日別アーカイブ: 2024年5月23日

能登に行く(後編)

5月23日 木曜日 晴れ 熊ちゃんの後援会長の案内で珠洲市を目指します。 珠洲市はかつて僕がテレビ出演などのたびにお世話になっていたカリスマ美容師の出身地。髪をセットされる間に故郷のいろんな話を聞いていましたが、やっぱり自分の目で見ると、想像していた「珠洲」とはぜんぜん違います。僕は先端が好きで、世界の端っこの町をたくさん旅してきました。珠洲もLands Endにふさわしい楚々とした端っこの町でした。聞くと主要産業は農漁業。大きな工場もなく、高齢化が進む海沿いの2万人弱の小さな町でした。 聞きしにまさる家の崩れ方でした。後援会長の話では輪島とは違う揺れ方をしたので、このようなことになったのだろう、と。津波も相まって、筆舌に尽くしがたい状況でした。そして、こちらもまた、国からの復興の予算の全力さはまるで感じられませんでした。     税金をいったいどのように使うのか。国民にはそれを監視する義務があると思います。いったいどれだけの無駄な金が無駄なことに使われているのか。そのアホな政治家を選んでいるのはいったい誰なのか?苦しんでいる人たちのために、なぜその金は早急に使われないのか? 珠洲市の家の70%が被害を受けたのだそうです。そして見るところ、町を構成しているのは多くが老人たち。つまり復興するのはとても難しい。自治体単体でそれを成し遂げることはあまりにも難しい。国策でしかありえないと思うのです。   それから僕らは輪島市の黒島漁港へ。海底が隆起して、剥き出しになっています。防波堤はせり上がり、海底の岩肌が見えます。隆起は広範囲にわたっていて、漁港として使うことはおおそよ不可能だと思われます。 砂地の場所では液状化もひどく、道路がうねり、マンホールが浮き上がっているのをたくさん見ました。これもまたおおよそ、信じ難い光景でした。       最後に熊ちゃんが活動のベースにしている門前町のボランティア・センターを訪ねました。メロメロポッチに一旦集められた物資はそこからこの場所で運ばれて、必要な家庭に配られます。この日も見覚えのある名前(僕のblogのコメント欄によく書き込んでもらっている名前だったので)の方から送られた調味料を一緒にこの場所に運びました。実感として、このようにみなさんの気持ちが還流し、機能していることを知れたのは嬉しいことでした。 センターは地域の中で確実に機能していました。倉庫の中には貸し出すための工具類から食器、衣類、米をはじめとする食料、調味料、マンガ本までが整然と揃っています。常駐しているボランティアの面々も日本中から。なにより、若い!!目が輝いてる。人って必要とされると、生き生きとするんだってことがよくわかります。 町の人にとっても、このような存在が支えになっているのがわかります。僕と同年代のお母さんがシャワーを借りにきていました。車で20分走ればお風呂はあるんだけれど、毎日払うその600円がしんどいのだそうです。ここでも、未だ満足に水が使えない状況です。元旦に震災が起きたとき、とっさにお母さんのお母さん(つまりおばあさん)を守るため自分の身を呈しておばあさんにかぶさったなら、さらに息子さんがその上にかぶさってきた、と。つまり亀のような親子三段重ね。笑いながら教えてくれましたが、おばあさんはその後、亡くなり49日を終えたところだと。お母さんは泣いていました。震災関連死かどうか、立ち入って聞くのは憚られましたが、彼女は国に見捨てられたように感じている、と。この状況をぜひ、伝えてください、と託されました。 このようなことがあちこちで起こっているのだと思います。大きな事業は民意で国を動かし、国策でやるしかないと思いますが、僕らにはこころのケアも含めて、やれることはたくさんあると思うのです。あのお母さんが穏やかな気持ちでいれるように、また僕は訪ねていきたいし、自分がやれることをやろうと思います。   衣類なども豊富に揃っていて、女性の気分転換には最高だと思いました。 そのボランティア・センターには姫路のせんべい屋さんの善意によって、人々の移動用、物資の運搬用にワゴン車が無料で貸し出されていました。大活躍です。けれど、車検と修理が至急必要でその費用を捻出できず困っている、と。その現場にたまたま立ち会ったので、MY LIFE IS MY MESSAGEがその費用を負担するのはどうだろう?と提案し、受け入れてもらいました。もろもろ調整は必要だけれど、僕らに想いを託したくれた人たちにとっても、目に見える形でその志が役に立っていることを感じてもらえるのはいいのではないか、と。   費用は車検も合わせて18万4563円です。さっそく送金させていただきました。みなさんの想いを載せて、これからも能登で活躍してくれると思います。今後も熊ちゃんたちと力を合わせて、この門前町のセンター、インスパイヤベース(長とは残念ながら会えなかったのですが)をサポートしていけたら、と思います。     長くなりました。以上が僕の主観に満ちたレポートです。たった半日で駆け抜けただけの印象です。誤解や間違いもあると思います。 ただ、ひとりでも多くの人に、能登の人たちの気持ちを自分のこととして感じて欲しくて書きました。これからも仲間たちとできることを探していきたいと思います。 なによりも、僕は能登が好きになりました。新しく出会った人たちに、また会いに行こうと思っています。

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