砂浜の夏の足の裏が熱かったことまで思い出すんよね。ははは。

みんなで御岳の名物蕎麦を食べて、家路へ。

いい時間だったなぁ。仲間は最高。さぁ、明日もがんばろう。

 

これ、東京都だよ!信じられる?

カテゴリー: 未分類 | 3件のコメント

太陽の塔

5月14日 火曜日 晴れ

昨日は1日中激しく雨が降っていたので、ランニングは中止。

そんな日は筋トレルームのエアロバイクを漕いでます。ハムスターみたいで冴えない風景なんだけど、走れないものは仕方ないし。ランニングより時間がかかるので、漕ぎながら映画を見ます。

岡本太郎さんのドキュメント「太陽の塔」。彼には多大な影響を受けてきました。映画での描かれ方には?なとこもあるけど、彼のスピリットはまぁ、とにかく、とんでもなく素晴らしい。いつだって1ミリもブレることなく素晴らしい。

70年の万博のとき、福岡に住んでいた同級生の半分くらいは行ったのかな。もちろん僕も行きたかったけど、うちの親が連れていってくれるはずもなく。笑。そのときから、今日に至るまで起立し続けている唯一の塔。太郎さんがそこに込めた想いに激しく打たれるのです。

僕らを見守り、試し、そして励まし続ける、時代を超えた覚悟。内なる原始人。ほんとうは誰もが持っているはずの野生の呼び声。毛穴の中にも宇宙があること、エトセトラ。

僕らはみんな異なっていて、異なっていることによって同じなのだ。って。

コンプライアンスと同調圧力が大好きな日本人。縄文のスピリットを忘れるな、と。太郎さんは。

70年の大阪万博のテーマは「人類の進歩と調和」。果たして、その後世界はどうなったのか?太陽の塔はずっと、それを見てきたのです。そしてあの塔だけは誰も壊せなかった。不気味すぎて。笑。

さて。今度の万博のテーマはなんなのか?オレは知らないけど。そういうことに加担する前にやらなきゃいけないことがあるんじゃないの?と太陽の塔は無言で訴えるのです。

本質。あなたが生かされている意味。

機会があったら、ぜひ見てください。

あんな男に僕はなりたい。いや、超えて行かなきゃね。自分のやり方で。

 

えっと。お灸ですが。

これは効く、と体が申します。薬よりはるかに面倒で、手間もかかるけど、これもまた「野生の感覚」。諦めず、向き合ってみるので、また報告します。

 

 

カテゴリー: 未分類 | 5件のコメント