11月27日 月曜日 晴れ
思いたって、その昔世話になった人物の墓参りに。
この生業、親の死に目とか、誰かの葬儀とか、立ち会えないのがあたりまえ。でも、時間をあらためて、誰にも告げず一人でバイクででかけるのも、それはそれで悪くない。
小高い丘の上にその人(たち)は眠っていて。空と風を感じながら、いろんな会話をした。だから、その場所を教えてくれた人だけに「いい時間でした」って連絡した。
生前にモニュメントは建立されていて、そんな周到なことをする人物には見えなかったから、驚いた。
人間たるもの、明日生きている保証なんてどこにもないわけで、オレが明日死んだらいろんな人の手を煩わせるんだってことを、彼らに教えられた次第。
それは良くないなぁ。
決してネガティヴな話じゃなくて、オレが今死んだら、先祖のみなさんを全員無縁仏にしてしまうわけで、、、。父親が死んだとき、残されたアンビリーバブルな量の学術書、、、。意味がわからないオレにはタダのゴミ。母親が死んだとき、残されたきらびやかな洋服の数々、、、。オレが着たらタダのヘンタイ。同じように、楽器だ機材だ本だCDだ、、、。嗚呼。
気高かった祖母は、死んだとき箪笥の中に白装束一枚しかなかったって。それ、どえらい覚悟だよね。確かにそんな人だった。
そういうこと、考えた上で独立して生きていかなきゃ、と。
彼らもきっと、今日のオレと同じ想いに至って、建立したんだろう、と。空を見ながら思った次第。
で、墓は必要なのか?と考えたときに。自分自身はまったく必要だと思っていなくて。人の記憶から消えてしまったときが本当の死なのだ、と。自分の両親のこと振り返っても思う。
そう考えると。誰かが自分が書いた歌を歌い継いでくれる、とか。それは願って叶うことではないけれど、詠み人知らずになったとしても、その歌を誰かが口づさんでくれていたなら、そこに命は宿るわけで。オレはそこを目指すのがいい。
歌人たるもの、いい歌をできるだけ書き遺すことが使命だと思い至ったなら、晩年の故人はそれを伝えることをやっていた人だから、今日の墓参りも思し召しだったのね、と苦笑しながら理解した次第。さすがのプロデューサーなのだった。
安らかに。
プロデューサーのSさんのことは全く知らなくて、数年前図書館でタイトルに惹かれ偶然に取った本(美輪明宏とヨイトマケの唄)の著者プロフィールに「The Boom、Heatwaveを担当」とあって驚いたものだった。歌謡曲にも造詣が深く、もっともっと本を書いて欲しかったなあ。
ネットで見つけたSさんのインタビュー(数日前のモーガンさんのインタビューも同じシリーズにあります)を読むと、最初に聴いたレコードが民謡の「八木節」だそう。そういえば、昔あるCDで聴いた八木節が強烈だったなあと思い出して探したらありました。https://www.youtube.com/watch?v=R45vqUcWMdo
是非とも「竹田の子守唄」みたいにモーガンさんとコラボしてやって欲しいなあ。「雨の後路は輝く」のようなモーガンさんのクレイジーボイス(あれ大好きだったなあ)付きで。ちなみにSさんの母校のM大学はモーガンさんのサロンそして某Forever Happy Townのすぐ近くですね(これはこじつけ過ぎか)。