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山に還る

9月10日 火曜日 曇り 骨の髄まで染み込んだ一楽のラーメンを食べて、大分県某山中の勝手に実家にちょっとだけ寄って、山に還りました。 秋の風の歌、満点の星空、せせらぎの音。何もいうことないっす。ここにいると、ほんとうにこころが穏やかになっていくのを感じます。 長崎、福岡。偉大な先達に感謝を込めて、某曲を演奏しました。オレが歌うのはどうなんだろと思ってたけど、いい曲って、歌い手を選ばないってことを知りました。 愉しんでくれたかな? 都会に帰る日が近づいてきました。ひとつき、なんてあっという間だったな、、。よく働いて、よく飲んで食べて、よく運動して、よく眠りました。あ、たくさん曲を書きました。 正直、ずっとここに居たいっす。    

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#022、福岡にて

9月9日 月曜日 晴れ   生まれ育った町にて。  なんか、もう言葉ないね。生きてきた道のりを感謝をこめて表現するだけ。  その風景を受け取ってくれたなら、それがすべてです。たくさん来てくれてほんとうにありがとう。また、ちょっとだけ山に還ります。  12月にバンドで帰ってくるけんね。多謝$再見。

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故郷にて

9月8日 日曜日 晴れ   長崎。ライヴに復帰するにはとってもいい街でした。  気のおけない仲間のホスピタリティー。ほんとうにありがとう。  昼過ぎに長崎を出て、一路福岡へ。同級生と合流して中原英司を見舞いに。とっても元気そうだったけれど、次のモチベーションをなんとか作らないと、ベッドの上での7年はしんどいにもほどがあると思う。仲間たちと考えている。  お盆にも帰れなかったゆえ、墓参り。  さて。故郷の福岡なのだが。その変貌ぶりに言葉を失うばかり。きっと日本で今いちばん元気でおしゃれタウンなんだと思う。でもね、古くて素晴らしいものは残してほしい。時に流れゆえ、仕方ない部分はあるけれど、好きだった店はほぼ死滅。  若かった僕らがフツーに飲み食いしてた焼き鳥やがぽつんと一軒だけ残っていて、そのままで「安くて、速くて、汚くて」100点。涙出たよ。  さぁ。今日は福岡でライヴ。ぜひ、来てください。   ついしん  モーガン、元気そう。ニッキー・ホプキンスの映画、出てるんだね。見に行こう。

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#021、長崎にて

9月7日 土曜日 晴れ   更新、滞ってすいまそん  自分の身に、「現代ならではの事象」がとつぜん降りかかって、それがなかなかであったがゆえ、一時的に体調を崩してました。匂わせてるわけでもなんでもなく、無事落着して、これは伝える意義があると感じときには「体験」として伝えるので、しばしお時間をくださいまし。  とはいえ、久しぶりのライヴ。勝手知ったる大好きな長崎。友人たちの手厚いサポートにも恵まれて、オレはステージで全力を尽くすだけ。経験上知ってたのです。気持ちを入れ替えていいエネルギーを循環させれば、オーディエンスのみならず、自分も元気になることを。  楽屋に戻ったころには体調もすっかり元に戻り、元気そのもの。日頃から「音楽のイタコ」を自称しているけど、その通りでした。  楽しんでくれたかな?ありがとう、長崎。また戻ってくるけんね。

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ライヴ

9月5日 木曜日 晴れ   はてさて。山での暮らしも終盤が近づいてきました。もうすっかり秋の気配が漂っていて、半袖では風邪をひきそうです。  当たり前のように雨が降り、当たり前のように四季があり、当たり前のように毎晩焚き火をして、当たり前のように満天の星空や雲海に出会える。  それらがまったく当たり前ではないことを学んだ日々でした。  明日は長崎、日曜日は故郷福岡でライヴです。会えるのを楽しみにしています。

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アホは地球を救うのか?

9月4日 水曜日 晴れ   北海道でともだちのケンちゃんに会った。  いろいろあったケンちゃん。昔バイクに乗っていて、また乗りたいっていうから「ユー、買っちゃいなよ、今」ってテキトーなことを真剣に言ったら二日後には買ってた。笑。買ったから、「ユー、九州まで来ちゃいなよ!」って言ったら、台風を乗り越えてほんとに来た。  アホすぎる。  けど。こういう人がオレは好き。来たあげく、オレに「まだマイナスなもの背負ってるから、一人で阿蘇をバイクで走って、それ脱ぎ捨ててきなさい」って。  ケンちゃんの人生のチャプター2がこれから始めるところ。そこに立ち会えてとても嬉しい。  ケンちゃんがマイナスを脱ぎ捨てるのに、オレは付き合わない。そこ大事。だから、さっき一人でバイクで出ていくのを見送った。きっといい旅になるよ。って、今日はここに帰ってくるんだろうけど。  朝。もう一人の巨大なアホに(褒めてます)山から電話した。10年ぶりくらいに彼のアホさに惹きつけられて(引き寄せられて)話をしたら、アホスケール(造語)が巨大すぎて、一度体験してみることにした。  そういうの大事。  さぁ、今週末はライヴ。さっき鏡を見たら日焼けしすぎた横浜銀蝿のギターの人(バカにしてませんよ。誤解なきよう。ほんとに似てたの)みたいになってたんだけど、見た目をどうしたらいいのか、オレにももうわからない。そういう貴重な姿も合わせて楽しんでください。 ついしん  モーガンへのサポート、ほんとうにありがとう!!嬉しいよ。

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久住に登る

9月3日 火曜日 晴れ 早起きして、峰からまるで水墨画のような雲海を見て、久住へと向かう。 父親がフィジカルに元気だった最後の頃、オレは10歳で、無言のうちに星一徹的な教育を受けていた(感謝してる)のです。それは学者だった彼が学問を教えるではまったくなくて、多くは後に「こういうことを伝えたかったのか」と理解できるようなある種アホな哲学的なこと。たとえば、庭にマウンドとピッチャーズプレートを作って、自分はキャッチャーになり、真ん中ではなく常に内角低めに構える、とか。 それは「内角低めに全力で投げ込んで、ホームランを打たれたのなら、それは仕方がない」という彼の哲学に基づいていて。笑。そんなこんなて、弱かったライオンズの救世主となるべく、オレは本気でピッチングに打ち込んだ、とか。笑。 そんな彼が最後に連れていってくれたのが久住だった。もう半世紀も前の話。山ならきっとそんなに変わっていないはず。で、変わったとしたらオレが変わったのだから、どうしてももう一回登ってみたかった。 アメリカの標高4000メートルをスノーボードを抱えて登っていたから、標高1700メートル、10歳のオレが登ったんだし、初心者向きって書いてあるし、大したことないだろう、と。毎月、山形から山に関する冊子を送ってくださるマエストロに学んで、山を舐めちゃいかんと思っていたから、数ヶ月前からギアなどをツアー中の各地で周到に用意してたし。 はっきり言ってね、割ととんでもなかったっす。どこが初心者向きなんって。オレが道を間違えて違うロッキーな山に登ってしまったのもあるけど、これ、リポビタンDのCMやん、みたいなシーンがたくさんあった。てか、10歳のオレに登山靴も与えずここに連れてくる親父って幼児虐待!笑。 登山の「と」の字もわからないから、ひたすら猛進。6時間かかるところを4時間で帰ってきた模様。そっか、もっとゆっくり登るものなのね、、、。 でも、楽しかったんで、ゼロからやり直します。で、親父が60歳のオレに伝えたかったことは「お前はなんもわかっとらん」でした。笑。近々マスターに弟子入りします。でも、還暦すぎてもゼロからやれることがあるってことです。 九州はクマがいないだけ、だいぶ安心します。で、頂上で食べたおにぎり、美味かったなぁ。あと装備を1gでも軽くしたくなる気持ちがよくわかりました。なんで、みんな杖ついてんだろ?って、あれもあったらきっと楽だ。でも、見た目が苦手なんで、まだ買わない、とか。 てかね。ゴミひとつ落ちてないんですよ。九州人、素晴らしい。そしてなによりもあんなところに登山道を整備してくれている人たちに大感謝です。だって、彼らの道標なかったら、遭難するってば。オレ、しんどさにヒーヒー言いながら、黙って道標を作る人になりたいと思いました。 それもまた親父の教えなのね。笑。 閑話休題。 昨日のblog見てくれたかな? モーガンが窮地に陥っています。これは明日の自分の姿でもあります。生活設計がなってないって、モーガンはぜんぜんオレよりしっかりしてたし、懐だってオレよりぜんぜん豊かだった。外国人ゆえ、コのダメージにおけるサポートも受けられなかったのでは、と想像しています。 でも、こうやって伝えてくれたから、できるサポートをしようと思います。いちばんいいのは彼のサロンで、「スウィンギング・ロンドン」の話を聞いて演奏する、ようなことかな、と。だって、ほんとうに目撃者だもんね。あの時代、ジミヘンやフーやツェッペリンやキンクスやストーンズやヤードバーズ、エトセトラ。そんな話はオレが聞きたいし、財産そのものだもんね。 彼はいろんな形で日本の音楽に貢献してくれたんです。イアン・ハンター、アル・クーパーをはじめ、いろんなミュージシャンとオレを繋いでくれました。聞いたことないけど、たぶん流浪の最後は日本に骨を埋める覚悟なのかな、と。それって、同じく流浪の後輩としてはすごい覚悟だなぁ、と思うのです。      

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惨劇

9月2日 月曜日 晴れ 晩ごはんを食べて、まどろんでいる時だった。 年に数回、諸条件が重なったとき、体長数ミリの羽虫が一気に羽化する。さっきまで平和だった家があっという間に地獄絵図と化す。なにせ、このエリアで明かりを放っているのはここだけなのだから、羽化したばかりの羽虫はすべてこの家を目指すことになる。 サッシの隙間かどうやって侵入するのか不明だけれど、すでに侵入者多数、そして天窓に目をやったとき卒倒しそうになった。窓という窓がすべて羽虫で覆われている。たった10分前までは平和だったのに。 降り続いた雨、若干の蒸し暑さ、いろんな条件がパーフェクトに結びついたのだと思う。 俺は翌日、半世紀ぶりの登山を早朝からしようと、弁当の仕込みをするつもりだったが、とんでもない。笑。 でも、かつて数度、羽虫大量発生の経験を積んでいたので、こちらにも打つ手は用意してあった。 外から宇宙に向かって光を放ち。家の電気をすべて消すことによって、羽虫はそちらにおびき寄せられる。書けば、これだけだけれど、空中もまた羽化したばかりの羽虫だらけなのである。羽虫だらけの中に突撃していくのはまじで怖い。 でもまぁ、なんとかやり終えて、今これを書いているのが午前4時。多少の羽虫はいるけれど、驚くことに奴らはもうほとんどいない。これもまたいつものこと。 明るくなったら、累々とした尸の掃除が待っているだけ。 これもまた自然の脅威。なんのために、っていつも思うけれど。とりあえず、弁当は作れないので、麓まで降りてコンビニでなにかを買って、半世紀ぶりの登山に行ってきます。 ほんとうはモーガンのことを書きたかったんだけど、調べ物をしている時間がないので、明日にでも。とりあえず、これを見ておいてくれると嬉しいです。  

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9月

9月1日 日曜日 晴れ 9月とな! 引き続き、迷走台風がとんでもない動きをしているようですが、進行方向にあたる地域の人々は気をつけてください。やつはなにを考えてるのかわからないっす。 こちらは迷走台風がそれなりに空の掃除をしてくれたようで、星空が冬並みにきれいでした。夜は18度で、天の川がくっきり見えました。焚き火と天の川とビール。至福です。最近は動画や写真はインスタに、文章はblogにと棲み分けていたのですが、天の川は載せておきますね。インスタを見れない人もいるだろうから。     山での教訓。僕も都会にいるときは無意識のうちにそうなってるんだけど、光回線とwifiによって、常に連絡や、情報が入ってきませんか?ここにいると、連絡や情報はこちらから取りに行かなきゃなりません。つまり「能動的」に情報を得て、「能動的」に連絡するってことです。都会でかなり無駄な時間を過ごしていたことがよくわかります。 なーんだ、PCをネットにつないでメールに返信するのは1日に1回でいーじゃねーか、と。今までマッハで返信していましたが、発見でした。メールってそのくらいのタイムラグが許されると思います。だいぶ気分が楽です。   僕が生まれる前、25歳だった父親が書き残した文章を発見しました。これがなんというか、血は争えないというか、かなり自分に似た資質があって、なんともほっこりしました。てか、ロマンチストだし。笑。もはや、彼が死んだ年齢よりはるかに僕の方が歳上なので、弟のような気分になります。見事に昭和の文士の文体なんだけど、こころの中では弟的な。彼とは人生でわずか18年しか会っていないし、離れて暮らしている時間も長かったので、わずかな接点しかなかったけれど、blood brothersという感覚は時間が経つほど感じます。なので、肉親を亡くした人もそんなに悲しまないでください。たいせつなものはなにひとつなくなっていないどころか、あぶり出しのようにもっとたいせつなものが、時空を超えて浮かび上がってきますよ。     さてさて。金曜日は長崎へ、日曜日は福岡へ。山から直接降りてライヴです。この山男っぷりはなかなか見れないと思うので、ぜひ来てください。僕も鏡を見て、びっくりしました。おじさんもんちっち山男みたいになってたので。いくらなんでも、もう少しソフィスティケートしておきます。笑。

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ミューズとのつきあい方

8月31日 土曜日 晴れ しつこかった台風はようやく九州を離れた模様。大地の保水力ギリギリ、いつ崩落してもおかしくない状況ではありました。 子供の頃から悪天候フェチで、どちらかというと喜んでこのような状況を受け止めるガキでした。九州育ちゆえ、ものすごい台風も経験したけれど、今回のような性質、動きのものは初めてです。ともだちが言ってたけど、関東でグルクンが獲れるとか、気温の上昇によって我々が生きている間だけでも、環境が激変しつつあるのを感じています。 引き続き、雨に気をつけてください。まじで、しつこいので。 こちらは台風一過とは呼べないけれど、急に秋っぽくなりました。半袖では寒いくらいです。   この夏はどんな夏でしたか? 創作と冒険と労働のワンダフルな夏を目指して、バイクで旅に出て、山で家族と合流しました。基本、労働は僕の担当、ご飯を作ってもらう感じです。毎年その余裕がなくて、山での食生活は貧しかったので、それだけでも嬉しかったです。 え!バイクで2ケツですか?って。違います。笑。わたすのバイクは1200ccもあるのに1人しか乗れません。これは必要な人もいるかと思い、伝えておきますが、長期(1ヶ月とか)借りるととてもリーズナブルに提供してくれるレンタカー会社があるんです。その代わり、店舗もないし、クルマも新型じゃない。でも、まったく問題ないす。ひとつき4〜5万くらいで借りることができます。なので、日産マーチがここにあるのですが、ビビりました。国産コンパクトカーはほんとによくできてる!ガソリン減らないし。レギュラーだし。小回りきくし。で、昨日BMWに煽られました。笑。いろいろ学ぶことあります。ここのガレージに農道のポルシェと呼ばれている、スバル・サンバー(軽トラ)を中古で買って置いておけるといいなぁ、と夢想しています。 閑話休題。 この夏の達成度は70%くらいかな。もうちょっとエッジの効いた感じにしたいです。なにより、まだ山に登れてないし。そんな時間もタイミングもなかったんだけれど。 歌を書くことに関しては順調です。これは完全に友部さんの影響なんだけれど、書くときに考えることをやめました。こう書いたら、あの人はどう思うだろう、とか。もっといい歌を書いてやろう、とか。そういう邪念が歌を殺してしまう。トシを重ねるとなぜ歌を書くのが難しくなるのか、友部さんを見ていて、背中で教えられました。 彼は空中にあるものを捕まえてる。つまりミューズ(詩神)とともだち。 考えたらダメなんです。グッと掴んでパッと投げる。その奥義がやっとわかってきた気がしています。だから、その作業が愉しい。もうアルバムを作るだけの曲数だけは充分に揃ったけれど、もっと書き続けます。曲数じゃなくて、内容が整わないとね。 イメージだけは確実にあって、昔でいうところの46分のカセットに収まる感じです。にゃんとか同時にアナログもリリースしたい。なことを考えております。 あと一人で書き続けるとどうしてもシンガーソングライター的な曲が多くなる。バンドでのグルーヴを伝えるには、やっぱりバンドで音を出す機会を増やさないと、と痛感しています。そういう曲ってジャムってるときにふとできたりするものなので。

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