月別アーカイブ: 5月 2011

刻々と変わる状況

5月21日 土曜日 晴れ 相変わらず高値で入手困難が続いているガイガーカウンター。先だって、手に入れたときから「これは作れるんじゃね?」と思っていた。だから、街のキレ者たちに振ってみた。僕は化学や物理の才能はありません。自慢だけど、高校のとき物理で0点を取ったことがある。だから、ただ、振るだけ。 キレ者たち。さっそく動いてくれ、深夜に僕は呼び出された。いわく、ガイガーカウンターの心臓部はGE管というセンサーのようなもので出来ている、それは既に30個ほど確保されているので、要約すると(僕は話の内容が良く分からない)制作は可能で、1個、1万ほどで量産もできる。「おー、そりゃすごいね。後は耐久性と性能だね。じゃー、名前はオレが考えるぜ」と盛り上がり、アラームの代わりに「london calling」がチープな音で鳴る、とか、エトセトラ。世界中どこにもないガイガーカウンターはほぼ誕生間近だったのだが。 朝になって、被災地からメール。教職員と避難所に「よ・う・や・く」東電がガイガーカウンターを配ったのだと。遅過ぎるけど、本当に良かった。作れなかったのはちょっと残念。でも、一刻も早く、このような状況になることを望んでいた訳だから、まずはよかった。 このように状況は刻々と変わっていく。望まれていることにフレキシブルに対応しなきゃいけない。僕は直接電話して、リサーチした。(これは福島県某所の話なので、それぞれの場所によって状況は異なる)曰く、避難所に物資は充分にある。逆に、たとえば電化製品や洋服。それらが贈られることによって、街の電気屋や洋服屋がモノが売れなくなって困っている。なので、支援してくれるのなら、これからは街にお金を落として、経済を活性化してくれた方が嬉しい。なるほど。この街に関しては支援も次のステップに入ったのだろう。ならば、僕らも出来ることを、その方向にシフトしよう。このようなことは、僕らの自己満足であってはならないし、状況に応じて、被災した人たちが自立していくためのサポートになっていなければ、意味がない。 僕らの目標はわずか一日で修正が必要になった。グッズのことなども、一度取り下げ、もう一度練り直してくれるよう、話し合ってもらっています。 それでは、リハーサルに行ってきます。 追伸 最近、音楽の話題が少ないので。ミュージシャンであることも忘れてしまうような日々です。でも、仕方がないんじゃないかな。本分は音楽であることは間違いないけど、その前にニンゲンなのだから。きっと、ここで学んだことは音楽にやがてフィードバックされると思っています。ライアン・アダムスの新譜、素晴らしいです。久しぶりにLとRの二台のエレクトリック・ギターがゴキゲンに鳴っているアルバム。寝起きにも、夜疲れたときにも、響いてきます。

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未知の領域

5月20日 金曜日 晴れ   原子炉が3つ同時に溶融している「かも」しれないと云う状況に至って、人類はかつて体験したことのない「未知の領域」に入った。状況は未だ現在進行形で、正確な情報やデータは誰が操作しているのか、あるいは把握していないのか、恐怖を抱えて生きている人たちに、それがもたらされることはない。いったいどこまで腐ってるんだと、暗澹たる気分になるが、出来ることをやっていくことでしかない。  昨日引用した言葉、アゲイン。 「もしも改めることができるなら、憂うべきことなど一体何があるのだろうか。 もしも改めることができないのならば、憂うことで一体何の役に立つというのだろうか」。  朝、目覚めたら、このblogを観るのが日課になった。 http://hiroakikoide.wordpress.com/ 5/23に小出さん、孫さんが参議院の行政監視委員会に参考人として招かれている。注目している。  そして、線量を可視化したこのサイトを観る。 http://microsievert.net/  久しぶりに被災地の友人と話せた。僕らが作った映像は最後まで観ることが出来なかった、と。申し訳ない。でも、僕らにはあれしか方法がなかった。許してくれ。 そして、今必要なものを尋ねた。相変わらず「ガイガーカウンター」なのだと。市民は本当に怯えている。幼い子供を抱えている母親はなおさらだ。だから、僕らが持っていったガイガーカウンターは貸し出した、と。場所によって、同じ地域でも線量は異なり、気が遠くなるほど(万年単位)の半減期を持つ複数の放射性物質に関しては一切のアナウンスがない。  震災後、街にはコミュニティーFMが出来た。今でも3箇所の数値が定期的にアナウンスされている。お年寄りはネットを観ることができない。ならば、今出来ることはガイガーカウンターを手に入れて、その情報を聴くことができるラジカセをできるだけ多くゲットすることではないか、と結論に達した。  僕らが「my life is my message」を立ち上げたのは、刻々と変化する状況に合わせてフレキシブルに対応し、ピンポイントで出来うることを確実に届けるためだ。だから、6月のライヴの最終的な目標は「出来るだけ多くのガイガーカウンターとラジカセを届ける」。そこに置くことにした。(って今は俺が暴走してる状態なので)早急に話し合って、詳細が決まったら、アナウンスします。

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その後

5月19日 木曜日 晴れ   一本ライヴをやっただけなのに、ぐきっと来た瞬間に戻りそうな場面が多々あって、なかなか全力では動けません。ヤバいと感じたら、ベッドに直行、即安静。情けないけど、そのような日々。とにかく、再発したら軽く一週間は棒に振るし、癖になるのだけは避けなければ。とほほ。  ダライ・ラマが法話の中で、引用していた言葉。ひどく心に響きました。曰く。 「もしも改めることができるなら、憂うべきことなど一体何があるのだろうか。 もしも改めることができないのならば、憂うことで一体何の役に立つというのだろうか」。  クロエ・レッドの公式ツイッターが出来ました。ファンの皆さんには見えづらかったであろう、関係性が伝わればと思っています。これからは互いに具体的な活動内容を伝えていこうと思っています。 http://twitter.com/#!/Chloe_jp  サッカーの日本代表、東北出身の小笠原選手と今野選手が「東北人魂」を云うプロジェクトを立ち上げた、と。決して雄弁ではないけれど、言葉の隙間に強い決意は感じられて、ぐっと来ました。バックに音楽が流れていて、聞き覚えがあるなぁ、と。それは僕が作ったものでした。何だか、嬉しかったな。この偶然。

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遺言

5月17日 火曜日 曇り ビンラディンが殺されてからと云うもの、ひっきりなしに上空を戦闘機が飛び交っている。人々の日々を切り裂きながら飛んで行く。ここに住んでいると、世界の情勢の変化が分かる。本当の話だよ。 事情があって、僕は遺言を書き直すことになった。云うまでもなく、それは財産に関する話ではない。そんなもの、ないに等しい。死んでまで、人に迷惑を掛けたくない。ただ、それだけの話。それは独りで生きる者の義務。誤解のないように書いておくと、すぐ死ぬって話でもない。僕は多分、健康だ。どう死にたいのか、考えておかないと、どう生きていいのか分からない時代に僕らは暮らしている。それが「覚悟」の意味だと、僕は思う。 僕より5つも年上なのに、どういう訳か僕より長生きすることになっているNYの兄貴分に連絡した。「お前を燃やして、ドニゴールの引き潮、上げ潮の差の大きい例の湾に散骨するからね。先に行きやがってこのやろーと言いながらね。月夜が良いけどね。どう?」と返信。随分と具体的。でも、そこには母も眠っている。じゃ、よろしくお願いします。何だか、すっきりしたよ。さぁ、本気で闘うぜ。 「my life is my message」。この映像は被災地から僕らが受け取ったメッセージ。何かを感じてくれた人が居たら、誰かに伝えてくれたら嬉しいです。 映像 渡辺太朗 (mood films) タイポグラフィー 駿東宏 (SG) 音楽 「old english rose」 by 山口洋 (HEATWAVE)

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マグマの優しさ

5月16日 月曜日 曇り 久しぶりにエンケンさんにお会いした。僕はバックステージの階段に座り込んで、溢れてくるエネルギーを浴びていた。好きだとか嫌いだとか、そんなことはどうでも良くて、凍るように冷たくて、モーレツに熱い音の滝に打たれていた。マグマのような 何かが確かに渦巻いていた。一切手を抜かず、まっすぐに全力で演奏するその生き方に感服し、終演後、感謝を伝えに行った。その目には少年のひかりが宿っていた。

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sweet sweet melt down

5月14日 土曜日 晴れ   寝たきり中年。やっと3キロ歩く。と云うか歩けた。春の陽光を浴びて、自分の足で歩くことがこんなに素晴らしいことだとは。健康で居ることのありがたみは不健康になってみないと分からなかった。このまま慎重に過ごしたなら、月曜日のステージは立って演奏できそうです。な訳で、来月の100キロマラソンは棄権します。来年に向けて、ゼロから出直しです。    うちのweb担当、Y君と打ち合わせ。彼の実家は浜岡原発から3キロのところにあります。先だって、彼は被災地にボランティアに出向き、惨状を目の当たりにし、自分の故郷の置かれた状況に危機感を募らせています。曰く、幼い頃、その地はド田舎で何もなかった。原発がやってきたとき、「文明」がやってきたことにコーフンした、と。  僕らは考えました。福島の人たちと浜岡(静岡県御前崎市)の人たちをskypeで繋ぎ、お互い酒を飲みながら、ざっくばらんに語りあう。それをu-streamで中継して、全国の人たちが視聴し、それぞれに考える場所を作ろうと。しかるべき場所に企画を持ち込むことも考えたのですが、何よりもまずは、僕らが生活の延長線上で、出来ることをやれる範囲でやってみる。そこから始めようじゃないか。そんな話をしました。ミュージシャンである僕が毎日このような事ばかり書いているのは、気が滅入ります。でも、昨日遂に東電は「メルトダウン」を認め、マスコミもニュースの一環として、それを流して終わり。どこまで腐ってるんだと憤る前に、僕らは生活の延長線上で、出来ることを、笑いを忘れずにやっていきたいと思っています。 追伸  久しぶりの音楽の話題でも。僕がぎっくり腰で動けなかったとき、ともだちがこんな映像があることを教えてくれました。僕らを音楽の深遠さに引きずり込んでくれた名作「last waltz」の本編に使われなかった映像が楽しめます。 この映像あったんだ、とか。 http://www.wolfgangsvault.com/the-band/video/tura-lura-lural-with-van-morrison_1000036.html 俺がthe bandで一番好きな曲は、カナダ出身のニール・ヤングとジョニ・ミッチェルがコーラスしてたんだ、泣かせるなぁ、とか。(この曲はフランス系カナダ人が故郷を追われ、流木のように流れる姿が描かれている) http://www.wolfgangsvault.com/the-band/video/acadian-driftwood-with-joni-mitchell-and-neil-young_1000038.html 追伸その2 3月に大阪城ホールで行われた、佐野元春さんのデビュー30周年コンサート。本日、放映だそうです。あのステージ、本当に愛に満ちていました。詳細は不明だけれど、一緒に演奏させてもらった「君を連れてゆく」も多分流れます。 佐野元春30周年セレブレーションライブ 大阪城ホール 5月14日(土)深夜0:00〜2:00 CS放送「TBSチャンネル」 その3 毎日増え続けるみなさんの「life」の貴重な瞬間。本当に嬉しく思っています。心からありがとう。引き続き、どうぞよろしく。 http://no-regrets.jp/heatwave/news/yogile/index.html

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何も始まっていないし、何も終わってもいない#3、もうひとつの視座(完結しない完結編)

5月12日 木曜日 雨   「慣れ」は恐ろしい。  ままならない身体で寝転がったまま、ニュースを見ていた。曰く。  「比較的安定していたはずの一号機は水棺を目指していたが、実はどこからか汚染水が漏れていて、燃料棒は殆ど水に浸かっておらず、おそらくそれは溶けて炉の下部に溜まっている。温度を上げないためにも、今後も注水を続けるしかなく、漏れ続けている汚染水はどこに溜まっているのか調査中。だが、注水は注意深く続ける予定。炉の中の温度は100度前後に保たれていて、危機的状況には至っていないと判断している」。要約すると東電担当者はそのように語った。  このような信じ難いニュースがフツーに流されている。我々も慣れてきた。だが、ちょっと待て。ってことは素人が考えても、中で何が起きているのか、今までまったく把握していなかったってことじゃん。「比較的安定していたはずの一号機」がこの状態なのだ。後は推して知るべし。このようなニュースが流されるたび、いつ自分の家に帰ることが出来るのか、気を揉んでいる人々が絶望的な気分を味わされることだけは間違いない。  ちなみに以下のリンクは今日東電がオフィシャルに発表した福島第一原発の状況。上記の状況は一切記されていない。 http://www.tepco.co.jp/nu/f1-np/press_f1/2011/htmldata/bi1497-j.pdf  続いて。  「政府は警戒区域内の家畜、約70万頭の処分(安楽死)を決定」。  真綿で首を絞める、、、、、もはや無言になる。  blogと云う言葉がない時分(1998年)から僕はほぼ毎日「rock’n roll diarly」を書いてきた。でも、3/11以降、言葉を紡ぐのがえらくしんどい。むろん僕は実名で書いている訳だから、文責は昔からある。でも、それだけではない妙な圧迫感を感じている。そして、これは僕の信念でもあるのだけれど、「知らないことは恥じゃない。でも、知ろうとしないのは罪だ」と思う。僕だって、アホな事を書いて暮らしていたい。ノンポリを貫いてきたし。けれど、愛してあまりある音楽を続けていくためにも、この状況を避けて通れないのが事実。  「知らないことを知る」上で、この人物が放った言葉はとても参考になった。どのように咀嚼するかは、受け取る側の自由。ほぼひと月前の発言だけれど、興味のある人は是非、観てください。4回シリーズです。少なくとも、僕は彼の言葉に「覚悟」を感じたし、どこぞの御用聞きの教授たちより、自分の身を危険にさらして、彼は闘っていると思う。 http://www.youtube.com/watch?v=sgXPK3yVDAI&feature=feedwll&list=WL  もうひとつは「ロシア・トゥディー」より。興味深い。 http://www.youtube.com/watch?v=f78mSUbwIeM&feature=player_embedded#at=23 —————————————————————————————————- 追伸 被災地に行くにあたって、僕らはそれぞれの道のスペシャリストと行動を共にし、現状を自分の目で観て、そこに暮らす人たちの生の言葉を胸に刻み、何が出来るのか複合的に考えようとした。僕はそこにもう一人だけ、信用できる男に同乗してもらうことにした。彼は僕がときどき気晴らしに出かけるバーのマスターで、年齢は僕より10歳若い。稀に頑なすぎることもあるけれど、僕は彼の審美、観察眼を信用している。彼はカウンターの内側で、長い時間に渡ってニンゲンを観察してきた。頭もキレる。まずはガイガー・カウンターを被災地に持っていくにあたって、「君の店でも実情を客に話して協力してくれないか」、と。それは相当な無茶ブリだったと思う。でも、それは面倒臭さを越えて、僕らがポケットマネーだけで手に入れることよりも意味のあることだと思えたし、彼はそれを遂行してくれた。以下は彼が書いた文章。僕と違う視座から書かれた。長くなるけれど、読んでくれると嬉しい。 —————————————————————————————————— 急遽、福島県某市でCDショップを営むMさんという方に放射線測定器を届けに行くことになった。募金を集めるのに3日しかなかったが、それで我々の街からの贈り物とさせてもらいたかった。しかし、ガイガーカウンターを特定の個人に贈るということについて、賛否両論があることが分かった。おそらくそこにはもっともな理屈も、全くの正当性もないのだ。贈る意味が分からない、国や政府の方針や公的機関の発表を信じるべきだ、そもそもなぜその人に、なぜ募金しなければならないのか、あるいはモノではなくお金を送った方がいいのではないかなど、様々な意見や批判をいただいた。 食料や物資の不足が改善され、Mさんが今一番ほしいものはガイガーカウンターだという。それならばそれをただ贈るのではなく、そのことに身近な人たちを巻き込みたかったのだ。そして、この時勢に必要とされているガイガーカウンターが日本国内には在庫がほとんどないこと、どのくらいの値段が付いていて、それを手に入れ、肝心の被災地の住民の手に渡ることがこれだけ大変なのだ、というこの現実の矛盾感を、いろいろな人たちに共有していただきたかったのである。 連休の初日、確実に渋滞が予想される中で車で向かったのは、早速ガイガー・カウンターを試しつつ、各所で計測しながら行きたかったからである。都内から計測を始め、栃木県黒磯あたりから放射線の数値はぐっと上がり、福島県に入ると郡山で1.25マイクロ・シーベルト/h(以下単位省略)、福島市では0.7〜0.8、伊達市では1.78と高い放射線量が表示された。内陸部がかなり高い値で驚く。やはり上空20mで計測されているという公表値より、地表1mぐらいで測っている我々の値の方が、若干高い感じがする。 福島市内から山を越え海側に少し下りた辺り、高い放射線量が出ていることで地元の人には知られた、いわゆる「ホットスポット」では、4.0以上、地表近くでは6.0以上の数字も出ていた。ここは福島第一原発からは約40キロ離れていて、高い放射線量で知られる飯舘村よりも遠い場所だ。福島県内には、こうした山側に、いくつかのホットスポットが点在しているそうである。 深い渓流沿いの道を下りて、市街に入ったのは6時頃。なんとかぎりぎり日没に間に合った。駅近くのCDショップに着くと、待ちかねていたMさんがそのまま車を出して、我々は挨拶もせずにその後ろを追った。市街を抜けると、早くも船が転がっている。鉄骨がむき出しになった建物がそびえ立つ、一面空襲の焼け跡を思わせた。泥と廃屋の荒れ地の向こうに夕陽が沈もうとしていた。夕陽はどんな場所でも夕陽として美しく、そして切なかった。 海側の「一般車両通行止め」の区域に入ると、潮の匂いと雨に濡れた埃臭さが入り混じった匂いがしてくる。思っていたほど強い匂いではなかった。車のスピードと共に次々と展開してゆく光景を目に映すだけだった。一面に茶色と逆光にくすんだ色の泥沼に、潰れた車やひっくり返った車がスタックしている。漁港だったと思われるところまで来て、ようやく車から降りた。私はここに初めて来たのだから、たぶん全く分からないのだ。以前にここに来たことのある人や、ここに住んでいた人の気持ちは。 漠然とした、殺伐とした建設現場のようでもあるし、手のつけられない荒野のようにも見えてしまう。それは以前の姿を見たことがないからだし、想像できないからだ。きれいな建物と美しい風景、それともくすんだ、寂しげな町並みだっただろうか。想像できないほどに、生活の香りも人の温もりも、すべてを洗い流されてしまっていた。とっくの昔に見捨てられた無人の集落のように、後悔も怨念も残らないほどに諦められ、人気のない夜の浜辺そのままの、気持ち良いほどの寂寥。アホなカップルはここに来て、ピースサインで記念撮影をして行くという。自分もアホな見物客と思われてしまうんじゃないかと、肩身を狭くした。余計なことを言ってしまわないように、ずっと黙っていた。 住宅地に入るとそこには真っ二つに切れたように残った住宅や、全半壊の家の庭には家財が散らばって、生活の香りが残っていた。雨に濡れた路面には夕暮れの最後の光が反射して、犬を連れた女性が散歩をしていた。小さな墓地の墓石は全て倒れていた。災害ゴミの集積場は巨大な瓦礫の山だ。割けた柱や建築資材、折れ曲がった鉄骨にブルーシートや漁網が混じり、一面の不法投棄の粗大ゴミ、山積みにされたスクラップ置き場のようだけど、これは出したくて出したゴミじゃない。出したくなかったゴミの山なのだ。 なにかを言うには、「こんなこと言っちゃいけないけど」という前置きが必要なのが面倒で、話すことがためらわれた。自分の素直な感想は、そんなこと今さらながら、自分が余所者だということでしかなかった。自分がここに来たのは、驚くためでも悲しくなるためでもなく、同情するためでもない。惨状を伝えるために来たわけでもない。自分は匂いを嗅ぎに来たのだ。そして痛みを少しでも分けてもらいたかっただけなのだ。吸い込んだ粉塵のせいか、胸の上の方が少し苦しくなった。 もう少し早く着いて時間があれば、過酷な状況だという避難所や、福島第一原発に近いエリアにも連れていってくれるということだったので残念だったが、それでも現地の人たちの切実さを感じるぐらいには、短い時間でも十分だった。 日が暮れ、寿司屋で震災前にとれた地場の魚介をいただいた。このあたりはホッキ貝が有名だそうだ。冷凍モノもそろそろ最後だと言っていた。お茶で座敷を囲んだが、私はせめてもの貢献とビールを飲み、地の日本酒をと頼んだら原発そばの双葉町の蔵元のあらばしりが出てきた。この蔵元の酒も今後飲めなくなるのだろうか。黙って話を聞きながら飲み干した。 私は終始、挟む言葉も投げかける質問も見つからなかった。心の片隅に、今回のガイガーカウンターを贈ることに対していただいた意見や批判が引っかかっていたし、被災地で泥かきの一つさえもせず、ただ断片をさらっと見ただけでは、何も言えなかった。意見などなにひとつ持っていないに等しかった。 私はいい年して世間知らずの若手のような気持ちで、今後のことを考えている大人たちの顔と表情を見ていた。なにをするべきか、どうしたらよいのか、なにができるのか、そういうことはきっと人それぞれ意見も違うし、得意不得意適材適所、みな違うだろう。しかし、我々に共通しているもの、共有しているものとはおそらく、危機感なのだ。生きる条件や困難さは人それぞれ違う。そんな違った人たちを結びつけるものがあるとすれば、それは眉間に滲み出る危機感なのではないだろうか。 今回、我々がガイガーカウンターを贈ったところで、状況が改善されるわけでも、安全が保障されるわけでもない。とにかくここが安全なのか、これから先も生活していけるのか、それが分からなければ復興はもちろん、片づけさえもできない。それが言えなくて、自主判断せよと言うのなら、せめて判断するためのガイガーカウンターを住民全員に配るべきではないか。子供も守れず、原発近くに今も野ざらしの遺体さえ適正に扱えないこの国のことを、まったく信じられない、と私も思った。 多くの人がガイガーカウンターを手にすることができないこの現状で、Mさんだけでなくその周りの人たちにとっても、ひとつでもその判断材料は多い方がよいのではないか。そして日々の不安な生活の中のせめてもの安心材料として、少なくとも今日はまだ大丈夫なのか、ここはどのくらいの数値なのか、そういうことを自分で確認できたら、少しはマシなのではないだろうか。 放射線量は少し離れただけでも大きく変わってくる場所もあり、気象や風向きによっても、あるいは原発の今後の状況が悪化することで、変化していくこともあるかもしれない。政府や自治体の発表に従わなければならない状況になるとしても、あるいは必要な指示をしてくれなくても、人は自分の人生の決定を自分で判断しなければならないし、自分で決めたいものではないだろうか。 今回の被災はまず地震があり津波があり、そして福島には原発事故があり、そして風評被害という問題も起きている。ボランティアや遊びに来てくれる人たちにも、安心して来てくれとも言えない。自分の住まいも流され、連絡の取れない友人やお客さんがたくさんいる中で、まだ泣けないのだ、泣ける状態じゃない、というMさんの言葉が印象的だった。 実際にガイガーカウンターを贈り、使ってもらわなければ、何が分かり何が分からないのか、不安が解消され、あるいはまた別の不安が生じるのか、そして実際にどのような数値が検出されるのかは分からないだろう。しかしそれ以前に、私にとって価値のあったことがあるとすれば、それはこの件に関わり人を巻き込むことで、我々に降りかかる多くの矛盾や痛みや危機感をいくらかでも分かち合い、共有させてもらうことができたのではないかということだ。もちろん、それだけでは十分ではないのだが。

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寝たきりの日々

5月11日 水曜日 雨 グキっときてから一週間。人生初めての寝たきりの日々。ちょっとでも無理をすると、すぐに悪化するし、座っているのも苦痛なので、身体を丸めて寝ている以外に方法がない。たくさんの情報をありがとう。自分なりに精査して、病院にも行かず、ただじっとしていることを選びました。こんな時に闘えない身体に随分腹も立ったんだけれど、ここで学べってことなんだと受け止めています。キビシーっ。

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何も始まっていないし、何も終わっていない#2

5月10日 火曜日 曇り (昨日のつづき) 僕は瓦礫の街でシャッターを一度も押さなかった。怖かったのではない。押したところで、何も映らないことが分かっていたから、それが意味がある行為だとは思えなかった。瓦礫の隙間から逞しい草でも生えていたなら、カメラを向けたかもしれない。でも、当たり前だが、時期的にそんなものはなかった。地面に向かって仔細に目を向けるほど、それぞれの暮らしが完璧に破壊された断片が飛び込んできて、ひどく苦しかった。たとえ、それがシャープペンシルであれ。 被災地から僕は国道6号線を海沿いに北上し、仙台にたどり着き、そこから青森へと向かった。その道はかなりの部分で、津波を食い止めた道であるらしく、暗闇だとは云え、車窓の右と左から押し寄せてくるヴァイブレーションの違いに、頭がクラクラした。帰る場所をなくした魂たちが彷徨っているように感じた。 そして、被災した沿岸部の気が遠くなるような距離と云ったら。地域によって、置かれた状況は異なり、まして無数の家族にはそれぞれの異なった状況がある。これはとてつもなく、とんでもない。たった一日とは云え、それを見てしまった以上、知らなかったと僕は云えない。まず必要なのは「覚悟」で、それを確かめるために、青森までの長い道のりがあったのだろう。 覚悟、冷静沈着さ、正確な知識。正確な情報の発信、それを受け取り分析する知性、被災した人々のメンタル部分のケア、思いやり、社会的弱者の救済、痛みの共有、これまでのあり方の猛省、ひとりひとりの自覚、国策による抜本的な復興計画、それを実行に移すための資金繰り、財源の確保、世界的な視野と長期的ヴィジョンを併せもったリーダーの不在について、実行力、治安の維持、エトセトラ。何よりも将来への確かなヴィジョン。放射能の問題に関しては全世界の叡智を結集して、道筋を作らなくては。云々。 深夜のデコボコの東北道をぶっ飛ばしながら、頭の中は混迷を深めるだけだった。当たり前だけれど、どんなに考えたところで答なんて導ける訳もなく、ただ、身体と心の奥深くにひどく重く、鋭いものが食い込んでいる。そんな感覚だけがあって、痺れた。 この状態のまま、ステージに上がることには無理があった。僕らの仕事は経験したことを創造力によって、ある種のファンタジーに転化し、中空に描いてみせることでもある。ただし、あまりにも強大なものを浴びてしまうと、転化の前に消化できない。僕は未だに「満月の夕」の光景を消化できていない。歌うにはものすごいエネルギーが必要で、簡単に「じゃ、満月の夕、お願いします」なんて云われるとムカつこともある。小さい、と思う。でも、それは事実なのだから仕方がない。 誰かが出した答を求めて、ネットの海を彷徨ってみたところで、そんなものはありやしない。誰もが自分の頭で考え、行動することが求められている。それを「怖い」と感じるか、「当たり前」だと考えるか。 どんなことであれ、雪だるまを作るときのように、最初は「雪つぶて」を作ることから始めるしかない。ある程度の大きさになれば、それは独りで大きくなっていくこともある。起きてしまったことは元には戻らない。ピンチをチャンスに変えることでしかない。それが「不可能」だと思うのなら、プロフェッショナルは試合に出てはいけない。あれから、僕はいくつかのステージで演奏して、気恥ずかしいけれど、その「つぶて」を作る力は「愛」と「覚悟」でしかない、と思い至った。 何も始まっていないし、何も終わっていない。でも特設サイトに寄せられた、たくさんの「life」の貴重な瞬間を見て欲しい。それぞれが「愛」に満ちている。僕はあんな写真は撮れない。絵空事と云われようが何だろうが、僕はそこに確かな「希望」を見つけている。このような「愛」がこの世に存在する限り、僕は何も諦めない。 http://www.yogile.com/mylifeismymessage 追伸 アルタンのマレードさんの提唱で、明日5/11(水)日本時間午前4時から、トラッドのミュージシャンによるチャリティーコンサートがダブリンで開かれます。日本のオーディエンスのために、以下のアドレスでストリーミングも行われます。 是非。 http://www.livetrad.com/ アルタン、ドーナル、ダーヴィッシュ、リアムにキーラ。泣かせるねぇ。ありがとう。 リアムは「今すぐ福島に行きたい」とのたもうてるそうです。よーし分かった。俺がいつか必ず連れてくかんね。

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何も始まっていないし、何も終わっていない#1

5月9日 月曜日 晴れ 今まで身の回りに腰を痛めた人間は山ほど居て、痛そうだなぁ、と思っていたけれど、いざ自分がその身になってみると、これは意外にとんでもないと云うか、社会生活がまったく送れない。家は無駄に階段だらけで、トイレに行くのもままならないし、座ったら立ち上がれないし、買い物には行けないし、宅急便が届いても玄関に間に合わないし、エトセトラ。こうなった以上、焦ってもしょうがない。悔しいことに、痛くて本を読む気にもなれないし、蓑虫みたいにソファーで丸まって、まとめて映画を観るか、天井を眺めながら、考えごとをするか、みたいな日々。とりあえず、5/16のライヴで、車椅子に座って登場なんてことがないように、せめてロッカーとしては、立って演奏することを目標に(どんな目標やねん?)じっとしております。ああ、情けない。実のところ、今日は写真撮影でした。でも、それ、無理。迷惑かけてごめんね。 天井を眺めながら長い間考えごとをする。そんな時間が与えられることもありませんでした。被災地に行って感じたことが、ようやく少しづつ言葉になって出てきつつあります。数日かけて、それらを記したいと思います。 ————————————————————————————————- 僕らが出向いたのは福島県の某所。計画的避難区域から少しだけ離れた海沿いの街。震災が起きたとき、僕はアメリカに居ました。離れた場所に居る以上、物事を俯瞰で捉える使命を与えられたのだと。そして日本に戻り、今度はピンポイントで物事を観て、そこから全体を観なければ、と。僕には個人的に思い入れのある小さな街がありました。まずはそこを訪ねようと。 僕の心をいちばん締め付けたのは、津波に完膚なきまでに破壊された海沿いの街の風景ではありません。云うまでもなく、瓦礫の山と化した風景はムゴいにも程があった。けれど、それよりも、そこに住む、友人も含む、生き残った人々の表情。彼らの表情を僕の語彙で表すことは出来ません。人にとって、とんでもない事が起きたとき。まず「悲しむ」と云うプロセスを経て、そこから再生していきます。どこかでその感情を爆発、あるいは出してしまわなければ、再生へ向けて歩き出すことはできません。そんな意味で、地震そのもの、30メートルの津波、余震。ここまでは天災だから仕方ない、と彼らも理解しています。ただし、人災である放射能の問題が、どれだけ彼らの心を蝕んでいることか。彼らだって、もちろん再生したいのです。当たり前です。けれど、放射線は目に見えず、国は明確に指示してくれず、再生しようにも、いつ「強制的に」立ち退けと云われるかもしれず、何もできない。原発が今後どうなるかは甚だ不透明で、放射能は垂れ流され、ガイガーカウンターは街に2個しかなく、福島県人だと云うだけで云われのない差別があり、エトセトラ、エトセトラ。彼らの心にはやり場のない怒りだけが降り積もっていく。 この人災には戦後、消費、拡大へと突き進んできたこの国のすべての矛盾が含まれている。僕はそう感じています。何よりも、友人たちがまずは「悲しむ」くらいの心の余裕を持つ状況を作りだせないものか。「がんばる」前に、まずは「悲しまなければ」「がんばれない」という事実。それが僕を打ち砕いたのです。(つづく) 追伸 みなさんの「life」の写真、反響がありすぎて、サーバーの容量を超えてしまいました。本当にありがとう。web担当者と相談して、対策を練ります。アナウンスするまでしばしお待ちください。 追伸その2 サーバー問題、解決しました。引き続きどうぞ、よろしくです。

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