日別アーカイブ: 2013年3月18日

福島県南相馬市小高区にて

3月18日 月曜日 曇り 自分の家に帰ってきて二日経つが、五臓六腑をずっと錆びた金属で撹拌されているような気持ち悪さが消えない。書くか、スルーするか、迷ったが、自分なりに考察して、記さなければ、この気持ち悪さは消えないのだろうから、逃げることはできなかった。 僕とて鋼の神経を持ち合わせている訳ではない。チャンネルを合わせないようにしていても、悪いバイブレーションを受けてしまうことがある。僕は何度もそこに行ったことがあるが、今回はまともに受けてしまった。誤解のないように書いておきたいのは、僕はその地区のことを愚弄したいのではない。このような信じ難い事態を招いてしまった愚かな人間たちの心(自分も含む)、すでに終わったことにしてしまっているこの国の人々、そして目の前にある荒漠とした風景、エトセトラ。それらが合わさったとき、立っていられないような目眩と激しい吐き気に襲われる。 地元の人は「是非、観てきて欲しい」と云う。正直に書こう、行きたくない。もう勘弁して欲しい。これは自己防衛反応だと思う。そして、僕は伝えるのが役目、それをやって当然だと思われているのも正直、荷が重くて逃げ出したい。泣き言だと受け取ってくれて結構。僕はプライベートで、かつ繊細な人間だ。鋼の心を持ち合わせてはいない。ただ、二年前のあの日から、電気を使っていたのは関東に住んでいる我々だったから、自分の問題として取り組んできただけだ。 全力で取り組んだあげく、物事は悪化しかしなかった。こんなこと今までの人生で一度もなかった。闇は強大で巨大だった。現地の仲間たちのリレーションも良くなったとは云えない。見えているのに気づかないフリをするのも、云ったことに最後まで責任を持たないのも、それは僕の自己防衛反応と同じように、そうしなければ、彼の地では生きていけないからだと思う。だから、それに腹は立たないし、理解したい。でも、それは人と人との関係を結果的にはズタズタにする。ほころびという亀裂はいつも深部で進行していて、普段、観ないようにしているだけ、発覚したときには時既に遅し。修復は難しい。ガン細胞とまるで同じ。誤解を恐れずに書けば、自ら不感症のような状態にして生きていかねば、サバイヴするのは難しい。それは各人の孤立を招いていく。僕は問いたい。それは果たして人間らしい暮らしなのだろうか?何故、彼らはそんな想いで生きなければならないのか?そして、敢えて書くが、現地の人間たちも、ほんとうにそれでいいのだろうか?人間として高潔に生きるってことはどういうことなのだろうか? お忘れの方のために、もう一度だけ書いておく。震災、津波、余震。これだけでも重大な天災だった。でも、今、このような事態を招いている要因の殆どは原発事故と云う「人災」によるものだ。このクソ忌々しい放射能さえなければ、このようなことにはなっていない。 僕の本能がキャッチしていること。これからも物事は深いところで着々と悪化していくだろう。現地の信頼できる仲間からもたらされる情報はマスコミのそれとはかなり異なる。ただ僕がそれを伝えるには検証が必要なのだ。何故なら、人は僕が書いたことを事実と認識してしまうからだ。僕は云いたい。知りたければ、自分で知ろうとしたらどうなんだ。自分でこの荒漠とした風景を観たら、どうなんだ。君もこみ上げてくる吐き気が何なのか考えてくれ。誰もが無実ではない。 帰ってきたら、原発の冷却システムが壊れたというニュースがフツーに軽い感じで流れていた。吐き気が更に加速した。「65度に達するにはあと4日あります」。おととしの12月に首相が「収束」を宣言したことを僕は忘れていない。今後、重大な事故や過ちを繰り返すことがあるのなら(たぶん、あるだろう)、それは間違いなく我々の責任だ。

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