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能登に行く(後編)

5月23日 木曜日 晴れ 熊ちゃんの後援会長の案内で珠洲市を目指します。 珠洲市はかつて僕がテレビ出演などのたびにお世話になっていたカリスマ美容師の出身地。髪をセットされる間に故郷のいろんな話を聞いていましたが、やっぱり自分の目で見ると、想像していた「珠洲」とはぜんぜん違います。僕は先端が好きで、世界の端っこの町をたくさん旅してきました。珠洲もLands Endにふさわしい楚々とした端っこの町でした。聞くと主要産業は農漁業。大きな工場もなく、高齢化が進む海沿いの2万人弱の小さな町でした。 聞きしにまさる家の崩れ方でした。後援会長の話では輪島とは違う揺れ方をしたので、このようなことになったのだろう、と。津波も相まって、筆舌に尽くしがたい状況でした。そして、こちらもまた、国からの復興の予算の全力さはまるで感じられませんでした。     税金をいったいどのように使うのか。国民にはそれを監視する義務があると思います。いったいどれだけの無駄な金が無駄なことに使われているのか。そのアホな政治家を選んでいるのはいったい誰なのか?苦しんでいる人たちのために、なぜその金は早急に使われないのか? 珠洲市の家の70%が被害を受けたのだそうです。そして見るところ、町を構成しているのは多くが老人たち。つまり復興するのはとても難しい。自治体単体でそれを成し遂げることはあまりにも難しい。国策でしかありえないと思うのです。   それから僕らは輪島市の黒島漁港へ。海底が隆起して、剥き出しになっています。防波堤はせり上がり、海底の岩肌が見えます。隆起は広範囲にわたっていて、漁港として使うことはおおそよ不可能だと思われます。 砂地の場所では液状化もひどく、道路がうねり、マンホールが浮き上がっているのをたくさん見ました。これもまたおおよそ、信じ難い光景でした。       最後に熊ちゃんが活動のベースにしている門前町のボランティア・センターを訪ねました。メロメロポッチに一旦集められた物資はそこからこの場所で運ばれて、必要な家庭に配られます。この日も見覚えのある名前(僕のblogのコメント欄によく書き込んでもらっている名前だったので)の方から送られた調味料を一緒にこの場所に運びました。実感として、このようにみなさんの気持ちが還流し、機能していることを知れたのは嬉しいことでした。 センターは地域の中で確実に機能していました。倉庫の中には貸し出すための工具類から食器、衣類、米をはじめとする食料、調味料、マンガ本までが整然と揃っています。常駐しているボランティアの面々も日本中から。なにより、若い!!目が輝いてる。人って必要とされると、生き生きとするんだってことがよくわかります。 町の人にとっても、このような存在が支えになっているのがわかります。僕と同年代のお母さんがシャワーを借りにきていました。車で20分走ればお風呂はあるんだけれど、毎日払うその600円がしんどいのだそうです。ここでも、未だ満足に水が使えない状況です。元旦に震災が起きたとき、とっさにお母さんのお母さん(つまりおばあさん)を守るため自分の身を呈しておばあさんにかぶさったなら、さらに息子さんがその上にかぶさってきた、と。つまり亀のような親子三段重ね。笑いながら教えてくれましたが、おばあさんはその後、亡くなり49日を終えたところだと。お母さんは泣いていました。震災関連死かどうか、立ち入って聞くのは憚られましたが、彼女は国に見捨てられたように感じている、と。この状況をぜひ、伝えてください、と託されました。 このようなことがあちこちで起こっているのだと思います。大きな事業は民意で国を動かし、国策でやるしかないと思いますが、僕らにはこころのケアも含めて、やれることはたくさんあると思うのです。あのお母さんが穏やかな気持ちでいれるように、また僕は訪ねていきたいし、自分がやれることをやろうと思います。   衣類なども豊富に揃っていて、女性の気分転換には最高だと思いました。 そのボランティア・センターには姫路のせんべい屋さんの善意によって、人々の移動用、物資の運搬用にワゴン車が無料で貸し出されていました。大活躍です。けれど、車検と修理が至急必要でその費用を捻出できず困っている、と。その現場にたまたま立ち会ったので、MY LIFE IS MY MESSAGEがその費用を負担するのはどうだろう?と提案し、受け入れてもらいました。もろもろ調整は必要だけれど、僕らに想いを託したくれた人たちにとっても、目に見える形でその志が役に立っていることを感じてもらえるのはいいのではないか、と。   費用は車検も合わせて18万4563円です。さっそく送金させていただきました。みなさんの想いを載せて、これからも能登で活躍してくれると思います。今後も熊ちゃんたちと力を合わせて、この門前町のセンター、インスパイヤベース(長とは残念ながら会えなかったのですが)をサポートしていけたら、と思います。     長くなりました。以上が僕の主観に満ちたレポートです。たった半日で駆け抜けただけの印象です。誤解や間違いもあると思います。 ただ、ひとりでも多くの人に、能登の人たちの気持ちを自分のこととして感じて欲しくて書きました。これからも仲間たちとできることを探していきたいと思います。 なによりも、僕は能登が好きになりました。新しく出会った人たちに、また会いに行こうと思っています。

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能登に行く(前編)

5月22日 水曜日 晴れ ようやく能登に行くことができました。その報告です。長くなりますが、一読していただけると嬉しいです。一個人として、主観に満ちた文章として。 長いので二回に分けて掲載します。文責はすべて山口洋にあります。   2月18日に個人的に金沢までやってきましたが、能登に行くことは憚られる状況でした。深く考えましたが、今は後方でできることを探した方がいいと判断して、僕らのサポートの拠点となっている金沢の魔界、メロメロポッチに物資を送り、集め、全国からの気持ちも送ってもらい、そこから必要に応じて、彼らのネットワークを通じて、能登に届けてもらうことにしました。 元旦から5ヶ月と20日。ほぼ半年です。今回、金沢で演奏するにあたって、自分の目で見る機会がようやく来たと判断しました。金沢で僕が長年ライヴをやらせてもらっている魔界、メロメロポッチのオーナー、熊野盛夫くん(以下熊ちゃん)は金沢市議でもあり、地元に根ざした志のあるネットワークを長年かけて築いています。   にしても。物見遊山ではないわけだから、大義名分は必要で、この震災をきっかけにネット上で知り合った輪島塗の職人さん、(ときどき現地の声として、輪島の状況を伝えてくれた方です)に通販でオーダーしてくれた僕の本を秘密裏に届けにいくというミッションを自分に課すことにしました。彼は能登の郵便事情を鑑みて、オーダーしてくれたものの、それが改善されるまでこちらで保管していてほしいと要望を受けていました。 今回の能登行きの野郎どもは4人。輪島にルーツを持つ熊ちゃん、能登半島のコンビニに配送の仕事をしていて現地の状況に詳しい熊ちゃんの後援会長、大阪から来てくれた旧知のAさん、それに僕。野郎どもの目、8つで見て回ります。ちなみに熊ちゃんと後援会長は何度も現地に足を運んでいます。Aさんと僕は初めて。 僕は日本中、というか世界を旅してきました。なので、地理感覚は優れている方だと思います。ただし、能登半島には足を踏み入れたことがなかったのです。それゆえ、地図上の感覚だけで能登半島を知覚していました。     その感覚がほぼズレることはないのですが、稀に外れます。たとえば、アメリカ大陸を横断して、その規模を体験して、仰け反るとか。北海道もそうですね。ほんとうに大きい。 初めて訪れた能登半島は道路事情の悪さを差し引いても、自分の地図上の感覚の5倍はありました。つまり、広大で多様性に富んでいるってってことです。「能登半島」と一括りにはできない。 実際、朝8時半に集合して、20時20分の新幹線に乗るまでの約12時間、90%は移動に費やしました。そのくらいの距離感だってことです。中能登、奥能登、きっとみなさんが想像しているより、はるかに広大です。市町村(集落)は離れて存在していて、それらを繋ぐ道路は復旧が進んでいるとはいえ、十分に留意して運転する必要があります。僕も運転しましたが、道路の陥没、隆起、崩落が激しくて、とても気を使うし、疲れます。     金沢から「のと里山海道」で輪島を目指します。進むにつれて、道路状況は確実に悪化していきます。これまで災害でいろんな道路を見てきました。阪神淡路で横倒しになった高速道路、東日本大震災で津波に襲われた道路、熊本地震で崩落した阿蘇大橋。それらとはまた違ったえげつない、道路の崩落状況でした。写真も動画も撮影しましたが、それらでは到底伝えることができない状況なのです。   現在は「のと里山海道」を通って輪島まで行くことができますが、それは行きのみで、帰りは一般道に迂回するしかありません。その理由は走ってみて理解しました。あちこちが崩落して、2車線確保することができないのです。5ヶ月経過して、この状況なのだから、震災直後の状態は想像を絶します。つまり、動脈と静脈と毛細血管、それらすべてを断ち切られた状態だったことが容易に想像できます。しかも、元旦。帰省されていた人々もたくんいたことでしょう。住んでいる方も含め、金沢など近隣の大都市に避難することが困難な状況だったと思います。点在する海沿いの集落は確実に孤立していたでしょう。 素人なので、確たることは言えませんが、この信じがたい崩落は震源地が近すぎたことによる揺れの激しさと、もともとの土壌に起因する気がします。見るところ、砂地や赤土が多く、岩盤を目にすることがありませんでした。地名にも「穴水」など、水脈を連想させるものがあって、それら複合的な要因があったのではないか、と。本震は102秒の揺れだったそうですが、それは数分にも感じるほどの恐怖だったと。実際、102秒後の世界はこれほどまでに変わってしまうのだから。 道を完全に復旧するには途方もない時間と金と労力がかかると思われます。だいいち同じように作れば、また崩落する危険性もあるわけだし。後援会長によると、毎日同じルートを走っているので、未だ水分を含むと道がズレるんだそうです。そして、復旧作業に従事されている人々に敬意と感謝をはらった上で、国が全力をあげて復旧に取り組んでいるか、と問われるなら、実感として、それは否です。 僕は阪神淡路と福島と熊本を自分の目で見てきました。熊本地震では自分の家が半壊しました。それゆえ、どの程度復興に力が入っているかどうかは実感として理解できます。ちぎれた動脈の先には人々の暮らしがあるんです。 加熱していた報道も今はない。国民の多くはもう忘れてしまった。報道されるのは大谷選手の元通訳のことばかり。そんな意味では、国、マスコミの責任は言うまでもなく。でも、国民の無関心がこの状況を作りだしているとも言えると思います。 ここがあなたの故郷だったら、どう思うのか?どうするのか?その視点が決定的に欠けている。住民のみなさんが「国に見捨てられた」と感じても仕方がないと思います。未だに水が出ないところがあるって信じられますか? なによりも、志賀原発で大事故が起きなかったこと。この原発はこれまでも臨界事故を隠蔽してきました。今回も油漏れの事故が起きています。 それは運が良かっただけじゃないのか、と。 僕らは福島からいったいなにを学んだのか?こんな世界を子供たちに遺していいのか?と。それは僕自身への問いかけです。   金沢から3時間弱で輪島に着きました。ここは熊ちゃんのルーツなので町の成り立ちなども含め、詳細に教えてくれます。なぜ、この町で漆器が作られるのか?それは気候に起因するんだそうです。たくさん話を聞いたけれど、今回は割愛します。 輪島の家並み。総じて、都会のペカペカな家とは違って、でっかいんです。立派です。僕は元の輪島を見たことがないけれど、震災前なら、それは立派な街並みだったと想像できます。飛騨高山のように、おそらく景観も考えられ調和していて、大型郊外店のヒドい看板もあまりない印象です。 ただ、大きな家がゆえ、揺れと瓦の重みで崩壊するとその被害はさらに甚大に感じてしまいます。熊ちゃんのおばさんが震災直後に電話で繋がったとき「輪島は終わった」と伝えたそうですが、その言葉の意味が5ヶ月経過した今でも理解できます。     まずは輪島塗の職人さんの家を訪ねます。おそらく、お仕事中だったのか、と。彼の家の周辺も、聞かされていたレポートより遥かにひどい状況でした。あの冷静な言葉の数々をこの状況で書かれたのか、と。頭が下がる想いです。 1月28日 http://no-regrets.jp/wordpress/?p=34626 1月30日 http://no-regrets.jp/wordpress/?p=34638 でも、僕らは震災がなければ、こうやって会うこともなかったわけで、それはこれからの希望であり、光です。彼の暮らしの中で、僕らの音楽が鳴っていたのであれば、ミュージシャン冥利に尽きます。彼はこう言いました。「来てくださって、ありがとうございます。珠洲はもっとひどいので、できれば行ってみてください」と。 … 続きを読む

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MLIMMよりご報告

2月22日 木曜日 雨 みなさんの気持ちをうけて、わたくす北陸に行ってまいりました。自分の目で見ないとわからないこと、腑に落ちないこと、たくさんあるので。 その時の模様は2/18のダイアリーに記しているので、ぜひ読んでくださいまし。 MY LIFE IS MY MESSAGEは志だけで運営されている小さなプロジェクトです。でもひとつだけ利点があって、小ささゆえ、即行動に移すことができます。みなさんから寄せられた気持ちをできるだけ早く、意味のあることに還流させることはできます。 2/18のダイアリーでみなさんに使い道について打診したところ、おおむね了承されたと受け取り、以下のような行動を昨日付けで(2/21)起こしました。 事態は刻々と変化していくので、可能な限り求められたことに迅速に対応したいと思っています。今後ともMLIMMをどうぞ、よろしくお願いします! ときどき突っ込まれるので、書きたくないけど、お伝えしておきます。僕の行動の一切にまつわる関する経費は自費で行っています。ご理解くださいまし。 以下、オフィシャルサイトにもアップした文章、ご一読ください。 ありがとう!!   ご報告。 金沢までクルマで行って、状況を確認してきました。 能登半島は未だ、一般人が入ることが躊躇される状況(自治体からも立ち入らないよう要請がでています)です。 何度か重点的にサポートさせてもらっている、僕がいつもソロで演奏しているハコ メロメロポッチを訪ねて、状況を聞きました。 オーナーの熊野くんは金沢市議でもあり、ボランティアNPO(かなざわ志縁隊)の代表でもあり、能登方面への炊き出しを継続的に行っています。店の中は支援物資が積まれていて、草の根の物資流通の拠点になっていました。 能登半島では未だ水が開通していないところがたくさんあって、二次避難をせず、避難所で暮らしている人たちも まだたくさんいるそうです。 そのような避難所での食事は水が使えないため、あたたかい食事はとても喜ばれるので、各避難所からの要請で随時炊き出しをチームを組んで行っています。 一回の炊き出しにかかるすべての経費が100人ぶんで5万円くらいなんだそうです。3月末までには水は開通する予定なので それまではこの活動を続けたいということです。 そこでMLIMMから6回分30万円のサポートをさせてもらうことにしました。 引き続き、状況を見守って、求められるサポートを迅速にやっていきたいと思います。 今後ともどうぞ、よろしくお願いします。 2024年2月21日 山口洋(HEATWAVE) ついしん 僕が気にしている輪島の職人さん(残念ながら今回は会えず)はメロメロポッチの店主、クマちゃんの親戚が師匠なんだそうです。世界は狭いね。てか、繋がっていくね。笑。

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金沢からご報告

2月18日 日曜日 晴れ ようやく、北陸に来ることができました。 いつだって災害が起きると、自分がどこまで踏み込んでいいのか、とっても考えます。あたりまえだけど。今回も地理的な特殊性ゆえ、すぐに駆けつけることはじゅうぶんにためらわれました。 無論、物見遊山で来るわけないけど、性格的に自分の目で見なければ、本質的な行動はできないし、かといって駆けつけて、傷ついている人たちにとって思い入れしかない風景が無残な姿になっているのを写真に撮るなんてこともできるわけがない。 それゆえ、今回は金沢で僕がいつも演奏しているハコ、メロメロポッチのオーナー、熊野くん(以下クマちゃん)に相談して、金沢市議でもあり、ボランティア団体も運営している、地域に根ざした太いネットワークを持つ彼に骨を折ってもらい、MY LIFE IS MY MESSAGEのサポート受け入れ先になってもらうことにしました。 なわけで、まずはメロメロポッチを訪ねます。 まず最初に。全国からたくさんのサポートをありがとう! クマちゃんの店は3/1くらい全国からの支援物資で埋め尽くされていて、そこにわらわらとお客さんがやってきて、名物のよく煮込まれたカレーを食べながら、階上ではハードロックの練習をしているバンドがいて、能登の人たちがときどき必要なものを取りにくる。相変わらずのカオスな状況で安心しました。 以下、クマちゃんが僕に伝えてくれたことです。伝えている時点で僕の私見でもあり、文責はすべて僕にあります。 石川県の水道がどのように引かれているのかってことから聞きました。これはけっこう重要な話なんだけど、説明すると長くなるので、割愛。能登では未だ水さえ通っていない場所がたくさんあって、そういう避難所では調理もままならないので、彼らは要請があった場所に炊き出しに行っています。そういう状況に置かれた人たちがなにを食べているかと言えば、カップ麺などだから、炊き出しは非常にありがたい、と。 なので、今必要としているものは 1. 水(3月末には水道状況は改善されると思われるのでそれまでは) 2. コメ 3. 野菜類 4. 調味料(塩、醤油、酒、みりんなど) などです。いったん、物資の受け入れはストップしていましたが、上記のものに関しては炊き出しのネットワークで振り分けて使っていくので、直接クマちゃんのところに送ってくれて構いません。(仕分けの手間を減らすため、賞味期限を確認の上、内容物をダンボールに明記して送ってください) 送り先 〒920-0362 石川県金沢市古府町西113 113番地 メロメロポッチ宛 電話 076-266-0775 で、クマちゃんからの伝言です。これまでは送ってくれた人にお礼の連絡をしていたのですが、数が多すぎて、今はそれをできる状態にないので、すいません!と。 で、ここからは僕からの相談。 MY LIFE IS MY MESSAGEには全国から気持ちがたくさん寄せられています。 一回の炊き出しで、食材、諸経費などすべて含めて、100人分の食事を作るのに5万くらいかかるそうです。上にも書きましたが、あたたかい食事は喜ばれるそうです。なので、みなさんの気持ちの還流先として、まずは5,6回分クマちゃんたちに使ってみてもらうのはどうだろう?と。 ご意見は、遠慮なくコメント欄に。 ———— 富山から金沢にかけて、ものすごく揺れたんだろうと想像できます。でも、失礼を承知で書くならば、金沢はびっくりするくらい平穏で、見たところ傷跡も少なく、いつもの金沢なんです。聞けば先週くらいからインバウンドの人々も戻ってきたそうですが。 … 続きを読む

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クレイジーな日々

2月3日 金曜日 晴れ 引き続き、クレイジーな日々。 巨大な洗濯機の中で掻き回されているような。時々目が回って、縁にしがみついて、また巻き込まれて、みたいな。あはは。 どうやら、いろんなことが限界を迎えたみたいで、あちこちでケアレスミスやポカをやり始めた。自分の器を知る日々。   そんな中、今日、明日とモーガンと実験ライヴができるのはとっても嬉しいです。なにも考えず、どっぷりと音楽に浸ります。     みなさんからMY LIFE IS MY MESSAGEにたくさんの気持ちが寄せられています。ほんとうにありがとうです! みなさんの気持ちをどう現地に還流させたらいいのか、真剣に考え、使い道に関しては、この場所で相談、ご報告させていただきます。  

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1月が終わってしまう、、、/輪島便り

1月30日 月曜日 晴れ 60歳になったら落ち着いて隠居するのではなく、暴走するのだと決めてましたが、こんなにどえらい日々になるとは思ってませんでした。んなもん、被災してる方々に比べたら、寝る場所も食べるものもあって、やりたいことで忙しいので、幸福以外になにものでもないんだけど。 暴走してるうちに一月が終わってしまう。 でもまぁ、クリエイティヴなモードに入る前にやらなきゃいけないことをやっておくのが鉄則なので、暴走HW、2024のあらましをにゃんとか2月の2週末くらいにはみんなにアナウンスできるよう、引き続き暴走します。 書いてませんけど、日々ミキシングもしてますし、空いた時間はモーガンとのライヴの自習(笑)もしています。なにもこんな時期にやらなくても、と思いつつ、モーちゃんも喜んでたので、還暦おじさんもがんばります。まぁ、あのライヴはスーパープレミアムなんで、超絶至近距離でミュージシャンが如何にイカレた生き物なのか、トラウマになるまで体験していただけたらと思います。 ぜんぜん話は変わるけど。なにがあろうとも、この時期になるとTAXの取り立てだけはくるよね?ほんとにすげーなぁと感嘆します。もはや風物詩。うわ!一年経ったって。できれば、植物とか太陽のひかりなんかに教えてもらいたいけどね。 先日アップした「Still Burning」の音源を聴いた方からMCにあった「歯周病大丈夫ですか?」って。大丈夫です。ネタですから。僕の口の中を世界一熟知しているSさんって方がいるんです。結構遠い歯科なんですけど、Sさんがいるから通ってるんです。「あーん」と口を開けた瞬間に「今月忙しかったですねぇ」って。口内見てわかるんです。仕事も人柄も素晴らしいんです。Sさんいなかったら、今頃歌えてません。「ロックンロール!」って入れ歯飛んだらシャレになんないじゃないですか。口の中のことはぜんぶSさんに任せてるんです。月に一回、通ってます。あ、明日だ! 最後に輪島便りをお届けします。件の職人さんからです。たいへんなときに、ありがとね!!今回は言葉のニュアンスを間違えたくないので、ほぼ原文ままです。あたたかい風呂に1日も早く入れますように!!   水道の復旧にはまだ時間がかかる見通しですので、行政は金沢や県外の宿泊施設(無料)を避難先にすすめています。 これを利用して輪島市外に避難した人は、輪島にいても仕事が成り立たない、家が全壊して住めない、火事で焼け出された方々が多いと思います。 家が全壊しても町を離れられない事情のある人々は各地の小中学校に避難していますが、 集団生活で感染症がでたり、認知症が進行したり、不安を抱えていますので、ケアをする専門の方々が全国から駆けつけています。 私の家は損壊はしましたが、一応住む場所があり、仕事道具や材料は無事でしたので幸運だったと思います。 また、風呂に入れていない、というのは正確には、少し離れた自衛隊の入浴支援の施設にはまだ行っていない、ということになります。現在、市内二箇所にある、正直芋洗い状態の入浴施設は、年寄りの親には辛いですし、入浴場所は少し距離があるので行きにくい状況です。 しかし除菌ウエットティッシュで体を拭いているのでご安心ください。 私は雪やみぞれの日はラッキーで、頭を濡らして髪を洗っている感じ、で前向きに工夫しています。 現在思うことは、役人も自衛隊(輪島はレーダー基地があります)も一般市民も、等しく被災しています。 皆さん現状を我慢しながら、できる範囲内で少しでも良い方向に一歩一歩進めていく努力をしていると感じています。 以上、現状報告させて頂きました。 追伸 仕事仲間の友人が手配してくれた移動式の電気温水器シャワーを直接届けてくれることになりそうです。 これで雪解け水を電気で沸かしてシャワーを使えそうです。

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熱くならない魂をもつ人はかわいそうだ

1月28日 日曜日 曇り 「熱くならない魂をもつ人はかわいそうだ」。by 友部正人。 ときどき、この言葉が全身を貫くときがあります。 全力還暦。 時間は矢のように過ぎていきます。もう1月も終わりだなんてね。 たくさんのリアクション、ありがとう。スタッフはマラソンを走った後のようなゾンビ状態でしたが、みんなの声をビタミンにまた走ってくれるでしょう。笑。 ところで、数日前に書いた輪島の職人さん(だと思う)から連絡をいただきました。私信ゆえ、そのまま転載するのは憚られるため要約します。 いわく。 ————– 広範囲にわたって悪路かつ断水。郵便も宅配便も新聞も機能していないけれど、1/10からようやく電気がきたので、暖は取れる。沢の水や雪溶け水で、日々の生活やトイレをなんとかしているが、未だ風呂には入っていない。支援の給水や食べ物の配給はあるので、頑張って生きている。 仕事場の片付けもほぼ終わり、できる範囲で制作を始めた。わずかな時間でもクリエイティヴな気持ちでいることが、心を落ち着かせていられる大切な時間。と。 ————– たいへんなときに連絡ありがとう!!! アルバムは届けられるようになったら、必ず届けます。 いちばん胸を撃ったのは、未だ風呂に入れていないって事実。つまり彼は2024年、一度も風呂に入っていないってことです。海外放浪時代を含め、僕もたいがいの経験はしてきたけれど、ひとつき風呂に入れなかったって経験はしたことないから、想像しかできないけれど。 ありえない、、、、、。 トイレが使えず、風呂に入れないってことが、どれだけ人を傷つけるかって、想像にあまりあるというか、、。この13年でオレたちはなにを学んできたのか、というか、、、。くっだらないことに投下する大金があるのなら、どうして迅速に困っている人たちのために使わないのか、、、。 腹の底から込み上げてくる憤怒(自分に対してのものも含む)を行動のためのガソリンに変えて、笑いを忘れず、できることを全力でやります。 てか、毎回思うんだけど。災害の間だけオレを首相にしてくれって。マジで。そいつの志がどこを向いているのかってことは、こういう事態になるとあまりにも影響がデカすぎる。 だから、せめて選挙くらい行ってほしい、と。こころから思うのです。 はぁ。。。。。。ため息。 でも、彼も、彼が棲む町の人たちも、置かれた状況の中で懸命に日々を生きてるんだと思います。想像すると、胸に熱いものが込みあげてきます。だから、それぞれに、今日を生きましょう。 僕はここで伝えることができます。SNSではやりません。なので、伝えてほしいことがあれば、伝言ゲームによって事実が湾曲しないように気をつけつつ、人々に伝えることができるので、「今日はやっと晴れた!」とか些細なことでも、息抜きになれば、遠慮なく連絡してください。 応援してるよ!いつか必ず歌を届けにいくからね。それまで元気でいてください!!!   「熱くならない魂をもつ人はかわいそうだ」。by 友部正人。 今日もこの言葉が全身を貫いています。              

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Blu-rayとMY LIFE IS MY MESSAGEからたいせつなお知らせ

1月22日 月曜日 曇り 知らなかった。 きっとヤングではないであろうHWのサポーターですら、ちゃんとBlu-rayを持っていらっしゃるんですね、、、。すいませんでした。えっと、前向きに検討します。 なにせ、我が家はつい最近までテレビすらなかったのです。なので、Blu-rayなんてあるわけもなく。そのテレビも筋トレルームに置いてあって、筋トレメニューを見るためだけにあるだけなので。 でも、なんにせよ、高画質で愉しめるのはいいことだと思います。持ち帰ってスタッフと検討します! それからMY LIFE IS MY MESSAGEからたいせつなお知らせです。 能登半島へのサポート拠点をお願いしていた金沢のメロメロポッチから支援物資の受け入れを一旦停止したいとの報告がありました。理由は石川県が勧めている2次避難、1.5次避難が進んでいること。支援物資が全域の拠点避難所に行き渡ったこと、などの理由です。 たくさんのサポート、ほんとうにありがとうございました!!!!!!!感謝マックスです。 これから長い復興の道のりが始まります。みなさんから届いている気持ちを還流させるべく、その時のニーズに沿ったサポートをこれからも考えていきたいと思っています。今後ともどうぞ、よろしくです。来月になると思うのですが、自分の目で見て、みなさんに報告するつもりでいます。 それからカモネギシャチョー企画。ようやく「秘密のお年玉」の全パッキングを終えました。いやー、ほんとうに「お年玉」だけでどえらい作業でありました。もう出来ちゃったんだから、送っちゃおうぜ、みんな喜ぶし!!!とシャチョーが暴言を吐いたところ「シャチョー!初志貫徹ですよ!」とスタッフにたしなめられました。苦笑。 今回ばかりはシャチョーも作業に参加。宛名を貼りながら、こんなに全国津々浦々からオーダーしてくれたのね、と。涙。北海道の端っこから、南の島まで。 もうちょっとだけ待っててね! で。規格外の同梱できないでっかい作品「Still Life with my GTR」などは本日発送します。明日、すべての梱包資材が到着し、水木あたりにイヌ、ネコ、キジたちも揃って、発送作業本格化です。 えー。シャチョー。ミキシング作業にも没頭しております。昨日、書いてたこと(磔磔のことね)にゃんのことだか体験しないとわかんないだろうから、音だけなんだけど、貼っておきます。歴史ある暖かい空間に巻き起こるカオス。伝わるといいなぁ。通勤時、主婦の方は炊事時なんかにどうでしょう?ミキシングとしてはもうちょっと手を入れて完成なんだけど、まぁ、いいや。みんなに楽しんでほしいので。   それでは2023年12月17日、京都磔磔でのHWの演奏で「STILL BURNING」。     モーガンとのライヴへのリクエスト。明日くらいまで受け付けます。コメント欄にどうぞ。参加日の記述もお忘れなく!

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誤解なきよう

1月14日 日曜日 晴れ 帰ってきました。 えっと、言葉が足りませんでしたね。すいません! 昨日の記述の中にあった「意味のない20万円」ってのは政府が被災した人に「貸し付ける」と発表した20万円のことであって、MY LIFE IS MY MESSAGEから送らせてもらった気持ちのことではありません。 な、こと書くわけないじゃん!んなこと書かなくても、「貸し付ける!」ってどーいうこと。住めなくなってるのに20万でどーすればいいっていうわけ!っつー、疑問と怒りを共有できるかとわたすが勘違いしてたってことです。基本、SNSのようにネガティヴなエネルギーを撒き散らすのが好きじゃないんです。それより、自分が行動するってことをこころがけてます。 わたしは完璧な人間じゃありません。日々これを書くのも、なるはやで伝えようということで、ライヴが終わって、片付けて、街のみなさんと懇談して(もう酒は飲みません)、午前2時近く(だったかな)にホテルに帰って、それから書いて、朝イチ夜明け前の電車で帰る、みたいな生活なんです。 なので、わたすがそんなこと書くわけないじゃん、ってところは理解してくれると嬉しいです。甘い?そういう抗議の連絡って、ちょっと疲れます。僕も気をつけるんで、よろしくね! 今もMLIMMにはたくさんの気持ちが寄せられています。寄せられるってのは信頼されてるってことだと思うし、正直、荷が重く感じることもあります。でも、善きこころを循環させるのが自分の役目だと思っているので、できることを常に最大限にやりたいと思っています。 ご理解ください。 えっと。くどいかもですが。僕は熊本地震で山の家が被災しました。半壊という認定でしたが、建築士によると全壊でした。壊そうかと思いましたが、なんとか踏みとどまって修復しました。ちなみに壊すにもお金が必要で、業者を見つけるのも被災者だらけでたいへんなんです。元通りにするにはとんでもない金額がかかるので、それは叶わなかったけれど。 いろんな申請が必要で、受けることができたサポートは固定資産税の減額(20%くらいだったかと)だけでした。僕は福島と関わっていたので、その扱いの差異に顎が外れそうになりました。だから20万円では焼石に水だってこと、身を持って知っています。 それでも直すと決めたのなら、やるしかないんです。 もうひとつ伝えておきたいのは、役所の人たちもほんとうにたいへんだってことです。手続きの際、彼らの顔に浮かんだ消しようのない疲れを見て、自治体に頼るのではなく、自力でやろうって思いました。ちなみに、数人役所の方は自死しました。そのくらいの重圧がかかってるんです。とくに責任感の強い人には。 そんな中で。 困っている人たちの背中を押すのはお金はもちろんだけど、気持ちです。今、僕が福島に行って町の人となにを話しているかって、彼らは地震、津波、放射能、噂、欲望、エトセトラ、、、、、。おおよそ信じ難い経験を経て、今があるんです。決して諦めなかった彼らがその経験を伝えることが、いちばんの力だと僕は考えています。昨日もたくさん話を聞いたけど、彼らが「あの日」のことを語るとき、「今日」こうやって音楽を楽しめる日がくるなんて、まったく考えられなかった、と。 どういう形になるか不明だけれど、実現させたいと思っています。   ついしん 復興酒「甦る」。今年は311を待たず前倒しで販売し、売りあげを能登地方に寄付することになりました。みんな買ってね!!    

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仙台にて・ご報告

1月10日 水曜日 晴れ 仙台に移動して、友部正人さんと1日限りのリハーサル。 友部さん。すげーなと感嘆するところ。言葉の才能はいうに及ばず、ステージでなにが起きても飄々としているところ。いつも少し低めの体温で世界を見つめていて、でも、その実、とんでもなく熱いものが身体の中を貫いていること。 インテリジェンスとフィジカルの奇蹟的なバランス。決して机上の上ではない実体験に裏打ちされた立ち姿の確かさ。世間との距離感。凛として猛毒。そして覚悟。 隣に立ってギターを弾いているだけで、智慧、ちがうな叡智が伝わってきます。 正解なんてなにひとつない、オリジナルな生き方。 いくつになっても自由に生きる方法なんていくらでもあるんだって。ほんとだから。 仙台といわきでの開催をお願いしたのは。ぜひ、それを体感してほしいからです。そして30年前に一緒に書かせてもらった曲たち。今も輝いています。 ぜひ、来てください。てか、見逃さないでください。次はいつになるか、わかりません。 ——————— ご報告です。よければ、昨日のblogを参照してください。 規模が小さくても、今は「なるはや」で超特急の対応をすべきかと。金沢からの「灯油が必要」というリクエストに応えるべく、みなさんがMY LIFE IS MY MESSAGEに寄せて下さった気持ちの中からまずは20万円を熊野くん(昨日のblogを参照してください)が代表をつとめる「NPOかなざわ志縁隊」に送金しました。みなさんの気持ちが確実に届くと思います。 引き続き現地からのリクエストがあり次第、それに応えていきたいと思っています。 ほんとうにありがとう!!   ——————— もうひとつ。 モーガンとのライヴ、追加公演。こちらもSOLD OUTになりました。 ありがとう!!    

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