井の中の蛙と不偏

12月16日 日曜日 晴れ 

 父親の命日。午前中に選挙に行って、絵描きである親友とゴッホの話をしていた。アムステルダムにあるゴッホ美術館。晩年のわずか数年間に描かれた絵が時系列に展示してあるセクションがある。絶望とかすかな希望の中でつむがれているのは、高潔な創造力による圧倒的なまでの筆致。たぶん、生涯、人間の最高到達点として僕らの脳裏に刻まれたままだ。

 夜。選挙の結果を知る。バーでビールを飲んでいたが、ウルトラセブンのオープニングみたいに、精神のグラデーションがハレーションを起こしたように酔いが廻る。にわかには信じ難かった。俺は狂ってるのか?いや、そんなことはないはずだ。お前が自分の目で観てきたことは、少なくとも自分にとっては真実には近い、と思い直して無理矢理眠る。

 翌朝、コンビニで新聞を買って、詳細な結果を知る。もっとも驚いたのは福島の5つの議席のうち、自民党が4つを確保していることだった。どうしても腑に落ちなかった。僕はその地にたくさんの友人が居るが、どう考えてもそんな友人は一人も居ない。ってことは、俺はどこで偏向してるんだ?

 小選挙区制度は明らかに憲法違反だと云われている。訴えれば勝てる、選挙結果は無効にできるという説もある。今回も自民党は得票4割で議席の8割を確保している。

 とはいえ、それだけではない、この圧倒的なマイノリティー感は何なのだろう。多くの日本人が目先のこと、自分のことしか考えていなかったとしても、ひどく心にわだかまりが残る。検証は必要だった。

 例えば、ソーシャル・メディアと呼ばれるもの。僕は積極的にそれを活用するタイプではないし、フェイスブックもmixiもやらない。ただ、twitterは日に何度か見る。そこから大量の情報が入ってくる。むろんそれらが世の趨勢を平均的に表しているとは思っていないが、無意識のうちにそう受け取っている自分がいるかもしれない、とは思う。圧倒的な情報量の中で、自らが自らの行為によってブレイン・ウォッシュしていると云うか。考えてみれば、当たり前のことで、まずは自分が「この人の考え好きだな」と思う人間をフォローする、そこに集う人たちは多少なりとも似た考えを持っている場合が多いのであって、自分とはまったく逆の考えを知る機会を減らしている。どう向き合うかは人それぞれだけれど、気をつけなければ、井の中の蛙にはなり得る。

 自分が世界とどう繋がっていて、今自分が何処に位置するのか。それゆえ、どう行動し、コミットすればいいのか。

 何であれ、前述のゴッホの絵は徹底的に自らの孤独と向き合うことで生まれている。向き合いすぎて、反対側に突きぬけている。だから不偏で普遍で不変なのだと僕は思う。

 まずは頭を冷やそう。そして、できることを考え直そう。

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井の中の蛙と不偏 への3件のコメント

  1. あらいぐまライナス@新潟県北 より:

    福島の選挙区が何故自民党優勢だったのか。

    東日本大震災の折、当時の菅政権がパニック状態で被災地支援が全く進まない状況を見るに見かねて、自民党がベテラン若手のチームプレイで現地に物資を運び込んだり石油の緊急輸入手配をして被災地への給油に尽力していた事実があります。

    そして、自民党の福島出身の森まさこ参議院議員が現在に至るまでひんぱんに福島の被災地に入り現地の陳情を聞き入れて、被災地の為の法案成立のために尽力していました。

    山口さんの心情は理解しております。
    ですが、

  2. あらいぐまライナス@新潟県北 より:

    福島の選挙区が何故自民党優勢だったのか。

    東日本大震災の折、当時の菅政権がパニック状態で被災地支援が全く進まない状況を見るに見かねて、自民党がベテラン若手のチームプレイで現地に物資を運び込んだり石油の緊急輸入手配をして被災地への給油に尽力していた事実があります。

    そして、自民党の福島出身の森まさこ参議院議員が現在に至るまでひんぱんに福島の被災地に入り現地の陳情を聞き入れて、被災地の為の法案成立のために尽力していました(野党ゆえに救済を迅速にできないジレンマもあったようです)。

    山口さんの心情は理解しております。
    ですが、自民党憎しゆえに見落としてる事もあったのではないでしょうか。

    生意気とは思いますが、参考にしていただけたらと思います。

  3. Froggy II より:

    20年ほど前だったと思う。小林秀雄が訳した「ゴッホの手紙」が好きで、よく読んでいた。ゴッホが弟・テオに中てた手紙を読むたびに、まだこの時代に生きてるんじゃないか?って思うくらいリアリティを感じさせられた。じつはゴッホは弟テオに殺されたんじゃないか・という説がある。もし本当なら、なんて無情な事実なんだろうと思う。彼はあんなにも弟に信頼をよせていたのに。関係ないことだけれど、今回の選挙結果にも「日本の民を信じていたのに」っていう、なにか似たような無情感がある。「裏切りという言葉は傲慢であまり使いたくないけれど、自分が信じる社会や時代に何度裏切られたとしても…私はあきらめない。信じつづけて生き抜こうと思う。

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