月別アーカイブ: 5月 2013

亡母命日

5月8日 水曜日 晴れ すべての痛みには意味があるはずなんだ。

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相馬にて

5月7日 火曜日 曇り すべての歌には続きがあるんだ。

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仙台にて

5月6日 月曜日 曇り 君はヤマグチ・ヒロシが宇宙に行ったのを観たかい?オレは観たぜ。本人だからね。

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福島にて

5月5日 日曜日 曇り 君はヤマグチ・ヒロシが宇宙に行こうとしたのを観たかい?オレは観たぜ。本人だからね。  

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dream catcher

5月4日 土曜日 晴れ 電車で都内に出た。結果として、それは夢を捕まえにいく小さな旅だった。  

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夢見る力

5月2日 木曜日 晴れ   「夢見る力」の話をしよう。DREAM HARDER ! ————————————————————–  その映画製作者と映画監督、そしてミュージシャンはそれぞれに、それぞれの現場で孤立していた。だから、オレはアメリカからスカイプを通じて、こうメッセージを送った。  「オレはこのまま日本に居たら頭がおかしくなりそうだったから、逃げてきた。ようやく世界と自分が見えてきたから、音楽になって現れてくると思う。それを持って帰るから、帰ったら聞いて欲しい」。  いまどき、新しい曲なんて、ネットでぴゅーんと送ることができる。大嫌いなmp3でね。でも、オレたちは「生」にこだわった。オレが住む街まで彼らは来てくれた。既にスタジオは予約され、都内を早く出発しすぎて、オレが到着する1時間前に彼らは着いていた。この瞬間を映像で記録するために、わざわざ大阪からカメラマンがやってきていた。アホだ。アホすぎる。  オレは生音で一回しか歌わなかった。でも、それぞれに何かが伝わったと思う。それでいいのだ。録音する必要はない。彼らの心に何かの残像が残ったのなら。記憶は捏造ではなく、創造してくれればいい。  夢想するのだ。例えば映画を作るとき。  政治力や、コネや、名誉や、カネや、見栄や、名声や、組織や、パワーバランスではなく。映画にしたいというとてつもない情熱がまずあって、その情熱に動かされ描かれた音楽があって、互いが互いに影響しあっていく。バカだと云われても、DREAMするのはタダなのだよ。オレはいくつになってもそんな人間で居たいのだよ。  監督はこう云った。映画のエンドロールは制作者にとって終わりを意味しないんです。その先のストーリーは観客それぞれのオリジナルなものなんです。それが映画の力です。  僕はこう云った。この曲にはサビがないんだ。それは聞き手が勝手に続きを作って欲しいから。すべての歌には続きがあるんだ。それが音楽の力です。  それでいいじゃないか。 —————————————————————-  話には続きがある。  監督の父上は昭和の大スターだ。バリバリの現役の巨星。つい先日お見かけしたばかりだが、「有機的ポジティヴ生命体」としか表現のしようがない光を全身から放っていた。巨大な物体X。  (あの、それが誰かを知って欲しい訳ではないので、名前は明かさない。だから、できれば類推しないで欲しい。話の骨子はそこにはない。)  その光がとんでもなかったので、僕は息子である監督に父上の夢見る力について質問したのだ。  息子から語られた「夢見る力」がどれほどオレを励ましたことか。云っておくけど、スターだからそれが可能なのではない。その力が途方もなかったから、スターになったのだ。彼の夢見る力に、私利私欲の影は一切なかった。ほんとだぜ。いつだって、止まることを知らない好奇心と、誰かを思いやる力、そして責任感に溢れていた。その経緯の中にある、とてつもない苦労なんてものを見えなくするだけの夢見る力なのだよ。大泣。  とてつもなかった。オレなんか、ひよっこを通り越して、ひよっこの額に生えてる毛みたいなもんだった。何だかなーーー。オレはこういうとき、まったく打ちひしがれないのである。モーレツにエネルギーがみなぎってくるのである。はい。アホで結構。アホ上等。自分で不可能だと決めない限り、不可能なんてないことを、目の前で証明してくれてるのである。これで元気が出なかったらホンモノのアホだと思うぜ、オレは。 ——————————————————————  未来のない街で、未来のない仕事に就いてると思っている(実際そうかもしれんが)あんたにオレは伝えたいんだよ。  どうにもならないことってのがこの世にはある。自分ががんばってもどうしようもないことがある。がんばるほど、泥沼になることもある。でもよー、ハスッパに書くけど、そこからが本物のLIFEだとオレは思うぜ。スターを観てるとシビれるんだよ。  オレはオレのやり方で、夢を実現させること。微塵も諦めてないぜ。

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ともだちとして

5月1日 水曜日 雨   野暮用があって、大学時代の悪友に10年振りくらいに連絡した。奴もオレもロクな学生じゃなかったが、相も変わらず、一瞬にして「貴様とオレ」みたいな関係に戻れるのは気持ちいい。奴とは何かを極めた頂点で再会することになっていたので、全開の博多弁で冒頭からカマしてみる。 オレ「ひさしぶりやのー、オマエ、元気かちゃ?たまには連絡してこんか、このバカタレが。頂でオマエをずーっと待っとるけど、来やせんやないか」。 ヤツ「おーひさしぶりやのー。オマエ。たぶん待っとる頂が違うんちゃ」。 —————————————————- 閑話休題。 最近、一番ぐっと来た歌詞は、某氏が名曲を訳して歌ったサビのオチの部分。「ともだちとして」だった。オチすぎて、ずっと心に刺さったままだ。原曲とは微妙に違う。でも、僕にはオリジナルの100倍くらいの説得力を持って響いてくる。 その歌を生で聞いてから。 いろんな場面で僕はその言葉をリピートする。「ともだちとして」、「ともだちとして」、「ともだちとして」。 「ともだちとして」。どうあるべきなのか、ほんとうに考える。 「ともだちとして」。うまくいかないすべてのことを他人や世界のせいにするのが好きになれない。 「ともだちとして」。約束を守らない人とはともだちになれない。 「ともだちとして」。ムードで生きている人のために命をかけられない。 「ともだちとして」。自分の手を汚さない人が嫌いだ。 「ともだちとして」。ほんとうのことを話さないのは思いやりだって?それは殆どの場合、違うと思うね。 「ともだちとして」、「ともだちとして」、「ともだちとして」。

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