日別アーカイブ: 2018年2月1日

2月1日 木曜日 曇り 小さい頃からバカみたいに本を読んできたから、僕は斜めに本を読むことができる。2,3行束ねて読むのだから、スピードはむちゃくちゃ速い。 でも敬愛する宮内勝典さんの新刊「永遠の道は曲がりくねる」は二ヶ月かけて、スポンジに少しづつ水を含ませるようにして読んだ。氏が渾身の力を込めて書き上げたのがわかっていたから、その想いをしっかりと受け止めたかった。 90年代前半、NYで居候を繰り返していたときバイブルのように読み返していた彼の本があった。文庫本だったけれど、読み返しすぎてボロボロになっていた。明日をも知れぬわが身に、いつも次に旅する場所を示唆してくれた本。そのとき、宮内さんが数ブロック先に住んでいたなんて知るよしもなかったけれど。 新刊は素晴らしかった。受け取ったインスピレーションはここにつらつらと書ける類のことではなくて、胸の中でざわざわとしたままそこに居座るようなタイプのものだった。その力は行動を起こさせ、僕は月とともに生きるマスターにばったり会うことになる。 マスターはそのLIFEをかけて、月のすべてを教えてくれた。新月から満月までの周期、干潮と満潮、大潮と小潮、月の引力によって引き起こされるすべてのこと。月と地球との関係、女性が月に呼応し、旧暦は月の満ち欠けに完璧に合致すること。”month”のことを何故、月と呼ぶのか。 宮内さんの本に書いてあったっけ。太陽と月と地球の引力が釣り合う場所。ラグランジュ・ポイント。 僕は何にも知らなかった。あれだけ本を読んでいても月のことなんて何も知らなかった。ふるえるようなインスピレーションだった。 今夜は空を見上げなさい。マスターはそう教えてくれた。僕は雪山なみの防寒具を着込んで、屋上に登り、壮大な天体ショーを眺める。 言葉にならないし、する必要もない。あれだけじっとひとつのものを見つめたのはひさしぶりだった。静物画を描くとき、対象を見つめ続けていると、ときどき裏側まで見えることがある。そのことを僕は「見切る」と呼んでいるのだけれど、宇宙サイズでそれをやるのはほんとうにひさしぶりだった。砂漠や山の家でそれをやってきたけれど、まさか自分の家でもできるなんてね。 ふるえるような感動だったよ。 永遠は僕らの想いも飲みこんで、もっと大きな円環を描こうとする。だとするなら、それを夢想することも永遠だよ。 Your Songのプロモーションが始まったとき。どうしてかわからないけれど、黒い洋服しか着たくなくなった。最初のプロモーションは渋谷で行われ、スーツで武装して自滅。翌日、真っ黒な洋服を買い込んで、それからずっと黒まみれ。帽子から靴まで全部黒。 いったい自分が何をしたかったのか、昨日空を見上げていてわかった。ミルキーウェイにあるブラックホールに吸い込まれたいんだね。笑。それが僕の夢なんだよ、きっと。 親父は数学者で、6次元を研究していた。親子というよりは兄弟みたいに仲がよかった。彼の歓びも、背負ってしまった哀しみも小さい頃から理解できた。アル中で、よく側溝なんかに落ちていた彼を小学校に上がる前から拾いに行ってた。その哀しみの理由を理解しているから、ぜんぜん嫌じゃなかった。 10歳くらいの頃だったと思う。ある日親父の機嫌がよくて、一日かけて相対性理論を教えてくれた。僕はその日理解したのだ。ブラックホールのことを。あの興奮は未だに覚えてる。なんだかものすごいことを知ってしまったような、もう小学校には通えないような。笑。 でも次の日ともだちに説明しようとしたけれど、まったくできないのだった。あの頃動画なんてあればなぁ。もう一度あの話を聞いてみたい。てか、あの話がなんだったのか知りたくて、僕は長い旅を続けてきたんだってことが、昨夜はっきりとわかった。 悪くない。想いは円環を描くってこと。

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