新・相馬盆歌

8月11日 日曜日 晴れ

ひっさしぶりに宇宙に達するくらい眠り、ベッドの中で「安住紳一郎の日曜天国」を聞いたら、元気になりました。惰眠って大事だなぁ。続いてポッドキャストで「あまちゃん」の音楽を担当されている大友さんの話を聞いていたら、本格的に元気になりました。8/15にはPROJECT FUKUSHIMAでたくさんのやぐらを組んで福島駅の前で盆踊りをやるんだそうです。その音頭は大友さんが作曲し、ミチロウさんが歌ってるそうです。何だか、元気出ました。感謝です。こちらは、孤軍奮闘って感じで、残念ながら盆踊りまでは実現できなかったんですけど、浜通りと中通りと世界を繋ぐために、ひとりで背負うのはもう止めにして、来年目指してがんばりマッスル。

事の経緯を簡単に。

始まりは今年の3月11日、福島県いわき市でのことです。興味がある人はその日のblogを読んでちょんまげ。

http://no-regrets.jp/wordpress/?p=7176

ミチロウさんは前年の盆に、浪江町から避難している人たちの盆踊り大会を二本松の仮設住宅で催したのですね。福島県はとっても大きいのです。浜通り、中通り、会津と大まかに云って3つの地域に分かれます。そのうち、浜通りと中通りでは「相馬盆歌」が盆踊りの歌として広く歌われていることが分かったのです。じじばばがその歌が流れると表情が変わったのだそうです。ミチロウさんがいわきの楽屋で、僕の目をまっすぐに観て、放った言葉がすべてです。

「山口クン、オレたちがミュージシャンとして初めて音楽でできること、見つけたんだよ」。

云うまでもなくミチロウさんも僕もミュージシャンである前に人間ですから、どんな時もできることをやり続けてきました。でも、正直しんどかった。今だから書けるけれど、例えばスーツを着て、スポンサーを説得するのは僕には向いていなかった。私腹なんて一銭も肥やしていないし、お金は出ていっただけなのに、どうしてありもしないことで誹謗中傷されなければいけないのか分からなかった。大事な場面になると必ず誰かが逃げた。人間がこんなにいい加減で、嘘つきで、中途半端な生き物だとは知らなかった。気がつくと、僕は担ぎ出されたはずなのに、責任と集客と集金と広告塔の殆どを負わされ、どこにも逃げられなくなっていた。苦しかった。人が僕に期待したり、何かを託してくれるほどに苦しかった。

同時に福島の事態は悪化しかしていなかった。分からなくなったとき、僕はいつも原点に戻る。あの電気を使っていたのは関東に住んでいる僕だった。だから、相変わらずそれは僕の問題なのだった。

そんなとき、PROJECT FUKUSHIMAを牽引してきたミチロウさんから前述の言葉をかけられたのです。彼や彼らがどれだけの困難を乗り越えてきたのか、僕なりに知っています。でもミチロウさんたちはメゲなかった。そんな彼から「力を貸して欲しい」と云われて燃えないなら、僕は在日九州人のプライドを捨てなきゃならない。

ってここまで書いて、こんなに力が入るから疲れるのかもね、と思う。

閑話休題。

「相馬盆歌」を皆で歌い踊る。死者の魂を弔い、生者と交わり、浜通りと中通りを繋ぎ、世界に福島を知らせる。真ん中にあるのは音楽。誰も傷つかない。なんて素晴らしいアイデア。

いわきからの帰りの車中でだいたいの仕事を終えたはずだった。でも、信じられないことに、そのアイデアは福島では認められなかった。このことに関しては多くを語りたくない。僕なりに原因も分かってはいるし、その理由は墓場まで持っていく。ただ、さすがに僕も傷ついた。まぁいい。この事に関してはこのくらいにしておこう。

お互い日本中を飛び回っているミチロウさんと僕。顔を合わせられることは滅多にない。相馬で盆踊りをやれる可能性はすべて消えてしまった。じゃ、どうする?諦めるか、二人のロッカー。

ところがどっこい。僕らはオーディエンスが一人も居ないところから這い上がってきた叩き上げなのです。誰が聞いてくれなくてもいい。死者を弔い、生者と交わる。相馬のお寺が快く場所を提供してくれました。多くの人が亡くなった海で、僕らは演奏することにしました。誰も居ないところから心を込めて始めよう、昇ってくる朝陽とともに。それを映像に撮って、相馬の人たち、この国の人たち、世界の人たちに観てもらおうと思っています。できればお盆の時期に間に合うように。

僕はどんなに困難なときも、自分の手を汚し、誰よりも矢面に立ち、決して私利私欲のためではなく、行動し、道を創る人を尊敬します。ミチロウさんは相馬での最後の行動で、僕に道を創ってくれました。内容?それは秘密です。

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新・相馬盆歌 への10件のコメント

  1. うっちゃん より:

    これまで、そしてここに来て、ヒロシさんの信念を見ましたよ。
    アルバムに収まる歌にも、すべてが込められているような気がします。
    信じると言うことに骨を折ることは、決して無駄じゃないと…。

  2. ひで より:

    問題の一つが有ったとして、それは表面上では一つに見えるだけで実は色々な事が絡み合っていて、その一つ一つを解いて行く作業には時間も掛かるし問題解決に辿り着く前に力尽きてしまう人も、やっぱ沢山いると思いますよ。
    逃げ出してしまった人にも自分の生活を建てながら問題に向き合って、力尽きてしまったんだと思います。
    なんだか上手く言えないですが…

    山口さんが力尽きないように応援しています。

  3. きょーこ より:

    実際に自分が動くこと、それが時にはとんでもなく困難なみちである場合があるってこと、自分でも思い当たることがあり、おおまかですが分かる気がします。
    わたしは自分が成し遂げられないことが成される現場に出くわすと、いつも泣いてしまいますね。それが自分の弱さでもあるんでしょう。
    盆が近づいてきます。楽しみに待ってます。

    いつもありがとう。

  4. 愛ぴょん より:

    やっぱり原始人だー‼ ヒロシさんが元気になって、よかった。

    グリグリしたくなるような重い荷物をたくさん背負ってこられたのですね。しかも訳の分からぬ誹謗中傷を受けながら。でも逃げないでいてくれる人が一人でもいてくれるということは、ものすごくグレイトなことだと思います。

    「誰が聞いてくれなくてもいい。誰もいないところから心を込めて始めよう。」
    今回撮影された映像にはこの言葉が根底に流れているのではないでしょうか。
    だからきっと誰のものでもないから、誰のものでもあり、さまざまな人に観てもらえることを想います☆

    元気になられたとはいえ、無理はしないでちょんまげ、ね。

  5. kumiko より:

    今日見つけた言葉を送ります。
    見返りを期待する善意や優しさは、苦しみの原因になります。見返りを求めない善意や優しさは、忘れた頃に予想以上の幸せとなって還ってくる。
    「人は、あなたから受けた恩を忘れるでしょう。それでも助け続けるのです」マザー・テレサ。

  6. Froggy II より:

    相馬盆歌のアイデアの根源に圧倒的なピュアを感じて、じんわりきました。
    でも、そこに至るまでの経緯を読んで切ない気持ちにもなりました。
    くそったれ!と思いながらも、人の弱さを誰も責めることはできません。自分も同じ人間という生き物だからです。担ぎ出され、負わされたのかもしれませんが、山口さんも誰かと同じように一抜けしたければ出来たはずだと思います。でも逃げたくなかったから、実際には自ら漕ぎ出し、負ったんじゃないでしょうか。人間やある構造の裏表をみることはめちゃくちゃ辛かったかもしれませんが、山と海の両方を観たいという魂ならば、「観てよかった」と思えるのではないでしょうか。この先、誰かが同じような問題にぶちあたったとき、自らの体験を話すことができるからです。
    問題を共有できる先達や仲間がいるってことは、今の自分に見えてないことを教えてくれる人がいるってことですよね。それは「苦しみ」の対極にあることだと思います。
    遠藤さん、山口さん、逃げずにそこに関わるすべての人をわたしは尊敬します。

  7. 甲斐 より:

    3.11にアニキにオファーを出した主催者様も万感の思いでしょうね!

  8. 桃子 より:

    洋さんが元気な体になって良かったです。
    実は先週の金曜日に大友さん出演のライブで盆踊りの話を聞いていました。「場所が狭くて大変な事になるので来ないでね」って言われてましたけど(笑)!なので洋さんの事と同時進行でミチロウさんが繋がっていました。

    偶然にも色々な人や事が繋がって自分でも驚いています。でも、そんな時ありますよね。
    大友さんが「あまちゃん」で話題となっているのも、ミチロウさんと洋さんで今回は実現しなかった事にも何か意味があるような気がします。その”時”が来るまで!
    私は以前、洋さんがブログの写真に添えた言葉がとても印象に残っています。
    “止めても無駄だ。もう決めたんだ。”

    朝日の登る時、相馬盆歌…レクイエムは景色にどう溶け込んでいったんでしょう。

    素晴らしいお話が聞けて嬉しかったです!ミチロウさんから道を創って頂いた洋さんならきっと同じ魂で洋さんにしか出来ない成すべき事がありますね!

    疲れたらココで癒やします。癒せたら良いな。

  9. こびど より:

    相馬のお寺での音楽、といいますか、ある意味「執念」の響きが、多くの死者と我々生者との間にどのような交歓を生むのでしょう。
    吐き出してしまいたい想いの方が多い中、偶然と必然の繋がりをいつも大切にされている山口さんを皆、応援していますよ!

  10. めっっしゅ より:

    誰ひとりオーディエンスがいなくっても、俺はあなたを尊敬します。

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