こころの中のジョーに訊いてみよう

2月16日 木曜日 晴れ

もし、ジョー・ストラマーが生きていたら、今の音楽を取りまく、違うな、世界のこのおかしな状況をどう思うだろう?わからなくなると、いつもそれを想像してみる。

彼は生涯をかけて、庶民の側にいる人だった。そこがなによりも好きだった。サブスクが台頭して、音楽の収益もほんの一握りの人間が大部分を懐に入れて、便利さの代わりに製作者はまったく尊敬されないのが当たり前になってしまった。いつも言ってるけど、「安い」ってことはどこかに必ず歪みがある。どこかで誰かが虐げられている。それが着るものであれ、食べるものであれ、音楽であれ。構図は同じ。

一方。老齢を迎えたアーティストは自分の作品を高額で売り抜けに出る。それって団塊の世代の勝ち逃げにも似ていて、彼らの過去の作品の信憑性まで貶めていく。醜いよ、ほんとうに。その石(意志)はもう転がってはいない。彼らがやるべきことは、恵まれない若い世代のために道を創って死ぬことだと思うんだけど。その志の低さは音楽に露呈する。だから、もはや体験する価値もない。そんなに金があるなら、次の世代のために基金でも作ったらどうなんだろう。

だから、ジョーならどうするって問いかけは自分の中ではバランスを失わないためにたいせつなことになる。

そこの信号を守った時点で、我々は飼い犬であることから逃れることはできない。トシを重ねるほど、国家なんかに管理されたくないと強く思う。でも、そこのところだけはどうにもできない。

だから、雪山に行って、バイクに乗って、こころの中のジョーに問いかけてみる。あなたなら、どうするって。

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こころの中のジョーに訊いてみよう への1件のコメント

  1. fujiiku より:

    今日のブログ読んでいたら心のモヤモヤが晴れたような気がします。ありがとうございます。ジョーはファンにもすごく優しかったです。ライブの後出待ちしていると「必ずサインするから順番に並んで」と言ってくれたのが昨日事のように思い出します。

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