「まだやってるの?」の衝撃

5月18日 土曜日 晴れ 

 都会で見えてくるもの、地方に足を運んで見えてくるもの。そしてこのド田舎で浮き彫りになるものは、それぞれ違う。良いとか悪いとか、そんな意味じゃなくて。

 僕は山の中で人とつき合わない。1人になりたいからだ。以前は近所(と言っても、1キロ向こうの人とかそんな感じ)の移住者たち(多くは団塊の世代)と交流があったが、彼らの殆どは、ここで新たなトラブルを抱え、あるいは起こし、去っていった。理由は年下の僕から見ても明白だった。この自然の中では、他者をまず思いやれない者は淘汰される。それだけのことだ。批判する気はないが、悠々自適の生活を送ろうとして、都会の論理を持ち込み、そこに小さな軋轢が生まれ、やがて修復不能なものへと変化する。「田舎生活」なんて夢を煽るマスコミにも責任がある。そんなに簡単なものではない。エゴは自然の前では通用しない。

 ここは国立公園の中に位置していて、すべての対応が遅れている。僕とて税金を払っているが、ゴミの収集をしてくれたことなんて一度もない。だから、ゴミを極力出さないように気をつける。最近、このエリアに地デジが来た。何だか、ぷーんと匂うものがあった。数キロ範囲に数軒しかないところに地デジが来ることがおかしい。ゴミの収集さえ行われないのに。

 聞けば、国とNHKが金を出し、整備するのだと。ザッツ「補助金」。田舎でその名称を何度聞いたことか。額にして約1000万円。そのうち視聴者は年額1万だったか2万だったかを支払う。見返りとして、NHKへの加入がほぼ強制的に求められる。何だか、生理的にどうしようもなく気持ち悪い。this is 日本の縮図。テレビを視聴することはこのエリアの人たちにとって念願なのだろうから、そこまで軋轢を起こすことはなかろうと、僕もその金を払うことにした。ただし、地デジを観る気もないし、そのテレビを買う気もないのだから、NHKの受信料は払わない。当たり前だ。「補助金」によって引かれたケーブルは、僕の家の近くにぶら下がったまま。多分、永遠に僕の家に引き込まれることはない。無駄の極致。

 とか言ったことがトラブルの元になる。くだらん。事を真偽をただそうと、近所の人がやってきた。彼もまた悠々自適組。僕は彼に出会ったら挨拶する。そのようにつき合ってきた。人間として、ただフツーにだ。半年以上前に、立ち話をした。自分の近況について聞かれたので、僕は東北のことを軽く話した。今回もその話になったので、「できることをやっているので、なかなかこちらに帰ってくる時間がないんです」と伝えたら、彼は「まだ、やってるの?」と言った。僕にはこの言葉が衝撃だった。「まだ、やってるの?」とはいったいどういう意味なのか。彼にとって、それは確実に過去のことなのか。それとも、僕の行動に対する彼なりの意見なのか?間違っても、それは褒め言葉のニュアンスではなかった。真偽をはかりかねたが、議論に意味があるとは思えなかった。分かれしな、彼は「たまにはテレビに出ないの?」と田舎で良く聞く台詞を僕にぶつけて、去っていった。何だかなぁ。ますますテレビを引く気がなくなった。

 僕は彼を批判しないし、その権利もない。自分の生活を守る。それはそれで素晴らしいことさ。でも、これは大人が語った言葉で、自分さえ良ければいい。その集積がこの国を作って、そして見事に崩壊しつつあるのだ。それが僕の実感だ。田舎には「結」の精神があったはずで、それがなければ圧倒的な自然の力に淘汰されたはずだ。その精神を学ぶことなく、エゴで生きているなら、いつかそれが刃になって自分に向かってくる。そのことに気づいている人はあまりに少ない。もっと謙虚になれ。見返りを求めることなく、誰かに愛を注ぐことは、自分に愛を注いでいることでもある。忘れた頃に違う形で返ってくることもある。相馬が僕に教えてくれたことはそのようなことだ。得るために求めるのはエゴだ。求めないからいつか得られるのだと僕は思う。

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「まだやってるの?」の衝撃 への5件のコメント

  1. coco より:

    難しい問題だと思います。田舎で育ったのですが、やはり一人一人の心からの『結』でないと、そこには新たなエゴが生じてきます。何かを考え何処かに向かう時、本当に『謙虚』に信じて進むしかないですよね。いろんな事を考えさせられます。 

  2. 大瀧GON より:

    いま、私は宮崎に一人疎開中です。山口さんより少しだけ年上です。
    東京にいる時は夫と共にライブへ伺って様々な(東北を含めた)今を体感しています。
    最初、正直に書くと相馬プロジェクトはそこに住む子供達の足かせになると思っていました。大人のエゴだと。
    今も納得はしていませんが。
    「逡巡」を目にした時、葛藤を理解(エラソーにすいません)した気がしました。
    1日のブログでは相馬市の現状をより知る事も。
    マスクをしているだけで白い眼で見られ、駅前の商店街では高野豆腐が普通に売られ
    原発事故なんてなかったかの様にいっけん普通に生活している。
    しかし、書店には放射能関連本が多種多様山と積まれ購入されている。
    放射能対策の講演には会場からあふれ出すほどの人が集まる。
    友人が教えてくれました。

    その中で
    それでも山口さんは走る走り続ける事で何かに繋がっていく事をやっていかれている。
    放り出し投げ出し逃げ出しが出来たらラクチンでしょうと思います。

    私のいる宮崎では限界集落寸前の土地もあり、ジジババだらけで田畑が荒れ果て
    姪の通う小学校の今年度の一年生はたったの3人。
    廃坑寸前に追い込まれています。

    先祖代々受け継いできた土地を離れる事は想像を絶するほどの辛さがあるでしょう。
    しかし満州やブラジルへ移民した方々や北海道開拓に移住した方々もいらっしゃいます。

    子供が親と離れて暮らす事は避けた方が良いのですが・・・
    福島で暮らす事を望む大人の犠牲になって欲しくありません。

    たぶん、宮崎だけに限らず九州各地に限界集落や寸前の地域があります。
    細々とですが、私もこちらで何か繋げていく様な事が出来ないかと思います。

    上記の様な事など、プロジェクトでは出しつくされているとは思いますが
    今一度、お考えください。

    充電中の大切な時間にこの様なコメントを書いてしまいました。
    お許しください。
    阿蘇にいらっしゃるならご存じかもですが「唐笠松」をおすすめします。
    また、ライブに行きます。

  3. 豊原太郎 より:

    「情けは人の為ならず」という諺を思い出しました。この意味は「情けを他人にかけるべきではない」という意味ではなく、「他人にかけた情けは巡り巡って自分にかえってくる」という意味だそうです。求めてはいけない・・も納得です。

  4. 江本 誠 より:

    「まだやってるの?」本当に衝撃的な言葉ですね・・・。
    自分さえよければいい人は、政治家だけじゃなくそこら中にいますね。
    今、この国の人々に(自分自身も含め)一番必要なのは
    見返りを求めない本当の愛だと思います。

    そこに気付いて多くの人が行動に移せば、
    この国は必ずよい方向に行くと信じています。
    僕も自分に出来る事をし続けようと思います。

  5. たづ助。 より:

    まだやってるの? 

    衝撃というか、なんというか。言葉にしがたい感触です。

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