日別アーカイブ: 2011年5月9日

何も始まっていないし、何も終わっていない#1

5月9日 月曜日 晴れ 今まで身の回りに腰を痛めた人間は山ほど居て、痛そうだなぁ、と思っていたけれど、いざ自分がその身になってみると、これは意外にとんでもないと云うか、社会生活がまったく送れない。家は無駄に階段だらけで、トイレに行くのもままならないし、座ったら立ち上がれないし、買い物には行けないし、宅急便が届いても玄関に間に合わないし、エトセトラ。こうなった以上、焦ってもしょうがない。悔しいことに、痛くて本を読む気にもなれないし、蓑虫みたいにソファーで丸まって、まとめて映画を観るか、天井を眺めながら、考えごとをするか、みたいな日々。とりあえず、5/16のライヴで、車椅子に座って登場なんてことがないように、せめてロッカーとしては、立って演奏することを目標に(どんな目標やねん?)じっとしております。ああ、情けない。実のところ、今日は写真撮影でした。でも、それ、無理。迷惑かけてごめんね。 天井を眺めながら長い間考えごとをする。そんな時間が与えられることもありませんでした。被災地に行って感じたことが、ようやく少しづつ言葉になって出てきつつあります。数日かけて、それらを記したいと思います。 ————————————————————————————————- 僕らが出向いたのは福島県の某所。計画的避難区域から少しだけ離れた海沿いの街。震災が起きたとき、僕はアメリカに居ました。離れた場所に居る以上、物事を俯瞰で捉える使命を与えられたのだと。そして日本に戻り、今度はピンポイントで物事を観て、そこから全体を観なければ、と。僕には個人的に思い入れのある小さな街がありました。まずはそこを訪ねようと。 僕の心をいちばん締め付けたのは、津波に完膚なきまでに破壊された海沿いの街の風景ではありません。云うまでもなく、瓦礫の山と化した風景はムゴいにも程があった。けれど、それよりも、そこに住む、友人も含む、生き残った人々の表情。彼らの表情を僕の語彙で表すことは出来ません。人にとって、とんでもない事が起きたとき。まず「悲しむ」と云うプロセスを経て、そこから再生していきます。どこかでその感情を爆発、あるいは出してしまわなければ、再生へ向けて歩き出すことはできません。そんな意味で、地震そのもの、30メートルの津波、余震。ここまでは天災だから仕方ない、と彼らも理解しています。ただし、人災である放射能の問題が、どれだけ彼らの心を蝕んでいることか。彼らだって、もちろん再生したいのです。当たり前です。けれど、放射線は目に見えず、国は明確に指示してくれず、再生しようにも、いつ「強制的に」立ち退けと云われるかもしれず、何もできない。原発が今後どうなるかは甚だ不透明で、放射能は垂れ流され、ガイガーカウンターは街に2個しかなく、福島県人だと云うだけで云われのない差別があり、エトセトラ、エトセトラ。彼らの心にはやり場のない怒りだけが降り積もっていく。 この人災には戦後、消費、拡大へと突き進んできたこの国のすべての矛盾が含まれている。僕はそう感じています。何よりも、友人たちがまずは「悲しむ」くらいの心の余裕を持つ状況を作りだせないものか。「がんばる」前に、まずは「悲しまなければ」「がんばれない」という事実。それが僕を打ち砕いたのです。(つづく) 追伸 みなさんの「life」の写真、反響がありすぎて、サーバーの容量を超えてしまいました。本当にありがとう。web担当者と相談して、対策を練ります。アナウンスするまでしばしお待ちください。 追伸その2 サーバー問題、解決しました。引き続きどうぞ、よろしくです。

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