月別アーカイブ: 5月 2011

母の日

5月8日 日曜日 快晴   亡母、命日。  まったく「母の日」に死ぬなんて出来すぎだぜ、と思わなくもない。花くらい飾ってやりたいが、この身体の状態では、近所の花屋に行くことも地獄に等しい。意を決して、家を出る。カメみたいなスピードで、10メートル進んでは座り込む。その繰り返し。情けないにも程があるけど、こうなってみると、世の中がどれだけハンディーを抱えた人たちに優しくないかってことを身にしみて理解する。フラフラしながら、メールを打ちながら近づいてくるオバサンのチャリンコ。避けられない者にとっては殺人兵器に等しい。被災地のことも、自分のこととして考えろと云うメッセージだと受け取る。確かに、不自由になってみると見えてくる世界がまるで違う。  ともだちが紹介していた、この音楽。相当好きだな。このアイスランド人、僕はまったく知らなかったのだけれど、静かに力が湧いてくる。映像も素晴らしい。ありがとう。 http://www.youtube.com/watch?v=6tvUPFsaj5s  毎日みなさんが送ってくれた写真を観るのが日課です。「life」についての見解。その違いこそが「がんばれ」と云う言葉の代わりとなって僕に響いてきます。 http://no-regrets.jp/heatwave/news/yogile/index.html

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やっちまいました、トホホ。

5月7日 土曜日 曇り ようやく激しかった日々を抜けて、次の場所に向かうぞー、と張り切っていたときに、「咳」をしたところ(咳ですよ、咳!!!!)、腰に激痛が走って、それから立つこともままならず、殆ど這って治療院に行き「何とかしてくださいー」と訴えたなら、ぎっくり腰だと。しかし、格好悪いすね、この病名。原因は激しすぎた移動にある模様。とりあえず、しばらくライヴがないのが救いです。 そんな訳で、どうにもならないので、半径50cmくらいでじっとしています。それしか方法がないそうです。多分、身体がもういい加減にしてくれ、学んでくれってことだと思うので、これを期に学びます。

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ノーウェアな夜、横浜市にて。

5月4日 水曜日 晴れ 大島保克(ヤス)と初めて二人で音楽に向き合った。八重山のような博多のような、微妙にアイルランドのような、そして何処でもない場所に二人で旅をした。あのように響きあえるミュージシャンはそうは居ない。彼と出会ってから、ここに至るまで、20年近くかかっているけれど、互いの道程は無駄ではなかった。きっと。 何よりも、こんな御時勢にたくさんのオーディエンスが足を運んでくれて、中空に浮かんだ何処でもない風景を楽しんでくれていることが嬉しかった。来てくれて、ありがとね。本当のところを云うと、過酷な日程で身体はヘロヘロだったんだけれど、演奏しているうちに、みんなのいいヴァイヴレーションが僕にもヤスにも循環して、すっかり元気になってました。 東北バーガー、開演前には売り切れてました。それを楽屋に報告に来てくれた店のスタッフが本当に嬉しそうだった。ライヴ中も話したけれど、「私は微力で何もできない」という声をよく聞きます。そうかもしれない。でも、そうじゃない、とも思う。まずは自分の暮らしを美しいものにして、誰かを思いやる。そのために心のこもった音楽が存在しているのなら、僕は嬉しい。 ヤス。ありがとね。君の歌と三線は魂と風の音がしたよ。  

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Am I a dreamer?

5月3日 火曜日 曇り 後ろ髪を引かれながら、昨日の昼、函館を出た。無茶だろうが何だろうが、僕らには戻らなければならない理由があった。フェリーに車を積み込んで、青森に着くまで、死んだように眠り、東京まで800キロ車をぶっ飛ばす。何処かでガソリンを入れて、カードで支払おうとしたら、使えなくなっていた。まったく身に覚えがない。カード会社に電話したなら、僕のカードはアメリカでスキニングされ、偽造され、使われていた。おそらくレストランで支払いの際、席に座ったまま、カードを店員に渡した時だろう、と。まったく油断も隙もないけれど、自分の脇が甘かったことは認めよう。 東京にたどり着いたときには日付が変わっていた。もう金輪際、こんな無茶なことは止めようと。命あってこそ、だしね。地面が揺れる感覚のまま、溜まっていた雑務をこなし、海外からのメールを読み、ビンラディンが暗殺された事を知った。一瞬、暗澹たる気持ちになって、そして次第に身体の芯から怒りがこみ上げてきて、震える。彼がいったいどのような人物であったのか、それが問題なのではない。アメリカにとって、問題のある人物ならば抹殺しても良い。その論理がどうしても我慢できない。憎しみが更なる憎しみしか生まないことぐらい、小学生でも知っている。ビンラディンであれ、ぼくであれ、震災で命を落とした人であれ、誰であれ、命の重さは等しく同じなはずだ。 どうしても理解しあえない人物が居たとする。いや、実際のところわんさか居るのだが。「どうして、これだけ骨を砕いても理解してくれないんだろう」。そう思ったとする。たいていの場合、相手もそう思っている。人と人でさえ、言葉が通じても、心が通じないことなんて、山ほどある。確かに、国家や民族。簡単に事が運ぶはずもない。だからと云って、抹殺して事が済むのなら、僕はそんな世界に暮らしていたくない。ある種の人間にとって、「絶え間ない憎しみ」は商売に不可欠だから、このような事を人間は連綿と繰り返すんだろう。 この数日間に出会ったとある友人の携帯の待ち受け画面にはジョン・レノンの「war is over!」が記されていた。「was」ではなく「is」であるところに、僕はこの言葉の素晴らしさがあると思う。諦めたなら、すべて終わりだ。諦めずに旅の途中で死んだのなら、それは人生に於ける、その人なりの勝利だと僕は思う。 海外からのメールに記されていた言葉を勝手に引用しておきます。 「Am I a dreamer? I reject to be a dreamer. I live for life.」 追伸 明日は横浜で大島保克君とライヴです。サムズ・アップの開店13周年記念企画で、僕のリクエストに応えてくれ、東北の食材をふんだんに使った「東北バーガー」を作ってくれました。是非、食べてください。 それから熱烈なリクエストにお応えして、昨日終わったばかりの「speechless tour」、追加公演が決まりました。沖縄と石垣島に行きます。函館の次は南の島。それもまた素敵。 ————————————————— 山口洋/細海魚 TOUR2011“SPEECHLESS”追加公演 2011年7月8日(金) 桜坂劇場ホールB (沖縄県那覇市) 〒900-0013 沖縄県那覇市牧志3-6-10 TEL098-860-9555/FAX098-861-2434 開場/開演 開場19:00 開演19:30 一般前売3000円 当日3500円 学生(中学・高校・大学生)前売1500円 当日1800円(要学生証提示) ※入場時別途300円の1ドリンクオーダーが必要 … 続きを読む

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小さな奇蹟と確かなギフト、北海道函館市にて。

5月1日 日曜日 雨 日本中を廻ってきた「speechless tour」。遂に最終日。まったく何から書けばいいのやら。そのくらいには目が廻りそうな日々だった。 僕らが最終公演地にこの街を選んだのには訳がある。函館は歴史のある素晴らしい街。けれど、失業率も高い。モノの値段を観るだけで分かるけれど、所得水準も決して高くはない。そんな状況の中で、僕らの友人たちは10年に渡って、街に音楽を根付かせようとフントーしてきた。彼らは殆どが第一次産業に従事していて、本気で自分の仕事に取り組む同世代のネットワークが音楽を通じて出来てきた。その事実は音楽をやっている僕らをひどく励ましてくれた。いわば、本当の意味での勝手な連帯だった。 とはいえ、この街で「speechless」のようなタイプのコンサートを開くことが、容易でないことは僕も分かっていた。それゆえ、互いに次の次元に行くためにプレッシャーもかけた。彼らが選んだのは10年前、初めて函館を訪れたときに演奏した、函館山の山頂にあるクレモナと云うホール。ステージの後ろが函館の100万ドルの夜景になる、素晴らしい場所。数がすべてを決めてしまう訳じゃないが、その時の動員を下回ることは、おそらく彼らにとってあり得ないことだった。 何度打ち合わせを重ねたのか、どれだけプロモーションをしたのか、敢えて僕は聞かなかった。それは彼らの目を観れば痛いほど分かるから。首謀者夫婦(普段は極上の野菜を作っている)は「あやうく、speechless離婚するとこでしたよー」と笑っていたが、まんざら嘘でもなかろう。 分かった。後は僕らが音楽でミラクルを起こすだけさ。ところが、この日の函館山は信じられないくらいの霧に包まれていた。夜景はおろか、ホールまでの唯一の足であるロープウェイが動くのか、それさえ危ぶまれる始末。僕らも今回函館にたどり着くまでの道のりは決して容易なものではなかった。どうして、毎回こんなにハードなことになるのか、僕自身、良く分からない。けれど、このような日々が確かに僕らを鍛えてくれた。あまりに無理をすると、身体が壊れることも、合わせて教えてくれた。ならば、当たり前だけれど、全力を尽くすことでしかない。 たくさんのオーディンス(彼らの名誉のために云っておくと、10年前よりずっとオーディエンスは増えていた)が来てくれ、演奏が始まる。でも、夜景は何も見えない。五里霧中。でも、本当の事を云うと、僕は諦めていなかった。バカみたいにまっすぐに走り続けたなら、道が拓けることを経験上知っている。諦めなかった者だけに光が差してくることも。だから、ときどき振り返った。最後の曲にたどり着いて、何だか「じーん」とする瞬間があって、振り返ったなら、信じられないことに、そこには3ドルくらいの夜景がうっすらと見えた。本当だよ。後に魚先生が「ギターで濃霧を一瞬だけ晴らした男って云ってもいいくらいのミラクルだと思うよ」と語ってくれたが、心底、心を動かされた。僕らの10年へのギフト以外のなにものでもなかった。事実、その夜景はオーディンスには見えていなかったのだから。僕はカンドーしたまま、客席にお尻を向けて、ギターを弾いていた。 その曲が終って、どうやらオーディエンスは気づいていないことに、僕が気づいた。照明を落としてもらい、オーディエンスに立ってもらった。その時の「おーっ」と云う歓声は僕らにとって、最大のギフトだった。 そして、あたりはまた濃霧に包まれた。実際のところ、機材を撤収して、山を降りるとき、人生で経験したことがないほどの深い霧だったのだから。 「speechless」にまつわるいろいろ。僕らには確かに次の道が見えてきた。深い霧の中から。関わってくれた人々に心から感謝を。つーか、この文章、函館からまっすぐ帰ってきてから書いてるのです。何だか、脳味噌のろれつが廻らなくなってきた。なので、最大の感謝を伝えて、今日はペンを置かせてください。 ありがとう。 追伸 先日書いたspeechless tour、スペシャルグッズ。ほぼ完売だったそうで。みんなが函館の海が育んだものを、それぞれの食卓で味わってくれるのかと思うと、マジ、嬉しいっす。

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