月別アーカイブ: 7月 2013

山と海の狭間で

7月5日 金曜日 曇り ずいぶん前のこと。ともだちがアメリカで「Between Thought and Expression」というLou Reedの詩集を手に入れてきてくれた。後に同タイトルのコンピレーション盤が出たが、僕はそのタイトルにずっと心を持っていかれたままだった。その詩集には「親愛なるヒロシへ」とルーの直筆のサインが入っていたが、ともだちには悪いけど、そんなことはどうでも良くて、とにもかくにも心に引っかかったのは、そのタイトルだった。「思考と表現の狭間で」。どれだけ時間が経過したのか不明だけれど、それから数年して、ある瞬間にそのタイトルの持つ意味を「身体」で理解したのをはっきりと覚えている。 そのようなことは今でもある。 昨日、1200キロの道程を12時間で走りきって、ヘトヘトになってクルマをガレージに入れた。ドアを開けたとき、瞬時に海の匂いを感じた。そして激しい疲労の中で、僕は1200キロの意味を「身体」で理解した。 当たり前のことだけれど、僕は山から海に移動してきた。その両方の視座を持つために、自力での1200キロの意味があるのだ、と。 家に入って、インターFMでやっているディランの番組を聴くために、ラジオをつけたら、マーサ&ヴァンデラスの「HEATWAVE」が流れてきた。うーん、なるほど。すごいね。 一晩、死んだように寝て、僕は海沿いを走り、そのあと、住んでいる街の人々の表情を眺めた。昨夜、「身体で理解した」あの瞬間に、僕は少しだけ前とは違う人間になったのだと思う。まるで違うものが人々の顔の中から見えてくる。それがいいことなのか、どうなのか。それは記さないけどね。 「一人一人の心の習慣が変わらない限り、日本という船は方向転換できない」という発言が送られてきた。僕も激しく同意するよ。その舵のありかを知るために、僕は山と海の狭間を漂い続けるのだと思う。

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嵐の日の原始人

7月3日 水曜日 雨 昨夜はひどい嵐でした。 星が輝かない夜は漆黒の闇に包まれます。自分のてのひらさえ見えません。荒れ狂う風、叩きつける雨。次第に自分と闇との境目が分からなくなってきて、どっちが荒れてるのか不明になります。たぶん、両方、かな。じっとしている以外に方法はないので、頭蓋骨の裏のスクリーンに浮かんできた映像について、いろいろと考えてみるのです。 九州に居たのはわずか一週間くらい。その間にどれだけの迷える子羊に会ったんだろう?ある者は送り込まれ、ある者は自分の力でやってきて、ある者は僕の目を見てくれなかったのです。だいたいに於いて、みんなひどい勘違いをしています。僕がとっても強い人間で、相談するには最適だと思っている。それね、ものすごい誤解。ワタスはね、弱いす。ひ弱なのが嫌なんでこういう生き方をしてるだけです。だから、問われても、確たることは何も応えられません。昔に比べれば、そんなに迷ってはいないけれど、僕も羊であることは間違いないです。 人はね、生まれる場所や国や親を選べません。(ま、選んで生まれてきたとも思うけど)スタート地点からして理不尽だと思うのです。では、ハイソサエティーに生まれたら即幸福かって、そんなこともありません。僕が知るかぎり、金持ちも、貧乏人も、有名人も、市井の人も、みんななにがしかの理由で悩んでいます。じゃ、何のために人は生まれるのかって?この頃、思うのです。人には役目ってものがあります。僕にもあります。訳も分からず、七転八倒しながら、前に向かって歩いていたら、それは与えられたのです。誰にって、僕の言葉で云えば、宇宙に、かな。前より少しは楽になった気はします。だから、やって来た子羊たちには「自分と世界がどう繋がっているのか。そして、あなたの志が何処を向いているのか」。って話すだけです。かつてそれを僕に問うた人が居たからです。 さて、山を下ります。1200キロの旅です。  

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晴れた日の原始人

7月2日 火曜日 晴れ 晴れた日の原始人は忙しい。 窓という窓を開け、家じゅうの空気を入れ替える。何かが動きはじめる。業務用掃除機で虫さんの亡骸を、埃を、何でも吸い込む。それから日本伝統の雑巾がけ。掃除に飽きたら、上半身裸になって、草刈り、草刈り、草刈り、草刈り。燃料が尽きて、エンジンが止まるまで止めない。これ、オレのルール。でも、その頃には振動で、手がおかしくなってくる。今なら、すべてのフレーズにビブラートついてくるぜ、みたいな。どんなにがんばっても、ここに住んでいないので、家は壊れる。つーか崩れる。オレひとりじゃそのスピードに追いつけない。でも、最近それも愉しい。すべてを自分でやらなきゃいけないってことは、鍛えられるってことで、チェインソーだって、何だって道具は使えなきゃどーにもならないわけで、とにかく没入してるとストレスがなくなってる。 昨日、ロックンロールから農業へと華麗なる転身を遂げた若者が野菜を届けてくれた。これがもう、労働の後にはたまらない味で「オレがピーマンだ、とかオレサマがタマネギだーーー」とか激しい主張をする。美味すぎる。こうやって、オレはこの土地に生きさせてもらっているのである。 労働が一区切りしたら、峰までえっちらおっちら走る。原始人は当然上半身裸。観光客の冷たい視線は気にしない。同輩にお伝えしておこう。どんなに楽なルートを選んでも、ここから6キロは登りになる。標高1000メートルで6キロの登りってのはかなりこたえる。心臓破りなんて生易しいものではなく、ときどき破れる。でもよ、(はすっぱでごめん)ずーっと走り続けてきたらよ、以前みたいにキツくないのよ。びっくりするよ。肉体はまだまだ順応し、進化するぜよ、御同輩。

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