日別アーカイブ: 2011年1月3日

流れていくこと

1月3日 月曜日 晴れ 涙もろくてかなわん。これも一つの老化かな。 久しぶりにテレビを観ていた。鳥取に住む聴覚障害を持つ16歳の少年が写真を撮ることによって、自分を変えていこうとするドキュメント。彼は被写体を前から撮る勇気がなかった。その気持ちは良く分かる。僕も未だに人にカメラを向けるのには勇気が要る。そこに自分の「怖れ」が映るからだ。まして、彼の言葉は聞き取りにくい。僕が彼だったら、どうするだろう。そう思いながら観ていた。彼には素晴らしい先生が居て、ひとつの課題を出した。奈良に行って、観光客の外国人の写真を正面から撮ってくること。それは16歳の内気な少年にとっては高すぎるハードルだったと思う。果たして、奈良で、彼はようやくひと組の外国人のカップルに狙いを定めた。でも、言葉をかける勇気がない。後ろをずっと追いかけて、不審がられて、遂に意を決して、身振り手振りで写真を撮らせてくれと頼む。撮影を終えて、おぼつかない口調で「サンキュー」と彼が言葉を発した瞬間、涙腺決壊。彼の表情から今更ながら教えられたことは大きかった。 いくつになっても人は「怖れ」を超えて、殻を破り前に進んでいかねばならない。安住や安息は多分、僕にはない。そこにじっとしていることの方が怖い。前向きに流れていく、あるいは能動的に流されていくしかないのだと思う。

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