日別アーカイブ: 2020年12月11日

身体に曲を入れる

12月11日 金曜日 曇り どんどん感染者は増えてるのに、なぜか今月はものすごい数の曲を演奏することになり、それを覚えるのに必死っつー、不思議な悲鳴。 先日、CHABOさんが「Hey John!」って曲を書いてくれて、それがあまりに素晴らしすぎて、グっときすぎて、本番でテンポを間違えるって失態をやらかしたばかり。身体に入っている曲であんな失態をやらかしたのが情けない。冷静でいられないほど、グッときたってことなんだけど、それはやっぱりダメだ。プロとして。 曲は生き物で、それぞれのアーティストが大切にしているものだから、ほんとうに身体に入れておかねばならない。これもまた先日、おおはたくんの曲でベースを弾いたんだけど、ベースはもちろんレコーディングでしょっちゅう弾いてるし、弾けるはずなんだけど、配信ライヴってある種の極限状態だとギターのようにはコントロールできないのね。てか、コントロールしようと思ってる時点で作為なわけで。 ギターに関してはなにも考えない、ただ感じてるだけのレベルに達してるから、早くそこに行きたい、とか思うよ。どんな楽器であれ、そこに到達できるはずなんだ。 で、次なる曲たちをまた身体に入れなきゃいけない。リセットするために、時間をなんとか作り出して、連日美術館に通ってみる。 絵画はものすごいインスピレーションを与えてくれる。そして、笑っちゃうくらい好きな絵は変わらない。今日思ったのは、美術館に絵を飾られることを毛嫌いするようなアーティストが好きだってこと。オ・キーフを含め、数人の絵からはその気高さを感じる。 美術界も音楽界とはまた違った意味でおかしな世界だと思う。アーティストはみんな野に生きればいいのに。作品が認められて、世に残るかどうかなんて、実力も必要だけど、半分以上はマネージメントの力だと思うしね。くっだらないことさ。 学芸員が書いた絵の横のキャプションなんて僕は読まない。余計な情報なんてどうでもいい。絵が訴えかけてくるものがすべてだと思うよ。 先日、とあるアーティストが私費を投じて建設した美術館に行ったんだ。どうして、それを造ったのか。意味がよくわかってきたよ。その人は自分の「野」を造ったんだと思う。無垢な「野」。 なんだか、いろんなことを思う。芸術なんて、ちっとも高尚なものじゃないのに。第一次産業がいちばん「偉い」と僕は思うよ。芸術は思い切り好きに生きて、たまに人の役に立つ「かも」しれない。そのくらいのものだと思うよ。3億円の絵に1円の価値も感じないことなんてしょっちゅうなわけで。 なーんてことを感じさせてくれてることにも感謝しなきゃね。 はい。自分の道に精進します。 今日はこの曲のコードを書いてたので、おすそ分け。よく聞かれるので。「愚か者の舟」です。てことはライヴでやるためにリハーサルしてみるってことです。12/20は95%みんなのリクエストで成り立ってます。稀有です。          

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