日別アーカイブ: 2011年5月10日

何も始まっていないし、何も終わっていない#2

5月10日 火曜日 曇り (昨日のつづき) 僕は瓦礫の街でシャッターを一度も押さなかった。怖かったのではない。押したところで、何も映らないことが分かっていたから、それが意味がある行為だとは思えなかった。瓦礫の隙間から逞しい草でも生えていたなら、カメラを向けたかもしれない。でも、当たり前だが、時期的にそんなものはなかった。地面に向かって仔細に目を向けるほど、それぞれの暮らしが完璧に破壊された断片が飛び込んできて、ひどく苦しかった。たとえ、それがシャープペンシルであれ。 被災地から僕は国道6号線を海沿いに北上し、仙台にたどり着き、そこから青森へと向かった。その道はかなりの部分で、津波を食い止めた道であるらしく、暗闇だとは云え、車窓の右と左から押し寄せてくるヴァイブレーションの違いに、頭がクラクラした。帰る場所をなくした魂たちが彷徨っているように感じた。 そして、被災した沿岸部の気が遠くなるような距離と云ったら。地域によって、置かれた状況は異なり、まして無数の家族にはそれぞれの異なった状況がある。これはとてつもなく、とんでもない。たった一日とは云え、それを見てしまった以上、知らなかったと僕は云えない。まず必要なのは「覚悟」で、それを確かめるために、青森までの長い道のりがあったのだろう。 覚悟、冷静沈着さ、正確な知識。正確な情報の発信、それを受け取り分析する知性、被災した人々のメンタル部分のケア、思いやり、社会的弱者の救済、痛みの共有、これまでのあり方の猛省、ひとりひとりの自覚、国策による抜本的な復興計画、それを実行に移すための資金繰り、財源の確保、世界的な視野と長期的ヴィジョンを併せもったリーダーの不在について、実行力、治安の維持、エトセトラ。何よりも将来への確かなヴィジョン。放射能の問題に関しては全世界の叡智を結集して、道筋を作らなくては。云々。 深夜のデコボコの東北道をぶっ飛ばしながら、頭の中は混迷を深めるだけだった。当たり前だけれど、どんなに考えたところで答なんて導ける訳もなく、ただ、身体と心の奥深くにひどく重く、鋭いものが食い込んでいる。そんな感覚だけがあって、痺れた。 この状態のまま、ステージに上がることには無理があった。僕らの仕事は経験したことを創造力によって、ある種のファンタジーに転化し、中空に描いてみせることでもある。ただし、あまりにも強大なものを浴びてしまうと、転化の前に消化できない。僕は未だに「満月の夕」の光景を消化できていない。歌うにはものすごいエネルギーが必要で、簡単に「じゃ、満月の夕、お願いします」なんて云われるとムカつこともある。小さい、と思う。でも、それは事実なのだから仕方がない。 誰かが出した答を求めて、ネットの海を彷徨ってみたところで、そんなものはありやしない。誰もが自分の頭で考え、行動することが求められている。それを「怖い」と感じるか、「当たり前」だと考えるか。 どんなことであれ、雪だるまを作るときのように、最初は「雪つぶて」を作ることから始めるしかない。ある程度の大きさになれば、それは独りで大きくなっていくこともある。起きてしまったことは元には戻らない。ピンチをチャンスに変えることでしかない。それが「不可能」だと思うのなら、プロフェッショナルは試合に出てはいけない。あれから、僕はいくつかのステージで演奏して、気恥ずかしいけれど、その「つぶて」を作る力は「愛」と「覚悟」でしかない、と思い至った。 何も始まっていないし、何も終わっていない。でも特設サイトに寄せられた、たくさんの「life」の貴重な瞬間を見て欲しい。それぞれが「愛」に満ちている。僕はあんな写真は撮れない。絵空事と云われようが何だろうが、僕はそこに確かな「希望」を見つけている。このような「愛」がこの世に存在する限り、僕は何も諦めない。 http://www.yogile.com/mylifeismymessage 追伸 アルタンのマレードさんの提唱で、明日5/11(水)日本時間午前4時から、トラッドのミュージシャンによるチャリティーコンサートがダブリンで開かれます。日本のオーディエンスのために、以下のアドレスでストリーミングも行われます。 是非。 http://www.livetrad.com/ アルタン、ドーナル、ダーヴィッシュ、リアムにキーラ。泣かせるねぇ。ありがとう。 リアムは「今すぐ福島に行きたい」とのたもうてるそうです。よーし分かった。俺がいつか必ず連れてくかんね。

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