日別アーカイブ: 2015年12月20日

福島にて

12月19~20日 福島は遠い。あらゆる意味で遠い。ほんとうに、あらゆる意味で。 でも、このまま福島を訪れることなく、2015年を終えることは気持ちが許さなかった。住んでいる人には甚だ失礼なのだけれど、福島を訪れることは気持ちが踊ることではない。だから、仲間に会いに行くのだと気持ちを切り替えてみる。 ここには僕らが生まれて、高度成長期に入り、今に至るまでのこの国の矛盾の全てがある。関東に住んでいる、僕らが使った電気のあまりあるツケを福島の人々が払わされている。そして東電からの保証金、復興や除染などにまつわる利権は街の人間関係をズタズタに切り裂いている。今年、たった2回しか訪れていない僕がこれ以上記すことははばかられる。ただ、ただ。あまりに、醜く、こころが痛い。 正直に云って、言葉にならないのだ。なるわけがないのだ。この圧倒的な事実の前では。日本中を旅する僕は、人々のこころの中で、福島が忘却の彼方に霞んでいることを皮膚感覚で知っている。だから、写真で伝えようと思う。言葉にならないから。フォトジェニックに撮ろうなんて、まったく思っていない。ただ、目の前の風景を、吐きそうになりながら、撮影しただけ。人間の欲望の膨大な残骸。自分もふくめて、人間っていったい何なんだろうね? 僕が君の家の庭に汚物をまき散らしたなら、逮捕されるだろう。けれど、これだけの広大な国土、そして海、こどもたちの未来と、人々のこころを汚染しておきながら、誰ひとり責任を問われない。そんな法で、国家なら、オレは信じない。子供たちに何と説明したらいい?オレはできないね。挙げ句、原発を再稼働させ、外国に売る。オレは意味が分からないんだよ。オリンピックの前にやることあるだろうよ?オレが狂ってるかい? ひとつだけ忘れられない話を書いておくね。 福島県相馬市でオレがこころから敬愛している人物。彼はいわきに孫が居る。相馬といわきはオレが「世界最悪の道」と思っている常磐道で、震災後、繋がった。そのニュースを聞いたとき、到底正気だとは思えなかった。あの原発の数キロ横を通るのだよ。国民ひとりあたりの被曝限度は決まっているのだよ。それでも開通させる。何のために?たくさん写真を載せておくから、それぞれで考えてくれると嬉しい。この風景の向こうでは作業員たちが廃炉のために身を削っている。 原発事故後、相馬からいわきまでは郡山などを遠回りせねばならず、3時間かかった。常磐道だと1時間。放射能に臭いがあるなら、誰も通らないだろうね。でも目には見えない。胸部レントゲンの160分の1の被曝量って、レントゲンは健康のため受けるもんであって、「通行料金を払った上で」被曝すんのとは意味が違うだろう? その人物の話に戻る。幼い孫がこの道を通って来るのは嫌だ。でも、祖父としては1分でも早く孫に会いたいんだ。分かるかい?それが人のこころってもんなんだよ、ヒロシ!って。オレは何も云えなかった。何と罪作りな国なのか。こんなこと、止めることが出来るのは国だけじゃんか!そしてこんな政府を選んでるのはオレたちじゃんか。アーメン。 今日はこれ以上は無理。もう書けない。でもね。行って良かったんだ。オレは自分のこととして身体に刻んだ。だから、来年もMY LIFE IS MY MESSAGE、続ける。たとえ最後の一匹になったとしても、おかしいことはおかしいといい続ける。 日本中から託される気持ちの継続的な使い道を、福島でようやく見つけることができた。愛が循環しているのはほんとうに嬉しい。もう少し状況を整えたら、発表するね。  

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