日別アーカイブ: 2011年5月1日

小さな奇蹟と確かなギフト、北海道函館市にて。

5月1日 日曜日 雨 日本中を廻ってきた「speechless tour」。遂に最終日。まったく何から書けばいいのやら。そのくらいには目が廻りそうな日々だった。 僕らが最終公演地にこの街を選んだのには訳がある。函館は歴史のある素晴らしい街。けれど、失業率も高い。モノの値段を観るだけで分かるけれど、所得水準も決して高くはない。そんな状況の中で、僕らの友人たちは10年に渡って、街に音楽を根付かせようとフントーしてきた。彼らは殆どが第一次産業に従事していて、本気で自分の仕事に取り組む同世代のネットワークが音楽を通じて出来てきた。その事実は音楽をやっている僕らをひどく励ましてくれた。いわば、本当の意味での勝手な連帯だった。 とはいえ、この街で「speechless」のようなタイプのコンサートを開くことが、容易でないことは僕も分かっていた。それゆえ、互いに次の次元に行くためにプレッシャーもかけた。彼らが選んだのは10年前、初めて函館を訪れたときに演奏した、函館山の山頂にあるクレモナと云うホール。ステージの後ろが函館の100万ドルの夜景になる、素晴らしい場所。数がすべてを決めてしまう訳じゃないが、その時の動員を下回ることは、おそらく彼らにとってあり得ないことだった。 何度打ち合わせを重ねたのか、どれだけプロモーションをしたのか、敢えて僕は聞かなかった。それは彼らの目を観れば痛いほど分かるから。首謀者夫婦(普段は極上の野菜を作っている)は「あやうく、speechless離婚するとこでしたよー」と笑っていたが、まんざら嘘でもなかろう。 分かった。後は僕らが音楽でミラクルを起こすだけさ。ところが、この日の函館山は信じられないくらいの霧に包まれていた。夜景はおろか、ホールまでの唯一の足であるロープウェイが動くのか、それさえ危ぶまれる始末。僕らも今回函館にたどり着くまでの道のりは決して容易なものではなかった。どうして、毎回こんなにハードなことになるのか、僕自身、良く分からない。けれど、このような日々が確かに僕らを鍛えてくれた。あまりに無理をすると、身体が壊れることも、合わせて教えてくれた。ならば、当たり前だけれど、全力を尽くすことでしかない。 たくさんのオーディンス(彼らの名誉のために云っておくと、10年前よりずっとオーディエンスは増えていた)が来てくれ、演奏が始まる。でも、夜景は何も見えない。五里霧中。でも、本当の事を云うと、僕は諦めていなかった。バカみたいにまっすぐに走り続けたなら、道が拓けることを経験上知っている。諦めなかった者だけに光が差してくることも。だから、ときどき振り返った。最後の曲にたどり着いて、何だか「じーん」とする瞬間があって、振り返ったなら、信じられないことに、そこには3ドルくらいの夜景がうっすらと見えた。本当だよ。後に魚先生が「ギターで濃霧を一瞬だけ晴らした男って云ってもいいくらいのミラクルだと思うよ」と語ってくれたが、心底、心を動かされた。僕らの10年へのギフト以外のなにものでもなかった。事実、その夜景はオーディンスには見えていなかったのだから。僕はカンドーしたまま、客席にお尻を向けて、ギターを弾いていた。 その曲が終って、どうやらオーディエンスは気づいていないことに、僕が気づいた。照明を落としてもらい、オーディエンスに立ってもらった。その時の「おーっ」と云う歓声は僕らにとって、最大のギフトだった。 そして、あたりはまた濃霧に包まれた。実際のところ、機材を撤収して、山を降りるとき、人生で経験したことがないほどの深い霧だったのだから。 「speechless」にまつわるいろいろ。僕らには確かに次の道が見えてきた。深い霧の中から。関わってくれた人々に心から感謝を。つーか、この文章、函館からまっすぐ帰ってきてから書いてるのです。何だか、脳味噌のろれつが廻らなくなってきた。なので、最大の感謝を伝えて、今日はペンを置かせてください。 ありがとう。 追伸 先日書いたspeechless tour、スペシャルグッズ。ほぼ完売だったそうで。みんなが函館の海が育んだものを、それぞれの食卓で味わってくれるのかと思うと、マジ、嬉しいっす。

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