レコーディング航海日誌#030

8月14日 木曜日 曇り / 雨

押忍。

今日のラジオで知ったベン・ワットの新曲。これ、made in 2014年。すごいね。「最近の音楽は〜」なんてウソぶいてたのはどこのどいつ?こうやってラジオを聴いていると、自分がそれを知ろうとしてなかっただけだってことを学びます。

 

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続いて
バラカン・モーニングで流れたニック・ジョーンズ。即買い。(笑)。番組と情熱に感謝。こんな風に弾きたい、とか、歌いたい、とか、そう思えるのは幸福です。

 

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次のblog上ラジオは感謝を込めて「さいきんラジオで知った曲特集」だな、こりゃ。

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昼前に美容院でヘッドスパ。神の手により気絶。そこで読んだイーノのインタビューに感銘を受ける。

要約すると(僕の記憶を元に記しているので、誤差はあると思う)、西洋の音楽がともすると権威的なのは、社会に向けてのステートメントになっているからで、悪しき構造が社会に酷似している。たとえばクラシックを例に取るなら、まず作曲家がいて、(イーノはここで、ちょっと待って。その上に神が居た、と)次に指揮官 (者) が命令を下し、その下にそれぞれのパートのリーダーが居る。まるで軍隊か教会のようだ。

これがトップ・ダウンの音楽だとするなら、アフロ・ミュージックはボトム・アップで、下部のリズムから形成される。演奏したいものがしたいように参加することができ、同じ瞬間は二度ありえない。譜面化不能。このような形態から西洋人は学ぶべきである、と云うような内容。

昨日スタジオに居て感じていた心地よさみたいなものは、こういうことなんだね。ひとつの漠然とした目的のもとに、すべてのミュージシャンがフラットに存在していること。今も昔も目指しているのはそういうこと。

小学校に上がる前に、ピアノを習った。3日だけ。こっちの方がいいと思ったフレーズを作って弾いたら、ぴしゃっと手を叩かれて、それで辞めた。僕にどんなに素養があったとしても、クラシックの教育を受け続けることは出来なかっただろうし、楽団を指揮することも興味がない。

もっと何というか、その。誰も行ったことがないところに行きたい。すべてのヒエラルキーは存在しないところに。生のニンゲンたちのフィールでしか作り出せないところに。

ニンゲンは信じるに存在かどうか。未来に向かって張られたその細い綱の上を歩いていくことがLIFEなのかな、とヘッドスパで気絶寸前に思った次第。

ご先祖さまには一日早くお引き取り願った。だって、明日は北海道なんだよう。

ご先祖さまには一日早くお引き取り願った。だって、明日は北海道なんだよう。帰れなくなったら困るじゃんよう。

 

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ついしん

昨日の記事の続き。
8月17日に広島県福山市で開催される相馬盆歌の盆踊り大会、詳細はこちらに。
成功を祈ってるぜー。近くの人は無料だから、家族で是非行ってちょー。オレは北海道でやってくるよー。

ついしんのついしん

云い忘れた。ライジングサンのボヘミアン・ガーデンはソーラーパワーで全ての電気をまかなっているのです。そのあたりもどぞ、よろしゅう。タイジ、ありがとね。

 

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レコーディング航海日誌#030 への1件のコメント

  1. 富山のサワイ より:

    山口さんがベン・ワット!
    好きなミュージシャンの連鎖は嬉しいです。

    ちなみにベンは今バーナード・バトラーと世界ツアー中でサマソニで来日中です。

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