月別アーカイブ: 2月 2018

Simple twist of fate

2月6日 火曜日 晴れ ディランのSimple twist of fateは邦題が「運命のひとひねり」なんだけど、これは星の数ほどある邦題の中でも出色の出来だと思うなぁ。ほんとうに「ひとひねり」で物事は劇的に変化する。 僕や周囲の人間の運命がぐわんぐわん変化していて、もはやなんというか、洗濯機の中に居るみたい。なにひとつ予想していたようには動かない。せっかく買った外国行きのチケットもどうやらゴミになりそうだし。もったいないけど、それよりたいせつなことがあるのなら仕方ないね。今年は雪山断念かなぁ。くぅ。 そんな中で美しい方に物事を変化させていくには、honest第一。次に禊ぎ。僕の場合、走りに出て、海を照らす太陽がつくる「光の道」と対話してみる。すると、こころが穏やかになる。何が待っていたとしても、僕はそれを受け入れることができる気がしてくる。不思議なもんだね。 あとはひとつひとつ丁寧にやることかなぁ。かくいう明日もたいせつな打ち合わせがある。けっこう、人生かかってる。でも、やることやったから、こころは穏やかなんだ。そういうときはいい方向にことが運ぶことが多いと思う。 なんにせよ、人生はワンダフルすぎて、ドラマチックすぎる。そして道はいつも歩いた後にしかできない。   明日は2018年初めてのライヴの案内ができる、かも。    

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福島にて#2

2月4日 日曜日 晴れ 福島から戻りました。肝臓を痛めつけてのご帰還です。 あの街がいまどうなっているのか。それを写真で伝えるような野暮はしません。ぜひ、自分で行ってみてください。それぞれの受け取り方があると思います。よくなったことも、そうでないこともたくさんたくさん感じました。いつも僕に伝えることを期待しているみなさんには申し訳ないけど、今僕の主観を通したものを伝えるべきではないと思うのです。 MY LIFE IS MY MESSAGEとしてやるべきことはかなりはっきりと見えました。難しいことじゃないです。「なにができるだろう?ともだちとして」。会って話をするだけでいいと思います。メールでもなく、電話でもなく。そんな意味ではほんとうに行ってよかった。会って、バカ話をして、全国のともだちと電話で繋げて、バカみたいに笑う。なんのアポもとっていないのに、会いたい人間にはほとんど会えたし。笑。 音楽には人々を結びつける力がある。だから、僕らは音楽を鳴らすことになると思います。もう少し東京のスタッフとミーティングしてみます。

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福島にて

2月3日 土曜日 曇り   福島に居ます。  あれから7年。MY LIFE IS MY MESSAGEに毎月欠かすことなく気持ちを送り続けてくれる人たちが居ます。僕に何ができるのか分からないけれど、託された以上、自分の目で見ておかないと、その気持ちを還流する方法なんて、到底見つかりません。少なくとも、あのオリンピックを過ぎて、10年目までは続けようと思っています。意地でもあります。  何のアポも取らず、ふらりとやってきました。そこで出会った人たちから話を聞くのがいいかなと思ったのです。確かな復興の風景を見ました。そして、ここに来るまでにきっつい場面に何度も出くわしましたが、そういう写真を掲載することはやめておきます。たった一日だけ久しぶりに来た僕にそれをどうこう語る資格はないと思うからです。  できるだけそこに暮らす人々と会話をしてみたいと思っています。帰ったら咀嚼してお伝えします。  ジョニ・ミッチェルさんのこと、書かせてもらいました。  

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運命の動かし方

2月2日 金曜日 曇り すっかり月に恋した模様。ほんとうに美しかった。まだ、言葉にならない。 いつだって運命と憧れは手に負えないけれど、ミラクルな日々に生きていると思う。年を重ねると委ねることも覚える。そうやって、運命の動かし方を学んでいるのだと思う。 世界を知るためにテレビを見た方がいいと進言してくれる人もいるのだけれど、あれを見ると、すべての野生の感覚をスポイルされてしまう気がする。人がどうなのかは知らないけど、それはとっても危険だ。 わかっていないのに、わかったような気持ちになりたくない。行ってもいないのに、そこに行ったような気になりたくない。そして、すべてのことを誰かに説明されたくない。とかくこの世は説明が多すぎる。それもまたコンプライアンスというやつなんだろう。 ある程度運命はクリエイトできると思う。引き寄せるのではなく、創造する。求めないことによって。    

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2月1日 木曜日 曇り 小さい頃からバカみたいに本を読んできたから、僕は斜めに本を読むことができる。2,3行束ねて読むのだから、スピードはむちゃくちゃ速い。 でも敬愛する宮内勝典さんの新刊「永遠の道は曲がりくねる」は二ヶ月かけて、スポンジに少しづつ水を含ませるようにして読んだ。氏が渾身の力を込めて書き上げたのがわかっていたから、その想いをしっかりと受け止めたかった。 90年代前半、NYで居候を繰り返していたときバイブルのように読み返していた彼の本があった。文庫本だったけれど、読み返しすぎてボロボロになっていた。明日をも知れぬわが身に、いつも次に旅する場所を示唆してくれた本。そのとき、宮内さんが数ブロック先に住んでいたなんて知るよしもなかったけれど。 新刊は素晴らしかった。受け取ったインスピレーションはここにつらつらと書ける類のことではなくて、胸の中でざわざわとしたままそこに居座るようなタイプのものだった。その力は行動を起こさせ、僕は月とともに生きるマスターにばったり会うことになる。 マスターはそのLIFEをかけて、月のすべてを教えてくれた。新月から満月までの周期、干潮と満潮、大潮と小潮、月の引力によって引き起こされるすべてのこと。月と地球との関係、女性が月に呼応し、旧暦は月の満ち欠けに完璧に合致すること。”month”のことを何故、月と呼ぶのか。 宮内さんの本に書いてあったっけ。太陽と月と地球の引力が釣り合う場所。ラグランジュ・ポイント。 僕は何にも知らなかった。あれだけ本を読んでいても月のことなんて何も知らなかった。ふるえるようなインスピレーションだった。 今夜は空を見上げなさい。マスターはそう教えてくれた。僕は雪山なみの防寒具を着込んで、屋上に登り、壮大な天体ショーを眺める。 言葉にならないし、する必要もない。あれだけじっとひとつのものを見つめたのはひさしぶりだった。静物画を描くとき、対象を見つめ続けていると、ときどき裏側まで見えることがある。そのことを僕は「見切る」と呼んでいるのだけれど、宇宙サイズでそれをやるのはほんとうにひさしぶりだった。砂漠や山の家でそれをやってきたけれど、まさか自分の家でもできるなんてね。 ふるえるような感動だったよ。 永遠は僕らの想いも飲みこんで、もっと大きな円環を描こうとする。だとするなら、それを夢想することも永遠だよ。 Your Songのプロモーションが始まったとき。どうしてかわからないけれど、黒い洋服しか着たくなくなった。最初のプロモーションは渋谷で行われ、スーツで武装して自滅。翌日、真っ黒な洋服を買い込んで、それからずっと黒まみれ。帽子から靴まで全部黒。 いったい自分が何をしたかったのか、昨日空を見上げていてわかった。ミルキーウェイにあるブラックホールに吸い込まれたいんだね。笑。それが僕の夢なんだよ、きっと。 親父は数学者で、6次元を研究していた。親子というよりは兄弟みたいに仲がよかった。彼の歓びも、背負ってしまった哀しみも小さい頃から理解できた。アル中で、よく側溝なんかに落ちていた彼を小学校に上がる前から拾いに行ってた。その哀しみの理由を理解しているから、ぜんぜん嫌じゃなかった。 10歳くらいの頃だったと思う。ある日親父の機嫌がよくて、一日かけて相対性理論を教えてくれた。僕はその日理解したのだ。ブラックホールのことを。あの興奮は未だに覚えてる。なんだかものすごいことを知ってしまったような、もう小学校には通えないような。笑。 でも次の日ともだちに説明しようとしたけれど、まったくできないのだった。あの頃動画なんてあればなぁ。もう一度あの話を聞いてみたい。てか、あの話がなんだったのか知りたくて、僕は長い旅を続けてきたんだってことが、昨夜はっきりとわかった。 悪くない。想いは円環を描くってこと。

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