日別アーカイブ: 2011年5月12日

何も始まっていないし、何も終わってもいない#3、もうひとつの視座(完結しない完結編)

5月12日 木曜日 雨   「慣れ」は恐ろしい。  ままならない身体で寝転がったまま、ニュースを見ていた。曰く。  「比較的安定していたはずの一号機は水棺を目指していたが、実はどこからか汚染水が漏れていて、燃料棒は殆ど水に浸かっておらず、おそらくそれは溶けて炉の下部に溜まっている。温度を上げないためにも、今後も注水を続けるしかなく、漏れ続けている汚染水はどこに溜まっているのか調査中。だが、注水は注意深く続ける予定。炉の中の温度は100度前後に保たれていて、危機的状況には至っていないと判断している」。要約すると東電担当者はそのように語った。  このような信じ難いニュースがフツーに流されている。我々も慣れてきた。だが、ちょっと待て。ってことは素人が考えても、中で何が起きているのか、今までまったく把握していなかったってことじゃん。「比較的安定していたはずの一号機」がこの状態なのだ。後は推して知るべし。このようなニュースが流されるたび、いつ自分の家に帰ることが出来るのか、気を揉んでいる人々が絶望的な気分を味わされることだけは間違いない。  ちなみに以下のリンクは今日東電がオフィシャルに発表した福島第一原発の状況。上記の状況は一切記されていない。 http://www.tepco.co.jp/nu/f1-np/press_f1/2011/htmldata/bi1497-j.pdf  続いて。  「政府は警戒区域内の家畜、約70万頭の処分(安楽死)を決定」。  真綿で首を絞める、、、、、もはや無言になる。  blogと云う言葉がない時分(1998年)から僕はほぼ毎日「rock’n roll diarly」を書いてきた。でも、3/11以降、言葉を紡ぐのがえらくしんどい。むろん僕は実名で書いている訳だから、文責は昔からある。でも、それだけではない妙な圧迫感を感じている。そして、これは僕の信念でもあるのだけれど、「知らないことは恥じゃない。でも、知ろうとしないのは罪だ」と思う。僕だって、アホな事を書いて暮らしていたい。ノンポリを貫いてきたし。けれど、愛してあまりある音楽を続けていくためにも、この状況を避けて通れないのが事実。  「知らないことを知る」上で、この人物が放った言葉はとても参考になった。どのように咀嚼するかは、受け取る側の自由。ほぼひと月前の発言だけれど、興味のある人は是非、観てください。4回シリーズです。少なくとも、僕は彼の言葉に「覚悟」を感じたし、どこぞの御用聞きの教授たちより、自分の身を危険にさらして、彼は闘っていると思う。 http://www.youtube.com/watch?v=sgXPK3yVDAI&feature=feedwll&list=WL  もうひとつは「ロシア・トゥディー」より。興味深い。 http://www.youtube.com/watch?v=f78mSUbwIeM&feature=player_embedded#at=23 —————————————————————————————————- 追伸 被災地に行くにあたって、僕らはそれぞれの道のスペシャリストと行動を共にし、現状を自分の目で観て、そこに暮らす人たちの生の言葉を胸に刻み、何が出来るのか複合的に考えようとした。僕はそこにもう一人だけ、信用できる男に同乗してもらうことにした。彼は僕がときどき気晴らしに出かけるバーのマスターで、年齢は僕より10歳若い。稀に頑なすぎることもあるけれど、僕は彼の審美、観察眼を信用している。彼はカウンターの内側で、長い時間に渡ってニンゲンを観察してきた。頭もキレる。まずはガイガー・カウンターを被災地に持っていくにあたって、「君の店でも実情を客に話して協力してくれないか」、と。それは相当な無茶ブリだったと思う。でも、それは面倒臭さを越えて、僕らがポケットマネーだけで手に入れることよりも意味のあることだと思えたし、彼はそれを遂行してくれた。以下は彼が書いた文章。僕と違う視座から書かれた。長くなるけれど、読んでくれると嬉しい。 —————————————————————————————————— 急遽、福島県某市でCDショップを営むMさんという方に放射線測定器を届けに行くことになった。募金を集めるのに3日しかなかったが、それで我々の街からの贈り物とさせてもらいたかった。しかし、ガイガーカウンターを特定の個人に贈るということについて、賛否両論があることが分かった。おそらくそこにはもっともな理屈も、全くの正当性もないのだ。贈る意味が分からない、国や政府の方針や公的機関の発表を信じるべきだ、そもそもなぜその人に、なぜ募金しなければならないのか、あるいはモノではなくお金を送った方がいいのではないかなど、様々な意見や批判をいただいた。 食料や物資の不足が改善され、Mさんが今一番ほしいものはガイガーカウンターだという。それならばそれをただ贈るのではなく、そのことに身近な人たちを巻き込みたかったのだ。そして、この時勢に必要とされているガイガーカウンターが日本国内には在庫がほとんどないこと、どのくらいの値段が付いていて、それを手に入れ、肝心の被災地の住民の手に渡ることがこれだけ大変なのだ、というこの現実の矛盾感を、いろいろな人たちに共有していただきたかったのである。 連休の初日、確実に渋滞が予想される中で車で向かったのは、早速ガイガー・カウンターを試しつつ、各所で計測しながら行きたかったからである。都内から計測を始め、栃木県黒磯あたりから放射線の数値はぐっと上がり、福島県に入ると郡山で1.25マイクロ・シーベルト/h(以下単位省略)、福島市では0.7〜0.8、伊達市では1.78と高い放射線量が表示された。内陸部がかなり高い値で驚く。やはり上空20mで計測されているという公表値より、地表1mぐらいで測っている我々の値の方が、若干高い感じがする。 福島市内から山を越え海側に少し下りた辺り、高い放射線量が出ていることで地元の人には知られた、いわゆる「ホットスポット」では、4.0以上、地表近くでは6.0以上の数字も出ていた。ここは福島第一原発からは約40キロ離れていて、高い放射線量で知られる飯舘村よりも遠い場所だ。福島県内には、こうした山側に、いくつかのホットスポットが点在しているそうである。 深い渓流沿いの道を下りて、市街に入ったのは6時頃。なんとかぎりぎり日没に間に合った。駅近くのCDショップに着くと、待ちかねていたMさんがそのまま車を出して、我々は挨拶もせずにその後ろを追った。市街を抜けると、早くも船が転がっている。鉄骨がむき出しになった建物がそびえ立つ、一面空襲の焼け跡を思わせた。泥と廃屋の荒れ地の向こうに夕陽が沈もうとしていた。夕陽はどんな場所でも夕陽として美しく、そして切なかった。 海側の「一般車両通行止め」の区域に入ると、潮の匂いと雨に濡れた埃臭さが入り混じった匂いがしてくる。思っていたほど強い匂いではなかった。車のスピードと共に次々と展開してゆく光景を目に映すだけだった。一面に茶色と逆光にくすんだ色の泥沼に、潰れた車やひっくり返った車がスタックしている。漁港だったと思われるところまで来て、ようやく車から降りた。私はここに初めて来たのだから、たぶん全く分からないのだ。以前にここに来たことのある人や、ここに住んでいた人の気持ちは。 漠然とした、殺伐とした建設現場のようでもあるし、手のつけられない荒野のようにも見えてしまう。それは以前の姿を見たことがないからだし、想像できないからだ。きれいな建物と美しい風景、それともくすんだ、寂しげな町並みだっただろうか。想像できないほどに、生活の香りも人の温もりも、すべてを洗い流されてしまっていた。とっくの昔に見捨てられた無人の集落のように、後悔も怨念も残らないほどに諦められ、人気のない夜の浜辺そのままの、気持ち良いほどの寂寥。アホなカップルはここに来て、ピースサインで記念撮影をして行くという。自分もアホな見物客と思われてしまうんじゃないかと、肩身を狭くした。余計なことを言ってしまわないように、ずっと黙っていた。 住宅地に入るとそこには真っ二つに切れたように残った住宅や、全半壊の家の庭には家財が散らばって、生活の香りが残っていた。雨に濡れた路面には夕暮れの最後の光が反射して、犬を連れた女性が散歩をしていた。小さな墓地の墓石は全て倒れていた。災害ゴミの集積場は巨大な瓦礫の山だ。割けた柱や建築資材、折れ曲がった鉄骨にブルーシートや漁網が混じり、一面の不法投棄の粗大ゴミ、山積みにされたスクラップ置き場のようだけど、これは出したくて出したゴミじゃない。出したくなかったゴミの山なのだ。 なにかを言うには、「こんなこと言っちゃいけないけど」という前置きが必要なのが面倒で、話すことがためらわれた。自分の素直な感想は、そんなこと今さらながら、自分が余所者だということでしかなかった。自分がここに来たのは、驚くためでも悲しくなるためでもなく、同情するためでもない。惨状を伝えるために来たわけでもない。自分は匂いを嗅ぎに来たのだ。そして痛みを少しでも分けてもらいたかっただけなのだ。吸い込んだ粉塵のせいか、胸の上の方が少し苦しくなった。 もう少し早く着いて時間があれば、過酷な状況だという避難所や、福島第一原発に近いエリアにも連れていってくれるということだったので残念だったが、それでも現地の人たちの切実さを感じるぐらいには、短い時間でも十分だった。 日が暮れ、寿司屋で震災前にとれた地場の魚介をいただいた。このあたりはホッキ貝が有名だそうだ。冷凍モノもそろそろ最後だと言っていた。お茶で座敷を囲んだが、私はせめてもの貢献とビールを飲み、地の日本酒をと頼んだら原発そばの双葉町の蔵元のあらばしりが出てきた。この蔵元の酒も今後飲めなくなるのだろうか。黙って話を聞きながら飲み干した。 私は終始、挟む言葉も投げかける質問も見つからなかった。心の片隅に、今回のガイガーカウンターを贈ることに対していただいた意見や批判が引っかかっていたし、被災地で泥かきの一つさえもせず、ただ断片をさらっと見ただけでは、何も言えなかった。意見などなにひとつ持っていないに等しかった。 私はいい年して世間知らずの若手のような気持ちで、今後のことを考えている大人たちの顔と表情を見ていた。なにをするべきか、どうしたらよいのか、なにができるのか、そういうことはきっと人それぞれ意見も違うし、得意不得意適材適所、みな違うだろう。しかし、我々に共通しているもの、共有しているものとはおそらく、危機感なのだ。生きる条件や困難さは人それぞれ違う。そんな違った人たちを結びつけるものがあるとすれば、それは眉間に滲み出る危機感なのではないだろうか。 今回、我々がガイガーカウンターを贈ったところで、状況が改善されるわけでも、安全が保障されるわけでもない。とにかくここが安全なのか、これから先も生活していけるのか、それが分からなければ復興はもちろん、片づけさえもできない。それが言えなくて、自主判断せよと言うのなら、せめて判断するためのガイガーカウンターを住民全員に配るべきではないか。子供も守れず、原発近くに今も野ざらしの遺体さえ適正に扱えないこの国のことを、まったく信じられない、と私も思った。 多くの人がガイガーカウンターを手にすることができないこの現状で、Mさんだけでなくその周りの人たちにとっても、ひとつでもその判断材料は多い方がよいのではないか。そして日々の不安な生活の中のせめてもの安心材料として、少なくとも今日はまだ大丈夫なのか、ここはどのくらいの数値なのか、そういうことを自分で確認できたら、少しはマシなのではないだろうか。 放射線量は少し離れただけでも大きく変わってくる場所もあり、気象や風向きによっても、あるいは原発の今後の状況が悪化することで、変化していくこともあるかもしれない。政府や自治体の発表に従わなければならない状況になるとしても、あるいは必要な指示をしてくれなくても、人は自分の人生の決定を自分で判断しなければならないし、自分で決めたいものではないだろうか。 今回の被災はまず地震があり津波があり、そして福島には原発事故があり、そして風評被害という問題も起きている。ボランティアや遊びに来てくれる人たちにも、安心して来てくれとも言えない。自分の住まいも流され、連絡の取れない友人やお客さんがたくさんいる中で、まだ泣けないのだ、泣ける状態じゃない、というMさんの言葉が印象的だった。 実際にガイガーカウンターを贈り、使ってもらわなければ、何が分かり何が分からないのか、不安が解消され、あるいはまた別の不安が生じるのか、そして実際にどのような数値が検出されるのかは分からないだろう。しかしそれ以前に、私にとって価値のあったことがあるとすれば、それはこの件に関わり人を巻き込むことで、我々に降りかかる多くの矛盾や痛みや危機感をいくらかでも分かち合い、共有させてもらうことができたのではないかということだ。もちろん、それだけでは十分ではないのだが。

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