日別アーカイブ: 2014年7月6日

ツアー最終日「目を開けて歌え !」、福島県相馬市にて。

7月6日 日曜日 最終公演地、福島県相馬市にて仲井戸”CHABO”麗市せんぱいとのツアー、全12公演終了しました。 まずはじめに。 今という一瞬に全力を尽くすこと、それが未来を創る唯一の方法であること、音楽はニンゲンのこころが奏でること、自分のことより先に他人を思いやること、それを継続していくこと、エトセトラ。僕が勝手に受け取ったものははかりしれません。曲がったことが我慢できないだけの小僧(50だけど)の七転八倒を見るに見かね、力を貸してくれているのが実状なのに、自らをMCで「小チンピラ」と表現されてたアニキ。一生、頭あがりません。こころより、感謝です。 もうひとつ。アニキはハコが武道館であれ、60人の聴衆が相手であれ、アティテュードが不変で普遍。まじ、リスペクト。2000人を超えると何かが変わってしまう自分について考えます。 梅雨のじめじめした空気の中、チケットを買って足を運んでくれたみなさん。福島にフォースを送ってくれたみなさん。こころから、ありがとう。小僧と小チンピラ、全力で駆けぬけました。あたりまえだけど。 全国で勝手連的に力を貸してくれたみなさん、イベンター諸氏、あなたのことです。ほんとうにありがとう。 小僧と小チンピラ (失礼)を影となり日向となり、支え続けてくれたスタッフとプロジェクトのみなさん。あなた方が居てくれなければ、何もできませんでした。旅の間、辛いと思ったことは一度もありません。たいてい、腹筋がちぎれそうに笑っていました。感謝しかありません。 ————————————————————- 今まで何度通ったんだろう? 福島県相馬市に行くときはたいてい自分のクルマです。でも、今回は新幹線と福島駅まで迎えに来てくれた南相馬人のクルマ。それゆえ車窓がいつもと違ってきます。この3年の経験が浮かんでは消えていきます。 僕がこれから書くことはみなさんを不愉快にしたい訳ではないことを理解してくれると嬉しいです。逡巡したけれど、書きます。 甚だ記憶力が良くない僕でさえ、脳味噌に刻まれている道中の線量の推移。その増減のポイントはそのままに、半減期を過ぎた分だけ下がっているだけという現実。 その街には人を八つ裂きにしかねないエネルギーがあります。それは僕ら関東に住む者たちが使うために作られた発電所の事故の果てにもたらされたもので、金で何かを解決しようとして、欲と得と思惑と諦めと麻痺と忘却と無関心がぐちゃ混ぜのカオスになって産み出されたものです。すべて僕らニンゲンが作り出したもの。この特殊な状況に於いて、それが露呈しているだけで、ほんとうは社会全体が、そしてひとりひとりが内包している問題だと思うのです。 僕らは見たくなくても、この露呈しているもの見なければならない。さいきん生まれたばかりの赤子を連れてきてくれたともだち。母の胸に顔を埋めて眠っているその子を見たとき、自分のこころが裂けるチーズのように裂けていくのを感じました。何かが狂っている。僕らには未来と希望をあの子に残す責任があるはずなのに。 僕はその街の長に何度か会ったことがあります。会う度に変容していくのが分かりました。彼は自分の手柄しか話そうとしない。つまり、志が自分にしか向いていないってことです。彼に未来は創りだせない。それは僕らの手の中にあるべきなのです。そして、彼は再選された。これもまた僕にはまったく理解できない。 「私が無事でいたいと思ったり、銀行預金やいろいろな楽しみを持ちたいと望んでいる限り、また生理的、あるいは心理的に何かになりたいと思っている限り、必ず苦しみがあるのです。私が苦しみを避けるためにやっていること自体が、恐怖と苦痛を生み出すのです。」by クリムシュナルティ。 僕はかつて一度死んだニンゲンです。その経験がなければ、エゴを手放すことはできなかった、とは思います。でもCHABOせんぱいが身を削りながら、教えてくれたこと。「自分より先に相手のことを思いやる」。これは書くより遥かに難しいことではあるのだけれど、他人との差異を尊重し、よりよい世界を作る最も有効な方法だと僕は思います。 もうひとつ。僕が音楽を始めたときからある種の目標にしている大姉がツアーに帯同してくれていました。昨夜、びしっと半分博多弁でひとこと。「目を開けて歌え ! 」。 コンサートの最後の瞬間にせんぱいが僕に耳打ちしてくれたひとこと。それに恥じることがないように、前を向いて進みます。まだまだ鼻タレの50歳、小僧です。 「あなた自身を与えれば、与えた以上のものを受け取るだろう。」 by サン・テグジュベリ。 「求めなければ、それは得られる」 by 山口”KOZO”洋

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