5月19日 月曜日 晴れ
僕の演奏活動を長年に渡ってサポートしてくれているヤイリ・ギターに行ってきました。先日亡くなった矢入一男さんにお礼が云いたかったからです。
12年ぶりに工場を訪れて、その変わらない職人魂に、受け継がれていくものに深い〜感銘を受けました。この激動の時代に僕らが大切にしなければならないものがここにはあります。
たった一日、駆け足で観ただけの僕が伝えるのはおこがましいとも思います。でも、僕はヤイリユーザーとして、伝えたいのです。文章より写真をメインにします。このblog史上最大の写真数になると思いますが、どうぞおつきあいください。職種を超えて、伝わるものがあると思います。
簡単に会社のプロフィールを。現在、ヤイリ・ギターは岐阜県可児市にあります。とっても美しい街です。川があり、山があります。頬を撫でる風が楽器創りに適していることを教えてくれます。創業、もうすぐ80年。この場所に工場を移して50年になるそうです。熟練の職人さんは約30人。若くして志願してくる人も居ます。技は受け継がれています。
何よりも、機械化されていく時代の中で、ヤイリは徹底的に「手作り」にこだわっています。各部門のプロフェッショナルの超集合体、それがヤイリ・ギターです。輸入された木材は長い時間をかけて工場でシーズニングされます。有名なメーカーでも、この行程を機械でやることが殆どだそうです。僕は日本中のありとあらゆる悪条件下でヤイリ・ギターを弾いてきましたが、どんな状況でもポテンシャルを100%発揮してくれます。逆に冬期のコロラド、極限まで乾燥した標高3000メートルに持っていったヤイリは表面の板がまっぷたつに割れました。つまり、長い時間日本で自然乾燥されることによって、日本にいちばん適した状態になっているということです。
プレイヤーの立場から云うと、新品のヤイリは無色なのです。メーカーのアクがあまりないのです。プレイヤーの癖や愛と共に、音色は変わっていきます。12年に渡る僕の相棒は僕しか、あの音を出せません。ほんとです。
最後に、ヤイリ・ギターは永久に保証されています。みなさんが大切にしていたものが壊れて修理に出したら「部品がない」と云われた経験、ありませんか?僕はそのようなメーカーの製品は使いたくありません。
僕のペグ(糸巻き)がツアー先で壊れて困っていたとき、ウルトラ宅急便で送られてきたペグ(3個入ってた)には取り付けるためのねじ回しまで入っていました。そんな会社なのです。
じゃ、blog上工場見学にれっつら・ごー。
岐阜県可児市にその工場はあります。名古屋から車で約1時間。
まずは僕の愛器(2002年製)の修理から。さとがえりー。よかったね。
アーティスト担当で、2001年に僕のブズーキを作ってくれた職人小川君です。自分の13年前の仕事との久しぶりの対面です。
この嬉しそうな顔がね、いいね。
職人の顔になったねぇ。
続いてリペア担当の松尾さん。彼の驚愕の能力があきらかに。
彼はサウンドホールの中に手を入れて、状態を理解するのです。し、しんじられない。ヤイリのギターなら手だけで理解できるんだそうです。
ビックリしたなぁ、もう。
こうやって松尾さんと小川くんで僕の愛器は完璧な状態に。嬉。
入社間もない若者が住んでます。若葉寮。
様々な木材がずーーーーーっと寝かされています。これがまた、ヤイリギターの財産なのです。
でも、オレはさすがに木材見ても燃えません。ギター職人じゃないので。
これはネックの原木っすね。
ほんの少しだけ敢えて乾燥機も使うんだそうです。きっと精度が上がるんだと思います。
これはギターの表面の板。びっくりするくらいペラペラでぐにゃぐにゃなんです。知らなかった。
上に乗っている木の重みで平らにしていくんだそうです。
削り出されたネックとトラスロッドを埋めるための溝。
また別の場所に大量にストックしてある木材の数々。
この時点で少なくとも7年寝かされてるってことですね。
社員食堂にはステージがあります。そして、床材はマホガニー。
可児市の町並み。すぐ横には川が流れています。
遠くに雪を頂いた名峰、白山が。その向こうは能登ってことですね。今すぐ寅さんが来そうす。
食堂にはヤイリの歴史が。昔は工具から創ったんだそうです。
これはアメリカで売られていたギター。まだヤイリを名乗れなかったんだそうです。悔しかっただろうなぁ。
ブランド名は驚きの。
これがヤイリのこだわりです。故矢入さん作。
このダサさ(すいません)が好きなんです。ある意味、洗練されて欲しくないんです。
ガットギターの表板の裏側。
フォークギターの裏側。弦の張力の違いがはっきり分かります。
カスタムショップ、入り口。
ボディーの板を曲げているところ。お湯で曲げるんす。芸術的。
この作業も神がかってたす。勘だけが頼りなんです。すごい。
このあたりから異様にコーフンしてきました。
イチイチすごすぎるのです。
ボディーを圧着するための道具。
工具は前任者から受け継がれたり、自作したり。
これは何と車のジャッキを改造したもの。これで圧着します。
接着中。未だにニカワを使ってるのはヤイリぐらいだそうです。
だんだんギターになってきたぞ。
30人の職人さんが働いて、日産20本が限度だそうです。そうだろうなぁ。
ネックにロッドを埋め込み中。
一番の花形の仕事はボディーにネックをジョイントさせるセクション。とても難しいんだそうです。
おおっ。ブズーキ発見。思ったより、すごく売れていて、オレもうれしーー。
この状態で一旦寝かせて、何と音楽を聴かせてるのですが、なーんと僕のCDが流れてました。うれしー。
この無数のネックたちも僕の曲を聴いてた。だ、だいじょうぶか。
でも、すごく嬉しかったっす。
ここから神の領域に入ります。
ネックを手で削る作業は彼しか出来ないんだそうです。定年退職したけれど、戻ってきてくれたんだと。
神業でした。痺れました。
塗装セクション。
磨きセクション。
清掃セクション。
フレットセクション。
フレット、フレット、フレット。
工場内全景。
出荷を待つヤイリギターたち。
社訓。
えーっと。これは何の作業してたんだっけ。そうだ、ブリッジをつけてるところ。
ヤイリギターが出荷前に爆音でクラッシックを聴いてるって伝説は本当でした。
矢入一男さん。合掌。新しいアルバム、お供えしてきました。
事務所の二階には展示スペースがあって、試奏できます。
ジェリー・ガルシアさまもヤイリユーザーです。
1970年。
こうやって出荷されます。
チーフクラフトマン小池さんです。彼は完成品のギターの天板の裏を削ることで音を変えることができる唯一の存在なんだそうです。まじ、リスペクト。彼のギター、2年待ち。
リペア待ちの里帰ったギターたち。ビギンのギターもあったよ。
ヤイリ病院に長期入院中の僕のギターと再会。(ちなみに他社の修理はたぶんやってません)
ひっさしぶりー。
君もひっさしぶりー。
これからも僕はヤイリを弾き続けます。
ほんとうにその通りだよ。
小川くん、ありがとう。
友人が小川さんとギター制作学校の同級生で、ブズーキ作ってもらいました。ライブやった後に必ず「あの楽器何?良い音ですね、ズルイ(笑)」みたいな事を言われます。
ピエゾ(マイク的なもの)なのにかなりナチュラルかつデカイ音が出て自分も驚きました。
その後小さいボディーのギターを買ったり(友達にあげちゃった)したけどそのギターも良いギターでした。
ブズーキをもう一本欲しーなーと考え中でやんす。
楽器とかギターとか全然わからない素人ですが
たくさんの写真にワクワクしました!
こういう方達の技が洋さん達の音楽を
支えているのだなぁ、と感謝!
横浜でお話ししてくださった矢入一男さんとのこと、ブズーキのこと。忘れません。何度でも聞きたいです。岐阜のライヴに伺えなかったのでヤイリくんの工場見学のサイトを見たりしていました。
こうしてヤイリギターさんの受け継がれるスピリットによって製作されたギターを奏でる山口さんの誰とも違う表現に私は励まされてきているんだなぁと思います。私のところとまらないようにしないと。
シェアさせてくださってありがとうございます。
すみません。間違えました。
「わたしのところでとまらないようにしないと。」でした。
ギターに音楽を聴かせる工程があるなんて‼︎
山口さんの演奏に、心揺さぶられる理由が良く分かりました。
素晴らしき、魂のこもった日本人の手仕事!
貴重な写真の数々、ありがとうございました!
本気の本物の魂を感じます。
真摯に、かつ、楽しく生きなきゃと思いました。
「職人」という生き方にふれるとき、いつも心が熱くなります。彼らの仕事の特徴的な部分は、〈技術のなかに五感がフルでしっかり組み込まれていること〉だと思います。五感で接するということは、たぶん対象がギターであっても陶器であっても、人間とつきあっていくのと同じことなんじゃないかな・・・と。手づくりの製品に作り手の姿が見えるのは、そういうところにある気がします。
写真を拝見してるだけでも、やっぱ ものづくりの工程ってワクワクします。
昔NHKの子ども番組で「はたらくおじさん」ていうのがありましたが今回のBlogはそんな雰囲気があって、とても楽しかったです。職人さんたちの御業、尊敬します。
そしてギターさんたちの胎教音楽は山口さんの曲なんですね!ふふ。
大変感動致しました。
このような投稿をして頂きました事,
心より感謝申し上げます。
本当に,素晴らしいですね。
最後の写真、ヤイリギターのステキな看板と、小川さんの人柄が表れているように感じる、いい写真です。
美しい魂たち。心打たれましたよ、ありがとう。社訓も素晴らしいですね。
初めまして、私もギターを少しは嗜む老人です。
ガキの頃から兄貴にクラシックギターを教わり、時にはフラメンコ迄やってました。
その後、エレキが流行りかぶれて行きました。クラシックをやってたのが幸いし
指の開きが良いので助かりました。当時の目標は寺内タケシさん、ベンチャーズの
ノーキーエドワーズさんと高望みをしておりました。私が住む瀬戸市からは
ほど近く、よくヤイリさんの前を通り過ぎますが一度はお邪魔したいのですが
なかなか寄る機会が無く今日に至っております。このブログを見て今度どうしても
行かなくっちゃと思いましたね。久しぶりに良い事に巡り合えて感謝です。
長年ヤイリギターさんへ塗料を納品していましたが昨年末、退職しました。ほとんど全社員と話をして、塗装や接着、研磨の相談に乗ってきました。皆さん若いし真剣なので、私もしっかり勉強させられました。もちろん先代の社長にも色々教えていただきました。今ではとても楽しい思い出です。まだ全員の名前が言えますよ。当然、年の近い大脇さんや、梅村さん、丹羽さん、塗装部 瀬尾さんには話が合いお世話になりました。ありがとうございました。また遊びに伺わせていただきます。
現在59歳になろうとしています。御社のギターを16歳の時名古屋西区の星光堂で6万円で購入しました。kです。30歳位迄は仲良くしてましたがその後はケースに眠っています。オーバーホールを考えています。持ち込めばやって頂けますか?