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今日と云う日に福島に居ることの意味

3月11日 月曜日 晴れ 3.11に福島県いわき市に来てくれとオファーがあった。僕だってニンゲンだ。スケジュール的にかなり無理があった。そして、その日、その街に居て、演奏すること。正直、荷が重かった。何も収束していないのに、いったい僕はどんな顔をしてステージに立てばいいのか。 たくさんの素晴らしい顔ぶれが出るイベントだと知って、僕は主催者にこういうメールを書き送った。「これだけの素晴らしいメンツなんだから、俺が無理して行くことないじゃん」。返信はこうだった。「来てくれないと困ります!!!!!」。さぁ、もう逃げ場はなくなった。 東京からぶっ飛ばして行ったが、震災が起きた時刻には間に合わなかった。 まず僕はいわきの友人たちの子どもたちに起きていることを聞いた。真面目な話、失神しそうだった。いちばん恐れていたことが、そこでは、起きつつ、あるのかもしれなかった。もしも、ほんとうに、それが、具現化していくのなら、僕は、自分自身を許さないと思う。僕らはそれを止められた、かもしれないのだ。何の罪もない子どもたちがヒドい目に遭うのを止められた、のだ。そうなるかもしれないことを、知っていながら、全身全霊で行動しなかった僕は犯罪を犯したのと同じだ。今はまだ確たることを書けない状態だから、これ以上は書かない。でも、みんな聞いて欲しい。ほんとうにオリンピックを招致してる場合じゃない。野球に浮かれている場合じゃないんだよ。「あれから二年」って今日だけ思い出せばいい場合じゃないんだよ。 いわきと相馬は原発からほぼ同じ距離だ。でも、音楽をめぐる二つの街の状況はまるで違う。 いわきの連中は外で遊べない若者のために、スタジオを作り、ライヴをやれる場所を死守した。それゆえ、若い連中が音楽に戻ってきた。僕の好きな話はこうだ。若さゆえパンクは人気がある。彼らは決して演奏がうまくないので、ドラムが曲の途中でなくなったりする。でも、フロントの演奏者はもちろんのこと、オーディンエンスもそれに気づかず、ダイブを繰り返して、エネルギーを炸裂させている。実にいい話だ。 超満員だった。僕がステージに立ったとき、若い連中がステージの前を埋め尽くしていた。その目がキラキラ輝いていた。いや、正直な話、彼らの表情を見てると、ぐっと来たものをこらえるだけで必死だったのだよ。だから、悪態ついてごめんね。あんたらが、音楽を聞いてるとき、あんまりいい顔してるんで、参ったんだよ。オレが心の底から尊敬している人物、遠藤ミチロウさんが「セックス!!!!!」と福島弁を交えて連呼する中、それに応える若者たちのキラキラした瞳にオレは未来を見たのだよ。何て美しい光景なんだ。60を過ぎて、「セックス!!!!」と絶叫する地元の大先輩。それを憧れのまなざしで見つめる若者たち。音楽って素晴らしい。 もうひとつ。 震災後、ミチロウさんから僕はどれだけエネルギーをもらってきたことか。中途半端な奴だらけの世界で、彼は私利私欲を捨て、どんな批判にさらされても、故郷のために闘ってきた。ほんとうにね、僕は心の底から尊敬してるのです。 そのミチロウさんが僕に相談がある、と。アニキのためなら僕は何でもやりますとも。その相談ってのがね。まだ書けないけど、聞いた瞬間に目の前がぱーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっつと拓けたのです。道が見えたのです。ミチロウさんがこの考えに至るまで、どれだけ逡巡したのだろう。ほんとうに、何と云うか、もう、大泣きす。ミチロウさんも僕も、ほんとうに悩んでました。どうしたらいいのか分からなくなることなんて、山ほどあった。でも、遂に僕らの本業、音楽を通じて、福島のために貢献できることをミチロウさんが見つけてくれたのです。 僕はすかさず電話しまくりました。東京に着く頃にはあらかた道筋が決まってました。 —————————————————— いわき。行って良かったす。ポールがたくさんのいいエネルギーを注いでくれたので、いわきの人たちにそれを伝えることができたし。でも、オレは何も成し遂げてない男だから、僕を見つけて「いつも福島のためにありがとう」なんて云わないでください。一緒に考え続けて、行動し続けましょう。冒頭にも書いたように、これは僕自身の問題なのです。今日始めた出会ったミュージシャン、スタッフとも連帯して、前を向いて歩いていくつもりです。ありがとう!!!!!!!!

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