3月11日 月曜日 曇り
震災後、この小さな町で復興の酒「甦る」を通じて巻き起こったことを人に伝えるのは難しい。ほんとうに難しい。かくいうオレだって、それについて書かれた本をもらって読み、描かれたドキュメンタリーを見て、現代の奇蹟(てか、必然なんだけどね)がこのようにして起きつつある(現在進行形でね)んだってことを、50%くらい理解したにすぎない。
現に、こうやって関わっている人たちと話すと、震災から13年経過しているわけだから、オレが知らない話がまだまだ出てくる。
その上で、壇上でオレが話したことは本心そのもので、この町と酒にまつわるストーリーは現在進行形で震災後に起きたことの中で最善に近いと思う。あれだけあった有象無象のプロジェクトで現存しているものがあったら、教えてほしい。
忘れることは癒えるためのプロセスでもある。でも、忘れちゃいけないことってものがある。
でも、今日も現場にいた身内のSNSの投稿ですら、熱量が伝わっていないのがありありとわかるから、頭を抱える。
あの地獄のような日々をサバイブした人々の経験は、今、苦しんでいる人たちを励ますには余りあると思うのだ。それは思い上がりではないはずで、余計なお世話にならないように、音楽って形があったりもする。
しかし、いろんな意味で伝えることが素人なのは当たり前。入念に考え抜いたはずのプロットはすっ飛ばす。配信してるなんてことはそっちのけで(あたりまえ。そんな概念ないんだもん)、近所の話で盛り上がる。こりゃ、想像以上のカオス。正直、頭を抱えて事態を見守るしかなかった。
これは配信の向こう側にはどう伝わってんだか。いちばん恐れていたのは、被災地を肴に飲んで盛り上がってるって受け取られるんじゃないかって。
この13年の流れを伝えるべく、あらかじめデジタルネイティヴたちが冒頭に流す映像を作ってくれていた。でも、それはすっ飛ばされた。再度チャレンジしたら、今度は音声が出なかった。これは配信には写っていないけれど、会場ではプロジェクターに投影されていたのだが、その前を何度も配膳のお母さんが横切った。それも大事な場面で。
瞬間、オレは開き直れた。これは村の集会だ。村祭りを開いて、そこでかつて被災した人たちが今苦しんでいる人たちを思いやっているってことなのだ。村人は初体験なのだから、完璧にプロット通りにできる方が不自然だよ。
これがプロのエンターテイメントなら許されない。でも、村人が愛を込めて、全力で送ったエールなら、それが今日のベストの愛だよ。
会の後、「甦る」も大きな岐路に立っていることを聞いた。なにも終わっていないし、始まってもいない。でも、これを絶やしてはいけないと思う。民たちが力を合わせて、復興のシンボルとして続けてきたことなんだから。
今が踏ん張りどころだね。タフに生きなきゃね。
おはようございます
山口さん、おはようございます。
リアタイで視聴していました。
被災地を肴に飲んで盛り上がってるなんて受け取っていないから、安心してください。
それだけはひとまずお伝えしておきたくて。
またちゃんと書き込ませて貰いますがよかですか。
配信はグダグダ感感じなかったんですよ。
映像が止まって流し直したのも映像始まってすぐだったからそんなの気にならなかったし、宴会のおしゃべりみたいなのはもちろん何も聞こえないし、ヒロシさんの演奏中に配膳のお母さん?が一度横切ってちょっとハッとしたくらい 笑
映像にあった、「1月1日、地震の映像がTVに映し出されるのを観て、13年前、落ち着く場所を求めて彷徨った自分たちの姿が胸をよぎった」。それだけで、長井のみなさんの能登の人々への思い、ちゃんと伝わってきました。
配信で垣間見た長井のみなさんのお顔はただの酔っ払いではなく、ちゃんと「かつて被災した人たちが今苦しんでいる人たちを思いやっているって」お顔でした。
配信で伝えたいことを伝えるってすごく力の要ることだと思うけれど、真実には威力があって、否応なしに伝わって来て。それは取り繕って伝えられるものではなく、少々の進行ミスでかき消されてしまうものでもないのですね。
「村祭り」に発想切り替えたヒロシさん、流石!(^_−)−☆
配信、視聴させて頂きました。13年のいろいろな思いは画面から伝わったと私は感じました。『それを「希望」と名づけよう』を読まれて締められたのはよかったと思いました。
上手く言葉で伝えることができないのですが、すごくよい配信であったことは確かです。
何故か朝の挨拶しか入ってなかったので再度打たせてください。
洋さんや孝さんや配信に尽力してくれた若人がいなかったら、あの模様を拝見する事は出来ず本当に「村の集まり」で終わっていたのです。だから、感謝です。ありがとうございます。
山口さん、こんばんは。
映像、よかったですよね。あの映像があったからこそ、最後の挨拶で朗読された佐野元春さんの詩に繫がったし、あのかたが何を支えに日々を乗り越えてきたのか、理解に繫がりました。
伝えたいことがそのまま伝わるとは限らない。でも、私たちは想像力を持って常に他者に関わるべきだ。私など計り知れない壮絶のひとつやふたつ、誰もが皆、抱え、乗り越えて生きているはずだから。
あの場に集まった皆さんに、被災地に心を寄せないかたもまたいないだろう。
配信に携わってくださったデジタルネイティブの皆さん、本当にお疲れさまでした。演奏するアーティストのアングル切り替え、きれいに決まっていました。これからの一層のご活躍を願って止みません。
時はおそらく1967年、ところは今はなき船橋ヘルス・センター。3か月で退社した製鉄会社の宴会の席でザ・ビートルズの『ガール』を歌った時の大瀧さんの話を、ザ・ビーチボーイズの『ゴッド・オンリー・ノウズ』を歌う山口洋をぼんやり眺めつつ、なぜだかよくわからないが、僕は思い出した。
https://youtu.be/TA7ekgEhWgs?si=uJBGkxgR3pF7G7In&t=3511
『ゴッド・オンリー・ノウズ』
そうですね、何だろう?この曲?
と思ってたのでご指摘ありがとうございました
少し前のものですが、鈴木酒造の「甦る」を伝える記事。伊藤和哉さんの楽曲『甦る』にも触れていますね。
https://musicbird.jp/cfm/biz/loco-lovers/iw-kotobuki/
漢字間違えてました(-。-;
伊東和哉さんでした☆
稲刈りに参加した者としては何とかして現地に行きたかった。けれど難しく、配信をしてくれたおかげで参加できたと思っています。
画面の中の知ってる顔。画面に写っていないけど思い浮かぶ顔。それを感じることができたのが何より嬉しかったです。「旅をすることは人に会うことだよ」長井で出会った言葉が沁みてきました。
事前注文していた「甦る」を呑みました。小学生の息子には調味料として「甦る」を使った煮物や炒め物を用意し、一緒に味わいながら画面を見つめていました。画面の向こうに感じる大切な人たちを思うこと。我が家にとって意味のある日となりました。
たくさん伝わりましたよ。
たくさん伝わったと思います。
希望そのものでした。
長井のみなさん、山口さん、ありがとうございました。