Recording day #060

10月7日 金曜日 晴れ

THE GIFT。誰からの?過去の自分からの。

決してナルシスティックな意味ではなくて。過去の自分が創ったものに現在の自分が鼓舞されるという不思議な円環の中に居る。どうして、20年も前にそれが描けたのか不明だし、それをどうして新しく録音し、ミキシングしているのか?正確な理由は分からない。ただ、いつものように直感がそれをやれと云ったことに従ってみただけ。

音楽の中に込められたものに、ミキシングしながらモーレツに感動したのだった。なんだか、時空も距離も何もかも、飛び越えたものがそこにはあった。それは自分からのまぎれもないGIFTだった。

毎日観ていると、調和できるようになる。

 

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Recording day #060 への3件のコメント

  1. Ten より:

    アルバム、楽しみでなりません。
    山口さんを鼓舞したその曲、きっと100年後も
    誰かの胸を鼓舞しているのでしょうね (=^ェ^=)

  2. Rusty より:

     時代が曲に近づいてくることがある、と佐野さんは言う。かつて書いた曲に現在が映るという現象についての、彼の見解だ。
     目の前の現実を冷静に観察し、ユーモアをもってスケッチする、という手法で書かれたある曲が、時空を超えて円環を描く。かつての自分と現在の自分がそこに交差する。これがお前だよ、お前はこんな奴さ、と過去の自分が現在に自分に言う。
     そしてそれとは別に、きわめて不気味な空気が濃厚に漂っている、という意味において、90年代なかばと現在は良く似ているのかもしれない。

  3. スズキコウイチ より:

    過去の自分が20年後の未来の自分に宛てた手紙を読み返してるような感覚なのでしょうか?それとも、そんなありきたりで通俗的な考えを突き抜けた次元なのかも、とも思えます。浮遊感を伴う不思議な感覚なのは文面から感じます。それは、懐かしさだったり、切なさだったり、悲しさだったり、母なる地球の胎動に包まれた温かさだったり。少年時代まで遡るようなフラッシバッグ。あるいは子供の山口さんが今の山口さんに時空を超えて会いにくるみたいな感覚だったり。こんな言葉の理屈からは、実は一番遠いところにいる感覚なのかもしれません。
    確かなことは山口さんが、自分の作品(子供達)を愛しているということだと思います。それは決してナルシストではなく、愛があるから歌う意味があるんだと思うのです。無自覚だった過去の作品に焦点を絞り、それに鼓舞されたり救われたりするのは、過去の自分を自己肯定し、今の自分自身を抱きしめ愛せている証拠なのかもしれませんね。まったく検討違いなことを言ってるのかもしれません。感じることを、理屈にしようとするとグダグダになりますね。
    でも一つだけ、山口さんの歌には時間も空間も乗り越えていける普遍性があります。

    純真さとそれがもたらす繊細な感受性、それこそは人が持つことでき、また持たなければならない唯一の宝なのである(ガンディー)

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