10月26日 水曜日 雨
福岡で暮らした26年、関東に移り住んで26年。ちょうど半々になった。だからって訳じゃないけど、どれだけ故郷が変わったのか見ておこうと思いたった。ずっと避けてきたんだけどね。怖くて。振り返る余裕なんてどこにもなかったしね。でも、このままじゃきっと後悔する、そう思ったからさ。
はたして、僕を育んだ街は跡形もなかった。道さえ残っていなかった。ほんとだよ。再開発の嵐。故郷を出た人間が何も云う資格はないけど、涙出たよ。この現実を受け入れるのに。わずかにバイトしてたうどん屋が残ってた。でも入る勇気はなかった。ここでよくバンドのミーティングしたっけな。歩いているのは老人ばかり。高度成長期のベッドタウンがここまで変化すること、誰か予想できたのだろうか?ヨーロッパであれ、どこであれ、世界中これだけ古いものを大切にしないのはアジア人の特質だと思う。地震が多いってことも関係してるとは思うけど。
故郷は僕のこころの中に。はぁ。ため息。
中州に行って、若い頃「ラストワルツ」を観た映画館で「I SAW THE LIGHT」を観た。ハンク・ウイリアムスがどうしてあんなに好きだったのか、理由の一端が分かった気がする。僕は彼に似てる。そして古い映画館は素晴らしい。
このタイミングで中学の同級生からメール。僕は一回も同窓会に出たことがない。「お前、今度博多に帰ってくるとき、同級生集めちゃるから来やい」。何ちゅータイミングなんだか。笑。生まれて初めてみんなに会いたいと思ったよ。街が変わっても、人のこころはそうなっていないと思ってる。
何となく、沈んだ気持ちで長崎に向かったら、悪友ヒロシが待っていてくれた。ああ飲みましたとも浴びるほど。持つべきものはともだちだよ。壱岐GOLDがこころに染みた。
山口さんの故郷はそのようなことに、、日本中、そんな“消えた”まちがたくさんなのでしょうね。。
新しい道路だハコモノだ、を“発展”とする日本人の田舎くさい習性。。
中洲大洋は外観を小綺麗に整えられたので、中はどうなったかなと思いましたが、昔の趣を残していらしゃったので、ほっとします。
全国でもそういった劇場は希少になってしまっているようです。画一的なシネコンばかりになってしまいました。
震災で熊本の映画館はとりあえず全部営業中止。ようやくシネコンが一、二館復活するなか、いち早く復活してくれたのは熊本市街唯一の非シネコン劇場「電気館」でした。
シネコン的商業映画以外の作品は、熊本の映画ファンはここでしか観ることができません。熊本、文化最後の灯火。
ライヴハウスも被災で移転など余儀なくされたところも多く、再開できていないホールなどもまだまだ多いようです。
震災の少し前から熊本はバスセンターを中心とした再開発工事に着手していますが、ここが一部の人を一瞬儲けさせるだけの「ハコモノ」ではなく、ほんとうに文化に有用なものになるかどうか甚だ心配な昨今の熊本です。
一個人の憂熊、長々失礼いたしましたm(_ _)m
今年の夏、私もその街を歩きました。あったものがなく、知らん道路ができ、学生の頃たむろしたゲーセンはどこだったかもわからんくらい。
はじめてレコード買った店もないし。そういえば駅前に当時、貸しレコードやってる店あったな。
山口さんがいつかいた街で、私も過ごしてたなんて、なんともラッキーな。
でも、ラッキーはまだあるようでした。
博多でのライブ楽しみにしております。
長崎おつかれさまでした!
今回も行けませんでしたが妹が行ってくれたみたいです
次回はワシも五島から顔を出せるように日々がんばります