3月8日 土曜日 晴れ
名古屋から福山までの移動日。
港近くのシネコンでディランを描いた「A Complete Unknown」をやっていたので、観に行くことにする。あ、映画を見たいと思ってる人は印象に影響を与えるかもしれないから読まない方がいいかも。
ディラン。
若い頃にとてつもなく影響を受けた。公式にリリースされたものは全部聞いているし、なんといってもソングライティングにおける影響は計り知れない。僕はヴォーカルがライヴの前の日に辞めて、やむなく歌うようになったタイプなので、どう歌っていいのか、まるでわからなかった。それゆえ、ディランとルー・リードを徹底的に真似することから始めた。人前じゃ滅多にやらないけど、ディランのモノマネは宴会芸としてはかなりの領域に達していると思う。
ただし、この人は人としてまったく好きではない。憧れたこともない。ローリング・サンダーレビューくらいまでは人としての興味も少しあったけれど、以降はわずかにあった敬意も薄れていくのみ。ノーベル賞をもらった時点で「もらうんかい!」とわずかな敬意も地に墜ちた。もらっておきながら授賞式に行かないところがいかにもディラン。
だいたいアーティストとして生きておきながら、賞をもらうって発想が卑しい。毎年もらい損ねてる某作家もオレの中での評価は同じ。あれは爆弾を開発した免罪符みたいな賞だからね。もらうのも拒否するもの自由だけど。
つかみどころがない、とか多面性とか、いろんな語られ方をする。でもオバマの前で「時代は変わる」をメロディ通りに歌ったとき、こいつのコンサートには2度と行かないと決めた。
彼のライヴは何度も経験した。一度も感動したことがない。感動したくて通い詰めたとも言える。でも、彼の魂は一度も僕を震えさせてくれなかった。なにせ、これだけ彼の音楽を聞いている僕ですら、何の曲をやっているのかわからないくらいに曲の原型をとどめていないのだ。3番くらいになって一瞬サビの歌詞を把握して、あ、この曲なのね、みたいな。
あるツアーではニール・ヤングに影響されたのか、ギターソロにはまっているときがあった。それがまた最高にイケてなかった。最後に見たツアーではもうギターを弾かなくなっていた。ディランのオルガンは、、、、。言及はやめておく。
ひとつだけ印象に残っているのは。
最後に見たとき。その眼光はもはや人類のものではなく、ちょっと怖かった。鷹のような鋭い目だった。常人には想像できないくらいの人生だったんだとは思う。
きっと最後まで人を煙に巻いて死んでいくんだと思う。ともだちいるのかな?
アーティストは過去を「創造」するってパターンもある。それは捏造ではないのだ。「オレはジプシーのヴァイオリン弾きとつきあってた」という某アーティストを少年時代から知る人が「そんな事実はまったくない」と僕に言い切ってた。でも、彼の中では史実なのだし、それでいいのだ。
映画を見ても、ディランへの印象は1ミリも変わらず。役者が見事なまでにディランで、彼もディランのわけわかんないものが乗り移って、大変だっただろうなぁ、と妙な心配をした。
でもこれだけは伝えておきたい。
楽曲があまりにも素晴らしかった。役者の努力もすごいけれど、役者が歌っても楽曲が素晴らしすぎるのだ。
僕はディランの曲が好きだ。それは一生変わらないだろう。
かつてヴァン・モリソンを紹介してやると言われたことがある。でもね。会わない方がいいんだよ。それは直感でわかる。
あ、ヴァンとディランがパルテノン神殿の前で「クレイジーラヴ」を弾き語ってる映像があるんだけど、それは素晴らしいよ。
それもまた人生。
このトシになると。人として、生き方に影響を与えてくれる人物の方がオレにはたいせつなんだよ。例えば野菜を作る人。オレの中ではディランより偉大なんだ。
そんな歌を歌いたいと思う。今日は福山。大好きなポレポレ。ぜひ、きてね。
あ、開演前に自由軒に行くのもアリ。昨日、いったけど、ほんとうに素晴らしい昭和の遺産だよ。でもポレポレでもちゃんとオーダーしてね。
今日も新しい歌歌うよ。同じ時代に生きてるオレができる唯一のこと。