7月10日 月曜日 晴れ
音楽に耳を澄ましてごらん。全部聞こえてくるから。こころの襞や、その人が歩いてきた人生の路傍の風景やヴィジョンまで。
性格が素晴らしい人がいい音楽を創るわけではまったくない。
内包されるんだよ。すべてのことが。良くも悪くも。
だから、嘘をついたって、聴くやつが聴いたらバレるし、取り繕ってたって、いつかそれは綻びる。中身がないやつの音楽は中身がないし、だから誠実でいるしかない。そのくらいには恐ろしいことだと思ってる。音楽を生業にするってことは。
ある種、天と通じてる。天って、自然と言ってもいいし、神と言ってもいい。神って薄っぺらいGODのことじゃなくてね。本来は無償の愛の世界。見返りを求めてはいけない。全人生を捧げるべき場所。
昔から音楽家なんて、食っていける職種じゃなかった。だからパトロンは必要だったし、階級のために音楽は創られてきた。オレはそんな音楽が好きだったことなんて一度もないけど。
ロックンロールが凄いのはそれが「庶民」のための音楽だったってこと。黒人たちが絶望と悲しみの中で産み出したブルースに基づいてるってこと。それをジョー・ストラマーみたいな本物のパンクロッカーが世界の若者に「態度」として広めたってこと。
だから、やる、やらないは別として、ブルースを知ってるかどうかはとってもデカいことなんだ。オレは福岡に生まれて、鮎川さんをはじめとする第一船団のパイオニアたちのおかげでティーンの頃にそこに触れることができた。だからブルースが内包するものをエッセンスとして、簡単にパクるなんてことはできなかった。でも、それはオレの血肉になったんだよ。
この国は薄っぺらいものほど受け入れられる側面がある。毒にも薬にもならないものが心地よい人にとっては、そのくらいがちょうどいいのだろうし、それが悪いことだとも思わない。クリスマスになると流れる曲を聴いて、オレは一度もこころが動いたことはないけれど、それに感動する人がいても、それはそれでいい。ただ、そこにブルースはないだけの話。
昨日、ビル・エヴァンスが1961年にヴィレッジ・ヴァンガードで遺した録音物をアナログ盤で聴いていた。オレが生まれる前だよ。たぶん、マイク2本で録音されてるんだけど、素晴らしくてね。そこには音楽のすべてがある。緊張と弛緩、音の粒、それぞれのこころの揺れ、儚さ、意志の強靭さ、性格の悪さ、人を信じること、信じられないこと、エトセトラ。すべてがある。奇蹟のような演奏。
その10日後にメンバーは死ぬことになる。それすら予感させるような空気があるし、観客はたぶん30人もいない。
耳を澄まして、君のこころの声、ブルースを聴いてごらんよ。聴こえてきたものを一人称で語ってごらんよ。面倒なことも増えるけれど、人生はもっと豊かになる。オレにとって、音楽の役目はそこにある。
今日のブログ、朝から何度も読み返しました。山口さんのメッセージが素晴らしくて。そして、自分に刻みたくて。
「そこに、ブルースはあるのか」。すべてのことに通じることだと思います。心したいです。
洋さん、ありがとうございます。
ヒートウェイブの音楽がなぜこんなに私の心に沁みてくるのか、分かった気がしました。なるほどブルースは『音楽』だなと感じました。
この日本の、特に改革を嫌い、前例に習うことを良しとする教育界のものの考え方に辟易するわたしは、多くの保護者に人気の先生がどうしても嫌いだったりします。本気で私自身困るのですが、サブイボが止まらなくなります。しかし、親しい友人はそんな私を「少し不良入ってる」と表現します。素直に育った自負が人一倍あるのですが…笑。
薄っぺらいものを薄っぺらいものだと感じないことが“素直”なのだと考えるように教育されている人が多い印象ですね。不要に木を伐採するなんて、まさに傲慢以外のなにものでもないのですが、必要以上に「先生」などの権威に腹を見せる犬のように従う人の生き方ってありますね。つまらない大人だとわが子に思われたくないなと私は思ってたりします。斜に構えてるのではないのですが。
ライブCDもDVDも、音の良さ、音楽の良さ、大切にしている空気を、何度も聴いているのに、初めて聞くように、つど感じさせられています。こんなに励みをいただく音楽ってあるのかな。
そんなことを咀嚼が足らないままですが、お伝えさせていただきます。
追伸、その親しい友人と「無重力体験!12分300円」という宇宙やスペースシャトルの写真に釣られて座ってみたら単なるマッサージチェアでした。宇宙にはほど遠かったです。
「にくしみにフォーク かなしみにスプーン」そんな音楽がこころを撫でてくれる。
そして、面倒なことはまとめて腰を揺らして、ちょっとの間、忘れてしまお〜 そんな音楽もあるといいね〜
大雨、熱さの中、みなさんがご無事でありますように。
陳腐な表現しか出来ない自分が歯痒いけれど、今日のブログ涙が出るほど心が震えました。
いろんなことがあって、丁度深く自分を見つめてみたいタイミングでした。
私のこころの声、ブルースに耳を傾けて、一人称で語ってみます。
素敵なブログ。
心から感謝します。
ビル・エヴァンス、あらゆる情緒を鍵盤に注ぎ込む安定した情緒を持ってるような人ですよね。「ザ・人間的」のようにも思います。…私が勤める場所にて「見なかった事にしてくれ!知らなかった事にしてくれ!」等の事案にぶち当たっております。見なかった事も知らなかったフリも出来る人間ではないんで、自分なりの武器を用いて突き進む所存でありやす。「無関心」ほどこの世で怖いもんはないんで‼️
今日のブログは、今ネットで話題騒然の某大物ミュージシャンを念頭に置いてのことではないかと推測します。私はこの件については、正義ぶって正論を振りかざしている大多数の一般人のコメントがどうにも我慢ならず、いくつか反論のコメントをしました。彼(Y氏としておきましょう)にとっては世間が何と言おうと不遇の時代に励ましてくれた恩人であることを表明しただけなのに、擁護だとか、忖度だとか、日本語も人情も理解できない人が多くて本当に嫌になります。
で、ここで言いたいのはそのことではなく、今日のブログからもうっすらと感じられるように、山口さんがこのY氏のことをあまり良く思っていないように感じられることです。
以前も、一人アカペラなんて気持ち悪い(言葉は正確じゃないかもしれません)とか発言されていましたし、数年前のフェスでは、後輩ミュージシャンからのリクエストでY氏の某曲をカバーするときに、わざわざレゲエ調にして原曲の雰囲気を跡形もなく消し去っていました(正直そこまでするか?と思いました。リクエストした人、気の毒だなとも)。今日のブログにある、薄っぺらい音楽とかクリスマスに流れる曲とかは、Y氏の曲を含んでのことと思います。山口さんほどの方がY氏の音楽をそれほどまで毛嫌いするのが不思議でなりません。恐らく山口さんはY氏の音楽をそれほど多くは聴いていないのではないか、代表的な数曲を表面的に聴いて薄っぺらいと判断されているように思います。まあそれ以前に人間的に嫌いというなら致し方ありませんが(その可能性が高そうですが)。私はY氏の音楽のいくつかには、HWと同等か時にはそれ以上のロック魂、ロックンロール魂を感じますよ。
ボブ・ゲトルフさんが歌った「月曜日」の曲、ガキの頃に聞きました。今でも大好きな曲です。ミック・ジャガーさん、忌野さんも歌った「火曜日」も大好きです。BCRの「土曜日」も大好きです。ディスコブームの「金曜日」も大好きです。もちろん「日陽日」も大好きです。私は嫌いな陽日は有りません。レイ•モンド.ディビイスさんが作った「オールオブザナイト」が大好きです。山口洋さんの歌が大好きです。私は、私を疑い、そして私は私を信じます。今年中に再びHeat waveのLiveに参戦したいです。それぞれの「日曜日」が有ります。私はヒロトさんの日曜日も、あの機関車の「日曜日」も大好きです。なにはともあれ、山口洋さんの魂の叫びこそが、とても大事に思う今日この頃です。
追伸
今宵、久しぶりにThe Kinksのサニーアフターヌーンを聴きながら就寝します。おやすみなさい。洋さん、いつもありがとうございます。
ステキな言葉をありがとうございます!
だから洋さんが好きです。
音楽を心から愛し続けているから。
私も彼の音楽は否定しません。
でもあの発言後、全く聴く気になりませんでした。
これからも無いでしょう。。残念ですが。
私は山口さん、Y氏の音楽をいずれも数十年、生活の糧としています。山口さんの楽曲からはRock’n’rollやBluesを、Y氏の楽曲からはSoulやFunkの要素を強く感じてます。何れも黒人音楽がルーツであり、それを日本人の感性で今の時代に最良の形で共に表現されていることは、僕らリスナーにとってはかけがえのない事であり、いずれの音楽も薄っぺらいと思ったことは一度もないです。
山口さんのライブやSNS、Y氏のライブやラジオトークに何年も永く接していて思うのは、どちらも良い意味でベリー偏屈(褒めてます‼︎)なこと、そして筋をきっちり通す信頼出来るアーティストであること、音楽に対する深い思い入れで楽曲制作を長く高いレベルで続けていること。どちらも音楽職人の仕事です。だから敬意を持って聴き続けています。
山口さんの意に沿わない生意気なコメントになり申し訳ありません。こういうファンもいることを伝えたくて投稿しました。僕らは生きていく上で音楽が必要です。今まで通り変わらず色々な素晴らしい楽曲を聴き続けていけること強く願っています。世の中の強いコンプライアンス圧力、SNSによる集団リンチ、生きにくい時代です。