日別アーカイブ: 2016年2月20日

コスモロジー

2月20日 土曜日 晴れ 今日はあまり外に出ないことにした。インプット、熟成(発酵、あるいは腐敗)、そしてアウトプット。曲を書くという行為のなかで、僕は思考するんだろうね。きっと。水辺で上半身裸、ギターに汗をしたたらせながら、曲を書きます。きっとみんなはジャック・ジョンソンを想像してる(してないか)んだろうけど、違うね。現地作業員風、若干肌が白めの。それ、気に入ってます。労働、おーいぇー! そもそも、年末の日本から始まって、北半球の雪山、赤道ほぼ直下の国で、ずっと行ったこともないアフリカのトンブクトゥにまつわる歌を書いているのがどうしてなのか、自分でも分からないのです。分からないから、面白い。トンブクトゥ。若い頃にアフリカの歌を書いたけど、それよりもずっとリアリティーがあるんだよなぁ。ま、そういうことを深く考えても、どうしようもないからコスモロジー。書いて歌って、理由が見えてくるんだろうね。 数日前に敬愛する写真家の齊藤亮一さん、現在は音楽評論家の松山晋也さんとスタジオ・ヴォイスの特集のためにアイルランドを旅したことを書いたら、齊藤さんからメールが届いたのです。写真とともに。すごく嬉しかったのです。時は1995年、もう22年の前のこと。 ネットって好きじゃないことが多いけど、こんな南の国で、そのメールを受けとるって。コスモロジー。 話は今滞在中のこの国に飛ぶね。不思議に思っていたことがあって、現地の人に聞いてみたのです。たいていどんな国に居ても、滞在しているうちに、墓が目に入るようになってきます。その特徴から受けとる情報は、実はかなり大きい。死生観が如実に現れているから。でも、この国に寺院は溢れるほどあるのに、墓を目にしない。「いったい、何処にあるの?」と聞いたら「everywhere」と。「連れてってあげるよ」。行ったところは寺院とは不釣りあいな、実に楚々とした小さなセメタリー。なるほど、これは気づかない。にしても、楚々としすぎてるのはどうしてなんだろう。小さな石に花が添えられているだけ。 想像だけど、輪廻(サンサーラ)を信じている人たちは「今生」に執着する必要がないのかもね。だって、ひどいカルマを背負っていない限り、次があるんだもん。僕にサンターラはないけど、小さなコスモロジーはあるよ。齊藤さんのメールみたいに。それは過去と未来から来たギフト。 彼の写真には、22年前のあの国と、若くてどうしようもない僕と、齊藤さんのこころが写っていたのです。変わったものと、変わらなかったものと、変わってほしくないものと。あんまり説明したくないから、齊藤さんの許可を頂いたので、是非見てください。 僕は彼の写真が好きなのです。世界じゅう、彼が何処を旅しても、齊藤さんのこころが写っていて、深いところに、人の営みに対する愛がある。そして僕みたいに激情ではなく、寒い国でも暑い国でも一定の体温がある。 これらの写真の著作権は齊藤さんに帰属します。無断使用しないでね。じゃ、愉しんで。 全撮影。齊藤亮一さん。(1995年、Co Donegal, Ireland)                      

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