1月11日 火曜日 雨
コにならなければバイクには120%乗ってなかった。これはホント。
飲み屋である日とつぜんに思った。このまま世界がコに席巻されて、死んで、後悔しないのか?
いや、後悔する。じゃ、にゃんだ?そのとき、頭の中にイージーライダーの映像が流れた。だってオレのバイブルだもん。
そのノリでディーラーに行って買った。免許もないのに。バイクのことなんてなーんもわからんから、決めた理由はタンクの色。で、免許をゼロから取った。おかげで山形が好きになった。ちなみに自動車学校では最年長だったと思う。
いざ乗るようになって、自分がこんなにバイクが好きだったってことに驚いた。一年半で15000キロ。なかなかの距離らしい。よくわかんないけど。だって好きなんだもん。ほんとは北海道にも九州にもこれで行きたいけど、コのおかげでそれは叶わない。だって、山の家がある阿蘇なんてライダーの聖地なんだぜ。2年も帰れないから、いったいどうなってることやら、とほほ。
でも仙台と新潟には行った。はじめて仙台に行った往復800キロはなかなかスリリングだった。新潟を往復したときは、ずいぶん楽になってた。要は乗った距離なんだと思う。
みんなで走るのも悪くないけど、基本一人が好き。なーんも考えず、ただバイクに乗ってるのが好き。ナビもスマホも撤廃。んなもんなくても、日本海にはたどり着いた。空っぽにしてくれるから好きなんだと思う。走って、季節や風やひかりを感じてると、コップに水が注がれるようになにかが満ちてくる。
飛ばしたりはしないよ。動体視力が衰えてるから。いちばん楽しいのは80〜90キロくらいだし、安全を担保するのは車間距離でしかない。夜中にとつぜん角材が落ちてたら。自分の力量はわかってるつもり。
だんだん違いがわかってきた。ディーラーをさっさと卒業して、近所のイケてるハーレー屋と仲良くなって井戸端会議のおばさんみたいに入り浸る。くっだらない話をしてるときが至福の瞬間。
そこであらゆるカスタムをしてもらった。あっちこっちやりすぎて、どこをどうやったのかわかんないけど、とにかく昨日アメリカから最後の部品が届いて、1年半かかったカスタムも完了。
旅するスパルタンなバイク。あとは旅するだけ。これで歌を届けにいけたら(そんなやつ居ないもんね)最高だなぁ、とか。
山口洋、雨のため到着が遅れ、ライヴは明日、そこの公園に変更です、とか。ないか。笑
もうすぐ内燃機関は死滅するだろう。でも、オレは電気のものには乗らないと思う。ガレージにはV8の4400ccツインパワーターボ555馬力とVツイン1200cc、そしてと2ストの85ccがある。振れ幅すごいけど、どれも最高。これらと一緒に死に絶える予定。
バイクに目覚めさせてくれたことだけはコに感謝だね。
初めての大型バイクだからずっと大切にするつもり。もう一台、キャブには乗ってみたいなぁ、とか。
はい。明日も週末の配信ライヴのリハーサルを都内で。バイクで行きたいのでギターは借ります。アーメン。
3台も所有されている中で、1年半で15000キロ!!
走り込まれている洋さんに脱帽です。
是非栃木に来て下さい!
栃木県下野市では毎月第3土曜日に、
道の駅しもつけで『シモツケチョッパーナイト』と
呼ばれる、ハーレーの夜会が行われます。
ナックル・パン・ショベルの旧車はもちろん、
カスタムショーに引けを取らない、クレイジーな
車両ばかりが、かなりの台数集まります!!
20時半に集まって、22時には解散するいたって
ジェントルでスマートなハーレージャンキーの集いです!
是非スパルタンなバイクでお越し頂き、
近隣のハコでのLiveを全力で懇願してます!
1/15のライブ、楽しみにしています。
キャブのカブも楽しいですよ。楽しい速度は35km前後です。季節の香り、町の香りを感じながら。
12月末の渋谷でのライブ「モーターサイクル」のあの曲を聴いた時
大型バイクの免許を取りに行こうと思いました。
「午前五時 月の光を浴びて 風を受けて 相棒を走らせて行く~」の景色が見えたからです。
年明けに教習所に入校手続きを取りに行ったら
「1~3月は一番混んでいて、予約が取れません。教員が全部学生の自動車免許の方に取られてしまうので、基本キャンセル待ちになります」と。
思い立ったが吉日と出かけていったのにな~。
4月になったら、再びチャレンジします。
ギターで全国弾き語りツアー。
その際はブルーのライダースジャケットに赤いマフラー、キカイダーの様に現れたらすごく格好良いと思います。
「イージーライダー」のピーター・フォンダ、なんと初めて写真集を購入したのがピーターなのであります!
昔々中学生の頃の話しです。
私にとってもバイブルといえばバイブル。
バイクを好きにならなかったら、今の生活はなかったなと思います。お付き合いする人はバイク乗り限定!?でした(笑)
コでなかったら絶対やってないことは母直伝の沢庵を初めて自分で漬けたこと。昨年秋、亡くなるまで一度も面会が叶わず、悔しい思いが強く残りました。
一つずつ母が好きだったことを自分でやってみています。
それが供養になるのかどうか。やってみることで私自身の気持ちは少しずつ和らいでいるようです。