日別アーカイブ: 2015年8月3日

恒久的な亀裂

8月3日 月曜日 晴れ 長い間、頭蓋の裏のスクリーンに映る、トラウマの映画を観る時間がなかった。創作者としては致命的。誰も行かないような標高の雪山に逃亡するか、山の家で原始の生活をするか。とかく世界は雑音が多すぎる。そして、僕は未だに電車にちゃんと乗れない。現代に生きるには失格者ってことです。電車の中の無関心がたまらなく怖い。 脳味噌は極めて単純。いわゆる「男脳」というやつで、驚異的な集中力を発揮する反面、同時にふたつのことができない。それゆえ、事務的煩雑さをとっとと解決して、次の案件に取りかかるも、次から次に案件は湧いてきて、一向に創作者として集中する時間は持てない。「職業 = オレ」で生きる一番の難しさかな。 僕も残り時間を計算するような年頃になって、はたと考えた。江戸時代だったら、もう死んでる。つまりは与えられたロスタイムみたいなもの。LIFEという試合は最後まで諦めない。あたりまえです。それが役目だもんね。個人的な欲のようなものは、もはやない。自分はいったい何がやりたいのか? 経験やヴィジョンを何よりも「作品」に昇華させたい。それで役に立ちたい。やるからには未踏の領域に踏み込みたい。つまりは冒険していたい。 「恒久的な亀裂」ってものは厳然としてある。ない、とのたもう輩が居るのなら、身体と魂を張って生きていないことの証明でもある。その上での「表現」だ。 現実なのか、ヴィジョンなのか、空想なのか、夢なのか。その境界線を行き来できてこそ、その人物は創作者たり得る。知ってる人は分かると思うけど、かなりの体力を必要とする。ってか、ほんとうに必要なのは「知力」ではなく「体力」。これがなければ、現実に戻っては来れない。「いいね」じゃ、たいせつなことが良くなる可能性は低い、と僕は思う。ぽちっと押すとき、身体張ってるんだったら、話は別だけどね。

カテゴリー: 未分類 | 1件のコメント