月別アーカイブ: 8月 2023

「陽はまた昇る」続報

「陽はまた昇る」のアナログ盤予約に関して、ソニーの担当者から返信がありました。 ———  現状、自社ウェブショップではsold out状態、 Amazonではカートが上がっていないようです。 ただ生産数は十分な数を確保しているので、近日中には注文可能になると思われます。 タワーレコード、HMV、楽天等主要ウェブショップでは注文可能です。 ——- とのことです。取り急ぎ。 また、レコードの日参加店舗でも基本的に注文可能、とのことです。

カテゴリー: 未分類 | 2件のコメント

クソガキへのメッセージ

8月20日 日曜日 晴れ おはようっす! まずはアナログ盤のことですが。初日、売り切れに関して、みんなから多数の問い合わせをもらって、わたくすもちょっと呆れたっつーか、なんつーかー。これ、去年と同じじゃねーかよって。言いたいことは山のようにあるんすけど、それをここに書いてもしゃーないので、善処するようSONYに連絡しました。いや、言葉が違うな。抗議しました。 進捗はここでお伝えします。ぷんぷん。 続・クソガキ通信。 クソガキはなかなかのインスピレーションをもたらしてくれます。普段、会ってる奴らとぜんぜん違うから当たり前と言えば、それまでだけど。 ずっと観察していて、奴には言いたいことが山ほどあるから、いつの日かこのblogを奴が読む前提で、今日は書いてみることにします。元クソガキからのメッセージだと思って受け取ってくれれば。 てか、自分がこんなに昭和の星一徹みたいなんだって、君のおかげで知ったよ。ありがとな。結構、スパルタ系の厳しい頑固オヤジ。 ところで、昨日寝たの、午前2時過ぎだよな。ひょっとしてホームシックとか、環境に慣れないとか、オレに気を遣って眠れないの(かも)って可能性もあったから、黙って見てた。でも、君はずーーーーーーーっっとゲームをやってた。ずーーーーーーっとだぜ。オレが親だったら、ぜったいこんなもの買ってやらないし、君がお年玉で買ったとしても、1日1時間限定だ。やりたけりゃ、1時間集中だよ! なぜなら、それは「経験」ではないからだ。人を殴ったら、殴った方も痛いのだ。それによって、やっていいことと、そうじゃないことがわかるようになる。ヴァーチャルが怖いのはそこなんだよ。 おまけに君はゲームに必要なUSBのケーブルを忘れてきた。んなもん知るか、と思ったけど、今回に限り貸す。そんなに大事なものなら、忘れてるんじゃない。そのくらい自分のことは自分できなきゃダメだ。 案の定、朝は起きてこなかった。当たり前だ。何時間ゲームをやってたんだか。朝飯の都合があるからオレは3時間待ってみたが、しびれを切らして起こしたら超不機嫌。ふざけてんじゃない。ここのルールに従わなきゃいけないのは君だよ。こっちも生活のメインは君になってるんだから。大いにリラックスしてほしいけれど、それとわがままとは違う。 いただきますとごちそうさまはこころから言うこと。君が喰ってんのは命だから。喰ったら、自分が喰った食器くらい運ぶこと。 大自然の中にいるのに、一歩も外に出ようとしない。ここはインスピレーションの宝庫なのに。ランニングに誘ったけど、ベッドでゲームを選んだよな。笑。100歩譲って、君の人生だからそれは認める。でも、君は気づきの機会を失ったとも言えるんだよ。 仕方ないから、阿蘇の火口ツアーに連れ出した。乗り気じゃなかったのに、火口を見て大フィーバー(それはオレも嬉しかったさ)。やっと上がった君を見てほっとしたけど、その後はずっと爆睡。当たり前だ、ずっとゲームやってたからな。 どうでもいいけど、ありがとうとごめんなさいがこころから言える男にまずはなってほしい!次に自分のことより誰かを思いやれる男になってほしい!君にある種のタフさがあるのは認めるし、そうしないと生きてこれなかったのはわかる。でもな!だからこそ、人のことを思いやれる人間になってほしいのさ。 君に注がれる愛は君が世界に注いだ愛の総量に等しい。だからもっと誰かに、何かに、情熱を込めて愛を注いでほしいんだよ!その対象がゲームじゃなくてさ。でも、君のおかげで「ゲームボーイ・ブルース」って曲をモノにしたからおあいこか。笑。 最後にひとつだけ。将来なりたいものを尋ねたら、ちゃんと応えてくれた。とっても嬉しかったよ。はっきりと伝えておくけれど、それには100%なれる。なれるけれど、このままじゃ難しい。人はそうなれなかった理由を社会や世間のせいにする。でも、それは違うよ。本人がそこまで本気じゃなかっただけの話なんだ。だから、遠くを見て、今日という1日を懸命に生きてほしい。それは愉しいことなんだぜ!ちっとも辛くなんかない。毎日、自分でLIFEを切り拓いていくこと。 最後にオレからプレゼント。ぜんぜん意味わかんないだろうけど、オレの大好きなジェシ・デイヴィスってギタリストがいてね、ネイティヴ・アメリカンなんだよ。でも、昔の人だから実際に弾いてる姿、昨日初めて映像で見たのさ。 こんなに嬉しそうにギターを弾く人なんだって知って、オレは幸せな気持ちで満たされた。ギターを弾く喜び。ものすごく苦労した人だけど、だから、好きなことを仕事にする喜びを知ってたんだってさ。 素晴らしい。どんなことであれ、こんな気持ちでLIFEに取り組んでくれたらオレは嬉しい。たまにしか会えないけどさ、オレは厳しいと思うけど、いつでも会いにきなよ。君が18になって一緒に飲める日を楽しみにしてる。 たくさんの愛。星一徹より。      

カテゴリー: 未分類 | 8件のコメント

クソガキやってくる

8月19日 土曜日 晴れ   縁あって、ともだちの10歳の息子を数日預かることになった。なんつったって、子育て経験ゼロ。どうしたらいいのか、まったくわからない。女の子なら100%断るところだけれど、野郎だし、クソガキなら、元クソガキとしてなんとかなるだろうと引き受けることにした。  ジュニアパイロットとして颯爽と空港に現れた時点で、隔世の感。オレ、初めて飛行機に乗ったの20歳だし。  阿蘇の成り立ちなんかを説明しつつ、家に向かうも、絶景にはいちおう反応するけど、撃ち抜かれてはいない模様。オレ、初めてこの風景見たとき、死ぬほど感動したんだけど、、、、。瞬きも惜しいくらいに。  到着と同時に奴はカバンからゲーム機を取り出して、ここの微弱なwifiに接続。あっという間に自分の世界に入っていった。手がかからないといえば、それまでなんだけど、これでいいのかなぁ?まぁ、飯もしこたま食ったし、風呂にも入ったし、今日はそれでいいか。  陸上選手を目指しているというから、明日はランニングに誘ってみようと思う。おじさんのど根性を少しだけ見せつけてみるか。笑。  しっかし、ゲームといえば、ブロック崩しか、インベーダーしか知らないから、最近のゲーム機の進化っぷりに腰を抜かした。しかも操作が速すぎて、何をやってるのかぜんぜんわからない。でも、ゲームってなにが面白いんだろ?所詮バーチャルだし、人生の方がはるかにスリリングじゃん。デジタルネイティヴのいく末が心配ではある、、、、。こんなんでいいのだろうか?  つーか「男ってもんはよ!」くらいのことは伝えるつもりだったんだけど、それもパワハラな気がしてきた。暗中模索。  とほほ。  1992年の3rdアルバム、「陽はまた昇る」のアナログ化。今日から予約受付開始だそうです。前回、売り切れ続出だったので、今回は早めの予約をお勧めします。今、予約すると発売日には届くそうで、送料も無料です。  音に関してはわたくす全面的に立ち会っているので、アナログならではの素晴らしいサウンドになっています。SONYの録音部が今回、アナログマスターを発見してくれ、それを元に、カッティングまですべてアナログの作業にてレコード化されています。昔でいうAAAってやつです。抜群です。  一枚のLPに収めるためサイズを編集しなければならず、断腸の想いでしたが、オリジナルのフロウを壊さないように作業しました。  次にアナログ化するようなことがあれば、断固2枚組で。ただ、この作品に関してはほんとうにアナログのマルチテープにアナログのコンソールで録音され、アウトボードもものすごく贅沢なアナログの機器をふんだんに使用。マスターもアナログが現存していたので、ほんとうにアナログ盤を創るために存在していたような作品なんです。  メジャーから出すってことは、、、、。31年前の作品がエヴァーグリーンだと認められたってことが嬉しいってことと、この作品をCDで愛してくれた人にはぜひ聴いてほしいってことと。喜んでくれる人がいるってこと。That’s it! それ以上のことはなにもありません。はい。察してください。   

カテゴリー: 未分類 | 14件のコメント

木こりの父ちゃん

8月18日 金曜日 雨   本日、オレ、木こりの父ちゃん。  労働作業は遂に「木こりの父ちゃん」にたどり着きました。(単にこの呼称が気に入ってるだけだったりして)緑のパワーは想像を絶するものがあって、木々も手を入れておかないと、10年で100%ジャングル化するのです。  この家に入ってくるための道とか、ジャングル化を避けるため、とか。あるいは林業のゴンが植えてくれた木を成長させるため(光が届くように)とか。  何が怖いって、草刈機とチェーンソーは恐怖の度合いが違います。僕のはエンジン式ではなく、電気で動くやつだけど、それでも十分に恐ろしい。切った木が暴力的に倒れてくるので、どちらに倒して、どっちに逃げるか、よーく考えてないと恐ろしい。林業のゴンはこれのスーパーハードなこと、一人でやってんのか(最近は息子が参戦)と思うとまじリスペクトでございます。  チェーンソーとノコギリを併用して、にゃんとか作業終了。またひとつ愛着が湧いてきたところです。

カテゴリー: 未分類 | 2件のコメント

こころ

8月17日 木曜日 曇り   ずっと本を読んでいる。乾いたスポンジに水が浸透するみたいに。持ってきた本はぜんぶ読んでしまったので、麓の小さな本屋に行ってみた。  売れ筋はもちろん雑誌なんだろうけど、店主が本好きなのが伝わってくる。好きだな。こういう店。夏目漱石の「こころ」の文庫本が330円で売っていた。  最初に読んだのは小学生のとき。「精神的向上心のない者は馬鹿だ」ってセリフがぶっ刺さったのをはっきりと覚えている。以来、何度読んだか不明だけれど、イージーライダーと同じくらいは反芻してる。  あっという間に読み終えて。  これまでとまったく違う読後感に驚く。筆致の新鮮さに毎度驚いていたのだけれど、プライベートなことを突き詰めるとパブリックな事象に到達する「プライパブリック(by 長谷川博一さん)」感とプロットの確かさに。  わたすより、遥かに若い時分に描かれているわけで。ボケボケしてる場合ではないと、すごく刺激をもらった次第。  名著やいい音楽のエヴァーグリーンさ。同じ言語を用いて、ここまで深いことを描けるのか、と。創作の深遠さに励まされる。  彼がいつ、どのように着眼して、着手して、昇華させたのか。いつ「書けた!」と思って世界に放ったのか。  後半の「先生」による手紙の独白は一気加勢に書いたとしか思えないフロウがある。乗りに乗って、人間のどうしようもない(誰にも共通する)矮小さと懺悔を描いていたのだとすると、いったいなにに触発されたのかなぁ、とか。

カテゴリー: 未分類 | 2件のコメント

終戦と敗戦の間

8月16日 水曜日 曇り   ずいぶん前のことだけれど、この時期イギリス(敢えてイングランドと書こう)に居たことがある。南部の保守的な港町に。  朝、街の雰囲気がなんだかおかしい。「JAP!」と罵声を浴びせられ、勲章をつけた老人たちが行進している。とっても苦手な(いや、もっとはっきり書こう、嫌いな)空気。  聞いて、調べた。「あなたはここにいるべきではない」とはっきり言われた。それはVJ DAYだった。VJ DAYとは「VICTORY JAPAN DAY」。つまりFUCKなJAPANに対する戦勝記念日。  確かに。あの戦争に於けるJAPANがFUCKだったことは間違いない。それは認める。でも、そういうあんたたちはどうなんだい?腹が立ったが、この手の輩になにを言っても無駄だ。これも経験だと思って、網膜とこころにこの風景を焼き付ける。  玉音放送によって、天皇が人間になった日は「終戦記念日」だと言われている。それを「敗戦記念日」にしないから、いろんな誤解を生む。戦争は美しくない。なんの罪もない、とんでもない数の人間を殺し、殺されて、終戦を迎えたのではない。自ら戦を仕掛け、ボロボロになって敗戦したのだ。  いったいどれだけの犠牲を払ったのか。ひと握りの人間たちのために。  タモリさんが2023年を「新しい戦前」と呼んだ。素晴らしい示唆だと思う。あの岸田って男はとんでもない。志が向いている方向がまったく人民ではない。貧乏人から税金を巻き上げ、軍備を増強する。美しい石垣島の砂浜にミサイルが配備されてる絵を見て、とうとうここまできたかと暗澹たる気分になった。  オレはまったく政治的な人間ではないけれど、おかしいものはおかしい。嫌いなものは嫌い。自分の文責において「実名」でそれは書く。  オレの父親は半島からの引き揚げ者。優しかった祖父は日本人学校の校長。つまり侵略した側。あの放送を境にロシア軍が攻めてきて、逃げるように日本に引き揚げる。その途中にともだちは殺され、幼い妹(つまりオレの叔母)は死んだ。  彼は生涯かけて、戦争を憎んでいた。そんなに遠い話ではぜんぜんない。  小学校に上がる前のオレを平和台球場に連れていって、試合前の国歌斉唱で「オレは立たないけど、どうするかは自分で決めろ」と言った。強制しない、いい教育だった。何故この人はこんな行動をするんだろう、と。自分の頭で考えることが大事なんだと思う。  愚かで学ばないのが人類の歴史。これまで利権や土地や宗教のために、どれだけの殺し合いをしてきたのか。それはニンゲンの本質かもしれないし、終着駅である「核」にたどり着いて、ギリギリのところで踏ん張っているだけなのかもしれないけれど、無責任な平和主義者ではなく、PEACEは本気で希求するものだとオレは思う。  親父がオレに教えてくれたように、群れることなく、自分のやり方で本気で希求するものだと思う。

カテゴリー: 未分類 | 2件のコメント

ボーダー

8月15日 火曜日 曇り   夢とうつつと現生と。かつて某国の砂漠で経験したような、自分の外側に実在する宇宙と、内包する宇宙の境目が不明になる感覚。  はっきりとそこにボーダーを引くのではなく、ぼかしていくと、両方に行き来できて、それらは同じものだと思えてくる。  夜中に目を覚ますと、蒼い空に巨大な合歓の木が揺れているのが見えるのです。極度の近視なので、メガネを外していると、フォーカスがボケて、ほとんどこの世のものには見えない、というか。それが悪くない。  その瞬間に聞こえてきたものを書き留める。それはオレがひとりで書いたものではぜんぜんなくて、うまく響きあったなら、なにかがもたらされる。ただのメッセンジャーなのかな。  こんな山の中に水道なんてあるわけもなく。いつ降った雨かわからないけれど、そうとうな時間をかけて山に染み込んだ雨が濾過されて、泉になって湧いてきたものを引いています。飲むのも水浴びするのも、風呂に入るのも自然のままの水を使っていると親和性が出てくるというか、肌の感じも変わってきます。なんというか、その。プリミティヴになる。やっぱり塩素はあんまりよろしくないってことがわかる。  音楽ってたとえ人工物だったとしても、そこから離れている方がエヴァーグリーンな響きを内包するんだと思います。  どうやって、そんな世捨て人(ひどっ)、あるいは浮世人みたいな暮らしができるのかって?でも、まぁ僕みたいな人間は周囲からそう不思議がられてる方がいいと思うのですよ。考えのベクトルを変えてみれば、人はかなり自由に生きることができるってことを伝えたいのが第一だけれど。  先日、とても仲の良い同業者が僕にこう訊きました。「株でもやっとるん?」。オレは吹き出しながら、即否定。やるわけないじゃん。金に興味ないし。でもまぁ、彼にしてみれば不思議だったんだろうなぁ、と。  あの、こんなことやってる間は当然、収入なんてありませんから。組織から離脱して、フリーで生きるってそういうことです。フリーな農家と同じじゃないかな。安定したなにがしか、なんてないです。だからこそ、いいとも言える。ブレずにフォーカスが効いてくる。  天下の回りものとは言い得て妙。目の前を川のようにお金が流れてさえいれば、不思議と必要なときには流れてくる。大事なのは自分のところでビーバーみたいに堰き止めず、誰かのためにそれを惜しげもなく使うことだと思っています。ただし、人には勧めないけれど。  そうして生きてきたし、これからもそうだと思うな。それもまた自然が教えてくれたことなのです。すべては循環するってこと。  老後にこれだけ必要だ、と。マスコミが煽る。その前に、老後まで生きてるかどうかもわかんないのに。そんなことより、目の前のことを慈しむ方がはるかに大事だとオレは思うし。ってか、老後っていつからの話なんだか。  確かにオレもこのまま死んだら、たくさんの人に迷惑をかけるので、物は減らしてシンプルに生きようとは思います。でも、せっかくもらった命なら、ポテンシャルを徹底的に使い切ってみようと、今日も老化に抗ってみるのです。  ワン。

カテゴリー: 未分類 | コメントをどうぞ

お盆

8月14日 月曜日 曇り 死者が還ってくるって風習、悪くないと思います。 もう10年も前のことだけれど。遠藤ミチロウさんに「盆唄で福島をひとつにしたいから手伝ってくれ」と言われ、お盆の福島で「相馬盆唄」を演奏しました。 そのミチロウさんも鬼籍に入られて、その歌はCHABOさんと歌い継がせてもらっています。            

カテゴリー: 未分類 | 1件のコメント

クリゼンと虫喰い

8月13日 日曜日 晴れ   福岡の名物DJ、クリゼンが愛車W650にまたがって、やってきました。  今回、わたすもバイクで帰る気満々だったんだけれど、フェリーが台風で欠航したため、涙のレンタカー。  バイク乗りって、基本単独行動なので、バイクの写真はあっても、バイクと自分の写真はないものなんです。なんで、せっかくの阿蘇だし、前もってロケハンしておきました。おっさんがおっさんを地面に這いつくばって撮ってるなかなか酸っぱい光景でしたとさ。笑。  いっぱい飲んで、いっぱい食べて、いい時間を過ごして、クリゼンは朝イチで帰っていきました。  あ、鮎川誠さんの映画のパンフレットも監督から手渡されて、運んでくれました。「鮎川誠-ロックと家族の絆」、もうすぐ封切りだと思います。ぜひ。わたくすもほんのちょっとだけ出演している模様です。  ところで、よっぽどわたすの体液が美味なのか。あちこち虫に喰われまくって、かゆいのなんの。山の虫って蚊のように「喰われてる」って認識しないままに喰われてるんです。だから、どんな虫にやられたのかまったくわからないけれど、毒の成分が半端なくて、ぼっこし腫れます。  まぁ、それは防ぎようがないので、甘んじて受け入れてます。笑。

カテゴリー: 未分類 | 1件のコメント

ユニヴァース

8月12日 土曜日 晴れ   不思議なもので、この環境に慣れてくると、感情がメロディーになって湧いてきます。願わくば、言葉も一緒についてくるといいんだけれど。  ようやく曲の断片をひとつ書きました。  雨、風、ひかり、闇、星、エトセトラ。  大げさではなく、惑星と宇宙の存在を感じます。自分の存在はとっても矮小なんだけれど、ほんとうは自分の内側に宇宙を内包していることも。  その宇宙がどちらも広大なことも。境目がないことも。  この感覚、忘れてたなぁ。  結局、宇宙や惑星が与えてくれるものに人間はもっと謙虚にならなきゃいけない、と思うのです。ここにいると、それをコントロールしようなんて、とんでもないってことがありありとわかる。  たとえば。  車を化石燃料で走らせないって風潮にわたすは懐疑的で。ほんとうにEVは地球に優しいのか。そこに政治が絡んでる時点で素直になりきれない自分がいるのです。  もうさんざん騙されてきたし、60年近くも生きてくると、自分の直感がそんなに的外れじゃないことも知っているし。  一方、ガソリンの高騰は確かに庶民を苦しめてる。このあたりもひとり一台なければ、生活は成りたたない。でも、ガソリンって半分くらいは税金。ってことは政治がマトモならば、それを引き下げることは可能なわけで。  彼らがそんなことをするとは思えないけれど(笑)。離れている分だけ、客観的にいろんなことを思います。    それを豊かな形で昇華できたらと夢見つつ、峰に向けて走る日々です。

カテゴリー: 未分類 | 2件のコメント