Daniel Lanois、情熱の人

1月18日 水曜日 曇り 

 ダニエル・ラノア、情熱の人。生きてて良かった。

 自分が正しいと思ってきた音楽の道を、すべて身をもって証明してくれた。何も間違ってなかった。僕にとっては、そんな希有なライヴだった。痺れた。しばらく音楽は必要ないし、余韻に浸っていたい。今日、ベッドに入ったら、いろんな風景が頭蓋の内側のスクリーンに浮かんでくるだろう。たとえ、映し出されたものがトラウマの映画だったとしても、僕はそれに浸っていたい。

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 20数年前から彼が創りだす音楽が好きだった。ヴォーカルが入っていない作品は未だに3日くらいエンドレスで家の中で流れていたりする。だから、誰も誘わなかった。一人で味わいたかったから。ところがどっこい、会場はミュージシャンだらけ。まるでどこかのfesのバックヤードみたいだった。みんな、自分でチケットを買ってやってきた連中だから、誰が来てた、なんてそんな野暮なことは書かないけど。

 ステージにヴォーカル用のモニターは「ほぼ」なかった。それは一般的にこの国で「コロガシ」と呼ばれているが、僕はそれが死ぬほど嫌いだ。あんなものステージからなくなりゃいいのに。いつもそう思う。だから、遠くにセッティングする。本当は表の音が聞こえてたら必要ないのだ。あんなもの。コロガシからドラムの音が返ってくるなんて、あり得ない。ドラマーの息吹が分からなくなる。僕は東京ドームでさえ、ヴォーカル以外何も返さなかった。だから、必然的に生音を聞くために、ステージの中央にメンバー全員が集まることになる。見た目が格好悪かろうが何だろうが、それじゃなきゃ、自分の音楽が成り立たない。

 今日のトリオはまさにそれを体現していて、ステージの中央にひしめくようにメンバーが立っていた。そして、遠くにひとつだけコロガシがあった。最高だ。でも、多分、ダニエル・ラノアはコロガシではなく、表と全体の音を聞いている。この嗜好を分かってもらえなくて、僕はどれだけ苦労したことか。間違いなく、今日のステージ上の音は小さい。全員が全員の生音を聞いている。だから、ダイナミクスをすべて有効に使う演奏ができる。スポンテニアスな演奏も可能になる。反応が速いのだ。

 ダニエル・ラノアのアンプは古くて小さいフェンダーのツイードで、ピックを使わずに、指だけでダイナミクスを表現した(指で優しく弾いた方が低音が出る。ドラムでもベースでも同じ。ここ大事)。おまけにディレイは、僕とおおはた雄一君が最近使っている変態ディレイ、マレッコのものだった。ビグスビー付きのレスポールを指で弾き、せわしなくフロントとリアを切り替え(再びここ大事。彼はセンターは決して使わなかった。フロントは多分トーンを絞ってある)マレッコとブースターを経由して、小さなフェンダー・ツイードで鳴らす。最高だよ。

 何よりも嬉しかったのは、ライヴを観るまで分からなかったことだけれど、彼が「情熱の人」だったってこと。音楽への溢れる情熱。「響きへの情熱」。それがほとばしっていた。彼の自伝には怒りにまかせて叩きつけた血まみれのピアノが写っている。ディランとのレコーディングで彼が暴れたのも有名な話。でも、それは暴力ではなく、溢れる情熱だと思う。コントロール不能な。勝手な想像だけどね。だからこそ、ペダル・スティールを弾くときも、メソッドから完全に逸脱した、弦を擦る情熱が溢れてくるのだと思う。

 彼やブライアン・ブレイドの演奏は誰も真似ができない域に達している。メソッドは自分。誰が何と云おうとも自分。それらの集合体がグルーヴと響きを創り、僕をノックアウトする。最高だ。

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 本当は誰とも会話したくなかったのだけれど、帰りしな相馬に電話した。「いや、音楽、最高だよ。こんなに静かに熱くオレを鼓舞してくれるものが、まだこの世にあるなんて、思わなかったよ」。応えて被災地いわく、「あんた今頃何云ってんの?それ、あんたの仕事でしょうが」。そうだね。オレの仕事は最高だね。こういう励まし方って、ぜったいアリだね。

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