月別アーカイブ: 1月 2011

与えること、与えられること

1月11日 火曜日 晴れ 今日、人は与えられることに慣れすぎている。見返りを求めることなく、世界や誰かに寄与しなければ、それは自分のところには決してやってこないのに。与えることによって、いつか与えられるのに。嗚呼。 テレビをつけてみる。情報が溢れすぎて、目や耳がおかしくなりそうになる。何もかもあるところには、何もない。僕は馬鹿にはなりたくない。自分で考えることによって、決断したい。誰かの主観が入っている時点で、それは真実ではない。少なくとも僕にとっては。 情報量が少なく、隙間がある方がいい。だから、家では古いジャズ、あるいは隙間のあるテクノしか聞かない。24時間流れていても、決して不快ではない。僕らが「speechless」で目指したのもその世界だった。少しだけハードな。これを聞いて、眠ってくれたらとても嬉しい。誰かが、こう云ったのだ。「眠りに目覚めるべきだ」と。まったく同感。自覚的に眠って欲しい。音楽のヴェールに包まれて。それが覚醒の本当の意味。 web担当のヨシ君が探してきてくれたこのblogはオープンソースで作られている。古き良き時代のマッキントッシュが世界中のユーザーに支えられていたように、あるいは世界中のユーザーがオープンソースを使って、マッキントッシュの世界を豊かにしたように。マイクロソフトが権利を囲った挙げ句、斜陽になっていったのは、僕にとってはある種の暗示であり、希望(失礼)でもある。自分が社会から何をしてもらうか、ではなく、自分が世界に何を出来るか、だと僕は思うから。 ただし、このblog。不具合も多い。改行やスペースが反映されなかったり、文字のポイントの表示がうまくいかなかったり、エトセトラ。でも、だからこそユーザーたちが、もっとより良いものにしようと、意見を交わす。それはとても素敵なことだと思う。通用するフォーマットはプレインテキスト。それは僕らが世界市民になるためにどんな言語を話せばいいのか。示唆に富んでいると僕は思う。 さぁ、明日は横浜です。気軽に遊びにきてください。サムズアップはご飯も食べれるよ。ご飯が進む音楽かどうか、それは不明だけれど。それぞれの脳内に拡がっていく世界を是非、持って帰ってください。

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想いを届けにいくこと、千葉県千葉市にて

1月10日 月曜日 曇り 「speechless」ツアー初日。 このアルバムの殆どは千葉市にある「anga」でライヴとして録音された。もう半年以上前のこと。僕らふたりの脳味噌を通過して、ファイルがネットをびゅんびゅん飛び交って、それは完成した。さぁ、届けに行かなきゃ。このハコはほんとうに音楽に愛をもって接している。音響の若いスタッフはここを辞めて、新しい仕事に就いていたのだけれど、無理を云って、戻ってきてもらった。 昨年の9月にバンドのツアーを終えてから、もちろんステージに立ってはいたけれど、僕名義、あるいはバンド名義のものは殆どなくて、ゲスト出演のような形が殆どだった。その間、僕はせっせと「闘う肉体」を作ることに集中していた。老いてる場合じゃないからだ。果たして、僕は久しぶりにステージに上がった。驚いた。細海魚が音を出す。脳味噌が何の指令も出していないのに、勝手に身体が反応するのだった。反応しすぎて、制御不能に陥る。自分でそれを止めることができない。知らない間に、僕は「音楽の動物」になってしまっていた。歓迎すべきことだとは思う。そんなミュージシャンはなかなか居ない。けれど、これはこれで実にやっかいだ。言葉にするのは難しいけれど、肉体が精神を振り回していると云うか。一部を終えて、魚先生が僕にこういった。「普段あれだけ理路整然としてるのに、一旦スイッチが入ると、制御不能なところがおかしい」、と。まあ、無駄に芸歴は長いから、どうにかそんな自分を飼いならしたとは思うけれど、これからは肉体が暴走しないように、自分のテンションには気をつけなきゃね。それが可能になったとき、僕らはきっと無敵の存在になる。 何はともあれ。たくさんの人がangaで生まれたアルバムを手にしてくれて、嬉しかった。みなさんの日々に力強く響きますように。来てくれて、ありがとう。そしてangaのスタッフ。いつも本当にありがとう。一回り大きくなって、また帰ってきます。それまでどうか、元気で。愛と感謝を込めて。

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R.I.P

1月9日 日曜日 粉雪 沢村栄一、高知大学名誉教授、英文学者、アウトサイダーにてdirty old man、永眠。時に父のように、師のように、時に若過ぎる友人として、僕に接し、愛し、教えをくれた偉大な人物。 彼との出会いや、何を互いにやってきたか。それは以前のblogやそれ以前のblogに書いてあるので、興味がある人は検索してみてください。 大切な人の訃報に接して、こんなに冷静に受け止めることが出来たのは初めてだった。何故なら、彼が人生に於いて、誰もが一度だけ経験する「死」に接して、うろたえているとは、まったく想像できなかったからだ。彼はある種の宣告を受けた日から「それ」について深く考察し、受け入れていたに違いないから。このごろいつも思うことだけれど、大切なものは互いに何ひとつ失われやしないから。栄ちゃん。たくさんのものを僕に、人々に遺してくれて、ありがとう。後は僕がそれを受け継いで、前を向いて歩いていきます。溢れるほどの愛と感謝を込めて。R.I.P。 http://www.kochinews.co.jp/?nwSrl=269399&nwIW=1&nwVt=knd

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新年会

1月8日 土曜日 晴れ 僕の仕事場にスタッフが集まって新年会。いつもお世話になっているので、今日は僕ががんばって料理を作ります。頑張りすぎたので、料理の写真少なめですいません。でも、愉しかった。今年もがんばるぞー。おーっ。

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リハーサル

1月7日 金曜日 晴れ 魚先生とリハーサル。このツアー、スタートは限りなく「speechless」に近い形から。旅を続けながら、変化していくと思います。なので、最初も途中も最後もお見逃しなく。実験、冒険、破綻に調和。何でも上等。愉しみにしていてください。今日はひっさしぶりに歌って、言語中枢をやられてしまったので、幼稚園児の絵日記のような、フォトダイアリーでお楽しみください。ワン。

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生活を美しくする

1月6日 木曜日 晴れ おかげさまで、ようやく「餌」生活を抜け出し、このところ自分で料理をする時間を持てるようになりました。家事全般をフツーにこなすので、友人たちに「ヒロシは嫁いらず」だと云われております。余計なお世話、かつ嬉しくないけど。家事そのものがぜんぜん嫌いじゃないとです。生まれる性別を間違えたか、オレ。 惚れ惚れするようなオムレツを焼くプロフェッショナルから、レシピを伝授され、オムレツ用のフライパンを頂きました。いわく、それ用のフライパンは18cmがベストなのだと。今宵、それにトライします。がんばれ、オレ。no fear! 近日、チームno regretsの「新年総決起集会」みたいなものが、僕の仕事場で催されます。なので、母親直伝のビーフシチューの仕込みを開始しました。西洋かぶれだった彼女は全般的に料理が得意でしたが、中でもオーブン料理は美味かった。せっかくこの家にオーブンがあるのに、生きてるうちに、もっと聞いておけば良かったなぁ。 明日は魚さんとリハーサルです。ツアーの詳細、一部アップされていなかったようで、申し訳ないです。このツアーはまだまだ続きます。1月は千葉、横浜、佐賀、福岡、長崎、京都、名古屋、長野。2月は東京、そして岡山、広島、四国、大阪、北陸あたりを廻ります。3月は北かな。追加スケジュール発表までしばしお待ちを。

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Soul Mining

1月5日 水曜日 曇り 猛然と創作意欲に燃えております。ブルータス、やっとかよ。そんな感じです。どっちに転んでも、僕の本分は新しい曲を書くことで、長い時間をかけて、心の中にたまっていたすべての感情が、ようやく化学反応を起こし始めた気がします。溜めすぎだろ、自分、みたいな。でも、無理矢理それらを吐き出すのは避けたかった。何故なら、それらはまだ咀嚼しきれていない状態で、現実味を帯びすぎて、このままじゃ、ファンタジーは描けない。創作者に必要なものは「吐露」ではないと思います。しかし、長かった。 部屋でギターを弾きます。この楽器に今更ながら能動的になれたのは、おおはた雄一君の影響が大きい。僕は彼のように毎日楽器屋をパトロールする情熱はないけれど、同じ楽器を愛するものとして、変態楽器に賭ける彼の情熱に撃たれました。変態楽器は変態ゆえ、愛するのが難しいから、育てて愛してやる(分かる?)みたいな、ありあまる情熱。一方、歌うことに関して云えば、大島保克に学ぶところが大きかった。彼の歌に向かう姿勢にはかなり影響を受けました。とかく、同世代のミュージシャンが歌う歌にリアリティーを感じなくなっていたのです。それらは(僕にとっては)机の上で書かれたもので、体験から、あるいは魂で書かれていなかった。響いてこない。そして手癖にまみれている。それは同時に自分にも云えることでした。このままじゃいかん、と。ある酒場でヤスの歌が流れ、僕は撃ち抜かれた。奴は魂で書き、そして歌っている、あまりにも繊細な震えがある。僕は彼にメールを書いて、「今年はヤスが嫌がっても、俺、一緒に演奏するかんね。ひひ」、と。 音を奏でる、あるいは音像を構築する行為に関してはダニエル・ラノアの影響が大きい。もはや、誰も到達できない地点に彼は立っていると思います。音楽が音楽として2010年に奏でられる理由。それをひたすらに追い求める。その姿勢に撃たれます。ともだちが彼の自伝を送ってくれました。英語で書かれているので、辞書を引き引き読んでいます。面白い。彼は表現することの難しさに、ときどき癇癪を起こして血まみれになったりするのだけれど、それは表現する者として、ある時期にはとてもまっとうなものだと思える。僕は酔ってステージに立つのが好きじゃない。他人がやるのは自由だけど、音楽の神様に無礼を働いたら、いつかそれに抹殺される。そのくらいには僕らがやっていることは大衆的で、かつ神聖なものだと思います。彼の親友である、クリス・ウィットリーとの関わりは読んでいて、涙が出る。彼の死後、ダニエル・ラノアが始めたバンド「Black Dub」にはクリスの娘がリードシンガーとして抜擢されている。むろん音楽的な才能を買ってのことだろうけど、その情けの深さにも撃たれる。 強い向い風が吹く日。僕はインターバル走に出かける。心臓が口から出そうになるほど追い込んで、「いったい何をやってるんだろう」とは思うけれど、ファンタジーを描くため、あるいは自分の闇の世界に迷い込んで、そこからひかりを描くためには体力が必要なのです。おおはた君の新譜のタイトル「光を描く人」。秀逸だと思う。

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ひかりの道

1月4日 火曜日 晴れ 圧倒的なひかりの道を前にして、もはや言葉に意味はなく。これより凄いものを観たことはある。でも、今日の道は違う意味で特別だった。この道の中に僕が求めるすべてはある。あとは自分がひかりになるだけさ。the gift。本当にありがとう。 と、ここまで書いたところで、web担当マエストロ、ヨシ先生がサーバーの容量問題を解決してくれました。ありがと。じゃ、1/2にお届けできなかった「speechless」の1曲目を飾る「Oh Shenandoah」、フルコーラスでお楽しみあれ。 01 Oh Shenandoah

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流れていくこと

1月3日 月曜日 晴れ 涙もろくてかなわん。これも一つの老化かな。 久しぶりにテレビを観ていた。鳥取に住む聴覚障害を持つ16歳の少年が写真を撮ることによって、自分を変えていこうとするドキュメント。彼は被写体を前から撮る勇気がなかった。その気持ちは良く分かる。僕も未だに人にカメラを向けるのには勇気が要る。そこに自分の「怖れ」が映るからだ。まして、彼の言葉は聞き取りにくい。僕が彼だったら、どうするだろう。そう思いながら観ていた。彼には素晴らしい先生が居て、ひとつの課題を出した。奈良に行って、観光客の外国人の写真を正面から撮ってくること。それは16歳の内気な少年にとっては高すぎるハードルだったと思う。果たして、奈良で、彼はようやくひと組の外国人のカップルに狙いを定めた。でも、言葉をかける勇気がない。後ろをずっと追いかけて、不審がられて、遂に意を決して、身振り手振りで写真を撮らせてくれと頼む。撮影を終えて、おぼつかない口調で「サンキュー」と彼が言葉を発した瞬間、涙腺決壊。彼の表情から今更ながら教えられたことは大きかった。 いくつになっても人は「怖れ」を超えて、殻を破り前に進んでいかねばならない。安住や安息は多分、僕にはない。そこにじっとしていることの方が怖い。前向きに流れていく、あるいは能動的に流されていくしかないのだと思う。

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Oh shenandoah

1月2日 日曜日 晴れ Oh shenandoah さてさて。来月発売の「Speechless」。宣伝活動にいそしみたいと思います。 1曲目の「Oh shenandoah」。古いトラッドで悲恋の歌です。細海魚と「Speechless」なやり取りをネットを通じて繰り返していました。ある日彼から、こんなシュールなリクエストが。「ヒロシがライヴでよくやる、場を清めるようなギターをよろしく。キーはCで」、みたいな。何じゃそりゃ、と思ったのですが、何から降りてくるまで仕事部屋の録音機材を常にonにして、待っていました。確か3日目だったと思うけれど、とつぜん何かが降りてきて、オープンCにチューニングしたギターでまずハーモニックスのループを作り、それに合わせてせーのでギターを弾きながら歌いました。何故、その曲なのか、正直自分でも分からないのです。でも、これが必然ってやつだと思います。一回しか演奏していないので、正直歌詞も間違っています。でも、いいのです。僕はその瞬間を大切にしたい。ファイルを魚先生に送り返し、出来上がったのがこの曲です。後にこの曲はバンドのツアーの1曲目に昇華しました。きっと、次のアルバムではバンドでもレコーディングするでしょう。 自分たちですべての権利を持っていると、こうやってみなさんにフルバージョンを聞いてもらうことができます。愉快痛快。子供の頃、レコードを買うお金がないので、ラジオの番組表を穴があくほど眺めて、テープに録音して音楽を聞いていました。当時の番組はアルバムをフルでかけてくれたりしたのです。まだメディアに良心が残っていた頃の話。そうやって気に入ったアルバムは、お金を溜めて、手に入れました。それが僕の血や肉になったのです。リスナーを信じた効果的なプロモーション。僕らもそのようなスピリットを受け継いでやっていきたいと思います。さ、1曲目、是非聞いてください。愉しんでね。 とアップロードしようとしたところで、2メガバイトまでしかアップできないことを理解。残念。web担当ヨシ先生は正月休み中なので、先生が帰ってきたら、対処の方法を聞いておきます。ごめんね。

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