民度と自由と功罪と

12月2日 土曜日 晴れ

情報はタダではない。きちんとした記事を書こうと思えば、当然取材が必要になるのだから、その結果を無料で公開すると成り立たないのはあたりまえ。

サブスク化の功罪は情報が無料だと思い込ませるところにある。それが「真実」だと思うピープルにも多いに問題はあると思うけれど。ネットニュースを見てみればわかる。芸能人のSNSから拾ってきた話題が「ニュース」として並んでいる。足を使って取材する必要のない、とうていニュースとは言えない類のやつ。

ジャーナリズムと民度は相乗して低くなっていく。

なにかのニュースが知りたければ、アンテナに引っかかった事案を自分で探しにいけばいい。そして、必要なときは対価を支払う。でなければ、ジャーナリズムは死んでしまう。

音楽もしかり。海外のミュージシャンは時の流れで撮影を許可していることも多いので、オーディエンスが撮影した動画が大量にばら撒かれる。確かにそれはプロモーションと言えなくもないけれど、自分がそれをされたらと思うと耐えられない。

そもそもYoutubeにこちらの意思でアップロードしたものなんて数えるくらいしかなく。ほとんどは何の許可もなく、一方的にアップされたものばかり。そういうことが暴力的だと感じてくれる人はとても少なく、いちいち消してくれと申請するには数が多すぎて、野放しにされたまま、それがスタンダードになっていく。

想像してみてほしい?あなたが街を歩いていて、勝手に撮影されて、それがアップされたらどう思う?個人情報云々でそれは問題になるよね?僕らはこんな仕事だから、それは我慢して当然って、オレには意味がわからない。嫌なものは嫌なんだよ。

できればヤンバルクイナ、イリオモテヤマネコ。そういう絶滅危惧種として存在したい。守ってくれなくていいから、オレ、あのライヴを見ました。そんな希少な存在で構わない。ただ、ライヴの会場に来てくれたなら、ものすごいものを体験してもらう。その自信はとうぜんある。

あなたが動画を撮影しているとき、あなたはなにも見ていない。全身と六感を使って音楽は体験してほしい。こころのHDに刻むことが、いちばん優れた記録手段だって、オレは今でもそう思っているから。なぜなら、記憶は変化していくものだから。それは捏造ではなく創造だから。そして、どうでもいいことはすぐに忘れるから。

ジョー・ストラマーがノコギリみたいな音でテレキャスターのEmをかきむしった瞬間をオレは永遠に忘れないと思う。それがたとえばオレにとってのライヴの意味。それは力なんだ。あれがあるから、オレは生きている。

自分の道を本気で行こう。そう思わせてくれたEmだった。

自分のライヴでスマホを向けられる日が来たら。引退する。そこはもうオレが立つべき場所ではないから。古い?頑固?なんとでも言ってくれ。隠れて撮影されているのも、オレは目が悪いけど、実はほとんどわかってる。ライヴ中は全神経を集中してるから、ビニール袋が擦れる音まで聞こえてる。あまりにも目に余る行為以外は空気を悪くしないように我慢してる、それが結果的にライヴに悪影響を及ぼしてることも知っていてほしい。

どうしても撮りたいというのなら、オレの頭も鉄ではないので、わかった、今日はこの1曲だけは撮ろうが、アップしようが自由にしてくれ。みたいな対応はする、かもだけど。意見があるなら、自由にどうぞ。

とうわけで。本心を伝えたから、もうこの話は終わり。

HWツアー、残すは福岡、京都、東京。ぜひ、来てください。

 

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民度と自由と功罪と への6件のコメント

  1. にゃあにゃあ。 より:

    以前井上◯水さんのライブで、冒頭お一人で歌われた後、お客さんがじっと見つめる期待と緊張の視線に身をさらしながら、「世の中にはいろんなタイプのひとがいまして。『オレを見てくれ!!』という人を見たい♡と思う人たちもいれば、『な、なるべくなら見ないで・・』という人間を見たい♡という珍しい方々もいらっしゃるわけで・・苦笑」と。

    先日出られたラジオで、ヒロシさんが「売れたいと思ったことはない、アーティスト写真もイラストなんです」と話された本意がうまく伝わってなかったようにも思ったのですが。

    ヒロシさんはステージで「自分」を伝えたいのでなく、「自分を空っぽの器にした時にそこに注がれる音楽」を伝えたいのであって。
    それは「音」や「声」や「姿」として記録可能ならもののようで、実は聞く人見る人のこころ、いやもっと、魂としか言いようのないところでしかキャッチできない、そもそもカタチのないものであって。
    そこにこそ音楽の神秘があるし、もしかしたら人間の神秘もあるのかもしれず。
    それを毎回必ず「見せて」くれるから、ヒロシさんの、HEATWAVEのライブを「見に」行きます。

    ヒロシさんが信頼して対価を払って任せるカメラマンや映像のプロのかたたちの撮るものには、その何かが確かに映っているのだけれど、無断で無料で隠れて撮ったモノに、そのライブの静謐や高揚から生まれる神秘が映し出されているわけもなく、むしろそれらを無価値にしてしまう無粋な暴力行為だということ。

    ぜんぜん話が変わりますが、数日前の「徹子の部屋」で、今年他界された方々の特集をしている回があって、その冒頭がムツゴロウさんこと畑正憲さんで、いつかヒロシさんも書いてらした、ライオンに指を食べられてしまったときの経緯を詳しく話していらして。
    それがとても良かったのです。相手との間に信頼を築こうとするために相手を『信じる」その構えが、尊いなあと。
    TVerでまだ観れますので良かったら。(嗚呼、これも無料。。)

    ヒロシさんが土曜の朝に真っ向から伝えたかったのは、オーディエンスと一緒に、その信頼をベースに今年最後のライブをやり抜きたい!という想いかなと。
    われらが音楽ムツゴロウさんの想い、しかと受けとめて、奇跡の生まれるアニバーサリーライブに皆で創っていきたいですね!!!

  2. かまを より:

    ライヴでのスマホ撮影は禁止にしても良いと思うんですよね。観ている側からしても画面が視界に入って鬱陶しいんですよね。画面はやたら明るいですし。。それで演者の気が削がれるならなおの事です。映画館ではスマホの電源を切るのと同じ事だと思います。

  3. そばや より:

    山口さんは、本当に研ぎ澄ましてステージに立っていると思います。私は以前、ある小さなライブ会場のステージの近くで、負のオーラ出していて、終了後に怒られました。多分、三日前のライブの時は、あんなに盛り上がってたのに、なんで今日はグダグダなんだよ!おめぇーは!だったかなと。今思うと失礼だったし。山口さんを悲しませてしまったんだなと反省。
    その一年後に、だいぶいい顔になって来たな!とちょっとだけ褒められたりして。(まだまだだよ…天の声…)
    多分、一切を見極めて、音の道を貫通させているのだと思います。ステージとオーディエンスの間に。其処に立つ者の覚悟かもしれません。
    後は、演奏中に観客席でスマホのモニターの明るさを出されると、一瞬にして現実に帰るようで、めっちゃ興ざめしてしまいます。コンサートは非日常の空間ですよね。皆んな、働いたお金出してチケット買って、交通費もかかってますし。夢の3時間、俗界離れて愉しみましょうよ!福岡、京都、東京!!

  4. ミツバ より:

    「あなたが動画を撮影しているとき、あなたはなにも見ていない」って、本当にそう思います。

    子が通っていた幼稚園では、行事での撮影が一切禁止されていました。園長先生曰く「子ども達の事をしっかり見てください。」と。勿論、カメラマンが入ってくれることもありますが、写真や動画が残っていなくても、その場の空気感や楽しかった記憶は今でも鮮明に思い出せます。

  5. ミホ より:

    他にも書かれている方がおられましたが、
    ライブ中のスマホは禁止でよいと思います。
    スマホを掲げている人が視界に入るだけで
    本当に興醒め、すてきな空間が台無しになります。

  6. ハートロッカー より:

    可能な限り山口さんに近づいて観たい俺っちはLIVE中は山口さんしか目が行かないのでそんなマナー違反あったんだ!とびっくり!前に目の前で腕組みしながら聴き入ってたら山口さんからLIVE中に指摘された時は焦ったなぁ〜そう言えば山口さんLIVE中でも料理の音も聞こえるって笑ってた事も有りました。山口LIVEは一期一会なんでその瞬間を楽しもうぜ!

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