月別アーカイブ: 11月 2014

141117@渋谷duo、三浦麻旅子さん写真展その1

11月19日 水曜日 晴れ はいほー。みんな元気? 渋谷のライヴの後に、同じくたった3本のツアーを終えたばかりのヤイコさんと話したんだけど、3本やった後の抜け殻感は、長いツアーとぜんぜん違うんだよねー。急速な燃え尽き感と、その分のあまり経験したことのない種類のダメージ、そしてなかなか減ってくれないアドレナリン。ふーっ。笑。 そういえば、渋谷のライヴの後、駐車場に行ったら、オレのクルマあてにげ。で、そんなことにまったく腹が立たない自分に驚いたけど。形あるものは壊れるさー(沖縄風に)。修理代を自分が払うのは ? だけど、まぁいいさー。 「夕陽へのファンファーレ」、僕のソロとほぼ同じ曲目だから、あまり期待してませんでした、タイトルダサいし、でも聴いたらびっくりこきました、それゆえ、すいません的な意見がたくさん。ぷんぷん。 そんなさー。どっちも情熱込めてるけど、バンドを舐めてもらっちゃー困るなぁ。是非、両方聴いてくださいよ。その成り立ちがくっきりと見えてくると思うよ。オレはどっちも好きさー。 これからわたくすは北海道に向かいます。ちょっと、す、スケジュール、か、過酷。おまけに道民から「夏タイヤで来たら死にます」的な脅しがたくさん。笑。なので、疲労困憊した身体にムチ打って、タイヤとホイールを積み込み、スタッドレスに交換したさー。   はてさて。我らが三浦麻旅子せんぱいの写真を昨日blogに載せてしまったので、せんぱいご立腹です。次は隙を狙って、表情をパパラッチしたいと思います。任せろー。ぜったい撮るぜ。 せんぱい。何もなさらなくてもお美しいのですが、実は髪を刈り上げておいでになるので、さいきん「かりあげせんぱい」と呼ばせて頂いております。「おっさんのカリスマ(もういい!)」と「かりあげせんぱい」ですね。笑。 昨日、「アネキ」とメールに書いたはずなのに、何故か「アニキ」と書かれていて(きっとマックのせいだ、オレが悪いんじゃない)更にご立腹です。ひーっ。 いつもながら、素晴らしい写真がたくさん。ツアーに来れなかった人のために、今回はかりあげせんぱい自らがセレクトしてくださいました。池畑さん、笑ってるし。これはせんぱいじゃなきゃ撮れないっす。今日はみんながぜったいに観れない、リハーサルの模様をお届けします。 コピーライトは、かりあげせんぱいに帰属します。写真家の写真は作品だからね。オレたちの曲と一緒。リスペクトしてくださいね。なので、無断使用はしないでね。よろしく。せんぱいへの励ましのお便りはこちらだよ。 じゃー、行ってみよー。                                       and   —————————————————– さぁて、これからの6本、簡単に紹介しとくぜー。新しいアルバムも持っていくからよー。一般発売より早く手にしてちょー。 詳細はこちら。 … 続きを読む

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ツアー最終日、東京にて

11月17日 月曜日 曇り え?もう終わり、みたいな? 3本は短すぎるなぁ。僕が世間知らずなんだけど、もはや土日のスケジュールはどんなハコであれ、来年の夏くらいまで埋まってるそうで、かなりの計画性をもって音楽活動をしないと、週末にコンサートをやるのは難しいんだそうです。 そのあたり、ちゃんと考えて、来年はこのアルバムのツアーやりたいなぁ。もっといろんな街にバンドで行かなきゃなぁ。観てくれたら分かると思うけど、バンドってやっぱり凄いものがあるんだよねぇ。あの人たち、やっぱりすごいんだよねぇ。いちいちキャラが違いすぎるのが素晴らしいと思わない?焦げ魚、観た?あんな人居ないよ。あんなドラムをたたく人はもちろん観たことないし、たった1曲歌っただけで、学園祭みたいにしてしまう人もね。 何でサイン会をしようと思ったかって、したら、アルバム売れるだろう的なことより、ライヴが終わったあと、音楽がどんな風にみんなの心にファンクションしたか知りたかったし、バンドを支えてくれたオーディエンスにありがとうを伝えたかったし。 スタンディングで疲れてるんだけど、汗だくのキラキラおっさんがたくさん居たよ。ありがとな。おっさんのカリスマとしては嬉しかったっす。 このツアーはファンのみんなと創ったステージなんだ。リクエストがなければやらなかった曲はたくさん。俺たちのエゴだけじゃなくて、勝手に仲間だと思ってきた違うバンドや、偉大な先達にも敬意を込めて。 さっきこういうツイートがあるって教えてもらった。勝手に引用してごめんね。いわく、 ————————– HEATWAVEの音楽は、遠くへ行きたかった若者が年齢を重ね「ずいぶん遠くまで来てしまった」と思うとき、そしてそこが思い描いた場所とはずいぶん違っていることに気づくとき、そばにあるべきロックンロールだと思う —————————- あは。そう思ってくれると嬉しいなぁ。でもね、若い人たちにも伝わると思うんだ。来年はアルバムのツアーもやりたいし、バンドのライヴももっと増やすし、曲も書くぜ。 その前に、みんなアルバム買ってくれ。買ってくれた人、ありがとーーー。そして、感想も聞かせてね。たっくさんのサポート、ありがとう。それから仲間たち、ありがとう。昨日もさ。サイン会終えて、スタッフが積み込みしてるとき、たくさんのローディー君たちが手弁当で駆けつけてくれてんの観て、泣けたぜ。しかも、お前ら、アルバム自分たちの金で買いやがって。オレたち愛されてんなぁ、って思ったよ。みんな、ありがとう。元気でね。 オレはすぐに北に旅に出るんだけど、今日は寝る。おやすみ。昼の12時に家に帰りましたってメール書いたら、チャボさんに「お前はフェイセズか、早く寝ろ」って。ち、ちがいますぅ。でも、早く寝ます。 アルバム、創ったら、いろんなことが動き出したよ。大変だったけど、創ってよかった。みんなの日々で響きますように。たくさんの愛。わんわんわーーん。 HW / tour 2014 DON’T LOOK BACK 1. STILL BURNING 2. LIFE GOES ON 3. フリージア 4. 灯り 5. 冬の朝 6. 遠い声 7. DON’T LOOK BACK 8. ハピネス(大阪のみ) 9. 夢の底 10. OK (フルノイズ / HW … 続きを読む

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SOUNDS

11月15日 土曜日 晴れ あまり触れられることがないけど、新しいアルバムが「いい音だ」って云われると、ほんとうに報われるぜ。ありがとう。ENJOY!!!!! あ、12/26の「MY LIFE IS MY MESSAGE presents YOUR LIFE IS YOUR MESSAGE 2014」(ややこしくて、すまん)。佐藤タイジの参加が決まりました。てな訳で、出演は高野寛/佐藤タイジ(シアターブルック)/田中和将(GRAPEVINE)/矢井田瞳/それに僕の5名です。 詳細はこちらを。 月曜日、渋谷duoで焼け焦げます。こういうHWはなかなか観れないと思うよ。迷わないできてくれたまえ。 —————— 「夕陽へのファンファーレ」プチ特設サイトできてます。これからインタビューなど、充実させていきますんで、どーぞよろしく。まずは一般発売の情報など。このblogの右側から飛んでくだされ。    

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ツアー二日目、福岡にて

11月13日 木曜日 曇り ド平日にも関わらず、故郷の会場を埋めつくしてくれた満員のオーディエンス。仕事帰りの人が来るには19時30分開演にするしか方法がなく、ここの音止めは22時と決まっておるのです。なので、定刻開演、そして、きっかり2時間半。魂の底から音楽を奏でましたとも。 ライヴが終わって、新しいアルバムへのサインに並んでくれてるのは。男、男、男、男、男、男、男、男、男、男、男、男、男、男、女性、男、男、男、男、女性、男、男、男、男、男、男、男、男、男、女性、おっさん、男、おっさん、男、おっさん、男、女性、男、男、おっさん、おっさん、おっさん、おっさん、おっさん、おっさん、おっさん、おっさん、おっさん、おっさん、おっさん、おっさん、おっさん、おっさん、おっさん、おっさん、おっさん、おっさん、、、、、、。みたいな。 おっさんたちがおっさんのサインに並んでくれるという希有かつ非常にシュールな光景。楽屋に帰って、そのことを池畑先輩に報告したら、「それは素晴らしいことやん」とのお言葉。そして、わたくし「おっさんのカリスマ」という称号を頂戴いたしました。あ、あの、あまり嬉しくありませんので。女性も怖がらずに気軽に並んでくださいね。でも、おっさんたち、来てくれてありがとう。 新しいアルバム、楽しんでくれーーーー。

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ツアー初日、大阪にて

11月12日 水曜日 晴れ あのですね。バンドのライヴをやって、その日にblog更新するのはもう無理だと思いまーす。そんな力があるんだったら、その力ライヴに注ぎます。つーくらいにはエネルギーを使ってるってことで許してね。来てくれて、ありがとー。みんなが新しいアルバム手にしてくれて、まじ嬉しかったす。 ———- 博多の楽屋っす。 博多駅を降りて、地元の山善せんぱいが県立美術館で展覧会をしていたので、訪ねたなら「1曲歌っていきやい」といきなり博多な洗礼を受けました。笑。 昨日、スーツ姿の人もたくさん居て、ほんとうに仕事帰りに来てくれたんだなぁ、と、こっちがエネルギーもらったっす。ありがとね。新しいアルバム、みんなの日々で響きますように。 それからMY LIFE IS MY MESSAGE宛に多額の寄付をしてくれた人物が居て、名も名乗ってはくれず。いつまでも忘れずに居てくれてありがとう。責任持って届けます。

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HEATWAVE / 夕陽へのファンファーレ #004

11月11日 火曜日 雨 はてさて。 今日はツアー前の最後のリハーサルなのですが、おそらくスーパー全力を出し切って帰ってくるので、帰宅後のblog更新は無理かと思われ(元気があったら、写真だけ更新します)、みなさんに新しいアルバムを是非手にして欲しくて、朝6時にこれを書いております。 —————————————- ミキシングのことです。 ミキシングって、これまた知らない人にはぜんぜん分からない話っすよね。えー、マルチトラックの個々のトラックには大抵の場合、一種類の音が収められています。たとえば、ギターとかヴォーカルとか、ベースとか。昔はたくさんのトラックを使っていましたが、今の僕らは極端に少ないです。たいてい16トラックあれば事足ります。24までいくことは最近あまりないです。隙間で語るバンドになったからだと思います。 それらをどのように混ぜ合わせて音楽を作るかってのがミキシングです。ルールはありません。自分のやりたいようにやればいいのです。ただし、かなり専門的な知識も必要になりますが。 僕の場合は短編映画のような動画がスピーカーの間に見えているので、そこに向かっていきます。空想の動画を実際の音が上回ると、ひじょーにコーフンします。 みなさんの日々に響くファンファーレを創るにあたって。主張が強く、痛く、激しいだけのものを創りたくはなかったのです。それに関して、貼られていた戒めの標語は「強さじゃないんだ、風なんだ」でした。笑。ストロングな方向に行きすぎて、耳が痛くなってきたら、その標語が僕を戻してくれます。 とにもかくにも、次第にいろんなつまみが動かなくなってきます。動く範囲も狭くなってきます。最後は0.2dbくらいの攻防が繰り返されて、行きたかった場所にたどり着きます。そこは絶妙なバランスで成り立っている奇蹟的な場所なのです。早くて3日、手こずると1週間くらいかかります。僕は専門的な教育を受けていないので、技術よりセンスで突破しなければならず、どうしても時間がかかります。通常の現場では平均して1日1曲ぐらいです。 自由に生きるってことは、責任を自分で取れば、どのように生きても自由なのです。でも、たとえば今年はソロアルバムも含めると、約4ヶ月、自分のスタジオにカンヅメになっていました。その間、当然収入はありません。本来作家とはそのような職業です。こんなことでビビるくらいなら音楽なんかやるんじゃねーと、これまた無駄に自分を鼓舞します。僕はもうこういうことにビビったりしませんが(多少の危機感はあります、もちろん)、家族が居たらキビシーかなぁ。ここまで集中できないかも。そして家族が居ようが居まいが、人々が手にしてくれる作品を創れなければ、次はないってことです。アウトです。続きませんから。いつだって崖っぷち。いつも云ってますが、続けることが一番難しいのです。その緊張感もいい風に変えて、作業は続きます。 ミキシングには2週間くらいの余裕を取ってあり、フィニッシュは阿蘇でと考えていましたが、耳の疲れもあって、作業は大幅に遅れ、結局ギリギリでした。細部に渡って、丁寧に、そして大胆に気持ちは込めてあります。約3ヶ月の「途方もない航海」はようやく終わりました。 そこからはマスタリングです。全体のバランスを整え、曲順、曲間を決める重要な作業です。これまた専門職なのですが、今回は魚が担当しました。ケチったのではありません。誤解なきよう。あくまでもバンドの総合力で完成させたかったのです。 ツアーが再開してしまった僕とネットで毎日やり取りをします。どこのポイントをどう変えたのか、周波数と変化の度合いが分かってしまう自分の耳が恨めしかったです。僕らの耳は0.2dbの違いを聞き分けます。ちょっとうんざりします。マスタリングも大抵の場合一日で終わる作業なのですが、これまた困難を極めました。そもそもの録音の成り立ちが変わっているアルバムなので、質感を揃え、ストーリーを創るにはいったいどうしたものか、二人で途方に暮れました。追い込まれた日、深夜に魚が解決方法を見つけたとき。ネットを挟んでガッツポーズをした日のことは忘れられません。それは最後の巨大な壁だったからです。格言、「諦めたら、負けだ」。 最後の最後。僕はツアー先の長野から車をぶっ飛ばして魚のスタジオに行き、二人でフィニッシュしました。お土産は横川の峠の釜飯、どうでもいいか。締め切りの前日。滑り込みセーフです。魚のスタジオの(敢えて)ラジカセから1曲目が流れてきたとき。言葉にならない充実感がありました。 家に着くころ、魚から電話。「釜飯ありがとう」。あれ、ときどき無性に喰いたくなるよね。笑。 最後にアート・ディレクション。デザイナーは渡辺圭一です。バンドのアルバムだからです。彼は演奏してから、音楽がどのように変化しているのか、まったく知りませんでした。物理的に離れた場所に住んでいるし、作業そのものは僕ひとりで続けていたからです。 僕の作業が8割方終了した時点で、音楽を聴いてもらいました。タイトルが見えていると、お互い作業は早いです。浮かんできてからは、フィニッシュに向けて突っ走るだけでした。今回ジャケットにはアルバムタイトルも、バンドの名前も記されていません。そこに込められたデザイナーの想いも受け取ってもらえたらと思います。 こうやって、宣伝のため、仕方なく、言葉で説明していますが、ほんとうはイメージを限定するような行為を何ひとつしたがらないのがHWというバンドの良さだと思っています。「またヒロシが言葉で説明しすぎ」とバンドのみなさんに思われていることでしょうが、今回は僕も云いたい。「じゃ、売ることに協力してくれ」、笑。 てな訳で、ツアー前に、このシリーズの記述は一旦終わりです。読んでくれて、ありがとう。2014年、HW。全身で魂込めました。みなさんの日々で響きますように。 一番大切なことを。どんな状況であれ、僕らをサポートしてくれる皆さんが居てくれなければ、僕らは成り立たないのです。これまでのたくさんの声援にこころから感謝します。ほんとうにありがとう。 とにもかくにも、ツアーに来て、手にしてくれると嬉しいです。今日も大きな声で云うぞ。買ってくれーーーーーーーー。 アルバムに収録されている曲は以下です。僕のソロで知っている曲も多いでしょうが、全部新録です。 夕陽へのファンファーレ / HEATWAVE 1. Don’t Look Back 2. Life Goes On 3. I Believe in You 4. … 続きを読む

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HEATWAVE / 夕陽へのファンファーレ #003

11月10日 月曜日 雨 今回の録音の方法について、「途方もない航海」と書きましたが、経験のない人はまったくちんぷんかんぷんだと思うので、触れておきます。 以前から、資質として、僕はレコーディングスタジオがあまり好きではなかったのです。まず、開放的な音楽を作りたいのに窓がない。都会では防音のため仕方ないのですが。僕が好きな場所には窓があります。阿蘇なんて、窓しかありません。雷が鳴ったら、防ぎようがない。でも、それが音楽だと僕は思うのです。 2000年になったばかりのころ。サウンドトラック「ヒヲウ戦記」で大胆な実験をしました。廃校になった小学校跡の牛小屋にすべての機材を持ち込んで録音するという方法です。曲数が半端なかったので、早起きして、食事をつくり、散歩して曲を作る。昼前からその曲を録音して、夜は飲む、みたいな。晴れた日に、雨の曲ができるはずもなく、甚だ第一次産業的な、自然に思いきり左右される録音は困難でしたが、実りあるものでした。何よりも、あれから10年以上経過しても、まったく独自のサウンドは古くならないのです。 ならば、この時代、無駄に多大な予算をかけることなく、情熱を込めていい作品を作るにはどうしたらいいのか?独自のやり方を模索すべきです。僕らもPRO TOOLSを使います。でも、同じ使い方をしたら、世間と同じ音にしかならないのです。 きっかけは魚さんの発言でした。僕自身のパフォーマンスがスタジオに居るときより、ライヴの方がいい、と。僕もバンドのパフォーマンスはライヴの方がいいと思っていました。二人で作ったアルバム「SPEECHLESS」は殆どが千葉のANGAで録音されたものをベースに作られています。それをバンドに昇華させるのは不可能ではないかもしれない。 「HW SESSIONS」という企画ライヴを立ち上げ、バンドでの実験を繰り返しました。そのリハーサルも、ライヴの瞬間も、マルチトラックで記録されていました。とはいえ、ただ記録したものと、中盤から我々がこころから信頼しているレコーディング・エンジニア、森岡徹也が記録してくれたものは、びっくりするくらい音が違っていました。太さも、艶も、音の伸びも。最初から気づいとけよーーー。 合計15時間分くらいのファイルがありました。それを仔細に渡って「すべて」聞きました。結構、苦痛を伴う作業だったので、それは外国の標高3000メートルの宿で一ヶ月かけて、やりました。毎晩毎晩、修行のようにファイルを聞き、どれをどう使えば一枚のアルバムになる可能性があるのか、考えました。云うまでもなく、殆どがNG。ただし、魚が云った通りに、チャーリー・ワッツに負けないくらいの池畑さんのフィルがあったり(そのフィルだけでテイクをOKにしたこともあります。ロックンロールですから)、とんでもないミラクルが記録されていたりもするわけです。ただし、そのテイクに限って音が良くない、とかね。トホホ。 今回のアルバムはシンプルなものにしようと思っていたので、ストリングスやホーンセクションなど、ゴージャスなダビングをするつもりはありませんでした。もちろん、何も足さない状態で歌まで含めてOKなものも数えるほどありましたが、ほとんどのテイクには大幅な何がしかの作業が必要でした。僕はそのことを「オペ」と呼んでいました。「今日のオペは痺れるぜ」みたいな。笑。 標高3000メートルに居る間に、帰ってからのレコーディングの作業工程を決め、帰国して、チャボさんと全国を廻り、ツアーを終えて、3週間ぶっ倒れた後、いよいよ自分の仕事場で作業にかかりました。7月だったかなぁ。かなり悲壮な覚悟をもって。 コンピュータ時代になって唯一よかったことは、トータルリコールが簡単に可能になったことです。アナログだと、こうはいかない。ある曲が煮詰まったとき、とりあえず放置して、次に行くってことはアナログの作業では難しいのです。 そうやって、全体像とピークを想像しながら、砂の城を作るみたいに、基礎から音楽の家を作っていきました。ときどき大きな波に全部破壊されたりして。 まず無駄なものを取り払い、サイズや演奏を編集し、骨だけにして、本当に必要だと思うものだけ足していきます。そのとき、僕はレコーディング・エンジニアで、プロデューサーで、シンガーで、ギタリストやパーカッショニストで、何よりもソングライターなのです。そしてバジェットの管理もやります。ソファーにふんぞり返って、エンジニアに指示だけ出していたら、もはやバンドは存続できません。つまり、長い間に身につけたスキルによって、バンドはどうにか生きながらえているってことです。 これだけの職務を背負うと、客観性を簡単に失って疲弊します。いつ終わるとも知れない痺れる作業です。自分を鼓舞するのは自分だけなのです。なので、ほんとうに小学校の教室みたいに「標語」がたくさん貼られていきます。もはや、自分のためにエゴで作っているのではないのです。僕に出来ることはこれしかないのだし。 ここで、昨日の記述に戻ります。 ——– “真理”は、自己の思考が完全に終焉したときに、向こうからやってくるものである。 明けても暮れても。僕は毎日、海や夕陽と会話をしていました。ある意味、自分と話していたのですが。それは大切な時間でした。「走る」と云う行為が素晴らしいのは、発想が作為ではなくなるところです。考えないことによって、自分の深層にたどり着くことができます。毎日、飽きずに眺め続けた「夕陽」を、とあるもののメタファーにして、僕はバンドで誰かを鼓舞するのではなく、穏やかな、明日の力になるようなファンファーレを鳴らそうと思ったのです。 ———- (続く)。 ついしん 明後日、大阪でみんなにアルバムを手にしてもらうことになっているのに、まだ僕すらそのアルバムを観ていないというスーパー綱渡り(大汗)、明日リハーサルをするスタジオに届けられるそうです。ほんとうにできたてホヤホヤにも程があるってか。みんなデカイ声で云うぞーーー。買ってくれーーーーーーっ。

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HEATWAVE / 夕陽へのファンファーレ #002

11月9日 日曜日 雨 このシリーズの投稿、人気ないっすね。ヘビーっすか?でも、まぁ、自分にとっては、気持ちを整理して、前に向かうために必要な作業なんで、続けますね。 ——————————————– 昨日書いた、世界は容易に咀嚼できるような状況ではなかったってこと。たとえば、ほんの一例ですけど、こういう感情です。 たとえば、今年の9月15日に原発から2.5キロしか離れていない国道6号線が「開通」しました。この写真は僕の仲間が最近撮影してくれたものです。車内での線量です。狂ってるのはオレすか?世界すか?両方すか?アベちゃん、これは犯罪だよ。どんなに近くてもオレは通りたくない。       ふーーっ。気持ちを落ち着けて、と。       そして、僕を励ましたのはこういう言葉でした。いつものクリシュナムルティーです。 「“真理”は、自己の思考が完全に終焉したときに、向こうからやってくるものである」。 明けても暮れても。僕は毎日、海や夕陽と会話をしていました。ある意味、それは自分との対話なのですが、大切な時間でした。「走る」と云う行為が素晴らしいのは、発想が作為ではなくなるところです。考えないことによって、自分の深層にたどり着くことができます。毎日、飽きずに眺め続けた「夕陽」を、とあるものの比喩にして、僕はバンドで誰かを鼓舞するのではなく、穏やかな、明日の力になるようなファンファーレを鳴らそうと思ったのです。 ある日、その曲が頭の中で鳴りはじめました。誰の曲か不明だけれど、何かの一節であることは分かりました。調べたら、フランシスコ・タレガという人の作品でした。僕の親父が弾こうとして弾けなかった曲だったのですね。笑。だから、彼のギターでその曲をアレンジして弾いて、アルバムに収めました。 タイトルは「Fanfare for the Wasteland」。 とにかく。どんな状況であれ、生きていることが素晴らしいと思える音楽を作りたかった。エゴを超えて、誰かのために音楽を作るのは初めての経験でした。仕事場には自分を鼓舞するための標語がたくさん貼られていきました。いわく「お前ならできる」笑。そうでなければ、この途方もない作業を貫徹することは不可能だったと思います。 もうひとつ。CHABOさんとかなり長い時間を一緒に過ごさせてもらって。 僕が受け取ったものは計りしれません。未来を作る唯一の方法は、今を精一杯生きるってこと。それは分かってました。でも、その精一杯ってのは、得てして、自己満足になりがちなのです。彼はそれに加えて「丁寧に」生きることを背中で教えてくれました。 僕は確実に変わりました。O型特有のいい意味での「ガサツ」な大らかさは残したまま、すべてのことに対して「丁寧に」なりました。結果はおのずと変わってきます。それは新しいアルバムを聴いてもらえば分かると思います。音だけはなく、音の隙間まで、静かな情熱を込めました。 僕らは面倒くさい道を選びます。それしか出来ないとも云えるし、時間がかかっても、誰かのこころに深く染みていく方法を選びます。「いのち」の大切さを伝えるのはその方法しかない、と思うのです。(続く)

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HEATWAVE / 夕陽へのファンファーレ #001

11月8日 土曜日 曇り さぁ、宣伝だー。これから時間のあるときに、数回に分けて、HEATWAVEの新しいアルバムのことを伝えていきます。 ————————————— 制作に取りかかったのはいつのことだったのか(遠い目)。前のアルバムをリリースしたのが2007年。実に7年。決して遊んでいたわけじゃないっす。 その間に起きたことはあらためてここに記すまでもないか、と。個人的な事情と相まって、表現者として、ニンゲンとしての姿勢を根本から問われました。言葉を失っている時期から、音楽へと再び向き合うまで、かなりの時間を必要としました。あたりまえか。 簡単に書けば、世界と自分は容易に咀嚼できるような状況ではなかったということです。でも、そこに生息しているのも紛れもない事実で、世界がより良くファンクションするために、いったい自分は何ができるのか、失敗と挫折と失望を繰り返しながら、考えていたのだと思います。 ある日。 個人的な体験と相まって、エゴとはかなりかけ離れた地点に自分が立っていることに気づきました。表現者たるもの、自我は不可欠。云うまでもなく、僕もまたエゴの塊だったはずなのに。おそらく望まない鍛錬を繰り返すうちに、それが遠くに霞んだのでしょう。自分のことを考える余裕もなかったし、そのつもりもなかったし、実際そんなことはどうでも良かったんです。 数年かけて、日本中を廻るうちに、ようやくいろんな想いが音楽となって渦巻いてきました。 去年の夏。バンドでレコーディングに突入しました。やっと見つけた(僕らにとって)イケてるレコーディング・スタジオ。状況は整っていたはずだけれど、そこで録音されたものにロックンロールを感じなかったのです。理由はうーん。2011年以降のメンバーそれぞれの世界に対する態度の違い。違いはあって当たり前で、それでこそバンドなのだけれど、その「偉大なる差異」をまとめるだけの力量が僕にはなかったってことでしょう。 正直、途方に暮れました。もう限界かも、と思いもしました。50歳を超えるバンドがほぼ存在できない理由も身をもって理解しました。ただ、ここで終止符を打ったなら、後悔を残すことも、ね。 一人でツアーをしながら、僕らの新しい曲が望まれていることを肌で感じていました。同じ時代に生きていること。そんな理由もあって、まずは自分のソロでレコーディングし、アルバムをリリースしました。SONGS OF EXPERIENCE、ウイリアム・ブレイクの言葉を借りて「経験の歌」。読んで字の如し。そのままです。 僕はもう一度チャレンジすることを決めました。バンドの紆余曲折の35年にそのくらいの価値はあるはずだと思いたかったんです。いや、マジで。 レコーディング・スタジオではなく、ライヴやリハーサルの現場で、できるだけマルチトラックで録音しておき、それを僕がまとめあげるという、書けばこれだけのことだけれど、途方もない航海に出てみようと思ったのです。この期に及んで途方もないチャレンジに出たって、誰に迷惑をかける訳でもないじゃん、みたいな。 実際、そのチャレンジはかなり途方もなかったんすけど、その道程を耐えられるだけの言葉、いや、なんだろう、態度。そんなものを見つけたんです。 今日はこのあたりで。続きは次回。

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その後のジョニー

11月7日 金曜日 晴れ ロクなものを喰ってなかった。人は食べたもので出来てることが分かっていても、一人だとどうしようもない時もある。スタジオに向かう途中にある某ジャンクフードをドライブスルーで買って、運転しながら喰らう。これはもはや食事ではなく、餌。スタジオに行けば、またそのジャンクフードが出てきて、油の臭いにムセながらも仕方なく喰う。うりゃーと長時間思いっきり歌ったら、低血糖に陥って、帰りしなの某ファミレスでステーキ喰う、みたいな。嗚呼。 天の配剤。ジョニーからメールが来ましたよ。ジョニーについて知りたければ、こちらからどうぞ。で、オフィシャルサイトはこちら。FACEBOOKはこちら。 「ヒロシさん、初めての米ができました。食べてください。玄米、白米、どちらをご所望で?」。「おおっ。そうなん。じゃ、ジョニーがオレに喰って欲しい方で」。で、とうぜん玄米が送られてきたって訳です。 これがね。奴が作ったのかと思うと(今年、広島は雨で大変だったろうから)ひとつぶたりとも無駄にはできません。朝はお粥にして、晩ご飯は炊いて頂きましたとも。何つーか、その。あの。愛と情熱の味がしたよ。まさか、ジョニーに泣かされる日が来るとは思わなかった。くーっ。 てな訳で、百姓ジョニー、どうぞよろしく。根性入ってます。今回のツアーはかなりジョニーの米のエネルギー入ってると思います。  

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