2月3日 日曜日 曇り
朝から何だかアメリカ人がおかしい。日曜日なのに人出も少ないし、心ここにあらずって感じがする。調べてみると、今日はスーパーボウルの日らしい。彼らにとって、このイベントは紅白歌合戦みたいなものなのかもね。僕はここに来て、テレビを観ていないけれど、少なくとも僕にはまったく必要ないってことが良く分かった。夜、作曲するときに、テレビがない方がすーっと自分の心の中に入っていける。
頂上にジョン・デンバーの歌碑を見つけた。このあたりの出身らしい。記憶が正しければ、彼はドイツ系だと思うのだが、ジョン・デンバーって芸名は鳥羽一郎的なものなのかもしれないね。僕はこの歌にはぐっと来ない(デンバーさん、すいません)が、アメリカ人にとっては、ある種演歌チックな要素もあるのかもしれないね。
リフトに乗っている間、ふと考えた。僕のスキーはイタリア・デザインでオーストリア製。買ったのは(正確にはアニキが買ってきてくれた)アメリカ国内。ブーツはイタリア製。ポールはチェコ製。ヘルメットはスウェーデン・デザインの中国製。ゴーグルは多分アメリカ製。ウェアはアメリカ・デザインのヴェトナム製。手袋は二つとも中国製。インナーのCWXは唯一の日本製。
世界と繋がっているってことは、例えばこういうことじゃないかと思ったのだ。ただ安いから買うのではなく、自分がお金を使うことで、どのように経済が動いて、還流しているのか想像すること。それって、とても大事だ。
閑話休題。
かつて杉並区の住民だった頃。公園の情景を歌にしたくて、日がな一日、善福寺公園で歌を書いていたことがある。ここで、夜中に曲を書いていると、何故か日本の公園の風景が見えてくる。こんな隔絶されたこの場所で、その光景を夢想する事の方がリアルなのはとても不思議だ。
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魂は、何ものにも
影響されることはない。
初声から最後の息まで
不変の貧しさ、不変の豊かさ、
そのままなのだ。
あらゆる饒舌、あらゆる威嚇、
あらゆる魅惑、あらゆる詭弁が、
魂の扉の前で、尻込みし、
消散し、絶対に侵入することはない。
何ものも、魂を、
貧しくすることはできず、
豊かにすることはできない、
経験も、生命も、死もまた然り。
魂はやってきた時と同じように、
去っていくのだ。
われわれに何も求めず、
われわれから何を奪うこともなく。 (L・F・セリーヌ)
ロックンロール、立春!
ジョン・デンバーが「兄弟船」を歌う姿を想像して吹いちゃった。
一つの身体に沢山の国をまとっているなんて、普段はあんまり考えないですよね。
「歩く世界」?! 考えてみると、今は全て日本製っていう方が珍しくて贅沢なのかもしれません。
ちょっと違うけど小学生のときラーメン食べながら、麺作った人⇒小麦作った人⇒スープ作った人⇒ネギ植えた人⇒味噌作った人⇒大豆作った人⇒塩作った人⇒etc…と止まらなくなり、ウルウルきて集中して食べられなくなったことを思い出しました。
一念三千。
L・F・セリーヌの詩を読んで、なぜか高田博厚の塑像「ロマン・ロラン」の顔が浮かびました。他国の部屋で日本の公園が思い出されるのと同じように、こういうトリガーって脳内でどんな風になっているんでしょうね。